第3話 お隣への挨拶
無事、卒業式が終わった。
十二年、この町で生きてきたんだから、俺もそれなりに愛着があった。
後ろ髪が引かれる思いだけど、卒業式が終わった瞬間に俺は家に真っ直ぐ向かった。
帰宅するとすでに荷物は引っ越し業者のトラックに全て詰め込まれていて、いつでも出発出来るような状態だった。
(長年住んだ家ともお別れかぁ。ちょっと寂しいなぁ)
俺は父さんに促されて、トラックに乗る。
実は今回の引っ越し、あまりにも持っていく荷物が多くてトラック二台分用意していた。一台目のトラックには父さんが、二台目のトラックは俺、そしてうちの乗用車は母さんが運転していく形になった。
そして出発する直前に、トラックの後ろから声がした。
「元気でな、金カビぃぃっ!」
「離れてても、俺達、友達だからなぁ! 金カビっ!」
こいつらがつけたあだ名のせいで、本当に友達として思ってくれているのか疑いたくなるなぁ、おい。
でも、本当に仲良くしてくれた大事な友達だった。
「ありがとうな、皆! 俺、絶対にまた遊びに来るから!!」
「約束だからな、金カビ!!」
「あのなぁ、最後位名前で呼んでほしいんだけど!!」
「……お前の下の名前、何だっけ?」
え、お前マジでいってんの?
金カビ言い過ぎて、俺の下の名前忘れてるとか、どんだけだよ!
「おま……いいか、俺の下の名前はれ――ちょっと、出発するの!? ちょっとだけ待って、あいつらに俺の名前を言わせるから、まってぇぇぇぇ!!」
何だよ、この別れ方!
ただのギャグじゃないかぁぁぁぁぁ!!
無情にもトラックはエンジンを吹かして進んでしまう。
こんな、こんな終わり方って、マジでないよ。
「……ぐす、じゃあな、玲音」
エンジン音の中に小さく、あいつらの声がぼそりと聞こえた。
俺の秘密その二、俺の聴力は犬並みに良いんだ。だからどんな小さな声でもあの距離なら聞き逃さない。
何だよ、照れていただけかよ。
俺は窓から上半身だけ出して、大きく手を振った。
また会おう、大事な大事な、俺の友達。
東京までは本当に遠かった。
高速に乗って約五時間。パーキングエリアで何度も休憩を挟んで移動し、やっとの思いで到着した。
トラックの乗り心地は最悪で、ふくよか体型の俺にとってはお尻が非常に痛くてたまらなかった。
どうやら父さんも同じだったらしく、二人して真っ直ぐ立っていられなかった。
現在夕方五時半を回っていた。
「玲音ちゃん、今日からここが私達の新しい家よ!」
唯一快適な乗用車に乗っていた母さんだけが元気だった。
俺も、そっちに乗りたかったなぁ。
さて今度の俺達の家は、前より大きい。
二階建てである事は変わらないんだけど、俺の部屋は何と十畳もあるんだ!
以前の部屋はゲームと本が埋め尽くしちゃっていて、随分と狭くなっちゃったからな。父さんが俺の部屋を広くしてくれたんだ。
そして一階には父さんの職場兼事務所のスペースがあり、仕事がやり易くなったと喜んでいた。
母さんはダイニングキッチンを前々から欲しがっていて、この新しい家ではついにそれが叶ったと大喜び。
これも二人の稼ぎが他の家庭より収入があるから出来た事なんだと思う。
『玲音君、お隣さんに挨拶しに行くよ。一緒に行こう』
『わかったよ、父さん』
父さんに英語で呼ばれて、俺は急いで両親の後を付いていく。
こういう引っ越しでは、ご近所に挨拶に行く習慣があるんだそうだ。
前世では考えられない習慣だな。
犬同士だったら、縄張りを奪うか守るかのどっちかだったから、隣と仲良くやろうってつもりは一切なかったからなぁ。
まずは一軒目。父さんが家の代表として、隣の家のチャイムを鳴らす。
出てきたのは老夫婦だった。
父さんは自己紹介をして、予め買ってきていた粗品を渡す。
といっても全然粗品じゃなくて、そこそこ高いメロンなんだよな。
「おお、おお。これはご丁寧に。しかし奥さんはベッピンさんじゃのぉ。しかもぐろーばるっちゅうやつかの? 羨ましいですのぉ」
「あはは、うちの妻は僕には勿体無い位の素晴らしい女性ですよ」
おっ、父さんの日本語、久々に聞いた。
さてこのじいさん、なかなかお話好きらしく、軽く挨拶だけで済ませる予定が二十分も捕まってしまった。
全然悪い人ではないから断りにくく、三人揃って抜け出すタイミングを見失っていた。
でもまぁこの人となら、良い近所付き合いが出来そうだ。
次のお隣さんにも挨拶に行った。
さっきと同様に父さんがチャイムを押して、先程と同様に父さんが代表で挨拶をした。
多分うちの両親と同年代位なんだろう、優しそうな夫婦だった。
「あら、もしかしてですけど、ソフィーナさんじゃないですか!?」
「はい、そうですよ」
おっと、お相手の奥さんがうちの母さんの事を知っていた。
まぁテレビで出てるからねぇ、知ってる人もいて当然か。
「私、貴女の大ファンなんです! サイン頂けますか!?」
「ええ、それくらいなら喜んで」
おお、母さんは見事な芸能人スマイルでお相手二人を魅了しているな。
差し出された紙に手慣れた手付きでサラサラっとサインを書くあたり、流石芸能人だなぁって思う。
有名人の母親だと、俺も誇らしくなるな。
そして、そんな母親と今でもラブラブな父さん、男として尊敬するわ。
「そうだ、家入さん。私達の家にも玲音君、だったかな? 来月中学になる息子がいるんです」
「そうなんですね」
「ええ。是非うちの息子と仲良くしてください。今ちょっと遊びに行っちゃってていないんですけど」
「では、またタイミングが会ったら紹介してください」
どうやら俺と同い年の男子がいるらしい。
そんな奴なんだろう、仲良く出来るといいなぁ。
っていうか、この町、どっか見覚えがあるんだよな。
もしかして前世で来た事あるんだろうか?
うーん、群れのボスになる前は色んな所を歩き回っていたし、もしかしたら通過した事があるのかもしれない。
「それでは、今後とも宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします!」
両家が握手をして、俺達は立ち去る。
その直前、俺の鼻がとある匂いをキャッチした。
このご家庭の今日の飯はカレーか。
何だろう、良い匂いだったから無性にカレーが食べたくなってきたぞ。
俺はお隣の家を出た後、母さんにねだった。
「母さん、今日のご飯はカレーがいいな」
「あら、どうして?」
「さっきの家からカレーの良い匂いがしてさ、食べたくなったんだ」
「え? そんな匂いしたかしら?」
母さんが父さんに意見を求めたが、父さんも首を横に振る。
「まぁ俺が食いしん坊だからかもしれないけど、良い匂いだったから」
「んんっ、お願いを叶えてあげたいのだけれど、今食材がないのよぉ。明日でいいかしら?」
「うん、お願い!」
よし、明日はカレーだ!
母さんが作るカレーは旨くて本当に好きなんだよね。
あっ、さらっと出てきたけど、これが俺の秘密その三。
嗅覚も前世と同様に人間以上らしい。
つまり俺は、人間の姿を持ったまま、犬と同等の能力を持ち合わせているという訳だ。
時たま本当に俺は人間なんだろうかと思ってしまうが、多分人間だ。
とりあえず四月までは休みなんだし、色々町を探索しよう!
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