第19話 アン子 ~SIDE 蜀~

「へへへ」


 帰宅したアン子は、ベッドに寝っ転がってにやにやしっぱなしであった。

 思い出し笑いというやつである。

 孔明が用意してくれたシナリオは、理由もわからず廃虚に閉じ込められた探索者が、ムーンビーストという神話生物(クトゥルフ神話に登場する怪物をこう呼ぶ)から逃げ回るというもの。

 スターター・セットには、この神話生物のデータは載っていない。

 データは孔明が未知の怪物として作成してくれたのだが、彩香がルールブックを持っていたのでそっちのデータを参照させてもらった。

 このムーンビースト、拷問やいたぶりが大好きという恐ろしい怪物で、捕まったら惨たらしく殺されてしまう。

 よって、閉じ込められた探索者は、情報を探り、物音を立てないように身を隠し、状況を把握しながら廃墟から脱出しなくてはならない。

 途中、何故この廃墟に訳もわからず閉じ込められるに至ったか? 何故選ばれてしまったのか?

 このPCが抱く疑問も後に判明する仕掛けがあり、みんなであれこれ推理するのはなかなか楽しめた。

 安全地帯から見下ろす愉悦というやつである。

 サツキくんも喜んでくれた

 。彼の教授が取得していた〈図書館〉や〈外国語:ラテン語〉などの技能は、謎を解くのに大いに役にあった。


「でもさ、孔明さん。今日のシナリオ、ネットで見つけたものだって言うけど、ほんと? すごくやりやすかったよ」

「ネットでは、シナリオを自作して公開している在野の士が多くいます。そのシナリオを吟味しまして献じました」

「そうなんだ。ネット公開って無料なんでしょ? すごいですよ」

「有料にて公開する例もありますが、無料が大半でございます。今回用いましたシナリオは、シナリオ仙人なる賢人のサイトのものです」

「仙人! 見返りなしとか本当にかすみを食って生きるてるみたい」


 仙人は五穀ごこくを立ち、霞を食う。アン子も聞いたことがある。

 見返りを求めず、面白いシナリオを公開するとはまさに仙人のようだ。


「はぁ……。にしても、サツキくんかわいかったぁ」


 そして、意中の相手であるサツキくんに思いを馳せる。

 ちょっとクールな雰囲気の男子が少年のように喜んでいるので、アン子もいろいろときめいたのである。

 吊り橋効果なんて言葉があるが、TRPGでのセッションでもドキドキすると恋愛感情に発展するのではないだろうか? そんな飛躍した期待がちょっとある。


「でもさー、孔明さん。聞いてくださいよ」

「なんでしょうか?」

「サツキくんって楽しそうに遊ぶのはいいんだけど……女子三人に囲まれてるのに、なんか反応薄くなかったですか? 少しは照れたりするもんじゃないですか?」

「確かに、そうかもしれません。おそらく美女の計が通じぬ士かと」


 古代中国と言ったら、美女を使った計略が豊富である。

 曹操は関羽を籠絡ろうらくしようと美女を送り、あの劉備も呉にやってきたときは贅沢な暮らしと美人がはべることで骨抜きにされかけた。

 『三国志演義』でも、美女貂蝉ちょうせんを使って呂布と董卓とうたくの仲を裂いた王允おういん連環れんかんの計はあまりにも有名であろう。

なのに、サツキくんはその状況に心動かす様子はなかった。


「あの年頃の男子ならば、心動くものでしょうになぁ」


 空中にぷかぷか浮きながら、寝っ転がった姿勢の簡雍が言う。

 彼もまた情報生命体である。実態がないのでミニサイズでこういう出現が可能だ。

 アン子のベッドで寝っ転がるのは禁止と言い渡してある。

 年頃の女子のベッドを、おっさんに使わせるのは言語道断なので、孔明に軍法にしてもらった。

 馬謖ばしょくも泣いて斬った孔明がいる手前、傲慢無礼と歴史書に書かれいる簡雍も、軍法なら守らざるを得ない。


「あたしは別として、ふたりとも女子としてはランク高いし」

「彩香様と麻理恵様のことでございますか?」

「そうよ! ふたりとも、男子に受けよさそうでしょ!」


 彩香はお嬢様であり、外見も結構いい。実際、男子にはモテる。

 しかし、告白しても片っ端から振っているとは評判だ。 


「私には、なんとも」

「彩香もそうだけど……問題は麻理恵ちゃんよ。あの子、隠し武器があるし」

「隠し武器、ですと?」

「おっぱいおっきいんですよ!」

「おっぱ……」


 孔明、思わず白羽扇で顔を伏せる。

 麻理恵は、眼鏡をかけていて地味な子という印象だが、アン子と彩香も及ばない大きな武器を隠している。

 ああ見えて、隠れ巨乳なのだ。

 体育の着替えの最中、頼んで揉ませてもらったことがある。

 ふっかふかでさわり心地がよく、ずっしりした重みもあった。

 男子がおっぱいおっぱい言う理由も、あのときわかったのである。

 頭がいいのに、巨乳という武器は、無属性のアン子からすると脅威でしかない。


「心配無用かと。サツキくんは、彩香様と麻理恵様にも、さしたる反応を示しておりませんでしたから」

「そこですよ。サツキくん、女の子に興味ないとか?」

「さて、そのようなこともあるかもしれませんが」

「じゃあ、孔明さんから見てどうなの?」

「どう、とは?」

「ほら、あたしの女子としての魅力ですよ」

「そう申されましても……」


 孔明、珍しく困り顔である。なんと答えればよいのか?


「がっはっはっ! 丞相にそのようなことを聞くのはこくというもの」

「然り然り。アン子様、どうか軍師殿をお許しあそばせよ」


 馬忠と簡雍が、困った様子の一緒に笑っている。

 アン子には、どうしてふたりが笑っているのか意味がわからない。

 孔明は、ちょっとムッとしている風だ。


「じゃ、簡雍さんから見てどうですか? あたしいけてます?」

「それがしは、もう少し年上の女性にょしょうが好みでござるゆえ、アン子様の十年後には期待いたしますぞ」

「えぇぇぇ……。それって今はぜんぜんってことじゃないですか」


 もうちょっとこう、希望が持てる話であってほしい。

 青春という今を輝くには、APPは大事なステータスなのである。


「アン子様、サツキくんは今は女性よりTRPGに興味があるのでしょう。迷うことなく遊び、心を掴むことこそ肝要にございます」

「そうは言っても、もうちょっとこう……どきっとか、あれ? みたいな女子にとまどったりドギマギする反応ってほしいじゃないですか」

「では、お聞きします。女子三人に囲まれながらも、TRPGを遊び始めるとクールな面持ちを崩し、少年のように遊ぶサツキくんをご覧になり……アン子様はいかが思われましたか?」

「正直言いましてぇ、そういうとこ、しゅき……」


 言ってしまった。

 枕に顔をうずめめ、足をばたつかせるアン子である。

 孔明も、これは処置なしという顔をする。


「でも、今日は麻理恵ちゃんもそうだけど、特に彩香が面白かったな」


 セッションを振り返ってみると、彩香のロールプレイは見物であった。

 ムーンビースを本気で怖がり、ダイス目に一喜一憂する。

 このナイスリアクションっぷりは、見ていてとても微笑ましかった。

 最近はウザい女だと思っていたのだが、あんな風だと頬が緩んで仕方ない。

  一方の麻理恵ちゃんは、アン子には意外だったのだが、ハードボイルドでカッコいい系のロールプレイである。

 彩香以上に意外な側面を見た気がする。銃を出したのも驚きであったが。


「TRPGは、人品人柄が現れるのでしょうな」

「なるほど、深い遊びですねえ」


 そんなことを言いながら、麻理恵から借りた横山光輝『三国志』を手に取る。

 歴史の本やルールブックは文字ばっかりで目が潰れそうになるが、こういう漫画ならアン子でも読める。


「おっと、アン子様。徳が貯まりましたゆえ英雄ガチャによる登用が行なえますが」

「え、ホント? じゃあ引く! いいの引けますように……」


 本を読みながらスマホに手を伸ばし、スマホでダイスロールをタップする。

 このときの目の組み合わせで、蜀の武将や軍師がやってくるのだ。

 画面の中でダイスが転がったのち、パアアアアッと光で満たされると、新しい英雄が登場した。

 袖に手をしまった礼をする、文官風の人物である。


伊籍いせきにございます。召喚に応じて参りました」

「は、はじめまして!」

「おめでとうございます、アン子様。なかなかの人士を引き当てましたね」


 孔明は評価しているが、アン子は伊籍というキャラはよく知らない。

 伊籍、字は機伯きはく。弁舌の才を持ち、使者としての活躍が記録にある。

 呉の孫権には使者を試したりからかったりする癖があるのだが、劉備の使者としてやってきた伊籍も例外ではなかった。

 しかし、からかわれても堂々とした態度と機知に富んだ答えを返し、逆に孫権を感心させたという。

 劉備からも重用されたのだが、何故か本伝の記述が少なく、生没も不明である。


「しかし、あのサマリーとかいうちゅう……向こう側にも軍師がついているようですね」


 漫画を読みながら伊籍を引き当てたアン子を見守りつつ、孔明はあのサマリーについて振り返った。

 前世の記憶を辿り、名高い兵法書『孫子』に曹操が注をつけたという『孟徳新書もうとくしんしょ』に思い至ったのである。

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