寄り添いの探偵の矜持
うたう
寄り添いの探偵の矜持
事件に大きいも小さいもないと言うがね、それは間違いだよ。建前でそうは言っても、人々は心の中で事件の大小を決めている。未だ解決を見ないホワイトチャペル殺人事件の犯人切り裂きジャックには興味津々だが、スリの少年が捕まったところで、人々はさほど関心は示さない。
だがね、私が喜ばないのは、事件がちっぽけだったからではない。私がたまたま後ろを振り返ったことで、スリの少年の手が私のポケットから抜けなくなって、図らずもスリを捕まえるに至ったからでもない。大きな事件であれ、小さな事件であれ、解決して私が抱く感情は、ただ「良かった」という一言に尽きる。
うん? 大きな事件どころか、小さな事件だって解決したのは、これが初めてだろうって? そもそも偶然捕まえただけなのに解決と言っていいのかって? そういう茶々を入れるものではないよ。
いいかね、大きかろうが小さかろうが事件には、たいてい被害者が存在する。また、ほとんどの加害者には、加害者なりの事情がある。そうしたことが念頭にあったら、解決したからと言って喜ぶことなどできやしないよ。それが寄り添いの探偵としての私の矜持だ。
事件を解決して喜びはしゃぐような刑事や探偵は、事件をゲームかなにかだと勘違いしている人間だ。確かに犯人と知恵比べをするような側面はあるかもしれない。しかしね、事件はチェスではないのだよ。捜査にあたる者は、チェス盤の外にも目を向けねばならん。プレイヤーがいて、そのプレイヤーには生活があり、また家族がいる。すなわち、被害者と被害者家族のことだ。また加害者とその家族も然り。事件が解決したからといって、大団円なんてことは決してないのだ。
だからね、事件を解決に導いたとしても、嬉しいなぞという感情は湧いてこないのだ。あの少年は更生の機会を得た。そしてあの少年に財布をくすねられる被害者はもう現れないだろう。だから良かった。それでいいではないか。もっとも私の財布がスられずに済んだこと、この点に関しては、まあ、喜ばしいし、嬉しいとも思うがね。
無理して難しい顔をしている? そんなことはない。気を抜いたら、笑ってしまいそうになるんだろうって、そんなことあるわけがないだろう。私を誰だと思っている? 寄り添いの探偵だぞ。
私には解決せねばならぬ事件が山ほどあるのだ。たとえこの事件が私の解決した最初の事件であったとしても、これから私が解決するいくつもの事件のうちのひとつに過ぎない。なんの感慨もないよ。悦に浸っている暇などない。
私の話を聞いていなかったのかね? まったくめでたくなどないと言っているだろう。なのに君はそれでもおめでとうなどと言うのか。
違うぞ、嬉しくて泣いているのではない。あの少年がまっとうな道に戻る手段を得たことに、ほっとして涙がこぼれただけだ。寄り添いの探偵は、事件を解決しても喜んだりはしない。ましてや嬉し涙などもってのほかなのだ。
なのだが、くっ。……うっうっ。
寄り添いの探偵の矜持 うたう @kamatakamatari
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます