忘れない
レトゥは何度も何度もキナンへ切りかかる。それは目まぐるしい速さで普通の人間では、到底追いつけそうもない速度だ。
が、キナンは持ち前の足の速さで、レトゥの剣を次々と弾き躱し、ナイフで応戦している。フラウは、ナイフを持ったままいつレトゥがフラウに狙いを変えたとしても対処できるよう、常に心構えを作っていた。
「何なんだよ!俺達が悪者みたいに!」
「悪者とか言ってないだろうが!」
「陽だまりを歩けるんだろう?」
キナンの顔が顰められる。レトゥの顔は嫉妬に燃えていた。
「俺達じゃあ歩けない世界を、お前達は...っ」
「っレトゥ、それは...っ」
フラウが弁明の言葉を吐こうとするより早く、キナンが言葉を紡いだ。
「お前らだって歩けばいいじゃんか。見た目だけじゃアンドロイドとも思われないだろ」
「出来ない」
レトゥの剣の突きで、ナイフの刃が折れる。キナンは小さく舌を打ち、もう一本新しいナイフを取り出して、きつく握りしめる。
「ここから出る事は許されない。ここと部屋しか、俺達の世界はない。...お前らが外に出なければ、身体全てを機械に変えられる事なんてなかったのに」
彼はしきりにその事ばかりを言っている。
キナンはその事に対して違和感を持ち始めていた。勿論、恨みを抱かれるのは当然だと思っているし、「裏切者」と罵られる気持ちも理解出来る。
しかし、ここまでねちっこく彼が言う性格で会った記憶がない。関わりが少なかったせいもあるのだろうか、それにしてもこの事ばかりに執着しているように聞こえる。
「......本当に、レトゥか?」
「何聞いてるんだよ、馬鹿。俺は俺だよ。お前達を殺す男だ!」
レトゥは目にも止まらぬ速さで、切りかかって来た。
「少なくとも、俺の知ってるレトゥじゃないな」
キナンはするりと高い背丈を一気に低くし、レトゥの脇腹をナイフの柄で殴りつけた。ぐっとキナンの頭の上で空気の洩れる音が聞こえた。しかし、レトゥもキナンの腕を膝蹴りする。
キナンの身体もレトゥの身体も、一旦離れる。
「キナン!」
「大丈夫だ、フラウ」
キナンは腕が折れていない事を確認し、しびれている腕を気にせずにナイフを持つ。その腕をフラウの目の前へ持っていき、庇うような体勢を取る。
「.........っ痛い......、なんえ、」
ふらふらとレトゥの身体がよろけ、そして苦々しい顔をキナンとフラウの方へ向けた。そして橙色の瞳が丸くなる。
「キナン...、フラウ...?なんで、君達がここに...?」
彼は寝惚けたようなおっとりした口調で、キナンとフラウを見て首を傾げた。
「あれ...、君達といつも一緒に居た子...、シャルティエがいないね......、あれ?レティ......は」
「...レトゥ?」
先程までとがらりと変わっている。穏やかな気性になっている。
彼は不思議そうに手に持っている剣を見つめ、それからかぶっているシルクハットに恐る恐る手を伸ばしている。それから己の腕の感触を確かめるように何度も触り、それから「あぁ」と呟いた。
「俺、君達に迷惑かけてるね?」
「っそんな事!レトゥ、君、何で...?」
「多分...、俺の性格の記された人工知能があの人に上書きされたんだ...、レッドに」
レッド、という名前にキナンとフラウは顔を見合わせた。やはり、彼が裏で手を引いていたのだ、と。
「.........人でない者になってまで生きる意味って、あるのかな。俺は、死にたいんだけど...っ」
そこまで言って、レトゥは頭を押さえ苦し気に呻き出した。
「レトゥ!」
「......多分、乗っ取られる......、完全に。だから、さ、頼むよ...、これ以上手を汚したくないんだ」
レトゥは眉を寄せて頭を押さえながら、にこりと笑っていた。それはすがすがしい笑顔だった。
「お前...っ」
「っぐ......」
何度も頭を左右に振り、苦しげに呻いた。思わずキナンは彼の肩に手を添えた。その瞬間剣の柄が強く握られた。
レトゥの剣の刃が、キナンの腕に突き刺さる。
「キナン!」
「っ!」
キナンは次なる一手を恐れ、冷静に後ろへ下がった。左腕から血が大量に流れだしている。利き腕でなかった事が唯一の救いだろうか。
ぱっくりと傷口は開き服を血で濡らし、これ以上動くと更に傷口が開いてしまうだろう。
「くっそ......」
キナンは傷口を圧迫しながら、ナイフを構える。レトゥはふらふらと立ち上がり、ゆっくりと顔を上げる。その髪の毛は額に張り付いていた。
「っは...、君等、俺に何したの...?一瞬の記憶がないんだけど」
どうやらレトゥとこの消された後に作られた目の前のレトゥの人格は、記憶の共有がないようだ。ふわふわとした口調はどんどんと元に戻っていくが、明らかにその声色には焦りが見える。
分からないナニカに、怯えているように見える。
「...何かおかしな事する前に、」
ひゅっと、レトゥが足の速度を上げて、キナンの横をすり抜ける。それはくしくもキナンが怪我をしている腕の方で、手を伸ばして制止する事が叶わなかった。
彼の目の先の目標点。それはキナンもシャルティエも大事にしている、フラウ。
「フラウ!」
キナンが叫ぶ。フラウはあっという間に近づいてきたレトゥに面食らいながらも、渡されていたナイフを自身の目の前に持ってくる。
ぎちっ、と嫌な金属音が鳴ってから、ナイフが弾け飛んだ。慣れていないせいか、力の分散の仕方が上手くいかなかったようだ。
そのままフラウは硬い床に押し倒される。
「殺してやる」
レトゥはフラウの胸に剣を突き立てようとして、その胸にフラウは左腕を置いた。背丈上、フラウの方が腕が長いようで、レトゥの手がフラウに触れる事はなかった。
レトゥはそれに対して気にしていないようで、剣を振り下ろそうとしている。
彼は違和感に気付いていない。フラウを大切にしているキナンが、彼を助けようとしていない事に。
「ごめんね、レトゥ...」
「はぁ?」
フラウはそっと右手を左腕に添えて、左手をぐっと握り締めた。
「本当に、ごめん」
とん、とレトゥは胸を叩かれるような感覚がした。カッと胸が熱くなり、そしてすうっと風を感じた。何かがせり上がってくる感覚もし始める。
硝煙の香りが、鼻を掠めた。
ゆっくりと視線を下に落とすと、フラウの腕がレトゥの胸を貫いており、黒い体液を浴びて汚れていた。
フラウの顔は泣きそうであった。
「............なんで、......?」
「俺の腕、硬いのに変えたんだよ...。それを、ワイヤーを飛ばす要領で、噴射できるように父さんに、頼んだんだ」
レトゥはよろよろとよろけて、がくりと足を折った。そして風穴の開いた胸へゆっくりと触れる。何度も、確認するように。
キナンはその彼の横をするりと通って、フラウへ手を伸ばした。
しゅうしゅうと蒸気を発している左腕に、左手は付いていない。キナンは右脇に腕を差し込んで、へたり込んでいた彼を抱き起こす。
「ありがとう、キナン」
「あぁ、俺の方こそな」
「あ、あが.........っ」
レトゥはブルブルと肩を震わせ、それからレティの向かっていた方へ足を向けた。
「れ、てぃ......」
キナンとフラウはシャルティエとレティの行った方を見る。その方向からずるずると身体を引きずるように、シャルティエがゆっくりとレティが使っていた剣を杖代わりにして、レティをひきずってやって来た。
シャルティエは何も言わず、レトゥの近くに彼女を置いた。
レトゥはゆっくりと彼女へ這いずりより、その頬に手を当てる。そして頬に刻まれている黒い十字を優しく撫でた。
「レティ......」
レトゥは柔らかく微笑んだ。それは、愛おしいものを見つめる瞳であった。
すっと、レトゥの橙色の瞳が閉じられる。
二人の双子は、静かな眠りにようやくついた。
「......キナン、腕、平気?」
二人が沈黙してから数秒後、シャルティエがゆっくりと口を開いた。
「あー...、止血しないとまずいよな...。布...」
キナンはきょろきょろと視線を動かし、圧迫に使えそうな布を探す。
「...私のハンカチ、使う?少し小さいかもしれないけど」
シャルティエは腰のポーチから、きちんと折り畳まれた白いハンカチを取り出した。
「流石女子」
「男子でも持ち歩いてよ。ほら、こっち」
シャルティエはキナンを自身の方へ向かせ、ぱっくりと切られている傷口を覆うようにハンカチを使った。元々細身の彼は腕も細いようで、何とかギリギリハンカチで足りた。
「帰ったら、父さんに直してもらおうね。キナンもフラウも」
「うーん、そうだね」
フラウは無くなった左手首を優しく撫でる。
「コレ、重たいし、やっぱりいつものがいいね」
「ま、そんなもんでしょ。...じゃ、アイラさんの所に行こう」
シャルティエは入って来た扉の方へ足を向けて、そのまま後ろへと倒れた。慌ててフラウが彼女の身体を支える。その身体は僅かにいつもより熱を持っていた。
「熱出してる...」
「う、っ...へ、平気だよ...っ」
痛いところを突かれたように、シャルティエは顔を背けた。フラウが言及しようとしたその時、けたたましいサイレンの音が工場内を響き渡って行った。
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