第4話 諸葛孔明、スマホアプリと化す
休み時間となった。スマホに通知があったのでアン子は画面を見た。
「アン子様、事情はわかりました」
通話アプリが立ち上がって、諸葛孔明がゲームの立ち絵っぽく映される。
「……えっ、孔明さん? そんな出現パターンもあるんだ」
「アバターをカスタムできるアプリがインストールされておりましたゆえ。背景も殺風景なのはいかがなものかと思い、用意してございます。アン子様が望むのであれば、メッセージウィンドウでの文字通話にも対応いたしましょう」
「ほんと? すごいですね孔明さん」
さすがは名軍師である。もう自身のアプリ化を果たしたようだ。
スマホの画面内に武将の立ち絵が映って会話可能とか、そういうゲームはいくつかある。まさに、あんな感じだ。
お髭も凛々しく、知的な軍師系ナイスミドルである。
「なんか、乙女ゲーみたいですね。攻略対象っぽいですよ」
「僭越ながら申し上げますが……アン子様が攻略対象としておられるのでは私ではなく……あのサツキくんなる男子ではありませんか」
「ちょっ……!?」
思わず周囲を見渡す、休み時間は教室もざわついており、さいわいスマホからの声は聞かれていない。
後ろの席の麻理恵は、ブックカバーのついた本を読んでおり、アン子の様子とか知ったことじゃないだろう。
ささっと教室を出て、廊下の隅に移動する。
「いきなりやめて……!? 心臓に悪いです!」
「これは失礼をば。しかし、アン子様はあのサツキ少年とお近づきになるため、TRPGなる遊びをやってみようと思われたのでありましょう?」
「だ、だから、それはそのぅ……」
「あいや、これは失礼。年頃のアン子様が内なる気持ちを秘しておきたいのは当然でございました。しかし、その恋、成就を願うなら策をお授けしましょう」
「マ、マジですか! ……孔明さん、それほんと?」
アン子もがっつり食いついた。
軍師諸葛孔明の恋愛相談アプリ、これは売れる。
歴史に名を残し、アン子でも名前を知っているほどの孔明が味方についてくれるというのは、とても心強い。
このアプリがインストールされているのは、アン子のスマホだけなのだ。
大きなアドヴァンテージである。
「この孔明、
「ありがとう、孔明さん! ……でも、暇なんですかもしかして?」
「……言ってしまえば、そうです」
女子高生の遠慮のないツッコミにも動じない、さすがは諸葛孔明である。
若い頃の孔明は
就学就職の意志あってのことだから、ニートでは断じてない。
勉学に励み、いつか来る日を待ちつつ、田畑も耕していたのだ。
「今は平和な時代ですので、三顧の礼で先帝に請われる前の暮らしのように、暇な時間をアン子様のために尽くそうかと」
別に、群雄割拠したわけでもないし、軍師として活躍が求められる時代ではない。
アン子の恋で暇潰しするのかと思うと微妙な気持ちにならなくもないが、軍師がついているのは大変に嬉しい、何より有利だ。
特に、サツキくんに積極的にモーションをかけている彩香には負けたくない。
「TRPGなる遊び、私の生きた時代になかったものですので、いかなるものか学んでいる最中です。私も、解説動画をいくつかピックアップいたしました」
「うん、わかった。後で見ておくね」
孔明が、動画のリンクをおすすめ度順に並べてくれた。
ブックマークもしてくれるし、本当に情報アプリ並みである。
「こちらがTRPGを遊ぶのに必要な、“ルールブック”と言われる書物です。これほどの書があるのは、春秋の頃の諸子百家のごときですな。中でも、『クトゥルフ神話TRPG』なるものが良書と評判です」
「高っか!? 本なのに六千円以上もすんの……?」
アン子は、千円以上の本など滅多に買ったことがなない。辞書くらいだ。
本にお金をかける習慣のないアン子には、信じられない価格である。
現代の女子高生というのは、いろいろと入り用なので出費は多い。
「なるほど、財力がないということですか……」
孔明も、しみじみとスマホの中で天を仰いだ。
懐具合というのは、名軍師諸葛孔明でも完全には解決できなかった難問である。
劉備が皇帝を名乗って治めた蜀の地は、現在の中国四川省に当たる。
昔から
しかし、この蜀一国と華北全域を治めた魏との国力差は圧倒的であった。
孔明が構想した天下三分の計は、中国の中央にあって要所である荊州の地を押さえて成立するものだったが、関羽の死とともに喪失する。
貨幣の鋳造など、経済振興政策も行い、
「どうしよう孔明さん。あたし、TRPG遊べないの……?」
「お任せを。この孔明、ルールブックを無料で手に入れる策がございません」
「ほんとに!? ……それ、なんか犯罪だったりしません?」
「法に触れることは、一切ありません」
違法ダウンロードだったりしたら、問題だ。
広大なネットでは、漫画やアニメの違法アップロードは絶えない。
お金がない、とはいえ法に触れるような真似はしたくない。
孔明は法に触れないとはいうが古代中国の英霊だけに、現代の法律の知識があるかどうかが不安点である。
「じゃあ、どうやったら無料で手に入るんですかね?」
「……その前に、ひとつだけ申し上げるべきことがございます」
「な、なんでしょう?」
「ルールブックを入手したとしても、アン子様の望みが叶うわけではありません」
「そ、そうなの? ルールブックがあればTRPG遊べるようになるんじゃないの」
「問題は、そこではありません」
「……え? ど、どこ?」
「TRPGを遊べるようになったからといって、この恋必ず実る――などという保証はどこにもありません」
「あっ、ああああああっ!」
スマホの中の孔明に、びしっと痛いとところを突かれた形だ。
そう、そうなのである。
ダイエットしたらきれいになれるみたいな、願望というか希望と一緒だ。
「そもそも、TRPGというゲームができたからと言って、すぐに意中の男子と親密になれるなど、発想が安易。白昼の夢と申してもよいでしょう」
「うっ……!」
「アン子様、学校が授業中にテロリストに占領され、ネットで囓った程度のミリオタ知識や兵法書の知識で無双したのち、女子から次々と好意を寄せられるハーレム展開とかいう都合のいい妄想をしている男子がいたとして……どう思われますか?」
「ないなぁって思いますけど」
「今のあなたは、まさしくそれだ」
「う、ううう……!!」
乙女のゆるふわな希望を打ち砕き、アン子は現実を見せつけられた。
名うての論客を論破してきた孔明ならではの鋭い指摘といえよう。
『三国志演義』では、その舌鋒によって
スマホアプリ化しようが、甘えた女子高生が太刀打ちできる相手ではない。
「そ、そうかもしれないけど……」
それでも、遊ばなくてはならない理由が、アン子にはある。
アン子には、今のところ女子としての武器がない。
年頃の男子の気を惹ける容姿をしているとは言い難い。
成績も普通、頭がいいわけでもないし運動も普通、楽しい話題も特になく、積極性にも欠け、ファッションにも興味がない。
料理も麻婆豆腐と肉じゃがは作れるが、それ以上のレパートリーはない。
女子力を磨くことを面倒くさがったツケが、ここでやってきたのだ。
だが、しかし――。
TRPGをちゃんと遊べるのなら、武器にできるとも思ったのだ。
TRPGはゲームであるという。
ゲームなら多少得意、だからきっとイケる……!
これといった長所のないアン子にとって、今はTRPGが一縷の希望である。
それに「TRPG」なる言葉を話すとき、あんな表情をするサツキくん。
気になる、超気になる。気になって気になって仕方がない。
そんなに面白いものなら、自分もやってみたいと思う。できれば一緒に。
「でも、あたし……TRPGしたいもん!」
気になる異性に近づくためという動機であったが、その異性と同様にTRPGにも興味を持っているのもまた事実であった。
「その言葉を聞いて、安心いたしました」
「え……?」
孔明、アン子の言葉を聞いて、したりという顔である。
「TRPGを遊んだから恋実ることは保証できませんが……それでも真剣に遊ぶというのなら脈はございます」
「そ、そうなんですか?」
「遊びであれ仕事であれ、真剣に取り組む姿に人は惹かれるもの。アン子様にTRPGを真剣に遊ぶお気持ちがあるなら、恋実る可能性は上がります」
「そっかぁ! へへへ、そうなんだぁ……」
なんだか先のことまで考えてにやけてしまった。
恋が実ると言われて嬉しくない女子はいないであろう。
「でも、無料で手に入れるってどうやるの?」
「『新クトゥルフ神話TRPG クイックスタート・ルール』なるものが、無料で公式に公開されているのです」
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