僕の叔父さん
SKY
第1話
お葬式の後で、僕は叔父さんと初めて会った。
「透くん、初めまして。僕が芹沢暁彦(せりざわあきひこ)だよ」
叔父さんはにっこり笑ってそう言いながら、僕の頭を撫でた。
「今日からきみは僕の家で暮らすんだよ。……さぁ、一緒にお家に帰ろう」
僕は叔父さんに手を引かれて歩いた。僕は何度も振り返り、見慣れた街の様子をしっかりと目に焼き付けた。叔父さんは僕に聞いた。
「誰か見送りに来るの?それとも挨拶したい友達がいるのかい?」
僕は首を振る。友達も誰も見送りになんて来ない。大好きだった学校の先生には昨日さよならを言ったし、住んでいた家にももう何も残っていない。
「ここからバスに乗って30分くらいかな」
叔父さんの家は隣町にあった。今まで住んでいた街より少し小さい町だ。
「小学校の転入手続きも取ったから、来週からはこの学校に通うんだよ?」
バスの窓から見えた学校は真っ暗で少し怖かった。
ガタゴトと坂道を登ったり降りたりして、バスは隣町に着いた。そこからまた少し歩いて、ようやく叔父さんの家にたどり着いた。
町はずれの古ぼけたアパートで、その2階の端の部屋が叔父さんの家だった。
「狭いけど、もう少ししたら広い部屋に引っ越す予定だから、それまで我慢してね」
頭を掻きながら叔父さんはそう言って微笑んだ。
僕の名前は北浦透(きたうらとおる)、小学5年生。母さんと父さんは交通事故で亡くなって、僕は一人ぼっちになってしまった。家のことやお金のことやお葬式の手配は全部、父さんの友達だった弁護士のおじさんがやってくれた。叔父さんに僕を育ててくれるよう頼んだのもそのおじさんだ。よく分からないけれど、僕が成人するまでお金の管理をしたりする人にも叔父さんはなっているらしい。
叔父さん、と呼んでいるけれど、僕と叔父さんには血の繋がりはない。僕の母さんの妹の旦那さんだった人だ。母さんの妹の貴子叔母さんも2年前に病気で亡くなっていて、僕の親戚は叔父さんだけになってしまった。だから今日のお葬式もとても寂しいものだった。
叔父さんのことはよく知らない。仕事も、どんな生活をしているのかもちっとも聞いたことがなかった。でも、今日話してみて、優しそうな人だってことは分かった。
家に着いてほっとしたせいか、お腹が鳴った。
「ああ、お腹が空いたのかい?ちょっと待っててね」
叔父さんはくすっと笑いながら台所に行った。
少しして出てきたのはオムレツだった。
「透くんの口に合うかは分からないけど、食べてみて」
僕は一口スプーンですくって食べた。ふんわりした卵が口の中でとろけた。
「とっても美味しいです」
僕の返事に、叔父さんは嬉しそうに笑った。
叔父さんと暮らし始めていろんなことがだんだん分かってきた。
叔父さんは29歳で、貴子叔母さんが亡くなってから今まで一人暮らしをしていた。料理も洗濯も掃除も何でもできるし、子供好きなのか僕にもいろいろ優しくしてくれる。僕が寝る前には本を読んでくれたりもする。叔父さんの声はとても柔らかく落ち着いていて、僕はすぐにぐっすり眠ってしまう。叔父さんも一緒になって寝ちゃうことも多かったみたいだけれど。
叔父さんは大抵家にいる。なんでも、探偵という仕事をしているのだそうだ。探偵と言っても、テレビで見るようなかっこいい仕事じゃない。犬や猫を探してくれとか、結婚相手の身元調査とか。僕が学校から帰ると時々知らない人が家にいたりする。外で遊んでおいでと言われることもあるけれど、大体は叔父さんが座っているソファに並んで座って、叔父さんがにこにこしながら「甥っ子の透です。訳あって預かっているんです」とその人に紹介するのを黙って聞いている。
学校にも慣れて、新しい友達もたくさんできた頃の土曜日のことだ。
家に来た手紙を読んでいた叔父さんは急に怖い顔をして立ち上がった。せかせかと部屋の中を歩き回って、何か考え事をしているようだった。
「透くん、僕はちょっと出かけるけど、一人でお留守番できるかい?」
僕が頷くと叔父さんはにっこりして僕の頭を撫で、それからコートを羽織って出ていった。
いつもにこにこしている叔父さんが、なんで急に怖い顔になったのか、僕はその訳が知りたかった。一人になった僕はさっき叔父さんが読んでいた手紙を探してみた。でも、持っていってしまったのか見つからなかった。その代わり、叔父さんの使っている机の抽斗の奥に写真を見つけた。貴子叔母さんと叔父さんが一緒に写っている写真だ。
叔父さんと叔母さんが結婚したのは僕が小学校に入る前の年だったから今から5年以上前だ。結婚式には僕も出席したと思うんだけど全然覚えていない。貴子叔母さんは確かまだ20歳くらいだったと思う。僕の母さんにとてもよく似た小柄できれいな人で、僕の家に何度も来たことがある。勉強を教えてくれたり、洋服を買ってもらったりもした。
叔母さんのことを思い出すうちに、母さんや父さんのことも思い出してすごく悲しくなってきた。叔父さんと一緒の時は思い出さないようにしていたのに。一人ぼっちで、悲しくて寂しくて、涙がどんどん出てきた。
叔父さんが帰ってきた時も、僕はまだメソメソ泣いていた。叔父さんはびっくりして駆け寄ってきた。
「どうしたんだい?一人で寂しかったの?」
叔父さんに抱きついて僕はますます泣きじゃくった。
「僕の好きだった人はみんないなくなっちゃった……きっと僕がいけないんだ!僕がお利口にしていなかったから、神様が僕の好きな人をみんなどこかに隠してしまったんだ……」
泣きながらそう言うと、叔父さんはしゃがみこんで僕の肩に手を置いた。
「透くんのせいじゃない。誰のせいでもないんだ。きみのお母さんもお父さんも貴子も……遠い空からきっときみを見ていてくれる。それにきみは一人ぼっちじゃない。僕がいるだろう?透くんは僕が嫌いなのかい?」
僕は首を振った。叔父さんは僕の顔をじっと見つめて優しく言った。
「神様がきみの好きな人を連れて行ったとしたら、僕もいなくなっちゃうってことになるだろう?でも僕はここにいる。大丈夫、僕はどこにも行かないし、きみが大人になるまできみの傍にいるからね?……そうだ、透くんにこれをあげよう」
叔父さんはコートのポケットから取り出したものを僕の掌に置いた。
「これは貴子がしていた指輪だよ。僕には小さすぎて付けられないし……これを持っていたらきっと貴子が透くんを見守ってくれる。そう思ったらもう寂しくないだろう?」
僕の涙をハンカチで拭きながら叔父さんはにっこり笑った。僕は大きく頷いて、掌を指輪と一緒にぎゅっと握り締めた。
その夜一緒のベッドに横になって叔父さんに本を読んでもらった後、僕は手紙のことを尋ねた。叔父さんはちょっとためらってから、遠くを見るようにして話し出した。
「……僕が探偵を始めたのは、まだ貴子と出会う前、僕が大学を出たばかりの頃だった……」
まるで本の続きみたいに、叔父さんの声は穏やかだった。
……その話が途方もない大事件の幕開けになるなんて、その時の僕には少しも分かっていなかった。そして、叔父さんがとても大きな秘密を抱えていたことも……。
「大学の時の先輩に一緒に探偵をやらないかと誘われて始めたんだ。共同経営という形でね。その人は麻生拓也(あそうたくや)さんという人だったんだけど……ある事件がきっかけで、1年後に突然失踪してしまったんだ。……今日届いた手紙は、大学の頃の友達からのもので、その麻生さんを最近見かけたと言うんだ……それも、この町のすぐ近くで……」
叔父さんは僕の頭をゆっくり撫でながら、ちょっと言葉を切って僕を見つめた。
「それで友達が見かけたと言う場所に行ってみたんだ……でも、麻生さんの手掛かりを掴むことはできなかった……。麻生さんが失踪して今年で6年だから、あと1年で失踪宣告が出されて死亡したと見なされてしまう。……その前に僕は麻生さんを見つけ出したい。……麻生さんにどうしても聞きたいことがあるんだ……」
そう言って叔父さんは僕に布団をかけ直し、優しく微笑んだ。
「透くんにはちょっと難しかったかな?」
僕は首を振った。叔父さんの話はなんとなく分かった。でも、『ある事件』というのは一体どんな事件だったんだろう。そして、麻生さんという人はどんな人だったんだろう。叔父さんにもっと詳しい話を聞きたかったけれど、叔父さんはその話をあまりしたくないように見えた。それに……なんだか叔父さんが遠くに行ってしまいそうな気がして、僕は急に不安になった。
僕はベッドから出ようとする叔父さんのパジャマの裾を掴んだ。
「どうしたんだい?」
叔父さんは再び僕の隣に横になった。
「……叔父さんはどこにも行かない?」
おそるおそる聞いた僕に叔父さんはにっこり笑って言った。
「どこにも行かないって、さっきも言ったろう?」
「でも……麻生さんみたいに……突然いなくなったりしない?」
「しないよ」
「僕が大きくなるまで?」
「うん」
「約束して」
布団の中から手を出して小指を立てると叔父さんも小指を出した。指きりげんまん……叔父さんと一緒に歌って安心した僕は、やっと叔父さんのパジャマを離した。
「透くんが眠るまでここにいてあげるから、ゆっくりお休み?」
叔父さんはそう言って、布団の上から僕の胸の辺りをとんとんと叩くようにした。
僕は頷いてゆっくり眼を閉じた。
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