第18話 諸葛孔明、トラブルシューティング
沙村院薫子が目を覚ますと、そこは見覚えのない場所だった。
おそらくは病院であった建物の内部だろうか?
薄暗く、窓は閉ざされ、冷たいリネンの床となっている。
「どこ? ここは……?」
しかし、薫子はすぐに立ち上がり、半身の構えを取る。
足は猫足立ち、いかなる敵が現れようとも瞬時に構え、対処する常在戦場の心がけこそ、武道家に必須の精神である。
敵の急所を鍛え上げた身体で最短最速に攻撃し、戦闘不能に至らしむ。
それこそが空手の真髄であった。
* * *
「気配があったら、すぐに正拳突きを叩き込めるよう構えるわ」
彩香の探索者、沙村院薫子は女子高生だが〈近接戦闘〉が70%もある武道の達人である。
突然、不気味な閉鎖空間に投げ込まれようとも不動の精神で挑むのだ。
ちょっとかっこいい、そういうキャラはアン子も嫌いではない。
しかし、これでホラーになるのだろうか? ともかく進める。
「じゃあ、同じ部屋で麻理恵ちゃんとサツキくんの探索者も目を覚まします」
「……ふたりとも、敵じゃないのね? 周囲を警戒して、ちゃんと怪しい気配がないか確かめてから、声をかけるわ」
「なんでそんなプロフェッショナルなの?」
「武道家たる者、いついかなるときでも油断しないのよ。それに、アン子のKPがしかけた罠にはかかりたくないし!」
彩香から警戒の視線がアン子に向けられた。
なるほど、そういう勝負だと思っているのだ。アン子もその気持はよくわかる。
ゲームと言ったら対戦するものだと普通は思うだろう。
「いきなり罠は仕掛けてないけど、いい心がけ。油断したら死んじゃうから。でも、ちゃあんと恐怖を味あわせてから殺してあげるよー」
むっふっふっふっ、と笑いながらアン子は言った。
彩香は、やっぱりという顔をしてプレイヤーまで空手の構えを取っている。
(こいつ、かわいいかよ……!)
思わず、彩香への思いが表情に出そうになる。
まるで、ちっちゃい男の子が、ママの脅かしを真に受けているようだった。
彩香のリアクションが微笑ましすぎてやばい。
――まだ笑うな、アン子。恐怖のイベントはいっぱいに用意してあるのだ。
アン子は、必死に自分に言い聞かせた。こんな怯えて可愛い生き物が、怪物に出会ったらどうなるのか? 想像しただけで楽しすぎである。
この辺、孔明からも事前に指摘されていた。
顔に出たら策はバレるので気をつけるように、と。
しかし、我慢しようとすればするだけ、身体がぷるぷるする。
吹き出しそうになるのをこらえるのが大変だ。
「アン子ちゃん、私たちも目を覚ますのよね?」
「そうです。ふたりが目を覚ますと、今にも誰かを殺しそうな目で空手の構えをしている女の子がいます!」
「じゃ、『手を上げなさい!』って銃を構えます」
「えっ!? じゅ、銃っ!?」
ホールドアップというやつで、彩香は空手の構えから手を上げた。
脅されたのは、あくまでもPCの薫子ちゃんなのだが、プレイヤーもそうなった。
「うん、薫子ちゃんはこっちに殺気を向けてるんでしょ? 『あなたのパンチより、鉛玉のほうが早いわよ』って」
彩香も結構過激だが、麻理恵はもっと過激だった。
ていうか、セリフが妙に決まっていて、ハードボイルドである。
彩香の脳筋空手女子高生に対し、麻理恵はバツイチ子持ちの女探偵であった。
「ちょ、ちょっと! 女子高生に向かって銃向けるとか!」
「でも、正拳突きできるように構えているっていうなら、こっちも当然自衛するし」
麻理恵の言葉は、確かにもっともであった。
ここで、孔明からのメッセージがスマホに届く。
『アン子様、麻理恵様の銃の装備はお認めになったのですか?』と。
「あっ……!」
そう言えば、キャラクターシートの装備欄をチェックしていなかった。
というか、そもそもクイックスタート・ルールには、武器や装備品のルールは載っていない。あくまでも簡易版である。
「麻理恵ちゃん……その銃どうしたの?」
「どうしたのって、綾川さんのサマリーに載ってたから」
「えっ、マジ? ……あら、ほんとだ」
彩香の用意したサマリーは、ルールブックを基準としたものである。
対して、アン子が持っているのは抜粋されたクイックスタート・ルールだ。
一応、銃を使った場合のダメージがデータとしては載っているが、所持品やアイテムに関するルールは省略されたバージョンである。
課金勢である彩香は、その辺の優遇を受けており、サマリーが充実しているのも資金力の影響といえる。
「そっちのルールだと、銃載ってないの?」
「そうなんだよね。あたしのルール、無課金だから」
「ひょっとして、銃使うのルール違反? ごめんね、ちゃんと聞けばよかった」
麻理恵ちゃんも心配そうに聞いてくる。
KPを無視したわけではなく、アン子がチェックし忘れていたからこその問題だ。
これ、どうすればいいんだろう? アン子は焦っていた。
「KPのアン子さんが把握していないから、今は銃もってないってことにしてもいいんじゃないかな?」
サツキくんが助け舟を出してくれた。
こういう気配りはとても嬉しい。しかし、単純なアン子の失敗なので恥ずかしい。
『アン子様、その銃はモデルガンということになさいませ』
スマホに、孔明からのメッセージが届く。
「……あ、なるほど! モデルガンということになさいます!」
「なさいますって?」
「えっと。モデルガンです、その銃。KPのあたしが今決めました!」
そのままアイデアを頂いてしゃべったので、変なしゃべり方になってしまった。
しかし、これならトラブルは解決するのではないだろうか。
「あっ、そうか。私の探偵、脅しに使うモデルガン持ってるんだね。日本じゃ、銃刀法もあるから」
「じゃあ、薫子ちゃんは〈知覚〉で判定して。成功したらモデルガンだって見破れるってことで」
「……失敗したわ。え? じゃあ、わたしは本物だって思い込むの!?」
「そういうことになるかな?」
「その間に、俺の教授も探偵を止めるよ。『ふたりとも落ち着いてくれ』って」
サツキくんのおかげで、どうにか上手くまとまった。
TRPGのセッションは、思った以上にいろいろトラブルが起こる。
だが、孔明がフォローしてくれるなら心強い。
あらためて、歴史に名を残す伝説の軍師は違うなとおもうアン子であった。
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