その手を離さない
イレブンの肩は支えられていた。白髪のアンドロイドと、黒髪のアンドロイドによって。
その光景をアイラはただじいっと見ていた。見ている事しか出来なかった。
白髪のアンドロイド―エミィが、焼けて消えてしまっているスキンに触れる。すると、バチバチと放電していた電気は音を徐々に小さくしていく。
そして、もう片方の肩を支えている黒髪のアンドロイド―サフィの方へ目を向けた。その顔は先程の無表情とは違い、酷く穏やかなものであった。
「僕らの姉さんは随分無茶をするね、サフィ」
「今に始まった事じゃあないだろ、エミィ」
アイラはハッと目を見開く。
エミィと呼ばれていた白髪のアンドロイドも、サフィと呼ばれていた黒髪のアンドロイドも、優しい笑顔で力なくくったりとしているイレブンを支えていた。無表情でなく、優しい笑顔で。
「エミィ......、サフィ.........」
ゆるりと、イレブンの目が開かれた。意識が戻ったらしい。
紅の瞳は大きく見開き、その目の縁に涙が溜まった。人間と同じように。
「そうだよ、ルディ。助けてくれて、ありがとう」
「僕からも礼を言う。ありがとな」
エミィとサフィの顔を見て、イレブンは嬉しそうに目を細めた。その細められた瞳の端から涙が零れる。
「何で、何で何で...!ありえないわ!!貴方達は死んだのよ!そう!あたしが消した!いつまでもクズを気にかけてるあんたらに、新しい人格を...!」
「バックデータ」
サフィが口を開き、エミィへイレブンを預ける。そして両手をボキボキと鳴らした。
「僕らの中に存在している、何らかの不手際によって壊れた時の為の人格データの置き場。......確かに貴方は僕らの人格を書き換えたつもりだったんだろう。でも、それに満足してバックデータまでは消さなかった」
ヴァイオレットは唇を噛んだ。
新しい人格データへの書き換えは、ヴァイオレットのような初心者でも出来る作業である。勿論、業者に頼む事も出来る作業ではある。しかし、それは時間も金もかかる。
そこを億劫がったヴァイオレットは、二人のデータを自らの手で書き換えていた。
「今日ほど、僕らがアンドロイドでよかったと思った事は無いな」
サフィはにやりと口角を吊り上げた。ヴァイオレットは舌を打ち、腰の後ろに隠していた拳銃を抜いてサフィの方へ発砲した。
しかし、サフィには傷一つ付かない。
ヴァイオレットは眉を顰め、それからゆっくりと口を開いた。
「......首を出しなさい。それか自分で死ね」
ヴァイオレットはサフィへ命令するようにそう言った。サフィは動かない。ただじっとヴァイオレットの瞳を睨んでいる。
ヴァイオレットは、眉を寄せた。
「首を、差し出せと、死ねと言ってるのよ!.........何で、出さないのよ」
「ルディの電圧が、僕らを起こしてくれた。その恩に報いる必要がある」
焦るヴァイオレットの言葉を無視して、サフィは淡々と言葉を紡ぐ。まるで聞こえていないかのように。
「っ聴覚を切ってるのか!」
「普通、アンドロイドの身体は電気で動く。それを身体の外に出すのは、自殺行為だ。でも、姉さんは命がけで守ろうとしてくれたんだ。僕らも、姉さんたちを命がけで守る」
サフィはくっと足の向きを変え、ヴァイオレットの目の前まで一気に距離を詰める。ヴァイオレットはすぐに後ろへ距離を取ったが、更にサフィが詰め寄った。
「っ!?」
「戦闘型アンドロイド、サファイアモデル。それが僕」
サフィはヴァイオレットの足に回し蹴りを入れる。
硬い金属製ボディをスキンの下に隠しているアンドロイドの蹴りである。ぼきり、と彼女の足があらぬ方向へ曲がり、血が折れた箇所から噴いた。
「っぐ!?」
「僕に勝てるとか、思わない方がいいぜ。人間じゃ、無理だ」
サフィは膝を折って倒れたヴァイオレットを見下ろしてそう言った。
「っうるさい!」
ヴァイオレットは拳銃を握り締め、自らの身体を奮い立たせる。それから怪我をしてしまった足をずるずると引きずって、サフィへ銃弾を放つ。
「理想郷を!レッド様が、ゴードン様が、あのお方が望んでいる、理想郷を!」
「......人の意思のない世界が、理想郷だと?」
「そう!」
ヴァイオレットの放った弾丸が、サフィのスキンを破り、黒い液体を滲ませる。ひりひりとした痛みだけが、彼の頬に残った。
「いじめも、差別も、貧富も!苦しみ、悲しみ、憎しみもない!誰もが平穏で安全な生活を送れる世界!まさに安息の地」
「そんなの、遊びよ!」
声を荒げたのはアイラだった。サフィもヴァイオレットも、動きを止める。
「...そんなの、お人形遊びだ。そんな世界は理想郷じゃない」
「黙れ!」
びりびりと殺気で空気が震える。アイラはヴァイオレットから目を反らさない。
「生まれ落ちた場所のせいで、生きる道を決められてしまう者がいる。そんなの、おかしいでしょ?同じ人間なのに、身分があって虐められて、殺されてもいいなんて、おかしい!皆が笑い合い、手を取り合える世界が、生きるべき理想郷だ!」
「違う。それは人の意思のない、成長の止まった作り物の世界。どんなに欲があろうとも、人が生まれる家を決められないとしても、自分の運命を自分で切り開く事が出来る力を持っている!...それこそが、人であり、美しい世界だよ」
「......っ小娘、アイラ・レイン...!」
ヴァイオレットはアイラへと銃口を向けた。その銃口を包み込むように、サフィは拳銃を掴んだ。
そして、拳銃をぐにゃりと粘土のように折り曲げた。
ヴァイオレットは息を呑む。その彼女へ、アイラは凛とした声ではっきりと告げた。
「私は、死ぬ気はないです」
アイラは動く事なく、ヴァイオレットを見据えたままだ。
「っ!」
「彼女は僕らの光だ。ルディが信じた人間ならば、手は出させない」
サフィはグッと拳を握り、ヴァイオレットの腹へ思い切り拳を叩き込んだ。
「アイラさん」
エミィは、そっとアイラへ近付き、アイラの手に鍵束を渡した。
「これは」
「男の人の、牢の鍵です。ルディ...、イレブンの事は任せてください。サフィと僕で押さえます。貴方は、急いで彼の事を」
エミィの言葉にアイラはすぐに頷く。エミィはすっと指を伸ばして奥の方にある扉を指差した。
「あそこは僕らがここの警備をしている時に使っていた部屋です。このさらに奥に、侵入者を一時的に留置しておく場所があるんです。そこに、あの人は居ます」
「ありがとう」
「
アイラは小さく頷き返し、斜め掛けのポーチにそれをしまい、エミィの指差していた黒塗りの扉の方へ駆けだす。
拳銃を折り曲げられたヴァイオレットは、それをあっさりと捨て、もう一つ隠していた小さな拳銃でサフィに応戦する。
サフィはするすると躱していく。その弾がアイラの方へと飛んでくるが、途中途中ちゃんと止まりながら扉までたどり着き、急いで中へ入る。
休憩する程度にしか使っていなかったのだろう、殺風景な部屋だった。しかし異様な部屋だ。
机の上には、黒い鞭が置かれており、その横には空のティーカップがある。床には黒い液体の沁みがぽつぽつとあり、奇妙な雰囲気づくりに手を貸している。
不意に、アイラの目になじみ深いものが目に映った。
エルリックのナイフだ。
慌ててアイラはエルリックのナイフを手に取った。ギラギラと、静かな煌めきをアイラへ見せていた。それを彼女はハンカチで刃をくるんで、ポーチへしまい込んでその奥の扉の方へ走って行った。
「エル!」
狭い部屋だった。空気が淀み、湿気が酷い。暗い部屋ではあったが、上から差し込む光のお陰で中の様子は見える。
エルリックは、目を閉じて座っていた。
「エル!エルっ!」
アイラは鍵束から牢屋の鍵を使って開け、エルリックの側へ急いで駆け寄る。
彼の上半身の服はずたずたに裂けており、ミミズ腫れのような傷が無数に出来ている。手首には手錠がかけられて、その手首には赤い跡がぐるりと円を囲っていた。
急いでアイラはエルリックの手錠の鍵を束の中から見つけ、その手錠を外す。そしてエルリックの肩を何度も揺さぶる。
「っエル!」
何度も肩を揺らす。しばらくすると、ゆっくりと黄色の瞳が開かれた。ぼんやりとした黄色の瞳が動く。
彼の目がアイラを捉えた。
「......しす、たー......?」
「......シスター」
アイラの名ではない。誰をアイラに重ねているのかは分からない。けれど、彼が無事に生きている事が知れたのなら、それでよかった。
「エル、もう大丈夫、だよ」
ぎゅうっとアイラはエルリックの身体を抱き締める。
エルリックはだんだんと覚醒していく意識の中で、自由になっている腕を何度も不思議そうに見つめ、それからアイラが自身の身体を抱き締めている事に気付いた。
「ごめん、ごめんね......、辛い目に遭わせて。でも、ありがとう。エルのお陰で私達は、助かったよ。だから、ごめんなさい」
「......謝んな、アイラ」
「っエル」
ずるずると身体を起こして、エルリックは静かに息を吐き出す。アイラの肩に顎をのせたまま、ゆっくりとアイラの背中に手を回して弱い力で抱き寄せた。
「お前らが生きてんなら、それでいいだろ。...俺はその内治るからいいだろ」
ぼそぼそと小さな声で、エルリックはアイラの耳へ小さく呟く。
久し振りに聞くエルリックの声に、アイラは涙が出そうになった。
「よくないよ。私の為に誰かが死ぬのは嫌なんだ...」
「お前、本当にそればっかりだな...」
エルリックははぁと溜息を吐く。その時、アイラが顔を押し付けている箇所が湿っているのに気づいた。
エルリックに今のアイラの顔は見えない。ただ、しゃくり上げるような声が聞こえて来た。
「......怖かった......。エル、が、死んじゃってたらって......怖くて」
エルリックは抱き締めていた腕をアイラの肩に置き、彼女と顔を合わせた。
銀縁眼鏡の奥の青い双眸は、海のようであった。
「泣くなよ。お前に泣かれると...、つか誰かに泣かれんのは好きじゃねぇ」
「っう、ごめん......」
「謝んな。...だから、泣かれるのは好きじゃねぇんだよ」
アイラは何度も首を縦に振り、目の下を拭う。それからぱちんと自身の頬を叩いて、気合を入れ直した。
アイラはポーチからエルリックのナイフを取り出し、エルリックにそれを手渡した。
「これ...」
「向こうで、イレブンが正気に戻してくれたエミィくんとサフィ君が戦ってくれてる」
「おー」
エルリックはそう言って、ボロボロになっている上着を脱ぎ棄てた。傷の酷い白い肌の上半身が露わになる。アイラは慌てて顔を両手で覆った。
「んだよ。お前、俺の肩に包帯巻くときに見てんだろうが」
呆れたようにエルリックはそう言い、ゆっくりと立ち上がりアイラへ手を伸ばす。
「帰れるようになったら、シャツ買えよ」
「っ!うん」
元気の良い返事に、エルリックは小さく苦笑いを浮かべた。
「ほら、行くぞ」
「う、うん!」
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