市立病院

 メメットはペンを置き、彼らを病室へ入れても良いという旨を記した紙を二人の目の前に置いた。

「持っていくといい。病院はここから北西に二十分程だ。分からなければ一度駅に戻って、タクシーで向かうといい。駄賃としては少ないかもしれないが、使って欲しい」

 メメットは懐から二万ファルツ紙幣を取り出して、紙に添えた。

「こんなに...!」

 イレブンが申し訳なさそうにファルツ紙幣を返そうとしたが、メメットは首を振るう。受け取る気はないらしい。

「......ありがとう、ございます」

 イレブンは紙と金を受け取り、固まったように動かないエルリックを軽く小突いた。エルリックは少し首を動かし、それからゆっくりとソファから立ち上がる。

「...ありがとう、ございます、です...。聞かせて、くれてよ」

 少し片言な敬語にメメットとイレブンは目を丸くし、それからメメットは唇をゆがめた。

「君は、世間では殺人鬼だと騒がれた人間であるようだが、本当にそうなのか疑ってしまうな。...やはり百聞は一見に如かず、といったところか」

「...........なんだそれ」

「ははっ、それで構わないよ。...その髪留めは大切にしてやってくれ」

「...........っああ」

 エルリックは静かな声でそう言い、すくっと立った。イレブンも遅れて立ち上がり、メメットへ頭を下げた。二人は部屋の外へと出て行った。

「アイラ...、良い友人を持ったな」


 エルリックとイレブンはドトール社から出て、すぐに足を止めた。彼の目の前では気丈に振る舞っていたが、アイラが病院に居ると聞いて平静を保てるわけがなかった。

「場所、分かるわ。病院の情報は一通り頭の中に入っているから。どうする?一旦キナン達の所に帰ってもいいけど。今のままなら夕方になるまでには帰れるわ」

「行く」

 イレブンは予想していた彼の答えを聞いて、静かに口元を歪めた。

「分かったわ。ほら、こっちよ」

 イレブンはエルリックの手を握り、彼の手を引いたままメメットの言っていた私立病院の方へ足を向けていた。


 彼の言っていた通り、市立病院までは徒歩で二十分程度だ。その間ほぼ無言で白い病院の建物が見つかるまで、二人は一言も会話を交わさなかった。アイラがいればまた変わったのかもしれないが、今、彼女はここに居ない。

 病院の中に入ると、受付に居た女性職員にエルリックが声を掛けた。だが上手く丹の句を言えなくなった彼を見かねて、イレブンが彼女へメメットからの手紙を見せて面会を申し込んだ。

 彼女は時計に目をやってから、それから面会を承諾してくれた。部屋番号を書いた紙とメメットから受け取った紙の二つをエルリックの方へ手渡し、気の毒そうな顔をされてしまう。

 恐らく彼女は、アイラの彼氏か夫かのどちらかだとエルリックの事を思ったのだろう。イレブンはその二人のマセた子と捉えたのかもしれない。

 イレブンはそう思ったが特に何も言わずに、エルリックと共にアイラの居る病室へと向かった。


 彼女は三階の角部屋で、一人部屋だった。偶然か、あるいはメメットが計らってくれたのかもしれない。

 ガラガラと音を立てて戸を開けると――、白いベットの上で色々なところに包帯を巻き、点滴を受けているアイラが眠っていた。音に一切反応せず、静かに目を閉じている。

 その脇のサイドテーブルには、曲がった銀縁眼鏡と焦げた万年筆のネックレス、同じく半分程焦げている手帳とポーチが置かれていた。

「...アイラ」

 エルリックがかすれた声でアイラの名を呼ぶ。しかし、アイラの声は返って来なかった。

「......椅子」

 イレブンは部屋の隅に置いてあった椅子を取り、エルリックを座らせた。エルリックは何も言わずに腰を下ろし、アイラの力のない手を握る。

 逃げる時、励ましてくれる時。アイラの手を握る事はあった。だが、ここまで頼りなく、細かったろうか。

 何故か、思い出せなかった。

「...アイラ、何で...、一人で」

 エルリックのかすれた声に、隣に立つイレブンは何も言えなかった。勿論彼女だって悲しい。だが、気持ちを露わにするのは奉仕型アンドロイドの名折れだ。もう荒ぶるのは、エミィやサフィとの別れの時だけにしておきたかった。

 イレブンはサイドテーブルの焦げた手帳に手を伸ばした。

 様々な事がメモされている。丸文字ではなく、すっきりと整った字だ。だが、内容まではよく読めなくなってしまっている。パラパラとめくっていると、一枚の紙が落ちてきた。

 それを拾い上げ、中身を目で追う。今まで見ていたアイラの文字とは違う、女子っぽい丸文字だ。その文字は中央アリステラ地区の住所を記している。


「...エル。これ見て」

 イレブンはエルリックの前にそのページを見せる。だが、文字の読めないエルリックでは首を捻るばかりだった。

「...文字、だっていうのは分かるわね?これ、ゴードン達が仕組んだ事なんじゃないかしら。これを見て、アイラは一人で行こうと思った...、どうかしら?」

 ゴードンやレッドがどこまで市に勢力を伸ばし、力のある人間を掌握しているのか分からないが、ヴァイオレット・ローのように女性の協力者がいてもおかしくはない。それが、カジノ内に混じっていたとしてもおかしくはないだろう。

「ここから近いか?」

 低い声で、エルリックは読めない文字をただじっと見た。

「......正反対。一旦帰りましょ。また明日行けばいいわ」

「...........なぁ、イレブン。悪ぃんだけど、少し出て待っててくれ。すぐ、終わらせるからよ」

「エル」

「頼む」

 イレブンはエルリックの横顔を見た後、手帳から焦げたメモを取ってから、静かに頷いて病室から出て行った。足音が止んだのを聞いてから、エルリックはゆっくりと口を開いて語り始める。


 自分が南アリステラ地区で生まれた事。シスター・レイファと出会い、彼女のお陰で一時期は全うな人間になったのだという事。しかし、孤児院が襲われ彼女が死に、殺人鬼へと堕ちた事。

 彼女の過去をメメットが全て知っているとは思わない。彼の記憶違いもあるだろう。だが、彼は、アイラに己の事を伝えておきたかったのだ。


「早く起きろよ...」


 エルリックは自身の力を込めるように手を握り、それから病室を出る。戸を開けてすぐの横の壁に、イレブンは腕を組んで待っていた。

「行きましょ。私達に止まってる暇は、ないでしょ?」

「そうだな」

 ぐしゃ、とエルリックは自身の黒い前髪を乱雑に乱すと、二人で病室の前を後にした。


 家に戻ってアイラの事を言うと、キナン達は目を丸くして落ち込んだ。

「じゃ、これからどうするの?」

 シャルティエからの当然の質問に、イレブンはアイラの手帳から取って来た焦げたメモを見せた。

「ここに向かおうと思うわ。今のあたし達に行ける場所はここしかない」

「少しここから南西になるっぽいね。今日は俺達、警察署に行って地図もらってきてたんだ。はい」

 フラウは使っている部屋から地図を持って来た。既にいくつか三人は印を付けていてくれたようで、自分達が今いる家の位置と駅の位置、その他主要そうな施設の上にもバツ印が書かれている。

「で、その住所の場所っぽいのは、ここかな...」

 フラウの指差した場所は、旧カルト邸と記されている場所だった。

「旧、って事は、昔の貴族の家か?地図に記されるくらい有名な」

「キナン知らないの?前の市長さんだよ。不祥事があって辞職しちゃって、その後色々追われたとかなんとか」

 シャルティエは昔の記憶を呼び起こすように、頭に指先を当てながらそう言った。

「うー、記憶力悪くなってるなぁ、私」

「いや、充分だよ」

 ありがと、とフラウがシャルティエの後ろ髪を撫でると、シャルティエは嬉し気に目を細めた。

「じゃ、明日向かうのか?」

「あぁ、行く」

 キナンの問いにエルリックはしっかりとした声で返した。

「精神的に、参ってない?一回ゆっくり落ち着いて、それから明後日でも」


「早くケリをつけてやりてぇんだ」


 芯の通ったエルリックの声に、シャルティエはぐっと口を閉ざした。それから「分かった」と彼女はすぐに返事を返した。


 一人抜けただけでこうも関係がガタガタしてしまうものなのか。イレブンはそう言いたくてしょうがなかった。

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