第二章 臥龍セッション編

第12話 諸葛孔明、無茶振りを引き受ける

「おはよう、アン子ちゃん」

「麻理恵ちゃんおはよー」


 日が変わり、朝の教室である。後ろの席の麻理恵の挨拶にアン子も返した。

 昨日の『CoC』、星宮エイプリルの探索はなんとか終わった。

 SANチェックに何度か失敗し、正気と狂気の狭間を行き来したものの、いくつかの怪奇現象を画像に収めて配信することに成功し、チャンネル登録者数はうなぎのぼりという結果となった。

 まさかアイドル社長のキャラクターなんてできあがるとは自分でも思わず、今から思い返すとおかしくってたまらない。エンディングでは、KPの孔明の粋な計らいで養わねばならない弟や妹も登場し、アン子もびっくりした。

 セッションののち、シナリオを読み返してみたらそんな展開は用意されておらず、孔明のアドリブだという。TRPGでは、よくあることらしい。


「アン子ちゃん、何かいいことあった?」

「ふぇ?」

「だって、さっきからにやにやしてるし」

「えっ、いや、その。ゲームが面白かったから」

「そっか、孔明引いたんだっけ」

「うんまあ、そう。すごいよ孔明さん」

「歴史に名を残す軍師だもんね。やっぱり、ゲームでもすごいんだ。ビーム出したりするみたいだし」

「……頼めば出してくれるかな? ビーム」


 出してくれそうな気もする。

 思っていた以上に、孔明は世話焼きタイプのようだ。

 そして、横の席からこんな会話が聞こえてきた。


「サツキくん、サツキくぅん! わたしもルールブック買ったんだ♪」

「それ『CoC』の新版じゃないか。高かったでしょ?」

「思わず買っちゃった。でも、遊び方がよくわからなくて……」


 サツキくんと彩香の会話である。

 彩香の手には、あの六千円するルールブックがあった。


「わからないって、どの辺?」

「うん、この辺。キャラクター作成? ってとこ」


 ちょっ、近い近い! 思わず駆け寄ってしまったアン子である。


「な、なに? アン子、急に……」

「いやその……キャラクター作成だったらあたしもわかるから、教えてあげられるかなって」

「は……?」

「えっ、アン子さんTRPG遊ぶんだ?」

「す、少しはね!」


 思わす言ってしまった。

 意外そうな顔をする彩香と、嬉しそうな顔をするサツキくんであった。

 サツキくんの顔がぱあっと明るくなると、アン子の顔もにやけてしまう。

 その明るい笑顔のおかげで、いきなり会話に割って入ってしまった奇行も、今はきれいさっぱり忘れることができた。


「ほんとに? アン子が?」

「そうだよ。このポイントを割り振っていけばできあがるから。簡単だよ、ノートに書いていけば、ほら」


 訝しげな顔をする彩香に、アン子は教えていく。

 ノートを持ってきて、余白に計算式と能力値を算出した。

 ちょうど孔明が教えてくれたポイントの割り振りを、習ったとおりに教える。


「すごいな、アン子さん。俺も、まだ新版は遊んだことないのに」

「いやあ、それほどでも……」


 彩香がルールブックを見ながら、確認している。

 書いてある内容と、キャラクター作成の手順を見比べているのだろう。

 しかし、顔をしかめているところをみると、内容が頭に入っていないようだった。

 アン子にもその気持ちはわかる。


(孔明さんがいなければ、あたしももすぐには理解できなかったもんね)


 で、なんか今も身体がぐねぐねして安定しないのは、サツキくんに「アン子さん」と下の名前で呼ばれているせいでる。


「あっ、ごめん。呼び方、馴れ馴れしかったかな。みんながそう呼んでるから、つい……」

「やっ、とんでもない! アン子でいいっす!」


 逆に、名前を覚えてもらえるのは嬉しい。

 「みずき」という姓は珍しいし、この教室ではみんなアン子と呼ぶ。

 いまさら、名字呼びもかえって恥ずかしい。


「そっか。アン子さんもTRPGできるんだ」

「やっ、まだ始めたばかりでして!」

「俺だって、サークルの先輩たちに比べるとまだまだ初心者だよ」


 会話が弾む。孔明から教えてもらってよかったとつくづく思う。

 趣味の話を一緒にするのは、くすぐったいくらい顔がにやけてしまう。

 悟られないようにせねばと、アン子は心がけた。


「サツキくん……」


 一方で、寂しそうにしている彩香も気になってしまった。

 思わず話題に横入りしたのだから、アン子としても罪悪感がある。

 が、そう思ったのも束の間のことだ。


「アン子の説明じゃよくわかんなかったから、サツキくんが教えて!」

「えっ……? わかりやすかったと思うけど」

「ううん、まださっぱりわからない! たぶん、もっと強いキャタクター作ったほうがいいんでしょ? 〈マーシャルアーツ〉、取ったりして」

「〈マーシャルアーツ〉は前の版のルールだよ。それに、『CoC』は戦闘で強いキャラが必ず活躍するってゲームでもないけど」

「わたし、わっかんないもん! 教えてよ♪」


 渋るサツキくんの腕を、じゃれるように取る彩香であった。

 なんという積極的アピール! 阻止したい、なんとしても阻止したい。


「ちゃんと作ってあるから大丈夫だって! ベッド飛んできても、躱せるし」

「……ベッドが飛んでくるの?」

「と、ときどきね!」


 横でサツキくんが「飛んでくる飛んでくる」と頷いている。

 アン子とサツキくんには、共通の体験があるのだ。だんだん心強くなってきた。

 付属シナリオ「悪霊の家」は三〇年以上も遊ばれ続けた定番のシナリオである。

 サツキくんも、旧版のものをプレイ済みのようだ。


「本当に、アン子にTRPGわかるの?」

「わかるって! ルールブックも読んだし!」


 無料のスターター・セットのものだとはここでは言わなかった。

 やはり、六千円のルールブックを持っている彩香には引け目を感じているのだ。


「だったら、KPしてよ」

「……へっ、KP? あたしが?」


 昨日、孔明がやってくれた役がKPである。一般的には、GMという役だ。

 ルールには掲載されていないアイドル社長の職業を即興で用意したり、物語の舞台を一〇〇年前のアメリカから現代の県内にあっという間に変更する、あの役だ。


「そうよ。ひとりでキャラクターも作れるんなら、KPもできるでしょ」

「いやあ、そこまでは……」


 冷静に考えて、無理だ。ルールもまだよくわかっていない。

 孔明だからこそ対応できたわけで、アン子にはできる自信はない。


「へえ! アン子さんってKPもできるんだ」

「あっ、できます!」


 何故か、力強く答えてしまっていた。しかも即答である。

 サツキくんがとても嬉しそうだったので、思わず言ってしまっていた。

 あまりに嬉しそうに言われたので、完全に舞い上がっていた。


「新版『CoC』のプレイヤーやってみたかったんだけど、機会がなくてさ。もし、アン子さんがKPしてくれるなら、喜んで参加するんだけど」

「やりますやります、絶対やりますよ……!」


 言った後、十秒以上経過してようやくアン子は事態を把握した。

 「やべっ!?」と焦っても、後の祭りである。浮かれすぎて判断力を失ったのだ。

 そしてその焦りの反応は彩香に見られた。「やっぱり」みたいな顔をしている。


「週末だと文芸部が使ってる教室を一日中使えるから、そこでゲームするといいんじゃないかな?」


 後ろの席で聞いていた麻理恵もそう言う。

 会場まで用意されると、外堀が埋まった感がある。


「私もちょっと興味あるんだけど、混ぜてもらっていい?」

「へっ、麻理恵ちゃんも?」

「面白いんでしょ? TRPGって。アン子ちゃん、ずっと顔にやけてたし」

「やっ、すごく面白いよ。とても面白いよ。でもね」

「すぐにプレイヤーが三人集まるなんて、驚きだなー。もうセッションが楽しみになってきたよ」

「ええ、ですよねー!」


 アン子も楽しみになってきた。

 サツキくんと一緒にゲームを遊べるのだ。

 この流れでは、とてもではないが断れない。

 サツキくんのあの笑顔は裏切れないのだ。いきなりKPを務めることになっても。


「……ちょ、ちょっと待っててね」


 背を向けて、頼みの綱の孔明をスマホで呼び出す。

 TRPGを遊べるようになって、意中の相手と楽しく過ごす――。

 その望みは、すぐにやってきた。

 しかし、いきなりKPをやる羽目になるとは思わなかったのである。

 

「……孔明さんっ、こんな状況になんですけど大丈夫ですかね?」


 呼び出すと、すぐにスマホの画面の中に孔明が現れた。

 いろいろお答えしてくれるAIよりも素早い。


「やむを得ませんな。ご安心を、この孔明にお任せあれ」

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