孔明:ザ・ゲームマスター

解田明

第一章 蒼天ビギナー編

第1話 諸葛孔明、ダイス事故で召喚

 臣りょうもう

 先帝創業いまなかばならずして、中道に崩殂ほうそせり

 今、天下は三分し、益州えきしゅう疲弊ひへい

 此れまこと危急存亡ききゅうそんぼうときなり

 

 蜀漢しょくかんの先帝にして昭烈帝しょうれつてい諡号しごうされた劉備りゅうびへの恩義を述べ、二代目皇帝劉禅りゅうぜんを諭して大国への北伐へ向かう必要性と決意をたてまつった、悠久ゆうきゅうの歴史を誇る古代中国でも、名文中の名文と言われる出師すいしひょう

 これをつづった人物こそ、不出生ふしゅっせいの軍師にしてこの物語の主人公となる人物――。 

 姓は、諸葛しょかつ、名はりょうあざな孔明こうめいその人である。


「諸葛孔明の出師の表を読みて涙を堕さざれば、その人、必ず不忠」


 それほどのものだ。

 この出師の表を上奏じょうそうし、いざ魏を討たんと悲壮な決意をしたのは、建興けんこう五年(西暦二二七年)、蜀漢の丞相じょうしょうとして孔明がよわい四六を迎えた頃。


「おや? ここは――」


 その時代の姿のまま、孔明は見知らぬ空間に突如召喚された。

 ぐるりと周囲を見回すと、見たこともない間取りの部屋と、棚に並べられた精緻な人形の数々が並んでいる。

 一八〇〇年前の人物である彼がぱっと見てわかろうはずがない。

 この人形の類はゲームやアニメに登場するキャラクターのフィギュア群である。

 そして、この部屋には、もうひとりの主人公となる少女がいる。

 ただし、可憐なお口をあんぐりと開けて固まったままだ。

 帰宅したばかりでまだブレザーの制服姿、黒髪を揃えた前髪ぱっつん。

 背も高くなく、痩せても太ってもいない。

 標準体型なのは彼女としては自慢できるポイントのひとつだ。

 で、手にはスマホを持ったままである。

 容姿も十人並みで中の中、一七歳のわりと普通な日本の女子高生であった。


「あいや、これは――」

「うひゃああああああああああっ!!」


 戸惑う孔明に対し、なんとも少女らしからぬ悲鳴を放った。

 すると、どたどたと足音がして部屋のドアが開く。彼女の母親である。


「どうしたの!? 叫び声なんかあげて」

「え? いや、そ、その! こ、孔明が……」

「コウメイ……?」


 母は、娘がスマホゲーやアニメにハマっていることは重々承知の上だ。

 彼女もまた、若い頃はコミケに通い、コスプレもしてBL同人誌を買い漁った過去がある。

 この黒歴史を娘に握られており、ちょっとした弱みにもなっている。

 それはさておき、都合のいいことに孔明の姿は消えていた。


「……ああ、ゲームのことね」

「いや、あの……」

「何、ガチャでレアキャラ引いたの? フレンド登録する?」


 「ほほほ」と、なかなか物分りがよさそうな微笑みを残す。

 娘にとって、この母親はオタク趣味を解する同志でもあった。

 しかし、物分りのいい母であっても、ついさっき発生した孔明召喚という状況を説明しても理解はできないだろう。

 ――というより、娘も事態を説明できず、パクパクと金魚みたいに口を動かすのが精一杯なのだ。


「あと、なんか悩みあるなら溜め込まないで。母さん、わかってるから。若いときは叫びたくなっちゃうもんよ。布団かぶってやると、近所迷惑になんないから。母さんのこと、気にしないでいいから」

「あっ、ちょっと――」


 バタン、ドアが閉まる。


「えええ……」


 事情を説明する前に、母親はいなくなってしまった。


「お騒がせしました――」


 声とともに、また孔明すうっと姿を現す。

 身の丈八尺(約一八五センチ)、面は冠玉ぎょくかんのごとく。頭に綸巾かんきんをいただき、身に鶴氅かくしょうをまとう『三国志演義』で描かれる軍師孔明の姿そのままである。綸巾は頭に被る頭巾で、鶴氅は白い道服のことだ。

 もちろん、手にはトレードマークの白羽扇びゃくうせんも持っている。

 

「え、えっと。本当に……孔明さん?」

「はい、いかにも」


 三国志――。しょく三国に皇帝が鼎立ていりつして覇を競い、英雄将星えいゆうしょうせい綺羅星きらほしのごとく輝いた時代。

 中国の歴史の中でも、ことのほか日本のオタクカルチャーとマッチングしてしまった奇跡の時代である。

 中でも、諸葛孔明といえば、日本でも名軍師として名高い。

 漢王朝の末裔である劉備玄徳りゅうび げんとくが三顧の礼で軍師として請い、それが故事成語にもなるなど、その影響力は大きい。

 さて、中国の人名は、あざなで表記する場合は、いみなを読まないのが本来であるが、この物語では日本のゲームカルチャーの慣習に合わせ、場合によってはのように諱と字を同時に記すこともある。

 これは他の人名も同じとする。


みずきアン子様、でございますね」

「あたしの名前、知ってんの……?」

「失礼をば。この孔明、現世に情報生命体として召喚されました。こうしてアン子様のスマホを介して現れましたので、個人情報も把握しております」

「そうなんだ、すごいね……」


 古代中国の人である孔明が、何故か流暢りゅうちょうな日本語を話すのも、肉体を持たない英霊存在……情報生命体として召喚されたからである。

 古代中国、それも一八〇〇年以上前からの召喚である。

 必要な情報は、確実に欠損している。その欠損を、現代日本に溢れるさまざまな情報を手繰り寄せ、“諸葛亮孔明”に近い形に抽出し、おぎななって大英霊として顕現したのだ。

 さて、本編のもうひとりの主人公であるこの少女についても説明しよう。

 彼女は、劉アン子。劉杏子みずききょうこと書くが、彼女の友人たちはアン子、アン子と親しみを込めて呼ぶ。

 孔明がアン子と呼んだのも、本名を直接呼ぶのは失礼に当たるという当時の習慣からであった。

 辿れば渡来人とらいじん末裔まつえいらしいが、日々の生活の中で意識するようなものではない。

 

僭越せんえつながら、アン子様の個人情報を拝見はいけんする形となりましたこと、どうかお許しを」


 孔明は、拱手こうしゅの礼を取る。

 右の拳を左手で包む、中国のあの礼だ。しかも膝をついた、大事である。

 中国では、男子の膝には黄金が埋まっているとも言われるほどで、滅多なことでひざまづくことはない。

 一生に一度あるかないか、深い感謝と礼を捧げるという意味だ。

 アン子が知るよしもないことである。


「待って待って、なんであの孔明さんが、あたしなんかに膝ついてるんですか!? ……あたし、ただの女子高生なんですけど!」

「アン子様は劉姓りゅうせいをお持ちです。この孔明、先帝陛下とともに漢室復興かんしつふっこうを志した身でございますれば、我が君アン子様に臣下の礼を取るのは当然のこと」

「ええええええ……」


 劉氏を名乗るのは、漢王朝成立期に高祖こうそ劉邦りゅうほうに連なる血縁に限られた。

 孔明が仕えた劉備も、中山靖王ちゅうざんせいおう劉勝りゅうしょうすえを称することでその正統性とした。

 渡来人の末裔であるアン子が漢の国姓であった劉氏に連なるかどうかはまったく不明である。

 そもそも、劉姓は中国五大姓のひとつであり、いろいろあるのだ

 ともかく、孔明はアン子の姓を理由に臣下だと告げたのである。


「アン子様がしんをお呼びになられたのは、我が献策けんさくを求めてのことと存じます。いかなる大望をお持ちでおられますか?」

「大望っていわれても……」


 一介の女子高生に、漢室復興も天下を治める望みもあるわけがない。

 ただ、やりたいこというなら、ある。あるのだ。

 握りしめたスマホに目を移す。

 さっき、インストールしたばかりのアプリが起動している。

 仮想のサイコロを振ることができるもので、すべて1の目が出ている。

 操作ミスによって百個ほど振った結果なのだが、この目が出るのは、6の100乗分の1という天文学的な確率である。


「わかりやすく申しますと、やってみたいことにございます」

「やりたいこと、あります! あるんです!」

「なれば、臣この身をもってその願いを叶えましょう」

「孔明さん、あたしに“TRPG”っていう遊びを教えてください――!」


 こうして、スマホアプリのダイス事故で召喚された伝説の軍師、諸亮孔明は現代日本の女子高生にTRPGを指南することとなったのである。

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