第25話 諸葛孔明、お呼ばれセッション
「すご……」
アン子は、ちょっと圧倒されていた。
タワーマンションの中とか、入ったことがなかったのである。
「ここ、セッション終わる時間まで使っていいから」
駅前で落ち合った彩香に案内されて、その一室にやってくる。
背もたれや腰を下ろすところがメッシュの椅子が人数分置いてあり、窓からも明るい日差しが入ってくるし、内装もシャレオツである。
「本当に、こんないいとこ使っちゃって大丈夫なのかな?」
心配そうに麻理恵が訊いた。
アン子としては、麻理恵ちゃんは自分と同じ庶民側だと思っている。
サツキくんも、この様子には戸惑った。
ちなみに、サツキくんは私服でもかっこよかった。
アン子も、出発まで来ていく服で大いに悩んだが、孔明から
孔明曰く、劉姓のアン子はブルーがラッキカラーらしい。本当に軍師は便利だ。
「心配しなくていいわ。ここの上の階に住んでいる住民は、一日千円で使っていいのことになってるから。わたしも使うのは初めてなんだけどね。フィットネスジムやキッズルームも使えるわよ。そうそう、冷蔵庫やレンジも使っていいんだって」
つまり、タワマンの上層階に暮らす住民は、レクレーションルームや会議室を使う権利もある。やはり、彩香はお嬢様である。
教室にいるときはそんな気配は微塵も感じないのだが、ここに来て格差社会を見せつけられた形である。
続いて、女子として気になる私服チェックだ。
思ったほど派手ではない。しかし、ガーリーな感じのコーデでよく似合っている。
麻理恵ちゃんは、モスグリーンのジャケットにジーンズ、リュックにキャップというなんかゴツさがある格好だ。ミリタリー系というやつだろうか? 意外である。
「やあ、いらっしゃい」
その部屋には、先に待っている人物がいた。
にこやかに微笑んでいる。
ちょっとびっくりするくらいのイケメンで、二〇代後半に見える。
もうひとりは、背の高い背広姿の老人である。立派な顎髭が目につく。
「ジュンさん、ですよね? あの、綾川さんから聞いてます」
サツキくんがぶっきらぼうに挨拶する。
人見知りするようで、ときどき教室でもこういう態度は見る。
「えっとね。じゅんい……ジュン兄さんは説明したとおり、わたしの兄で、TRPGの遊び方を教えてくれたわけ。ちょうど、シナリオも四人用だし、無理言って入ってもらったのよ」
彩香が説明する。
彩香の兄ということだが、二人はあまり似ていない。
しかし、美男美女の兄妹というのはすごいなと、一人っ子のアン子は思った。
「よ、よろしくです! アン子です。彩香にお兄さんいるなんて、つい昨日まで知らなかったんです」
「アン子も年頃だから、僕みたいな兄貴いるって紹介しづらいのかもねえ」
「そ、そんなことないわよ。紹介する機会がなかっただけなんだから。プライベートは人には話さないものでしょう?」
「というわけだから、今日はKPの彩香ともどもよろしくね」
ジュン兄さんはあらためて挨拶をした。
そう、今日は彩香がGMをする番である(『CoC』だからKPだが)。
彩香が用意したシナリオは四人用で、どうしてもあと一人プレイヤーがほしい。
そういう事情で無理言ってきてもらったというわけだ。
しかし、隣りにいる長身のおじいさんはまだ謎のままだ。何者なのだろうか?
「じゃ、そっちの人は?」
「彼はその………
「爺や!? マジで?」
アン子は思わず驚きの声を上げてしまった。
漫画やアニメに登場するお金持ちのお嬢様は、よく爺やを引き連れている。
あれは、あくまでもフィクションにおけるそういうお約束で、爺やとか架空の存在だと思っていた。今の今までである。やはり、タワマンに住む金持ちは違う。
爺やの実在は、孔明がスマホから登場したときと同じくらいの衝撃であった。
その爺やが、うやうやしく礼をする。
「彩香様の爺やにございます。今日はよろしくお願いいたします」
「あの、爺やさんもセッションに参加するんですか?」
「いえ、私は皆様が楽しく遊べるようお世話をするのみです。お気になさらず」
「はあ……。でも、お気遣いなく。あたしたち、お世話してもらうほどのものでない庶民なんで」
「ははははは。なあに、大したことはいたしません。ときどきお茶を淹れて、お菓子を持ってくるだけですよ。皆様がお嬢様と楽しげに遊んでいるのを覗かせてもらうかもしれませんが」
爺やは、にこやかに微笑んでいる。本当に漫画の中で爺やがやるようなことをしてくれるらしい。優雅なセッションができそうだ。
背が高くて、ダンディな感じのいいおじいさんである。
こういう人なら、近くにいても安心だ。
「やー、他人にロールプレイを見られるって恥ずかしくないかな?」
「大丈夫だよ、きっと。
「じゅ、じゅうめん……なに? 麻理恵ちゃん、なんて言ったの?」
「十面埋伏の計っていうのが、『三国志演義』にあるんだよ。曹操が軍師の程昱にこの計略を授かって、大軍の袁紹に勝っちゃうの」
唐突に麻理恵ちゃんが三国志の話をするから、アン子も何事だと思ったのだ。
「三国志の話なんだ。でも、いきなりなんでそんな話を?」
「最近のアン子ちゃん、三国志のお話好きみたいだから」
「そうだけど、いきなりなんでって思って」
「唐突に思い出しただけ、だよ」
そう言って、麻理恵ちゃんは意味深な笑みを浮かべるのだった。
程昱、字は
八尺三寸(約191cm)の長身で、見事な髭をたくわえていたという。齢八十没で没した。
元は程立という名であったが、
頑固で強情で他人との衝突も多く、曹操にいろいろ
三国志の知識に乏しいアン子には、麻理恵が口にした話題はやらり唐突であった。
ともかく、爺や程昱がどうのこうのを背中で聞きながら、お湯を沸かして紅茶を入れてくれるようだ。
その爺やの視線は、麻理恵ちゃんに向けられて、何か感心しているよう見みえる。
賢い子だなと思ったのだろう。実際、麻理恵ちゃんは賢い。
「それで、綾川さんはどんなシナリオを用意してくれたのかな?」
「ふふ、これよ! 見て」
彩香がばーんと出したのは、タブレットPCである。
タップすると、BGMとともに画像アニメーションが流れた。
「おおっ……!?」
映画の予告のように今回のシナリオを伝える、シナリオトレーラーというやつだ。
登場する人物の画像やどのような物語であるかを提示して、キャラクターを作ってもらうためのものである。
オンラインセッションが盛んになった昨今、このトレーラーでプレイヤーの期待値を上げ、やってみたい参加者を募集するという使われ方をしている。
「これ、彩香が作ったの?」
「そうよ! いろいろ手伝ってもらったけどね」
ふふんと鼻を鳴らし、得意げであった。
そしてこのトレーラーを見てのサツキくんの食いつきもいい。
嬉しそうな笑顔を浮かべている。これはやばいと、アン子も焦り始めた。
「この“秘匿ハンドアウト”っていうのは?」
アン子は、トレーラーの注意書きにその文言があることに麻理恵が気づいた。
ハンドアウトというのはプレイヤーに配る紙片のことで、TRPGではシナリオの導入と作って欲しいPCの設定が書いてあることが多い。
「今回は、他のプレイヤーには公開しない情報が書かれた、秘密が書かれたハンドアウトがあるってことよ」
つまり、ハンドアウトが伏せられ秘密を抱えたPCを作成するということだ。
大抵は、他のプレイヤーには明かされない秘密の指令や目的が書かれている。
これまで蜀の武将たちと練習の意味を込めてセッションをしてきたが、秘匿ハンドアウトのあるシナリオは初めてである。
しかも、シナリオタイトルがさらに不穏だ。
タブレットで紹介された動画には、『裏切りの報酬』と予告されたのである。
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