第2話 別れの挨拶


 こうして俺は、人間として生まれ変わった。犬だった頃の記憶をそのまま持った状態で。

 そのせいで最初は本当に大変だった。

 まず、立てるようになるまでに非常に長い時間を使ってしまった事だ。

 人間は数字で物事を管理しているみたいで、それに倣って立てた時期を言うと生後大体六ヶ月だな。

 そこから自由に動けるようになるまでにさらに時間がかかり、二歳になってようやくだったんだよ。

 本当、そこは犬の方がよかったと思うんだけど、その分寿命は人間の方が遥かに上だから仕方無いのかもしれない。

 でもこんな事は些細な問題だった。

 一番の問題は人間の社会っていう、超複雑なシステムだ!

 マジで何なの!?

 まず飯を食うのに金っていう奴が必要だし、その金を得るには働かないといけないという。

 それに結婚ってシステムがあるらしく、雌――今は人間になったんだし、女と言おう。つがいとして選べる女は一人だけらしい。

 複数人の女を囲うと犯罪らしく、刑務所っていう建物にぶちこまれるんだとか。

 

「……言っておきますが、人間の生活はあなたが思っているほど良いものではありませんよ?」


 あの時、女神が言っていた事はこういう事だったんだなぁ。

 本当に覚える事が多過ぎて、頭が痛くなる。

 だけど見るもの覚えるもの全てが新鮮で、辛い事もあるけど楽しく過ごしていた。


 そうだ、自己紹介を忘れていたな。

 俺の名前は家入いえいり 玲音れお。アメリカ人の母親に日本人の父親との間に生まれたハーフだ。

 現在俺は十二歳の小学六年生。前世で殺伐とした犬世界を生き抜いたせいか、ちょくちょく達観している小学生と言われていた。

 見た目に関してははモデルをやっている母さんの金髪と碧眼を受け継いで、建築家の父さんからは体型を受け継いだ。

 この体型が本当厄介で、お相撲さんとまではいかないけど、ふくよかであった。

 おかげであだ名は《金髪カービィー》になった。

 くっそう! それもこれも母さんが高カロリーだけどめっちゃくちゃ美味しい飯を作ってくれるからだ!

 愛してるよ、母さん!!

 

「玲音ちゃ~ん、今日もまんまるで可愛いわぁ♪」


 今は朝の七時。

 学校の日なので起きた後自分の部屋を出て、リビングまで移動した瞬間母さんに抱き締められる。

 母さんこと家入 ソフィーナは現在三十二歳。十八歳で日本にモデル活動しに来日した際、父さんを見て一目惚れして全力全開アタックを仕掛ける。

 その美貌と抜群のスタイルを武器に、見事に父さんを落として結婚。そして二十歳で俺を出産した。

 出産後も体型を一切変えずにモデル活動を続け、今は頻繁にバラエティ番組に出る程の人気芸能人となっている。しかし家族優先で、深夜収録になる仕事は全て断っている。

 ちなみに、デブ専だ。


「おはよう、母さん。そしてくっつきすぎ!」


 俺は頬擦りして可愛がってくれている母さんを、軽く突き放す。

 別に本気でいやがっている訳じゃない。恥ずかしいんだよ、いい香りがするしでっかい胸が押し付けられるし。

 思春期に突入している俺にとって、母さんはちょっとした毒だ。


「あんっ、これが反抗期ってやつね……」


「違うから」


 俺はリビングの自分の席に座る。

 向かい側には父さんがいた。


『おはよう、父さん。陽気な朝だな』


『おはよう、玲音君。今日も流暢な英語だね』


『父さんもね』


 うちの大黒柱である家入 和成かずなりは、一言でまとめると温厚な人柄だ。

 普段はほんわかとしていて、滅多に怒る事はない。

 しかし仕事は超一流の建築士で、母さんと結婚した際に母さんのご両親にしっかり挨拶出来るようにと、血の滲むような努力で英語を覚えた努力家でもある。

 国際結婚は様々なハードルがあると言われているが、そのハードルの一つである言葉の壁を乗り越えたおとこなのだ。

 仕事に関してはほぼ在宅で、きっちりと家族との時間を大切にする人だ。

 そんな父さんと俺は何故英語で話しているかというと、俺の教育の一環らしい。

 年に数回母さん側のおじいちゃんとおばあちゃんが遊びに来るが、彼等は日本語が一切出来ない。

 その為俺達が合わせる必要があったらしい。だから小さい頃から父さんとは英語で話し、母さんとは日本語で話すという習慣が付いていた。

 おかげで俺はバイリンガルとなった。

 というか、人間よ。言語をあまりにも作りすぎだろう。

 統一しろよ、統一!

 統一出来ないからこそ、世界は争いに満ちているのではないだろうか!

 うん、未だに理解できない部分が多いよ、人間の世界。


『玲音君、そろそろ引っ越しの準備は出来たかい?』


『うん、何とかね』


 そう、俺は今の学校を卒業と同時に、生まれ育ったこの町を離れなくてはいけないんだ。

 どうやら父さんが東京の知人と大きな事業をやるみたいで、拠点を東京に移すのだそうだ。母さんは逆に仕事がやりやすくなって喜んでいたなぁ。

 俺に関しては友達も少なからずいるから離れるのは寂しい。でもスマホで連絡は取れるし、引っ越し先もこの町から電車で二時間位だから行けない距離ではなかった。

 卒業式まで後二日。もう引っ越しは目の前まで迫っていた。


『玲音君は読書とゲームが好きで、かなりの量があるからね。大変だっただろう?』


『……正直苦労した』


 俺の趣味は読書とゲームだ。

 前世の頃にはなかったものばかりで楽しかったから、俺はひたすら読み漁ったし、家の家事手伝いをやって貯めたお小遣いでゲームも買った。

 量も膨大になってしまい、段ボールに積める作業をやっただけで絶賛筋肉痛だ。まぁ俺のこのふくよか体型のせいでもあるんだけど。


『お友達にはお別れの挨拶は済んだかい?』


『まぁあらかたね。後は今日の帰りにちょっと挨拶して完了だ』


『ふふ、流石手際がいいね。やっぱり玲音君は小学生には思えないよ』


 そりゃそうだ、前世は犬で十何年か生きていましたからね。

 俺はいつもの通り朝食を済ませ、いつもの通り通学して授業を受けて学校を終えた。

 いつもなら友達と家まで帰るんだけど、今日はちょっと違う。

 最後に、あいつらに挨拶をしていかないと。














『ボスぅ、行かないでくださいよぉ』


『寂しいですよぉ』


『ボスがいなかったら、俺達どうやって生きていけばいいんですかぁ』


「自分で考えろ、自分で」


 挨拶している奴等は、犬だった。

 どうやら転生する時に女神が俺に対して、適当に何か能力を付け加えたらしい。確かにあの時、適当にポイントを振り分けていいとは言ったけどさぁ。

 通常の人間だと人間以外の言葉は分からないのだが、俺は犬限定で言葉も分かるし喋る事も出来た。

 小さい頃からここに住んでいた俺は偶然こいつらと出会った。そして時間を掛けて飢え死にしないように様々な知識を教え込んだら、いつの間にか俺はボスとして持ち上げられてしまった。

 まぁ、いいんだけどさ。


『ボスのおかげでニンゲンにも捕まらないですし、本当感謝しかないです!』


「俺もその人間だけどな」


『いやいや、ボスは俺達の言葉がわかる時点でニンゲンじゃないですよぉ』


 じゃあ俺の存在は何なんだ?

 とりあえず、置いておこう。


「とにかく、今度からお前がボスになるんだ。しっかりと皆を導けよ?」


『……俺がボスの代わりが出来るんだろうか』


「出来るかどうかじゃない、やれ。俺からの最後の命令だ」


『命令ならば、やるしかないな』


 こいつはブルドックの雄。小さい頃に人間に捨てられたらしい。

 理由はわからないが、こいつは心底人間を恨んでいるところを見ると、なかなか酷い捨てられ方だったんだろうな。

 俺にも何度か噛みついてきたけど、頑張って会話をして今では俺を慕ってくれていた。


「気張るな、今まで通りにやればいい。お前なら出来るさ」


『ああ、絶対に生き延びてやる』


「その心意気だ。んじゃ、俺は帰るよ」


『待ってくれ、ボス。最後にボスに渡したいものがあるんだ!』


「ん? 渡したいもの?」


『ニンゲン共は別れる時に何かをやるっていう習慣があると聞いた。だから俺達の大事なものを持っていってくれ!』


 こ、こいつらぁ~。

 何ていい奴等なんだよ!

 前世の時でもこんな風な事してくれる奴は、誰一人もいなかったぞ!!


 涙が出そうなのを堪えていると、ブルドックが持ってきたのは――――骨だった。

 

「……えっ、なにこれ」


『俺達が持っている大事な骨だ……上物だけど、ボスにくれてやる。今まで本当にお世話になりました!』


 俺の手に何かの骨を置いた後、皆が一斉に吼えた。

 悲しみを表した遠吠えだ。

 あは、あはははは。

 前世だったら嬉しかったんだけど、今となっては骨はいらねぇなぁ。

 何で昔はあんなに骨が好きだったんだろうか、よく分からないけど。

 と、とりあえず貰おう。

 人間は貰い物を無下に扱ってはいけないらしいしな。


「あ、ありがとう。すごく嬉しいよ……」


『喜んでもらえて何よりだ!』


 こうして俺は犬達に別れの挨拶を告げる事が出来た。

 大事な仲間であるから、正直別れるのは辛かった。

 だけど今俺の頭の中では、貰った謎の骨をどうしようかという事で一杯になっていた。

 マジでどうしようか。

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