第32話 サツキ ~SIDE 神仙~

 月が浮かぶ、夜――。

 魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする時間である。

 

「多いな」


 サツキ少年は、銀縁の眼鏡を外す。

 すると、抑えられた魔視の力によってようになる――。

 都市の影から滲み出るぶよぶよとした肉塊が。

 ビルの上を羽ばたくぎょろりとした目玉を持つ怪鳥の群れが。


太歳たいさい羅刹鳥らせつちょうか」


 どちらも大陸由来の妖怪だ。

 太歳は、元々は木星の対角線上にあるとされた天体である。

 これが信仰の対象となり、祟り神となった。

 いつしか、この凶星に連動して地中でうごめく肉塊が想像され、そこからいくら食べても再生する、食らうと不老長寿となると仙薬の材料になるとの伝説が生まれた。


 一方の羅刹鳥は、墓地によどんだ陰気が集まって生まれる鳥とされる。

 人間の目玉を好み、抉り出してついばむという。

 人にも化けて、目玉を食らって逃げた話がいくつか残っている。

 この化け物どもは凶兆、これから災いが起こることの先触れとして出現する。

 それが、こんなにも街に溢れている。


「災厄が近いか」


 サツキの傍らに現われたのは、彼を導いたシナリオ仙人である。

 万物を仮想のもとに想像するTRPGは、現世に再現された仙境と同じ。

 仙人は、想像と現実の間に存在する。

 神にして人間、正史に記録されながらも架空の存在なのである。

 ゆえにこそ、TRPGのシナリオに登場するNPCとして顕現し、サツキ少年の傍らに登場できるのだ。


「サツキよ、どうする?」

「この魔物どもを祓います!」


 サツキ少年はシナリオ仙人に答えると、漆黒のダイスふたつを掌で転がした。

 その目に応じて、英霊が召喚される。

 まずは呂布奉先。

 飛将軍といわれ、三国志でも最強の武将である。

 丁原ていげんと董卓というふたりの義父を斬り殺し、野望のままに生きて、最期に滅びたために中国での評価は低い。

 続いて高順。字は伝わっていない。

 呂布に仕える武将で、陥陣営かんじんえいの異名を持つ。

 清廉潔白で、呂布を諌めたが疎んじられることとなった。

 最期は、呂布とともに曹操に処刑された。


 非業の死という概念がある。

 因果によらず死を遂げること、天命によらない死のことである。

 転じて、志半ばで斃れること、不幸な死に方、恨みを残すような死に方、自身のせいではないのに死ぬこと、冤罪や裏切りによって死ぬこと、とされる。

 そのような死に様を遂げた者は、特別な力を持っていると考えられた。

 三国志では関羽がこれに当たり、呂蒙や曹操に祟ってこれを殺し、関聖帝君として神として祀られている。

 本朝でも、菅原道真すがわらのみちざね平将門たいらのまさかどがこれに当たり、今も神として祀られているが、これと同じ理屈である。

 そして、呂布、高順もまた非業の死を遂げた武将であり、サツキ少年のダイスによって英霊として召喚された。


ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 裂帛の気合いとともに振り回された方天画戟ほうてんがげきが、太歳を斬り裂いた。

 伝承通り、斬っても斬っても再生し、いくつもの目を宿して睨めつけてくる。

 これに、高順が突撃して再生が追いつかないほどに叩きのめす。

 

「呂布、あの鳥を射落とせるか?」

「無論!」


 呂布は、サツキの命に応えるため、方天画戟をアスファルトに突き立てると、弓に持ち替えて矢をつがえる。

 一気に引き絞り、びゅっと放つ。

 剛力によって引かれた矢は、空を引き裂いて羅刹鳥を撃ち落とした。

 一度に落としたのは、五羽。

 呂布の弓の腕前は、史実にも残っている。

 二百歩離れた先の兵を一矢で三人貫き、劉備が袁術の名を受けて侵攻してきた紀霊きれいに対し、一五〇歩離れた先の画戟の枝刃に矢を当てたなら戦いを止めるように言い、見事に一発で命中させている。


 この猛将ふたりによって、街に現出した妖怪どもは一掃された。

 サツキも、ふっと安堵の息を漏らす。


「見事、怪異を祓ったな、魔視の少年よ――」


 声はすれども姿を見せず。

 思わず、視線を巡らせるサツキであった。


「はっはっはっ、探しても無駄だ。元より、わしは姿を持たぬ」

「あなたは、いったい何者だ?」


 その声からは、敵意は感じない。

 むしろ、奇妙な優しさのようなものを感じさせる。


「そうさな。サマリー仙人と呼ぶがいい」

「サマリー仙人、あなたが!?」


 サマリー仙人とは奇妙な名乗りである。

 すでに説明したとおり、サマリーとはTRPGのルールを要約した参照物である。

 ネットでシナリオを後悔するシナリオ仙人同様、サマリー仙人もまたネット上でTRPG各種のサマリーを無償で提供するアカウントとして噂になっていた。


「もしや、あなたも俺を導く仙人なのですか?」

「そうじゃ。我がサマリーによってTRPGに顕現する将星たちと出会うようにな」

「そうだったのか……」


 今、大きな災いが起ころうとしている。

 飛蝗の群れが飛び、黄巾党の亡霊が現われ、太歳が蠢き羅刹鳥も羽ばたいた。

 だが、これはあくまでも予兆に過ぎない。

 その災いが、いかなるものか想像もつかないが、おそらくは歴史的な破滅をもたらすものであろう。

 しかし、災いあれば人々を救う英雄が現われるのも、世の理だ。

 三国志の時代は、歴史的な戦乱と天才に見舞われたが、数多の英雄たちが燦然と輝いた時代でもある。

 だからこそ、TRPGという仮想を通じて現世に降臨する。

 サマリー仙人もまた、英雄たちを引き寄せようと画策していたのだ。 


「魔視の少年よ、おぬしはひとりではない。そも、歴史を揺るがす凶事を前に、ひとりで立ち向かうなど無謀であろう。おぬしを導くのは、わしとシナリオ仙人のみにあらず」


 サマリー仙人の声は、天の声として響く。

 心強い言葉であった。

 これまで、サツキは対になった漆黒のダイスを頼りに闇と戦ってきたのである。

 孤独ではない、凶事に立ち向かう者たちが集結してくれるのだ。


「そうとも、少年。このキャラシー仙人も力を貸そう」

「キャラシー仙人!? あなたまで!」


 雲に乗って、夜空から駆け下りる仙人の姿がある。

 彼こそ、キャラシー仙人。

 TRPGのPCを作成するのに欠かせないキャラクターシート。

 キャラクターシートには、能力値やアイテムなど自分のPCを表現するための各種データが記載され、イラストを載せる欄もある。

 これがなければ、TRPGのPCは想像上のものに留まってしまう。

 このキャラクターシートをネット上で無償公開してくれるキャラシー仙人もまた、TRPGゲーマーたちの間では噂となっていた。


 シナリオ仙人、サマリー仙人、そしてキャラシー仙人――。

 三人の仙人が結集し、ひとりの少年を導いてくれる。


「だが、少年よ。我らは直接凶事には手出しできぬ」

「そうとも、こうして見守り導くのみ」

「だが、くじけるでないぞ。おぬしの許にともに戦う仲間たちが現われよう」

「はい!」


 三仙人たちの励ましに、サツキは力強く答えた。

 サツキは、まだ若い。

 若さは武器にもなるが、未熟さを意味する言葉でもある。

 少年がたったひとりで挑むには、大きな不安があった。

 だが、仲間がいるのなら心強い。

 劉備、関羽、張飛の英雄が、乱世の中で志を同じくした桃源の誓いのように。


「そして見よ、あれがおぬしが戦うべき凶事じゃ!」


 仙人たちの声の導きに、サツキは高層ビル群の上に浮かぶ月を見た。

 嗚呼、視えた――。

 真っ赤な満月を背に背負い、佇むの妖艶な姿を。

 震え上がるほど美しい、女の姿を。


「あれが、凶事……!!」


 サツキの視線の感じたのか、美女は微笑んだ。

 美女の微笑みは、国をも傾ける。


 北方に佳人有り 絶世に而て獨り立つ

 一たび顧みれば人の城を傾け 再び顧みれば人の國を傾ける

 寧ぞ傾城と傾國を知らずや 佳人を再び得るは難し

 

 魔性の微笑みである。

 いん紂王ちゅうおうを堕落させた妲己だっき、西周の幽王は褒姒ほうじの微笑み見たさに死ぬこととなった。

 美しい、そして背筋が凍る。

 そしてサツキ少年は思い至った。

 この微笑みは、もう間近にあるのではないか? と――。

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