初対面
春。入学式の季節。
それは酷く衝撃的で、乙女のように心を高鳴らせたのを今でも記憶に残している。
親の都合で慣れ親しんだ土地と別れを告げ、俺は新しい土地にやって来た。
誰も俺の事を知らない。その事実が少し不思議で、どこかもの悲しくて。でも知らない土地にわくわくしていて。
元来臆病でビビりな性格のくせして、好奇心ばかりは人一倍強い俺は、引っ越しを終えてすぐ、街を見て回りたいと親に行って外へ飛び出した。
スマホを持たせているし、俺自身の性格を知っている二人は快く快諾してくれて、俺は外へと出て行った。
多分気分は高揚してたと思う。物珍しいものに目を奪われてキョロキョロして、だからつまり――。
「あぁ?!何ぶつかってんだ?!!」
どこかの漫画のお話のように、明らかにぶつかってはいけない人にぶつかってしまったのだろう。
「ひっ」
完全に俺は蛇に睨まれた蛙。声が出なくなり、身体をかちんと固まらせてしまった。
俺は柔道は出来るが、問題は上手くそれを使う事が出来ないという点にあるだろう。先生にも、護身術なのに使えないのは意味がないと呆れられていた俺で、つまり半ば引きずられるようにして、よく分からないところへ連れて行かれてしまった。
いかにもな路地裏に連れて来られて、壁にバンと背中を打ち付けるように乱雑に扱われる。痛みに顔を顰めていると、顔のすぐ横に太い男の腕がどんと来る。
「おいおい...、ごめんなさいくらい言えねぇのか?あーん?」
「ご、ごめんな、さい......、その、俺、周り...、見てなく、て」
もう泣きそうだった。怖くて怖くてたまらない。
彼は俺の言葉を聞くと、にんまりと口角を上げて俺の方へ手を出してきた。何かを要求しているような手だ。
「え、と...」
「言葉ではいくらでも反省したように出来るンだよなぁ...。ほら、誠意、見せろよ」
「せいい...........?」
「金だよ!」
言われなきゃ分かんねぇのか、と男の声は荒くなった。また俺は悲鳴にもならない声を喉から鳴らし、慌ててポケットを探るが手に当たるのはスマホの硬いケースだけ。
そうだ、なかった。探索しに来ただけだから...、お金を持って出て来てなかったのだ。
「な、ない、です...、俺、金持って、出て来てないです......」
「はぁ?!」
怒気を孕んだ声。怖くて怖くて、俺は目尻に溜まっていた涙がつうっと伝うのを感じた。
この、あと数日もしたら高校生になる男が泣くなんて。情けない。
「......お前...........、金ないんだったな。なら、俺の言う事聞けば許してやるよ」
「それってどんな...っ」
俺の言葉が言い終わるより早く、男のがさついた指先が俺のTシャツの裾を捲り上げる。あまりにも唐突な行為に目を白黒させるしかなく、その捲り上げられた事により口元に近くなった服の襟を咥えさせられ、更に目を丸くするしかなかった。
何とか抵抗しようとするも、先に動く向こうに翻弄されて、決定打が全く見いだせずにただただ好き勝手身体を弄られている。
気持ち悪い。どうしてこうなった。俺、何も悪い事してない。助けて。助けて、神様。
「弱い
粗雑で荒々しい声。でも――。
その人は俺に触っていた人を文字通りに真横に蹴り飛ばし、それから気絶するまで殴る蹴るを繰り返していた。
ひとしきりそれをし終わると、気絶したらしい彼の身体を離して俺の方を向いた。
第一印象は、綺麗な人だった。
黒髪はさらりとしていて、黒縁眼鏡の奥の瞳は鋭いけれども怖くない。白いシャツにジーンズという簡単な恰好だけど、彼が着ていると不思議とモデルを見ているようだった。
「おい、あんた大丈夫か」
そして、声。綺麗な低い声だった。聞いていて惚れ惚れしてしまうような。
「は...、はい、大丈夫です...」
情けない声で応じると、彼はすっと手を差し伸べてくれた。
「...ほら、立てるか?」
「ありがとう.....」
その手を取って立ち上がり、尻についていたであろう土埃を手で払う。
立つと、目線は同じくらいだ。もしかして、
「お前、高校生?」
俺の言おうとしていた事と全く同じ言葉を、目の前の彼は仏頂面で言った。上手く言葉が出なくて、俺はこくこくと頷く。
「ふぅん。同じ学校ならいいな」
彼はそう言うと、俺の目の前からふらっと立ち去っていき、そのまま人の喧騒の中へと溶け込んで行った。
俺はただ、その場所から逃げるように走って。
走りながら、彼に握られた手を胸に当てた。
どくどくと、音が鳴る。走ってるせいか、彼にあてられたせいか。こんな気持ち、初めてだ。
それから少しして、入学の日。
入学式は盛大に行なわれ、クラスでは当然のように自己紹介というものが行なわれている。
この学校、基本的にあいうえお順とか関係なく席についていいようで、考えもなしに窓際の、席の取り争いに巻き込まれにくそうな位置を早々に陣取り、自己紹介の順番が回ってくるのを、ドキドキしながら待った。
順番が回ってくれば、今までの席の人と同じような、当たり障りのない事を話す。オリジナル性を出す為に、ここよりも北の方から越してきた事は伝えた。
皆の珍しいものを見るような視線に、ドギマギしながら席に着く。
噛まずに言えた、と心の中でガッツポーズをして、それから息をゆっくりと吐き出して、
「初めまして、高槻律といいます。朝日川第一中学から来ました。得意科目は現代文で、趣味はゲーム。部活動は特に決めてません。一年間よろしくお願いします」
その息を思わず止めてしまった。
だってその声は。忘れられない、あの声だったから。
高槻、律くん。
自己紹介が終わると、明日からのオリエンテーション授業の話をされて、あとは部活見学に行く組と、帰る組に分かれて適当に行動する事になった。女子は教室に残っている人が多く、恐らくは明日からのグループ作りに勤しんでいるんだろう。
大変だな、女子って。
「な、花堂」
そう考え込んでいると、不意に後ろからあの声に呼ばれ、俺は勢いよく振り返る。
それに驚いたようで、声を掛けてくれた高槻くんは眼鏡の奥の黒目を丸くしていた。
「な、何、高槻くん」
上ずった変な声だ。すぐ顔を赤くしてしまう。未だに赤面症のようなこの症状は改善されない。
「いや、特に大した用事ないんだけど。ほら、お前ゲーム好きって言ってただろ?どんなのが好きなのかなって」
確かに自己紹介の時に、ゲーム好きとは言っていたが。覚えてくれてたんだ。
「え、えと...、RPGとか好き、です。あと、ちょっぴり怖いくらいのホラーゲーム」
「ふはっ、何で敬語なんだよ」
くすくすと彼は笑った。
それは夕陽に照らされていて、「あ、絵になる」と思わず口から零してしまいそうになるほど、美しかった。
俺を助けてくれた時とは違う、気の緩んだ笑顔だからだろうか。
「あ、っと、ごめん...、その、」
「いいよ。お前、変でおもしれぇ奴だな。花堂...柚月だっけ?柚月って呼んでいい?俺の事も律でいいから」
嬉しくて飛び跳ねてしまいそうだ。
友達に、なれたのかな。
「っうん、り、律!」
「やっぱ、変なの。そんな元気に言わなくても聞こえるっつーの」
帰ろうぜ、と彼は鞄を手にとって、俺も急いで鞄を持って歩く。
彼の言葉の節々から察するに、俺の事を覚えていないんだろう。
初対面。少し悲しいけれど、それでいい。
これから彼と友達になれるんだから。
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