死を胸に刻んだ女

 アイラ・レインの母親は、彼女を産んですぐ、病気にかかり亡くなってしまった。その為か、彼女は戦場ジャーナリストの父親に男手一つで育てられていた。

 それが影響してか、彼女は父親に憧れを抱き、ジャーナリストになりたいと子どもの頃から夢を抱いていた。

 そんな彼女に父親は、様々な言語を教えてやったり、職場へ連れて行き色んな物を見せてやっていた。

 その職場というのが、メメットのドトール社であったのだ。アイラは社員からよく可愛がられ、記者としてのスキルも身につけていった。

 つまり、英才教育に近いものを受けていたのだ。

 しかし転機が訪れる。

 アイラの父親が、神帝戦争で命を落としたのだ。取材中、ヴェルドロー帝国の軍事学校生から編成される法石使いの少年少女部隊の攻撃で壊滅してしまった基地に、偶然いたらしい。あまりにも突然の別れにアイラは涙を見せる事もなく、ただ父親と同じ道を進み、彼の伝えたかった事を自分が代弁しようと強く思った。


 そしてアイラはドトール社へ入社し、すぐにパートナーと選ばれた人間と面会する事になった。新入社員はパートナーとなる先輩から三年間、記者としての心得を指導されるのが、ドトール社の指導方法だ。その為か、この社は有名になったのだ。

 アイラの担当は、バロン・フィリップという男。当時凄腕の記者として、アイラの父親から指導を受けていた男だった。

「は、初めまして、アイラ・レインです!貴方から指導が受けられるなんてとても光栄です!」

「ふーん......よろしく」

 初対面はなかなかよくなかった。


 二人はドトール社でも有数の名コンビへ成長していった。元々バロンはアイラの父から記者のイロハを教わっていたので、それの恩返しの気持ちも強かったのだろう。あるいはアイラが我慢強かったのかもしれない。バロンとコンビを組んだら一カ月で解消するという、社内の一つの定説はアイラの力によって崩された。

「先輩!いい加減記事書いてください!取材は行くのに書かないって、記者としてどうなんですかそれ!?」

「うるさいなぁ。俺は取材お前は記事。新人が書いてもいいだなんて、普通からしたら充分だろ?文句言われる意味が分からないな」

「なんですか?面倒臭いの押し付けでしょ?!」

 が、本人達の様子からでは、アイラとバロンは名コンビというには程遠いように見えた。

 だが、仲が悪過ぎるわけではないようでもあった。バロンがアイラへ長い髪をまとめられるようにと可愛らしいヘアゴムをプレゼントした時は、社内で天変地異が起きると騒ぎになった時もあった。


 そんな凸凹コンビは様々な記事を書いていき、成長を感じたメメットはバロンも居る事から二人へ最大の案件を預けた。それがゴードン・エルイート市議とレッド・ディオールの二人の間に裏金の取引があるのかという事を裏付ける何かを見つける、というものだった。

「行くぞ、アイラ」

「命令口調やめてください!」

 二人はいつものように言い争いながら、会社から出て行った。

 メメットは喧嘩ばかりする兄妹を温かな目で見送る父親のような気持ちで見届け――、これが二人が揃った姿を最後に見た時だった。


 バロンはすぐに知り合いの情報屋や仲間と連絡を取り、ゴードンと会談する日にちを取り付けた。

 アイラは彼へ文句を言いつつも、バロンの情報の得方や話術をしっかりと学んでいた。

 そして、バロンとアイラはゴードンの指定してきたビルの一室で会談をする事になった。塵一つないほど美しい部屋に、ゴードン・エルイートは座っていた。

 テレビや雑誌の写真と同じ、七三分けの黒髪と夕焼けを思わす緋色の瞳はバロンとアイラを見ている。その視線は鋭く、アイラは少し声を詰まらせた。高そうな灰色のスーツに身を包み、その胸元には市議を示す金色のブローチが付けてある。

 ゴードンはソファに座るよう二人へ促し、バロンとアイラはソファへ腰を下ろした。

「どうも、こんにちは。バロン・フィリップです。ドトール社の記者で『G・アリステラ』の」

「知っているよ。君が私に電話した時に教えてくれたじゃないか。...そちらのお嬢さんは?」

「同じく、『G・アリステラ』の記者で、アイラ・レインと申します」

 レインの部分で彼はぴくっと肩を動かした。

「アルフレッド・レインさんの娘さんか」

「っ父を知ってるんですか?」

 ゴードンは静かに頷き、「有名だったからね」と付け足した。バロンは少し目を細め、小さく咳払いをして話を元に戻そうとする。

「今回は会談の機会を設けて頂きありがとうございます。...俺達は、貴方が裏金を得ているのではないかという見解を持っています。その証拠もあります」

 ゴードンの表情は変わらない。静かにバロンの目を見ている。

「単刀直入に。貴方はレッド・ディオール博士と金の繋がりがある。そして、近年異常にアンドロイド計画を進めていますね?アンドロイドの内部に隠されているという「救世主プログラム」とは、なんですか?」

 アイラの知らない情報を、バロンは口にした。

 バロンはアイラが見ていない間に、情報屋や彼の近くの人間を買収して、ゴードンの考えている計画の内容のやや深い部分まで知っていた。レッドや彼ら二人と親しかったというミリアムという女性に話が聞ければよかったのだが、残念ながら接触する事は出来なかったのだ。

 それ故、深い部分は知らない。だが、ゴードンが真実を話す為には必要な切り札だった。

「...君は、そこまで知っているんだな」

「ほんの少しですよ。...そのプログラムがどういった動作をするのか、何故そんなプログラムを埋め込んでいるのか、そんな事までは知りません。そういうわけでまずは、」


「私とレッドは確かに繋がっていますよ。お互いに金を出し合い、お互いを助け合っています」


 あまりにもあっさりとした発言に、バロンは肩透かしを食らった気分だった。レコーダーとメモを取っているアイラも、その口振りに目を丸くした。

 バロンと共に取材をして一年と少し。ここまであっさりとした証言取りは初めてかもしれない。

「どうしましたか、唖然とした顔をされて」

「...すみません、取り乱しました。...それで、」


「貴方達は、この世界をどう思いますか?」


 突然の宗教じみた言葉に、バロンとアイラは完全に言葉を失った。テレビやラジオなどでマニュフェストを語っている時の口調ではない。冷静さを欠いた、熱のこもった声だ。

「私は、おかしいと思う。子は親を選べない。というのに、この世界は身分で自らの運命が決まってしまうと言っていい。飢餓、貧困、戦争...。それらは廃絶すべきだと思わないかい?」

「それは、そう思いますけど...」

 アイラが頷く。

 もし戦争がなければ父は死んでいなかった。飢餓も貧困も、決してそのままにしておいてよいとは思わない。

「そうだろう。私の亡き友人、カノン・オーフェリアもそう考えた。人が平等ではない世界を壊し、人と人が同じ立ち位置であれるような理想郷。その願いを、私は彼女の代わりに叶えてやりたいんだ」

 その為にゴードンとレッドが考えたのが、アンドロイド計画。人間が全て同じ意思になれば、誰も争いをしないだろう。アンドロイドに人間を洗脳して支配できる電波を流せる機器を内部に取り付け、世界中にばらまく。そして世界全てに渡った時に、電波を流して人々の自由意思を消す。そして、争いを世界からなくすのだ。


「...その計画では、誰かがその自由意思を消した人間の統率を取るように聞こえるんですが。全人類を平等にしたければ統率を取るような上の人間がいるのは、貴方の心情に反するのではないですか?」

 バロンは演説のように語るゴードンへそう訊ねた。

 アイラもその点は疑問だった。誰かが統率を取らなければ、単なる有象無象のゾンビや人形と全く変わらない。生産もなければ、消費もない。ただ、人間がそこにあるだけの存在と化してしまう。しかし、消費が起これば当然競争という争いが起きる。それはやがて、戦争というものを起こすかもしれない。

 ゴードンはにっこりと笑って答えた。

「...カノンだよ。あの子が、我々人類のような下等な生き物を従えるに相応しい存在だ」

「...その人物は、貴方の言い分では死んだはずでは...?」

「カノンは生きる。レッドと私の手によってな」

 ゴードンはにこりと笑い、「質問はそれだけかな?」とバロンとアイラへ訊ねた。

「まぁ、聞こうと思っていた事は大体聞けたかと。...どうして、ここまで俺達に教えて...」

 バロンは明らかに訝しぶかしむようにゴードンを見る。彼は微笑んだままで、そして胸の金色のブローチに触れる。

 そして彼はすたすたと扉の方へ歩いて行った。あまりにも軽やかな動きで、バロンもアイラも一歩も動けなかった。

「決まってるじゃないか。冥土の土産だよ」

 その言葉が放たれたと同時に、バロンは瞬時に立ち上がり扉の方へ向かう。だが、彼の目と鼻の先で扉は閉じられてしまった。バロンが体当たりをするも、扉は軋むばかりで開かない。

「っ嵌められてたかっ!?」

 その瞬間、声をかき消すように爆発音が室内で鳴った。窓の近くに置かれていた大きな机が爆発したのだ。そこから床、カーテンと火が燃え移っていく。

「っ先輩...!」

 どうすればいいのか、アイラには分からなかった。じりじりと迫る熱が、死へのカウントダウンのように感じられる。

 バロンは舌打ちした。そして更に扉に向かって体当たりする。何度も、何度も。

 部屋の三分の一に炎が回った頃、ようやく僅かに扉の隙間が出来た。バロンの身体では通れない程の隙間。だが、

「っアイラ、先行け!」

「先輩は!?」

「あー、俺はまぁ、それなりにどうにかする」

 バロンはぐいとアイラを引っ張り、その隙間にアイラをくぐらせようとする。

「こ、こんな細い隙間...」

「お前ならいけるだろ。そこまで胸も尻もないし」

「こんな状況で失礼な事言わないでください!」

 アイラは腰のポーチを置き、身体を這うようにして隙間から何とか身体をくぐらせる。眼鏡がずれたり胸部分が少し引っかかったりという事で焦りはしたものの、何とか廊下に出る事が出来た。

 それとほぼ同じタイミングで、館内に火災放送が流れる。

「おい」

 バロンはアイラのポーチを投げ渡す。アイラはそれを受け取り、急いで隙間を更に大きくしようと扉に手を当てる。

「...アイラ、早く行け。これをドトールさんに届けるんだ。これは本当に、世界に伝えないといけない」

「っ見捨てろ、って言うんですか?!私、そんな事...!」

「考えろ。ここで二人共死ぬべきじゃない。俺を助けてる間にあいつらが戻ってくる可能性だってある。お前だけでも先に行くべきだ」

「先輩が助かる保証がないでしょう!?私、嫌です!」

 アイラが離れようとしない事にしびれを切らしたのか、バロンは勢いよく扉を叩いた。その後ろには炎が迫ってきている。

「...早く行けって言ってんだろ...!俺はお前の父さんに助けてもらった。今度は、俺がお前を助けてやる番なんだ...っ。頼む、アイラ」

 縋るような、掠れたバロンの声に、アイラは何も言えなかった。ただ、どうしようもなく無力な自分が腹立たしく、涙が溢れる。

「先輩...っ!」

「っげほ...っけほけほ...........っ。はやく...いけっての.........っ、のろ、まっげほ」

 その時アイラの視線が、部屋の中で僅かに赤く光る何かを見逃さなかった。ソファが炎で焦げて中のスプリングが露出している、その中で電子版が見えた。大きさは手の平くらいの大きさで、数字は五秒を切っていた。


 赤い文字は、ゼロになる。

 その瞬間、カッと眩い程の光が隙間から洩れ、耳を劈く爆発音が轟いた。ばりばりと扉が軋む音を立てて一部が剥げ、アイラの身体に降り注ぐ。

「あ......あぁ...っ」

 パチパチと鳴る炎がアイラの方へと手を伸ばそうとしている。バロンの声が聞こえてこない。


「っ...!なんで、なんで...っ、っああああああああああああああああああああああああああ!」


 それは甲高い絶叫だった。しかし、すぐに止んでしまった。


「............死ななかった、か」


 そんなぐぐもった言葉を、意識が薄れていくアイラは聞いた気がした。


 次にアイラが目を覚ました先は、車と思われる乗り物の中だった。曖昧であるのは、目に布を覆われていたからだ。排気ガスの音や揺れ方から、恐らく車であるとアイラは推測した。

「.........ん、あぁ、起きたの?」

 若い男の声だ。ゴードンの声ではないのはすぐに分かった。もしかしたらレッド・ディオール、かもしれない。

「君、二日くらい気を失ってたよ。今から向かうのは〈大監獄〉だ。ボスが君をそこにぶち込んで、もう二度と邪魔をさせないように。あ、最後に何か一つ俺がお願い聞いてあげるよ?何がいいか、考えておいてね」

 あっけらかんとした調子でそう言われたきり、彼は何も喋らなくなった。

 その沈黙の中、アイラはただひたすらに空虚に空いた胸の痛みに震えていた。バロンの姿を思い浮かべる度に、身体が震えてじくじくと痛む。


――私は、先輩を、救えなかった。


 隙間から僅かに見えた、彼の笑顔がアイラの心の中から離れなかった。

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