第3話 諸葛孔明、事情を察する

 孔明が約束してちょうど三日目、学校の朝である。

 アン子が通うのは、市内の共学公立高校だ。

 校則は緩く、校内でのスマホの持ち込みは禁止されてはいない。

 学校内でのゲームアプリの起動などがバレたら没収されてしまうのだが、多少の緩さがある。


「おはよー」「おはよー、アン子」「最近ガチャ運どうよ?」「孔明引いたー!」「マジでー!?」


 などという他愛のない会話をクラスの友人たちと交わす。

 アン子はそんなに友達が多い方ではないが、教室で声をかけ合うくらいにはいる。


「おはよう、アン子ちゃん」

「おはよー、麻理恵まりえちゃん」


 振り向いて挨拶する。

 アン子のことを、わざわざアン子と呼んでくれるのは、後ろの席の彼女くらいなものだ。

 眼鏡っ娘で、いかにも頭のよさそうなおとなしい雰囲気の女子。

 実際に、クラスでは成績トップの才女である。

 名前は、南海麻理恵みなみまりえ、部活は文芸部に入っている読書家だ。

 アン子も、『ニューロマンサー』とか『百年の孤独』とかいう小説を奨めてもらったが、ハードすぎて一度も読んだことがない。

 もうちょっと挿絵も豊富で、アニメ化したような小説だったら読めるのだが。


「孔明って、三国志の諸葛孔明のこと?」


 麻理恵が不思議そうに聞いた。彼女は、あまりゲームをあまりやらないという。

 だから、アン子が孔明を引いたという話題に興味を持つとは思わなかったのだ。


「そう、軍師で有名な人。昨日引いちゃったんだ」

「織田信長もゲームのキャラになってるくらいだし、三国志の軍師もそうなっちゃうんだね」


 実は、ゲームのキャラではなく本物だということはさすがに口には出せない。

 どう話しても電波扱いされる案件である。


「麻理恵ちゃん、孔明に詳しいの?」

「詳しいっていうか、歴史物も読むから知ってるってだけだよ? 三国志って、よく小説の題材になってるでしょ。三国志の漫画も結構あるから」

「そっか。あたし、ゲームで知ってるくらいなんだよね。どの小説読むと、孔明のことよくわかりそう?」

「有名なのは吉川英治版『三国志』だけど、個人的には北方謙三きたかたけんぞう版『三国志』が好きかな? ダイジェスト的に読むなら、柴田錬三郎しばたれんざぶろうの『英雄三国志』もあるし……」

「いろいろあるみたいだけど。なんか難しそう」

「そんなことないよ。三国時代のゲームだって、いろいろあるでしょ? 小説も、それと同じようなものよ」

「そういうもんかー」


 いろいろ小説があることがわかったが、読んでみようという気は起こらない。

 中国人の血は引くが、中国が舞台の歴史小説とか、漢字が多すぎて読めないアン子である。


「――あっ、通してもらっていいかな?」


 椅子を倒し気味して、後ろの席の麻理恵と話していたアン子は、ちょうど彼の席への道を塞ぐ形になっている。


「あっ、ごめんなさい!?」


 アン子は、慌てて席に戻った。

 いつ見てもカッコいい男子だなと、見惚れてしまう。

 整った顔立ちに、アクセントとなる銀縁の眼鏡。

 飄々とした雰囲気もありながら、少年の面影もある。

 知的でクールで、すらりと背も高い。

 アン子のような普通女子が道を塞ぐなど、言語道断の振る舞いだ。


「……どっ、どうぞどうぞ!? あたしなんぞが行く手を阻むなんて、そんな、畏れ多い……!」

「いや、そんなことは……」

「アン子ちゃん。早月くん困ってるから、もっと普通に話してあげて」


 妙に恐縮するアン子に、ちょっと困った顔をして麻理恵は言った。

 美山早月みやまさつき、サツキくん。同じクラスの男子。アン子の席から、ふたつ隣の窓際が彼の席だ。

 アン子と麻理恵の席の間を抜けて席についても、目で追ってしまう。

 モテることに必死なオサレ男子たちとは違い、全然飾り気はない。

 しかし、である。

 眉もいじってないが自然に形がよく、クールでミステリアスな男子だが、まだ年齢相応のあどけない雰囲気がある。

 口数も少なく、特定の男子と絡んでいる様子もない。

 だが、そこがいい。アン子にとって気になる存在の男子である。


「サツキくん、かっこいいもんね」

「ふぁい!?」


 麻理恵のその一言で、変な声が出てしまった。


「文芸部でも、女子に人気あるんだよ。この前、一年の子たちが部室に覗きに来たこともあるから。そっか、アン子ちゃんもそうだったんだ」

「あっ、そのう! あたし、そういうんじゃなくて……」


 思わず誤魔化したアン子だが、実際のところである。

 しかし、このリアクションだとバレバレではないだろうか?

 すぐ顔に出る性格なので、いろいろつらい。


「アン子ちゃんにも春が来た感じ?」

「だからぁ、そういうんじゃなくって……!」


 麻理恵がふふっと微笑む。

 実際のところ、そういうことなのだ。

 耳まで真っ赤になってしまう。

 すごく恥ずかしい。ちょっと前まで、こんなことはなかった。

 クラス替えから一週間ほどした午後の休み時間に、突然来たのだ。

 アン子の足元に転がってきた、黒いサイコロを拾ってあげたとき。

 まるで春の嵐のように――。


「ありがとう――」


 サツキくんは、はにかんだ微笑みを浮かべた。

 可愛かったのだ、きゅんとくるほどに。

 クール系なのに、笑顔が可愛いとかアリか?

 そのときから、ずっと目で追ってしまうのである。


「なあに、アン子に何が来たって?」

「なっ、なんでもないっつーの……!」


 横から割り込んできた相手に対し、アン子は思わず強い言葉で返してしまった。

 ウザいのが来たと、アン子がそんなふうに思うクラスメイトの女子である。


「綾川さん、ほんとになんでもないから気にしないでね」

「そうなの? ちょっと通るわね。さーつきくぅん♪」


 慌てたアン子に変わって、麻理恵が気軽に対応する。

 すると、あからさまに甘えた声で彼女はサツキくんの席に向かっていった。

 彼女は綾川彩香あやかわ あやかといって、クラスの中でいつも賑やかな女子だ。

 見てくれはいい、実際に男子にも美人と評判である。

 いわゆるお嬢様で、ときどき下校時に大きい車が迎えに来る。

 そんなお嬢様のわりに県内の公立高校に通っているくらいだから、成績はよくない。むしろドン底である。

 かわりにスポーツが得意で、女子陸上部長距離期待の星だという。

 また、彼女がサツキくんにわかりやすいモーションをかけているのも、クラス中の誰もが知ることだ。


「彩香って、なんであんなにあからさまにできるんだろ?」


 サツキくんと彩香から目は離せないアン子が、麻理恵に遠慮なくぼやく。

 彩香に対し、なんでもないって言ってもらったことには感謝だ。


「でも、サツキくんも嫌がってないみたいだよ。綾川さん美人だから」

「……ええ?」


 アン子は、ふたりの会話に耳を傾けた。


「サツキくん、わたしもルールブックというものを揃えてみたの。……でも、まだわからないこといっぱいあって。ねえ、どうすれがいいの?」


 唇に人差し指を当てて小首を傾げる。

 出た、今時の女子高生がしそうもないあざといポーズ! 昭和か、昭和のアイドルか! 昭和とかよく知らないが、そのくらい古臭いということだ。

 声も、鼻にかかって甘えた感じで、まるで首を絞めて出したかのような声だ。

 

 ――あんた、普段そんなしゃべり方してないだろ。

 

 アン子は心中で歯ぎしりしつつ、ツッコミを入れた。

 それに対し、サツキくんは少し嬉しそうにして彩香に話す。これは気になる。

 会話の内容に耳をそばだてずにはいられない。


「俺も、最初はそうだったんだよ。TRPGって、何から始めればいいか、よくわからなかったりするから」

「だからぁ、わたしもサツキくんにいろいろ教えてもらいたくて」


 サツキくんはクールで笑うと可愛いのに、一人称が“俺”なのだ、

 ここもアン子が大きく惹かれる部分だ。ちょっとぶっきらぼうなのも、またよし。

 ギャップ萌えが加速し、ご飯三杯はいける。

 その、なんか無防備なサツキくんの微笑みが、今は彩香に向けられている。

 悔しい、正直羨ましい。

 前々から、彩香はウザいクラスメイトだとは思っていたが、そのウザさは最近アン子の中で増大しつつある。

 サツキくんは、“TRPG”という単語を話したり聞いたりするとき、目を輝かせてああいう表情を見せるのだ。

 だからアン子は、TRPGとは何かを知りたかった。TRPGというものをダシにして近づこうとする彩香に、危機感もあるが、何より――。

 あの表情を、自分にも向けてくれるのではないかと期待して。


「なるほど、これが理由でしたか……」


 スマホの中に、孔明の姿が浮かぶ。

 アン子がTRPGを遊ぼうとする事情を、神算鬼謀の軍師も察したのである。

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