第13話 諸葛孔明、セッション準備を指導する

「あー、どうしよー」


 帰宅するなり、アン子が始めたのは鏡を覗くことであった。

 好感度が上がりそうなモテカワな髪型をネットで検索しつついじってみる。

 代わり映えもしないうえ、あざとくなってしまう。

 とりあえず枝毛だけは切った。

 今はいっそ思い切って眉毛もいじるか? と迷っているところだ。


「他にすることがないのですか?」


 孔明曰く、というやつである。アン子の脇に実体化して顕現している。

 身だしなみを整え、印象をよくするというのも大事だ。

 しかし、である。

 KPをやるという流れになったのだから、やるべきことはいくらでもあるはずだ。

 今日は木曜日、アン子がKPをする土曜日まで二日しかない。


「だって、サツキくんたちとセッションするってなるといろいろ気になっちゃって」

「お気持ちはこの孔明にもわかります」

「それに、どこから手を付けていいかわかんなくて」

「その状態にも関わらず、もうKPをする決意を固めるとは思いもしませんでした」


 授業が終わるなり、アン子は自室に戻って孔明を呼び出した。

 相変わらず白羽扇を片手に涼しい顔をしている。


「いや、あのですね。あれは流れっていうか勢いで……」

「咎めてはおりません。あの場でKPをすると切り出したのは、まさに機を見るに敏といったところ」

「そうですか。よかったぁ!」

「しかし、手放しで褒めてもおりません。気を引き締めてくださいませ」

「は、はい……」


 孔明は厳しい。しかし、これもまた仕方がない。

 アン子がTRPGを遊んだのは、昨日の今日である。

 実際、6の100乗分の1の確率で孔明を引き当てるまで、よくわからなかった。

 その孔明が、3日間リサーチに費やし、ルールブックも無料で入手し、レクチャーしてくれてようやく遊び方がわかったのである。

 KPというものはルールブックをよく読んでおく必要があるらしいが、あんな文字と数字ばっかりのものを覚えられそうもない。

 孔明という天才的軍師だからこそ、ぶっつけ本番でKPができたのだ。

 アン子にそれができるだろうか? 思いっきり安請け合いしたものの、せっかくの機会で失望されたくない。


「勢いで言ってしまった以上、アン子様はKPの大役を務めねばなりません。ですがご安心を。私の経験を踏まえてご指南いたします」

「お願いします! KP難しそうで自分ひとりでやりきる自信ないです……」

「なんの、この程度は先帝の苦境にくらべればまだまだです」

「先帝って……劉備のこと?」

「はい。あえて玄徳様と呼ばせていただきますが、皇帝登極の前までは今で言う行きあたりばったりの連続でございました」


 三国志の英雄のひとり劉備の人生は波乱万丈、まさに苦境に継ぐ苦境であった。

 黄巾党の乱で挙兵し、天下に号令するも国や拠点を何度も追われている。

 孔明と出会った後も、慕ってきた十数万の流民を見捨てずに荊州から連れて逃亡し、妻子と離れ離れになるという大変な目に遭っている。

 これも、曹操に降伏する劉琮りゅうそうを討って荊州を奪ってしまえという孔明の進言を退けた結果である。

 確かに、それにくらべれば大したことはない。


「劉備も行きあたりばったりだったんだ。でも、彩香もそうだけど麻理恵ちゃんも混ざるっていうのは想定外でしたよ。3人も一緒に遊んで大丈夫ですかね?」

「元々、TRPGは複数人で遊ぶことが多いようですからご安心を。多いときには、プレイヤー5~6人で遊ぶこともあるようです」

「そうなんだ! にぎやかな遊びなんですね」

「そのあたりはクイックスタート・ルールにも書いてありますな」

「うっ……。KPってやっぱりルールブックを読まないといけないんですよね? なんか、図鑑読んでる気分になるんですよ。あんなの暗記できないです」

「読む必要はありますが、必ずしも暗記しなくてもよろしいかと」

「へっ? どういうことですか?」

「覚えるというのは、必ずしも暗記することではありません。そもそも、KPたるものは常にルールブックを参照できるよう、手元に置いておくもののようです」

「そうなんだ。孔明さんKPしたとき暗記してたみたいだったから」

「私は情報生命体ゆえ、常にルールブックのデータを参照できる存在ですから」


 なるほど、とアン子は納得する。

 今の孔明は、スマホを介してデータとして顕現しているので、ルールブックの情報もダウンロードしている状態なのだ。


「そのうえで進言しますが、ルールブックの暗記よりも、どこをどう調べれば必要なルールやデータが書いてあるかを把握することが肝要です。戦闘に関わるルールはこの辺、判定に関わるルールはこの辺だと覚えておき、ルールブックが示す遊びの思想と意図を把握し、忘れぬことです」

「なるほどー」

「『孫子』を暗記しようとも、その考えを理解できねば無用の長物となります」


 兵法書『孫子』を読んでいても、著者の孫子の考えを理解できねば意味がない。

 孫子読みの孫子知らず、などという言葉もあるのだ。

 しかし、ルールを暗記しなくともいいというのは心の負担がぐっと減った。

 必要な時に参照する、TRPGのルールブックはそのためにあるのだという。


「じゃあ、まずは何から始めたらいいんですかね?」

「クイックスタート・ルールのPDFを紙に出力なさいませ」

「印刷するってこと? パソコンで参照するだけじゃ駄目なんですか?」

「紙というものは大変便利なものでございます。ページをめくるという動作は、PCでの閲覧よりも直感的で取り回しもよろしいかと。また初心者を相手にするのであれば、相手に見せて教えるのにも都合がよいでしょう?」

「なるほどー。でも、うちプリンターないです」

「でしたら、まずはコンビニエンスストアの複合コピー機でプリントするためのアプリをスマホにダウンロードなさいませ。その先は私が指導いたしましょう」

「はーい。でも、四〇ページ以上あるのかぁ。コンビニでプリントアウトすると四〇〇円かかっちゃうな……」


 六千円の本を買うのにも苦労するということは、四〇〇円の出費もバカにはならないのである。

 しかし、それを惜しんでいてはならない。

 さっそく、孔明の指導でアプリをダウンロードし、PDFを印刷する準備をする。

 パソコンにダウンロードしたデータを、USBケーブルでスマホに転送した。

 この辺、孔明がハイテクに対応しているのはありがたい。

 ネットやパソコン周りの知識は、すでにアン子よりも詳しいのではないだろうか?


「よし、準備できました。孔明さん、コンビニにいきましょう」

「はい」


 またスマホの中に宿る孔明であった。これはなかなかに便利である。

 コンビニは、アン子の自宅から歩いて一〇分もかからない。

 さっそく、コピー機の前に陣取った。

 四〇枚以上の打ち出しは、なかなか大変そうだ。


「ええと……。プリントアウト、どうすればいいんですか?」

「コピー機のスマホからのプリントを選ぶのです。それをWi-Fiで接続します」

「これ? ……あれ? 接続できないんですけど」

「アプリの認証を許可しなければならないようですな。私がやっておきましょう」

「……あ、繋がった! ありがとう孔明さん。これで、アプリでプリントするのを選べばいいんだよね」

「アン子様、両面コピーを選ぶと参照性はさらに上がります」

「そっか、本みたいになるもんね。これを一部コピーすれば」

「……むっ? あいやお待ちを! 用紙のサイズを確認せねば」

「え? ……あああっ!? 見切れちゃってるぅ!」


 無情にも、用紙をひと回り小さいサイズでプリントしてしまった。

 ページに収まりきれていない。慌ててストップをかけるものの、五枚分が無駄になってしまった。一〇〇円ほどが無駄になったのは痛い。

 しかし、これはよくあるミスであろう。


「お気をつけを。しかし、プリントアウトは意外に手間ですな。事前に学べたのは、よかった」

「うん。これ当日だったら、大慌てだったよ」


 なんやかんやで、三〇分以上かかってしまった。

 プリントアウトにまつわるトラブルは思いのほか発生するもので、当日に準備するとパニックになりがちである。

 キャラクターシートも3人分用意しておく。これなら安心だ。

 せっかくだから、飲み物やお菓子も買ってレジに向かった。


「おっ、饅頭マントウがありますな」

「肉まん珍しいですか?」

「いえ、生前のことを思い出し、少し懐かしい気分になりまして」


 レジ脇の保温器の中には、まだ肉まんあんまんが売っていた。

 中国発祥の食べ物であり、南蛮征伐の帰りに川の氾濫はんらんを鎮めようと頭部を切って投げ込む人身御供の儀式を行うとと知り、これをあらためようと生地に肉を詰めた変わり身を物を作らせたという俗説がある。

 まだ懐に余裕もあるので、アン子はこれも買った。

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