第8話

辺りは暗く、芽吹いた草木の匂いが入り乱れ、バッタや鳥などの小動物が時折ガサガサと音をたてる。


草原の手前の雑木林の中に、久竹はいた。


「どうせお前は来ると思ったが、陽まで来たのか」


闇の中で鋭い目を光らせる。


Tシャツ越しでも分かる、そのたくましい背中には、何が入っているのか大きなリュックを背負っていた。


「素手でケンカをやるのは、馬鹿のやることだぜ」


久竹は雑木林の中を迂回し、ログハウスへ近づいていく。


ログハウスの様子を伺うと、どの窓も真っ暗だ。


「アイツはまだ店にいるようだな。お前らどうせ、待ってろ、って言ってもついてくるんだろ?行くぞ」


久竹が姿勢を低くして走りだし、私と陽ちゃんもその後に続く。


喫茶店からは死角にある窓の下にたどり着くと、久竹がリュックの中からトンカチとタオルを取り出した。


タオルを窓のガラスにあて、なるべく音が出ないようにトンカチで叩く。


カシャンと音がして、割れたガラスの破片が室内の床に落ちたようだった。


久竹が割れたガラスの間に手を入れ、カチリと鍵を開ける。


静寂の中、いちいちの音がやけに大きく響く。


窓を開け、久竹が窓枠を乗りこえ先に入り、私を、次に陽ちゃんを、手をとって室内に引き入れてくれる。


入り込んだ部屋はリビングらしく、ソファやアンティーク調のテーブルなどがあった。


テーブルについている引き出しを開けてみるが、何も入っていない。


「ここには、アイツが怪しいヤツだという証拠は何も無さそうだな」


久竹が部屋の扉を開けると、そこは廊下で、向かいにまた扉があった。


「開けるぞ」


久竹が開けると、木製の扉が、人の悲鳴と溜め息の入り交じったような、ヒィーという気味の悪い音をたてる。


その部屋には、まるで学校の理科実験室のように机がたくさん並び、その上には無数の瓶や箱が置かれていた。


「なんだ、この部屋」


久竹が中に入り、辺りを見渡す。


私が一番近くのテーブルの上にあった瓶を手に取ると、ラベルが貼ってあり、【悲しみ】と書かれてある。


窓から射し込む淡い月明かりを頼りに中を透かしてみるが、何か入っているようではない。


蓋を開けようと、少し回す。


すると、ヒィーという微かな人の悲鳴が聞こえてきて、私は驚いて蓋を閉める。


悲鳴がやむ。


久竹と陽ちゃんを見ると、二人ともゾッとした表情を闇の中に浮かび上がらせていた。


「何…?今の…」


陽ちゃんがささやく。


私がまた蓋を回し始めると、また聞こえてきて、完全に蓋を開けた時にはヒィーヤァアーと、人の悲鳴が部屋中に響き渡った。


私はまた慌てて蓋を閉める。


すると部屋には静寂が戻った。


私は思わず呟く。


「なんなの…?」


他の瓶のラベルを見ると、【叫び声】【A の断末魔】など、気持ちの悪い言葉が書かれてある。


「おい、なんだこれ」


辺りを歩き回っていた久竹が、机の上に置かれた木箱を覗きこんでいる。


近くに行くと、その箱は表面がガラスで出来ていて、昆虫をピンでとめておく標本箱のようだった。


綺麗な蝶々でも並んでいるのかもしれない。だんだんとこの状況に精神的に耐えられなくなってきて、明るい希望的観測を持ってしまう。


だが、その思いは軽く裏切られ、そこには人間の鼻がピンでとめられて無数に並んでいた。


「オエッ」


胃の逆流を抑えきれず、私は床に這いつくばる。


幸い胃は空っぽのようで、何も出てこなかった。


手の甲で口元を拭う。


「何?何?」


部屋の隅で怯えて立ち尽くしていた陽ちゃんが、こちらに来ようとする。


「お前は見ないほうがいい」


久竹が手を上げ陽ちゃんをとめた。


「陽は、そこにいろ」


久竹がゆっくりと歩きながら、部屋の中を奥まで行く。


私も胃の辺りをさすりながら、それに続く。


部屋の奥の隅には、学校の掃除道具入れのようなロッカーが、三つ並んでいた。


「おい、今までの流れからきて、ここには何が入っていると思う?」


「もしかしたら、マスターが隠れているかも」


私の言葉を聞いて、久竹が左手にトンカチを持ち、右手をロッカーの取手にかける。


「行くぞ」


ガバッと勢いよく開けた久竹に、中から倒れてきた何かが覆い被さる。


「ウワッ!」


それは、喫茶店にいつも居る主婦たちのうちの一人だった。


虚ろな目をして、その焦点は定まっていない。


久竹が押し戻し、バン!とロッカーを閉める。


「け、警察に連絡しなきゃ…」


「いや、本物の死体では無いと思う。やけに軽かった。まるで骨と皮だけで出来ているような…。作り物だろう。それに、警察に連絡するのは、全ての部屋を見てからだ」


三人で廊下に出ると他にドアが二つあり、それぞれトイレとバスルームだった。


「後は二階だな」


久竹が階段を一段踏むと、ヒィと音が鳴った。あの瓶のラベルを見た後では気持ち悪さしか感じない。


踏むたびにいちいち音の鳴る階段を、鳥肌をたてながら上がると、壁に沿って廊下が続き、その真ん中あたりに扉が一つだけあった。


「二階は部屋が一つだけのようだ。何があるか、楽しみだな」


久竹が扉をソッと開ける。そして、中を凝視したまま固まった。


私も隙間から部屋の中を覗く。


中には、暖炉のようなものがあり、その炎が明々と部屋の一角を照らしていた。


その赤い光の中に、長い棒を突っ込んでクルクルと回している人物がいた。


しばらくすると、棒を炉から出して布をあてて優しくこする。


それが終わると棒に口を当てて息を吹き込む。


すると、赤い玉が風船のように膨らんだ。


「父ちゃん!」


久竹が叫び、その男の人に駆け寄る。


「父ちゃん、オレだよ!助けに来たよ!」


だが、その人は久竹が目に入らないらしく、出来たばかりのガラス細工を見つめながら、ブツブツと呟いている。


「扉を開けたのは、ボクの意志じゃない。仲間内のバツゲームで…。許して…」


冷えて固まった手鞠のように美しいガラスを、コトリと静かに机の上に置いた。


その奥のテーブルについて、作業をしている人物に私は気が付いた。


机の上にキラキラ光る何かを並べ、その一枚を目の前に掲げウットリと眺めている。


まさか…。


私は信じられない気持ちで一歩一歩近づく。


徐々にハッキリと見えてくる、肩までのウェーブのかかった髪。


優雅に着こなしている、ベージュのワンピース。


「お…、母さん?」


近づく私に驚いて振り向いたその顔は、まぎれもなく母だった。


「おや、まあ。どこの子かしら?こんなところに来ちゃあ、ダメじゃない」


「お母さん、私だよ。お家に一緒に帰ろう」


だが、母は私のことが分からないらしく、首をかしげている。


「クソッ。おい、糸。喫茶店のジジイは、オレらの親に、薬かなんか飲ませているんじゃないのか?」


「嘘…」


その時、私のそばにくっついて来ていた陽ちゃんが、「シッ」と口に指を当て囁いた。


「誰かの、足音がする」


耳をすますと、階段を踏む時に出るヒィともギィともつかない悲鳴のような音が、規則正しく聞こえてくる。


「テーブルの下に隠れろ!」


久竹の声を合図に、私たちは三人固まって、母の作業しているテーブルの下に身を隠す。


カツカツカツと廊下を歩く音が響き、戸口に姿を現したのは、マスターだった。


「おや?扉が開いてますね?」


マスターが久竹の父親と私の母を交互に見る。


「もしかして、どちらかが開けましたか?逃げようとして?」


マスターが顎に手を当て思案する。


「意識が戻っては困ります。もう少し、薬を強くしなければいけませんかねえ?」


「おいッ!このクソ野郎!!」


久竹が叫んで立ち上がる。


「ああ、そこに居ましたか」


マスターが私たちを指さす。


「そちらから出て来てもらうには、怒らせるのが一番ですから。これで探す手間が省けました。薬うんぬんは、嘘ですよ。ワタクシは、この方たちに薬など投与はしておりません。そんな野蛮なことは、致しませんよ」


「畜生!オレらを馬鹿にして、おちょくりやがって!」


まんまと、おびきだされた形になった久竹が、地団駄を踏んで怒り出す。


「薬じゃなきゃ、何でこんなことになってんだ!」


「もう皆さん、ワタクシの正体がお分かりでしょうから」


そう言うと、マスターの体が煙のように薄くなり、ユラユラと揺れた。


「畜生、いつ見ても、気持ち悪いぜ」


久竹が吐き捨てるように言う。


マスターがその姿のまま、ユラユラと近づきながら喋り出す。


「ご覧の通り、ワタクシの体は瞬時に量子レベルにまで分解することが可能です」


「ハア?!」


頭はいいが、勉強の嫌いな久竹が頓狂な声を上げる。


「まあ、お分かり頂けないのも分かりますが、これは、ワタクシが昔勤めていた研究所の努力の賜物なのですよ。ワタクシの体は、宇宙から抽出した暗黒物質と人間の体の融合で出来てまして」


「えーと?」


久竹がさらに首を捻る。


煙のようだった人影が、集束し始め真っ黒い人型になり、やがていつものマスターの姿になった。


その右手を母の作業しているテーブルに付くと、肘から先がテーブルの材質と同じ木の腕になった。


「このように、ワタクシは量子とそこいらにある材料を混ぜ込んで、瞬時にいろいろなものを作り上げることが可能です。久竹君のお父さんと、糸さんのお母さんの脳ミソを少し作り変えて、昔の記憶を無くしてもらっただけですよ」


「何でそんなことすんだよ!」


久竹がトンカチを持った手を振り上げる。


「あー、久竹君、そんなものではワタクシは殺れませんよ」


マスターがあきれたように両手を上げる。


「分かってるよ。んなことは…」


久竹が呟きながら、トンカチを持った手をソッと下ろす。


「ワタクシは美しいものが大好きで…。ガラス細工や、ステンドグラスを、私の満足いくものを作って頂いた暁には、脳ミソを元に戻して家に帰ってもらおうと思っておりました」


「本当かよ?じゃあ、一階の気持ちの悪いもんは何なんだよ」


「私の美しいコレクションを、気持ちの悪いもんなどと言わないで頂きたい」


「ねぇ、もしかして、あの鼻は策出さんの…?」


マスターが私を見て頷く。


「街中で見かけて、美しかったのでちょっとだけ成分を頂きました。その分、策出さんの鼻の成分が減ってしまったので、土や、草を混ぜて新たに錬成して作り直してくっつけました。一度落っこちてしまったようですが、その後は何の問題も無いようですね」


「主婦の皮と骨もか?」


「そうです。成分だけ少し頂いて、自分で作ったものを部屋に置いています」


「赤い雨は何なのよ…」


「人間を量子レベルにまで分解して再構築するのに、水分は邪魔なんです…」


「瓶は何?」


「赤い雨に驚いた人の悲鳴を瓶詰めにしました。それを、階段を踏むたびに音が出るように細工したんです。素敵でしょ?」


あれは、階段の木の板が軋む音が人の悲鳴に似ていたのではなく、悲鳴そのものだったのだ。なんて悪趣味なのだろう。


その時、戸口にまた黒い人影が現れた。


陽ちゃんが口元に手を当て、ヒッと悲鳴を上げる。


「糸?どうして、こんなところに居るんだ?」


それは、よく聞き覚えのある声…。部屋に入ってきたのは、父だった。どうして、こんなところに…?聞きたいのは、こっちだった。


もしかしたら、携帯電話にGPS がつけられていて、私が家にいないので、心配して来てくれたのかも…。いつもは、ほったらかしにされていても、こういう場面で頼りになる人物に会えたことで、私は心底ホッとしていた。


「父さん、聞いて。この人がお母さんを…」


父に近づいて話し出した私の首筋に、鋭い痛みが走る。


「痛い!何を…」


驚いた私の目に飛び込んできたのは、大きめの針の付いた注射器を握った父の手だった。


「全く、いけないなあ。ここは今、父さんの一時的な研究所なんだ。子供が出入りしていい場所じゃない」


「ここが…父さんの…研究所…?何故、お母さんを…?」


「身近な人間は、いい観察対象になるんだよ」


突然、目の前をヒュンと音をたてて何かが通り過ぎ、父の手にあった注射器のようなものが吹き飛んだ。


ゴトンと音をたててトンカチが床に転がる。


「おい、お前。糸の父親だかなんだか知らねぇが、身内にそんな酷いことしていいのかよ?自分を信じてくれる人に対して、申し訳ねぇと思わねえのかよ!」


父が手をさすりながら顎を上げ、久竹を見下すような表情をする。


「ワタシの研究のバックには、資金を出してくれてる団体がいる。ワタシの一存だけで、こんな研究をしている訳じゃないよ。まだ世間を知らない君に教えておこう。世の中は、目に見えないところにこそ、真実があるんだよ」


父が、疲れたように溜め息をつく。


「それはそうと、君の首筋に出来た赤い発疹の調子はどうだい?宇宙で採集した未知のウィルスを君の体で試しているんだが…」


「何してくれてんだ、この人でなし野郎!」


久竹が父に飛びかかる。父の顔面にその拳がヒットしようとした時、マスターがサッと手を上げると父の体が壁まで吹き飛び、そのまま気を失った。


「全く、いくら資金を出してもらえるからといって、言いなりになってはいけませんねえ。それじゃ、ただのマッドサイエンティストですよ。かつてのワタクシの部下とはいえ、情けない」


マスターが上げた手を下ろし、あきれたように首を振る。


「引退したワタクシまで駆り出されて、もう疲れました。誰の手も届かない、宇宙にワタクシは行こうと思っています。美しいコレクションを手土産にね。ワタクシの体に配合された宇宙の成分が帰りたがっていて、年々その望郷の思いは強くなるばかりなんですよ。そうだ、陽さん」


突然話かけられた陽ちゃんがビクッとし、不安そうに体の前で両手を握る。


「あなたに、今どうこうしようとする気はありませんよ。あなたの肩に乗っているワタクシの子供、返してもらえませんか?」


「お前の、子供だと?」


久竹が驚いて目を丸くする。


陽ちゃんの長い髪に隠れていた黒い小さな物体が顔を出すと、ピョンピョンとテーブルの上を移動してマスターの肩に乗った。


「正確には、子供じゃないんですけどね。ワタクシの暗黒物質の成分と、陽さんの精神を混ぜ合わせて作りました。この子はきっと、宇宙で美しく育つでしょう」


「おい、糸」


いつの間にか私の側に来ていた久竹がそっと耳打ちしてくる。


「このまま、コイツをむざむざ宇宙に帰していいのかよ」


「それは…。でも、どうしたら…」


その時、突然目もくらむような光を窓の外から照射され、驚いて久竹にしがみつく。


窓の外から怒声が聞こえてくる。


「どこだ?!」


「喫茶店にはいないぞ!」


「皆さん!こっちです!!」


複数の大人たちの怒号が飛び交い、ドヤドヤと階段を登る足音がする。


戸口に姿を現した複数の男たちが、一斉に銃を構える。


「アイツです!」


この声は…策出さんだ。警察を連れてきてくれたんだ!


「撃て!」


「お前ら、伏せろ!」


久竹が私と陽ちゃんを床に押さえつけるのと同時に、一斉射撃が始まった。


頭が割れんばかりの轟音に、慌てて耳をふさぐ。


その音が止み静寂が訪れた時、顔を上げると辺りは銃による煙で何も見えなくなっていた。かろうじて、私たちと同じように床に伏せている久竹の父と私の母が見えた。二人は無事なようだ。


マスターは?辺りの煙が薄れてきた時、警察官たちに動揺が走るのを私は感じた。マスターは部屋の奥に移動し、まるで無傷だった。


「ワンワン!アオーン」


「なんだい、おまいさんは、化け物だったのかい?」


振り返ると、レタを連れた農家のジイサンが部屋に入ってきた。


「おまいさんの自作自演だったのかい?あのレタスは、たくさんの人に食べてもらいたかったのによお」


「ああ、お金は払ったし、迷惑をかけるつもりは無かったんだがね。悪かった」


そのやりとりの間、私は久竹が居なくなっていることに気が付いた。


一体どこに…。


銃による煙が完全に晴れたその時、久竹はマスターの背後にいて、リュックから何かを取りだし床に置いた。


「お前が、コンセントの側に来るのを待ってたぜ!」


久竹がカチとスイッチを入れると、強風が繰り出されマスターの体半分が煙になり吹き飛んだ。久竹が背負っていたのは、送風機だったのだ。


「おお、殺ったか」


一同にどよめきが走る。


だが、そこに響いてきたのは、マスターの高笑いだった。


「ハハハ。着眼点は良かったがね、久竹君。再構築なんか、ワタクシにはお茶の子さいさいだよ」


強風の中、マスターの体が再びじょじょに元に戻っていく。


くそっ。ダメ元だ。私は久竹の側に駆けより、家から持ってきたものを鞄から取り出してマスターに吹きかけた。


「くっ。何をする!そんなことをされたら、再構築が難しくなる!」



「殺虫剤か!お前もなかなかやるじゃないか」


久竹に誉められ、私は嬉しくなる。



「こんな目に合わされるとは…。もう少しここにいたかったが…。さらばだ!」


久竹の用意した送風機をさらに上回る、竜巻のような風が巻き起こり、私は頭を抱え床に伏せる。


「ウワッ」


「キャア」


あちこちから悲鳴が上がる。


やがて風が収まり、辺りに静寂が訪れ、私は顔を上げる。


ログハウスとマスターは消え去り、私たちは全員何も無い草原の上でただうずくまっていた。







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