それぞれの役割
中央アリステラの夜は明るい。夜遅くまで大人達は歯車のように淡々と働いている。
中央アリステラ地区の北外れにある違法カジノ―クラウン・ド・ティアラもまた、他に負けない程煌々とした明かりを放っていた。そこには煌びやかな恰好をした男女が中へと入って行っていた。
「っとと...」
そこへ向かう段差の小さな階段に、少女は足をつまずきそうになって身体のバランスを崩す。その腕を隣に立っていた青年が慌てて彼女を支える。
「大丈夫、シャル?」
フラウは、いつもの恰好とは違うタキシードに身を包んでいた。黒い背広に清潔感のある白いシャツ、すっとした黒のパンツは彼の細い脚を強調する。いつもよりは閉められている胸元だが、第一ボタンは外されている。更にネクタイも締められていない。
彼に支えられているシャルティエも、いつものボーイッシュな恰好とはまるで違った。ヒールの高い靴に、膝丈の夜空色のバブルドレスを着ている。いつもは隠れている白雪の色をした鎖骨や肩は、大きく露出している。筒状のチャームの付いた銀のネックレスは、胸元でふらふらと揺れている。
その恰好では、明らかにヘッドフォンは浮いていた。
「...うーん、迷惑かけてごめんねフラウ」
「ううん。慣れないんでしょ、ゆっくり行こうか」
フラウはサラッと微笑んで、シャルティエの腕から手を取る。なまじ彼は顔が非常に整っている為、恐ろしく美しい。それが更に見慣れていないタキシードによって引き立てられている。
現に、カジノへ向かう女性客も男性客も、フラウの美しさに目を奪われているようである。
それを向けられているシャルティエといえば、フラウの無邪気な微笑と周りの様子を見て、彼の貞操を守らねばならぬと思った。
一方のフラウは、いつもと違う目の前の家族に内心ドキドキしていた。周りの人間が彼女へ向けているであろう視線を感じ、やはりシャルティエの綺麗さは常人ではない事を理解する。
「...?どうしたのフラウ?」
ぼうっとしているフラウを、不思議そうにシャルティエは顔を覗き込んだ。
「う、ううん。何でもない」
「...そ。一応ネクタイとかはしてないけど、日頃の服よりはまだ首回り詰まってるから、苦しいのかと思った」
彼の首輪に対するトラウマを知っている彼女は、不安そうにそう言った。フラウはふるふると首を振るう。
「ううん、平気だよ。...行くよ、シャル」
「うん、フラウ」
フラウとシャルティエがカジノへ足を踏み入れてから数分後、背の高い青年と少女がカジノの入り口前に立っていた。
「ほら、もう上着を着なさいよ」
「暑いんだよ」
キナンもフラウと似たようなタキシードに身を包んでいる。違いといえば、彼の目と同じ色のネクタイをしているというところだろうか。
彼の横に居るイレブンは、ふんわりした白色のドレスに身を包んでいる。肩に描かれている数字の刺青を隠す為、袖のあるものにしているせいかドレスというよりはワンピースに近い形状に見える。
キナンはその背広を脱いで片手に持ち肩に乗せ、イレブンの窘める声など気にした様子もない。ふわ、と軽く欠伸をしてネクタイを緩めようとするその腕を、イレブンは思い切り引っ張った。
「それ以上着崩したら、怒るわよ」
「フラウは許されてたじゃん。ネクタイなし」
「それは首が締まってるのを着ると、首輪のトラウマを思い出すからって言う正当な理由があるからよ。キナンにはないんでしょ?」
「今起きた」
あっけらかんとした様子で平気で嘘を述べる彼に、イレブンは眉を思い切り寄せた。
イレブンは己が奉仕型アンドロイドで、人に手を出す事を許されていないという身の上を、たった今酷く恨んだ。
「っとにかく!駄目!」
「はいはい」
キナンは自身の染めて痛んだ黒髪に指を通し、それから不服そうに頬を膨らませているイレブンへ笑いかけた。
「それじゃあ行きますか、イレブン」
「...あたしを怒らせない程度にコイン稼ぎ、しっかりと頑張って頂戴、我が
イレブンはそう言い終わると、彼の三歩後ろへ身を置いた。
キナンは彼女のあまりの変わり身に目を丸くしてぞわりと鳥肌を立たせるが、何も言わずにフラウ達同様にカジノ内へ入って行った。
それから更に数分後、正装に身を包むアイラとエルリックが立っていた。
エルリックは着慣れないタキシードの服の袖を何度も触っている。
「こんなもん、よく着れるなぁ」
「あはは、慣れだよ。エルは初めて着るわけだし、しょうがないって」
アイラはくすくすと笑う。
そんなアイラはスリットの入ったワインレッドのドレスを身に付けている。腰は黒いサッシュでくびれを見せ、飾り部分は薔薇になっている。
エルリックは苦しそうに眉を寄せ、ネクタイに何度も触れる。それを見かねて彼女はエルリックの首元の方へ手を伸ばしてきた。
「な、なんだよ」
「え。苦しいならネクタイ少し緩めてあげようかなって」
アイラはこてんと首を傾ける。
日頃、長袖の服を着て肌の露出が少ない彼女の唐突な露出の高い服の着用に、ただでさえエルリックはドギマギしていた。その状況下で近くにアイラが来た事により、その心音は早くなる。
「っ自分で出来る」
「え、でも、着慣れてな」
「引っ張りゃあいいんだろ?」
ぐい、とエルリックはネクタイの結び目を引っ張った。しかし解けずに、ぐっと喉から音が鳴る。
アイラが呆れた様子で溜息を吐き、エルリックの手の上に自らの手を重ねる。
「ほらもう。見せて」
「っ.........。おお」
エルリックは小さく眉を寄せたものの、背を屈めてアイラに背丈を合わせた。アイラはエルリックのネクタイを手際よく整え、その間当の本人はアイラから目を反らしていた。
「よし!出来たよ!」
アイラがそっと離れ、エルリックは首元に触れる。確かに苦しくなくなっていた。
「おー、ありがとな」
「ん、全然。それじゃ行こっか!」
アイラはす、とエルリックへ手を伸ばした。
「...あ?」
「え、迷子になるの怖いし。手、繋いで入ろ?それその方がパートナーっぽいでしょ?」
「......俺の手は、汚れてっぞ。お前みてえに綺麗じゃ」
エルリックは周囲の人間に気付かれぬよう、ぼそぼそとそう言った。アイラは小さく顔を顰め、無理やり己の手でエルリックの手を掴む。
「ってめ、何する」
「汚れてない。ほら、私の手は綺麗なままでしょ?...白くて細いね、エルの手」
しげしげと観察するアイラに、エルリックは顔に熱が集まっていくのを感じる。夜風が異常に冷たく感じ始めた。
「...っ行くぞ」
「んっ」
アイラは嬉しそうに笑い、二人はカジノ内へ足を踏み入れた。
身体検査と換金を終えて、アイラとエルリックはカジノの中へ入った。
中は金色のシャンデリアや赤いカーペット、天使や女神をかたどったと思われる白い彫刻が二階へと続く階段の両端に置かれていた。その階段の上にはたった一つ、大きな扉があった。
その扉の上には金色の文字で、「VIPルーム」と彫られている。
「あそこか」
「うん」
他との品格の違いに文字の読めぬエルリックでも、そこが特別な場所である事は理解できた。彼は睨むようにその文字を見つめ、アイラは静かに頷き、もう一度上の方へ目線を上げた。それから未だ文字を見つめているエルリックの腕を引いた。
「頑張ろうね、エル!」
「...あぁ」
客は多い。フラウやシャルティエ、キナンもイレブンも、客の中に紛れておりどこに居るのか分からない。
受付のあるホールにいる客は皆、アイラと同じように「VIPルーム」を見ている。あそこへ行きたい人間は、アイラ達だけではないらしい。
舞台はすでに整っている。やるだけやるしか、ない。
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