第2話 諸葛孔明、軍師だって知らないこともある

「“てぃーあーるぴーじぃ”、ですと……?」


 諸葛孔明にTRPGというものの教えを乞う――。

 どこの誰が、このような状況を発想し得るというのだろうか?

 繰り返すが、諸葛孔明は古代中国の三国志時代、約千八百年前の人物である。

 いかに神算鬼謀しんさんきぼうの軍師いえど――魔法や魔術を駆使し、白羽扇からビームを出すキャラクターとされることがあっても――この二一世紀で遊ばれているアナログゲームについての知識があろうはずがない。

 たとえ、情報生命体化する召喚式であったとしてもだ。

 そもそも、諸葛孔明を情報生命体たらしめる要素としてTRPGという情報は必要ではない。ゆえに知らない。


「あれ、孔明さん。TRPG、知らないんですか?」

「む……!」


 しかし、アン子の何気ない一言が、名軍師の矜持プライドを傷つけた。

 諸葛孔明といえば、歴史に名を残す偉大な知恵者である。

 たとえ古代中国に存在しない遊戯であるTRPGでも、これについて問われ、まったく知らないと答えるのは、彼の存在意義にも関わる。

 召喚された孔明の姿と精神は、出師の表(前出師の表と言われる第一回北伐時のもの)を上奏し、蜀漢の丞相として一国の命運を一手に握っていた頃だ。

 女子高生とかいう小娘相手に「知らない」と答える諸葛孔明など、孔明自身が許せないであろう。

 かといって、臣下の礼を取ったアン子に対し、知ったかぶりをして誤魔化すほど、不誠実なこともできない。

 諸葛孔明とは、そういう人物である。

 だから、答えはこうなる。


「あいや、三日お待ちください。三日あれば、そのTRPGなるものを我が君にご指南いたしましょう」

「ほんと! あたし、全然知らないんですよ。なんか、ネットで動画とか見て調べたばっかりなんで。お芝居をするゲーム? ……なんですかね?」


 まるでグルメ漫画みたいな展開に、ぐっと身を乗り出してアン子は言う。

 というか、英霊体として登場した孔明の姿にはもう慣れた。

 当初は幽霊か何かだと思っていたが、アン子の中では「スマホでダイスアプリ振ったらSSRな知名度高いキャラ引いた、ラッキー!」との認識にとなっている。

 無双する三国志のゲームの影響で、多少の知識はある。

 多少といっても、孔明は超賢い、姜維きょうい周瑜しゅうゆは美形という大変偏った知識ではあるが……。


「しかし、我が君。何ゆえそのTRPGを遊ばねばならぬでしょう?」

「いやあ、それはほら。面白そうだと思ったからで……」

「僭越ながら、臣は我が君のスマホ容量に依存しております。ストレージにダウンロードされたものも拝見しましたが、数々のゲームを遊んでおられるご様子。これに加えてさらに遊ばねばならぬ理由とはいったい?」

「そりゃあ……ゲーマーとしてはゲームと名のつくものは一通り遊んでみたいじゃないですか。あたし、古戦場からも逃げない立派なゲーマーだし、面白そうっていうかぁ……」


 急に、もじもじし始めるアン子である。


「やはり、格段の事情がおありのようで」

「ちょ……!? だからー、詮索しないでって!」


 さすがは伝説の名軍師である。女子高生の隠し事など、あっという間に見抜く。


「我が君が明かさぬのであれば、臣も聞きますまい。どうか胸の奥に仕舞われよ」

「う、うん。ごめんね。……あの、それとっていうの、ちょっと待ってもらっていいですかね? あたし、ただの女子高生だし、そんな柄じゃないし」

「なるほど。アン子様はいまだ皇帝推戴すいたいもなく、登極とうぎょくして帝位についておられぬ身。その御歳おんとしつつしみの徳を備えるとは、さすがにございます」

「ていうか、今時君主とか臣下もないでしょ? タメでいいじゃん! 対等な関係ってやつ? そりゃ孔明さんのアドバイスはばんばん受けたいけども」

「対等の契……先帝以来のお言葉です。なれば、アン子様とお呼びいたすこと、お許し願いましょう。臣としてではなく、として献策をば」

 

 親密な仲を表す「水魚の交わり」という故事成語がある。

 三顧の礼で孔明を軍師に迎えた劉備が、あまりにベッタリだったので「孔明ばっかかまって俺たち無視かよ」と拗らせた男子みたいなことを言った関羽と張飛に対し、「自分にとって孔明は魚に水があるようなもの」と言ったのが由来だ。

 孔明もそのことを思い出したのか、感慨深げである。

 しかし、女子高生って皇帝になれるんだっけ? と思うアン子であった。 

 歴代中華皇帝の中でも、女性で帝位についたのは唐に代わって武周を興した武則天ぶ そくてんだけである。


「ほんとはもいらないんだけどなぁ。あたしも、孔明さんでいい?」

「はっ、なんなりとお呼びつけくだされば」

「でもさ。その、孔明さんって……ずっと前に死んでますよね?」

「はい。志半ばで五丈原ごじょうげんにて天命尽きました。先帝にも陛下にも顔向けできません」


 孔明は第五次北伐で魏の司馬懿仲達しばいちゅうたつと五丈原で戦い、陣没している。孔明の死後、蜀軍は全軍撤退したが、司馬懿はこれを追撃した。

 ところが、蜀軍が反撃したので孔明の死は自分を釣り出すための策だと思い、慌てて退却することとなった。

 世に言う「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事である。

 『三国志演義』では、孔明が寿命を悟り、延命の儀式を行う最中に魏延ぎえん祭壇さいだん蝋燭ろうそくを倒してしまい、もはやこれまでと死を受け入れた。

 星占いで孔明の死を確信した司馬懿が攻めるも、生前に造らせておいた孔明の木像を見て撤退した、そういうことになっている。


 ――そういえば、三国志ってどうやって終わったんだっけ?


 アン子の知識は、姜維が頑張ってたのに蜀は滅んだというところで止まっている。

 しかも、三国志の知識はほとんどがゲームから仕入れたものだ。

 歴史上では、魏の鄧艾とうがい鍾会しょうかいによって蜀が滅亡、司馬一族の司馬炎しばえん禅譲ぜんじょうを受けてしんを建てたのち、呉が平定されて三国時代に終止符が打たれるわけだが、そこまでの歴史はゲームに関係ないのでアン子は知らない。


「あと、聞きたいんですけど、ここ日本なんですよ。あたし、まんま日本人なんですけど、大丈夫です? 中国語全然離せないんですけど」

「ご心配には及びません。情報生命体となった私は、の歴史も大体は把握しております。これも五丈原の落星がもたらした天命と心得えますゆえ」

「でも、なんでまた三国志の有名人の孔明さんが、日本の女子高生の部屋にやってきたんですかね?」

「そのダイスアプリの賽の目をご覧なさいませ。一〇〇個すべて1の目です」

「あ、このせい? すごい目だよね!」

「ええ、私も易占えきせんの心得がございますが、吉凶の判別もつかぬのは初めてでございます」


 諸葛孔明といえば、奇門遁甲きもんとんこう占術せんじゅつも用いたとされる。もっとも、史実にはそのような記録は見られない。

 『三国志演義』では、孔明が遁甲八門の石を並べて陸遜りくそんを迷路のような石兵八陣に誘い入れる描写があるが、これが方位や季節による占いで風水の一種だ。

 占いと言っても、時節や方位、地形も関わる兵法ひょうほうの一種である。


「ちょっと気味悪くない? これ……」

「よいとも悪いとも言えませんが、稀有けうな出目により、時を超えて私とアン子様との奇縁が結ばれたものでしょう。まずは吉兆でよいかと」

「あっ、あれか! レアガチャ当たったようなもんね!」

「まさに」


 これでお互いに理解できるのだから、なかなかいいコンビである。


「あたし、ガチャ運悪かったのにリアルで孔明さん引き当てるとかやるね! 孔明さん、日本語も話せるし現代のこともちゃんと知ってるみたいだし。よかったぁ、なんにも知らないとどこから説明すればいいか、わかんないもん」

「とはいえ、最低限のようです。これから学ぶことも多いかと」

「うん、お互いにね。特にTRPG!」


 何故、アン子はTRPGを学ばねはならないのか?

 実は、これには乙女の秘密があった。

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