第24話 サツキ ~SIDE 後漢末~

 少年は夜を駆ける。

 街は嘘のように静まり返っている。深夜であろうとネオンの灯りが消えず、往来も途絶えないはずの繁華街であるはず。


 人払いの結界だ――。


 少年、美山早月は眼鏡を外し、その端正な面持ちを夜闇に浮かび上がらせた。

 彼の魔視ましの力は、通常生活にも支障をきたすほどのものである。

 ふとしたきっかけで魔と関わるようになったサツキは、じゅの力を抑えるこの眼鏡をかけることで常人として振る舞える。

 涼やかな目元は、凛々しくもあどけなさを残す面持ちをなお一層と際立たせた。


「くっ……!?」


 サツキ少年に向かって、無数の黒い弾丸のようなものが襲いかかる。

 耳障りな羽音を響かせ、雹雨ひょううのごとくぶつかってくるのは、虫の群れだ。


「やっぱり、飛蝗ひこうか!」


 顔を覆い、群れの中を突き進む。

 飛蝗――。

 中国大陸には数々の災害があるが、その中でも大きな災いとして記される。

 無数のバッタが大群となって移動し、あらゆる植物を食い尽くすのだ。

 洪水、干魃かんばつなどが起こると、バッタたちは幼虫の間に食糧を求めてひとところに集まり、群生相という相変異を起こす。

 より遠くに飛来するために羽が伸び、体格体色も変化、攻撃性も変わる。

 これが大発生し、農作物を食い荒らしながら渡っていくのだ。バッタたちが食料を食らえば、人間は餓死するしかない。

 その被害は、古くはバビロニアの邪神パズスが象徴とされ、いんの時代に残された甲骨文字の中にも見られる。

 三国志の時代にも、呂布と曹操が争っている間に蝗害の発生によって食物を食い荒らされて双方撤退を余儀なくされた記録がある。

 祭事を怠ったために巻き起こる凶事とされたが、日本ではそれほど大規模なものは起こらない。


 だというのに――。


 それが市街地のど真ん中で発生しているのは、やはり星宿せいしゅくが乱れて凶兆が迫っているからであろう。

 握り締めた黒い二対の賽から、魔力を集めた光がほどばしった。

 ジュッ……! と焼け焦げ、浄化されてむしたちが灰と散っていく。

 その災禍の中心を目指して進むと、人影がある。


「これは、やはり……」

巫蠱ふこの術じゃよ、少年」


 ぼうっと、サツキ少年の傍らに老人の姿が浮かぶ。

 伸び放題の白髭と松の杖、白い道服の姿はいにしえの仙人そのものの姿であった。


「では、蟲使いの術ということですか?」

「いかにも。この国にも大陸から呪術として渡っておろう」


 蠱毒こどく、巫蠱ともいわれる呪術は中国から由来し、日本にも伝来している。

 多くの毒虫をひとつの容器に入れて飼育し、共食いをさせる。

 最後に生き残った個体こそがもっとも強い毒性、魂を持つ、そういう呪術だ。

 この呪詛を蠱毒といい、中国でも日本でも、用いれば死罪となるほどであった。

 老人は、飛蝗を操っているのは何者による巫蠱の術であると指摘したのだ。


「だったら、誰がこんな術を使っているっていうんだ?」

「さあて。災いを為そうとする者がおるるのは間違いあるまい、この先にな」


 老仙人が言うと、サツキ少年は頷いた。

 光を放ったふたつの賽を、飛蝗の前にかざす。


「……胡車児こしゃじ、頼む!」

「おおう!」


 少年の声に応じて光を放った賽から現れたのは、怪力無双の武者である。

 胡車児、三国志に登場した武将のひとりだ。

 張繍ちょうしゅう麾下にあり、曹操も武勇を評価して黄金を与えたという。

 『三国志演義』では、五百斤(約113キロ)の荷を背負って日に七百里(240キロ)を歩くほどとされた。

 張繍は、曹操が父親の側室であった未亡人と懇意になったことから疑念を抱いて殺してしまおうとするのだが、このとき胡車児は護衛の典韋てんいからげきを奪い、戦死につながらせた活躍を見せている。


「虫けらなんぞ、何ほどもないわ! さあ、ついてまいれ」

「わかった!」


 ペルシャ系ともいわれる青い目の勇将が、飛び交うバッタの群れを打ち払ってサツキ少年の前を進む。

 その奥に、凶兆を呼び寄せる何者かがいるのだ。


蒼天そうてんすでス。黄天こうてんまさツベシ――」


 呪文のような文言が響き、続いて周囲に亡者の群れが溢れ返った。

 肉体と魂を失い、はくのみとなった亡霊たちだ。


黄巾党こうきんとうの亡霊か!」


 後漢末、黄巾の乱という大規模反乱が漢王朝の権威を失墜させ、群雄割拠の時代を招いた。これがのちの三国時代への先鞭となる。

 彼らは太平道という宗教、道術をよく使う宗教集団から発展した。

 黄巾の由来となった黄色の布を目印としたのも、蒼を象徴として火徳をもって天下を治める漢王朝に代わり、黄が象徴する土徳をもって代わりに治めるという木火土金水からなる五行説に基づいた思想による。

 反乱の首謀者であり、太平道の創始者である大賢良師だいけんりょうしを自称した張角ちょうかくは、符呪符水ふじゅふすいによって治癒を施す術者であった。符水とは、符を浸した水を飲ませることである。

 『三国志演義』では、南華老仙なんかろうせんから『太平要術』三巻を授かり、風雨を操る妖術師としての側面が強調されている。

 

「……あれか!」


 サツキ少年が胡車児とともに進む先に、凶兆である飛蝗を呼び寄せた元凶がいた。

 天公将軍張角、地公将軍張宝ちょうほう、人公将軍張梁ちょうりょうの三体の亡霊である。

 中国史上初ともされる組織的な農民反乱とも言われる黄巾の乱は、張角とその弟たちが兵を率いて入念に準備されたものである。

 亡霊となった張角は、ふたりの弟とともに巫蠱の術によって災いを召喚したのだ。


わざわい、在ルベシ……」


 まさに呪詛の声と言えた。

 亡者が生者に放つ、怨念の声である。生きとし生けるものすべてへの憎しみだ。


「迷ったか妖術師! この胡車児が閻魔えんま大王のもとに送り返してくれよう」


 胡車児が、典韋から奪った戟を構えて亡霊どもに突き進む。

 大量の虫に肉体を食い破られつつも、道を切り開いていった。

 サツキ少年も、その奮戦に答えるべく構えた賽から退魔の光を放った。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……!!」


 光によって、憎悪の念ごと浄化される。

 心の臓を握り潰されそうな叫びを上げて、亡霊たちは消え去っていった。


「……やったか」


 飛蝗は、呼び寄せていた元凶が消滅すると、跡形もなく消え去った。

 サツキ少年も、ほっと胸を撫で下ろす。


「ふうん、あの三人を除霊したのがこんな坊やだったとはねえ」

「あっ!?」


 サツキ少年が声を上げたときには、遅かった。

 いつの間にか背後を取られ、伸びた手が首筋に触れていた。

 動けない、まるで魅入らてしまったかのように。


「坊や、わたしの術を邪魔しようっていうのかえ? 天地人の三将軍を退けたのは褒めてあげる。でもねえ、所詮は付け焼き刃の退魔の術。生兵法は怪我のもとよ」

「くっ……! 離せ!?」


 サツキ少年の首筋を、しなやかな指先が弄ぶ。

 耳元で囁く声は、ぞっとするほど艶かしく、痺れるようであった。


「いいわ、離してあげる。こんなにかわいらしい坊やだもの、ここで殺してしまうのはもったいないわ。殺すのはこの次、そのときはじっくり取り殺してあげる――」


 が少年の背でくすくすと笑ったかと思うと、ふっと背から気配が消えた。

 いまだ触れられた感触は残っている。

 間違いなく、この世のものではない何か、だ。


「うっ! はぁ、はぁ、はぁ……」


 サツキ少年は、思わずその場に膝をついた。

 荒い息をつき、安堵するとともに優美な額に冷たい汗を浮かべる。


「あるじ、立てるか?」

「うん、大丈夫。少し目眩がするだけだから」


 胡車児が肩を貸してくれる。

 彼もまた、先ほどの戦いで大きな傷を負っているというのに。

 

「女のひとの声だった。あれは、いったい……」


 自分の背にいた、何者かについて少年は思い返す。

 背中越しに感じた気配だけで、震えが来るほど恐ろしいものだ。

 妖艶な声と、触れられた指先。その正体は、なんだったのか?


「魔じゃよ、少年――」

「仙人様……」


 戦いの行く末を見守っていた仙人に、サツキ少年は振り返った。

 星辰の乱れによって、迫りつつある超常的な危機の到来を告げ、サツキ少年が戦いに身を投じる事になったのも、この仙人の導きによるものだ。


「あれこそ、おぬしが祓わねばならぬ大いなる魔縁じゃ。この時代に甦り、災いを招こうとしておる」

「災いを招く、魔……。そんなものに、俺は勝てるでしょうか」

「さてな、おぬしの力はまだまだ未熟。だが、その賽の目は、漢の末より勇者のひとりを喚び寄せた。これと同じように、賽の目が数多ある将星英雄との縁を引き寄せ、力を貸すであろう」

「このダイスが、魔と戦うための将星を……」

「いかにも。ゆえにこそ少年、賽を振るがいい。世を救うため、賽を振るのじゃ」

「俺、やってみます。シナリオ仙人様――」


 謎の老人――シナリオ仙人の姿は、すでにない。

 霞のごとく消え失せた。

 深夜の繁華街は通常の姿を取り戻し、サツキ少年もその場から去っていった。


 



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