スイート・ホワイト

「......い、おい、起きろ!...っ起きろって言ってんだろ!」

 酷く煩い声がする。身体が左右に揺すられて気持ちが悪い...。

「っ......うう......、なに......?」

 ゆっくりと目を開けると、大きな黒目が目の前にあった。

 一瞬息が止まりそうになり、その事実に目を白黒させる。

「な、なん、何で...、律...、いるの..........?」

 だって、俺の目の前に恋人である高槻律たかつきりつがいたのだから。


 俺は花堂柚月かどうゆずき。雑誌モデルをしている、趣味はガンシューティングゲームの男。世間一般には言えないが、高校時代からの親友である高槻律とお付き合いさせてもらっている。

 それなりにしている事はしているので、寝顔やらパジャマ姿を見られるというのはいいのだが。...だが、目の前の彼はもの凄くおしゃれをしていた。

 黒いコートにワインレッドのタートルネック、すらりと長い脚をジーンズで包んでいる。首には一昨年にプレゼントした銀のネックレスが揺れていた。元々頭身が高く、モデル並みに顔の良い律にぴったりのコーディネートだ。日頃はスーツ、家の中ではジャージの彼も好きだが、こうしてオシャレに着飾る彼も好きだ。

 だがつまり、その恰好で来たという事は...。


 デートの日、なのでは...?


 急いで脳内手帳を開き、本日の予定部分の項目を探す。だがいくら探してもデートの予定がない。

「...ふはっ、大丈夫忘れてねぇよ。寝坊じゃない」

 律の笑い声にハッとして、慌てて顔を上げる。彼は口元を押さえてくすくすと笑ってる。

「...え、えとじゃあ何で...?」

「あー、...サプライズだ。昨日チャットで明日からオフって言ってたろ?どっか連れてってやろうかなって」

「へ?」

 素っ頓狂な声が漏れた。日頃の彼からは想像できない言葉だ。

「おら、さっさと着替えろ。必要なら朝飯作ってやるから」

「っ分かった!」

 がくがくと頷くと、律は俺の部屋から出て行った。


 その瞬間、俺は近くにあった枕を腕の中に収めた。心臓のバクバク音を何とかそれで抑える。

「...お出かけ......!」

 そう呟くと、じんわりと胸の奥があったかくなる。

 少しそうしてから立ち上がり、クローゼットを開ける。俺の趣味で買ってるものや、あるいは律が似合うって言ってくれたものばっかりだ。そこから律が似合うって言ってくれたものをチョイスし、プレゼントしてくれた金の輪っかのチャームが付いたネックレスをする。

「...よし!」

 鏡の前で自分の姿を見る。かなり黒髪が跳ねて、眠たげな黒目が俺を見ているが、服装だけはキマッている。

 よし、と心の中でガッツポーズをしてから、寝室からリビングの方へ向かう。

「飯、要るのかー?」

 ケラケラと小馬鹿にしてくるような口調で、ソファの上に座っていた律は、俺の顔から身体へと視線を巡らせると黙ってしまった。

「えと?律、どうしたの?」

「...なんでもね。ほら、でどうなんだよ?」

「あー、ご飯はいいよ。気遣ってくれてありがとう。でも俺、折角律と出掛けるなら、腹空かせておきたいから、今から洗顔とかしてくる。も少し待っててくれる?」

「..........ヨユー」

 律にきちんと確認を取ってから、俺は洗面台へと歩いて行った。

 髪の毛を整えたり歯を磨いたり、と色々支度を澄ませて、再びリビングに戻る。

「ごめん、時間かけちゃって」

「いいよ。事前に言ってなかったんだから、当然だろ」

 そう言うと、律は勝手知ったるといった感じで、部屋中の電気を消してくれた。それから俺の目の前に立つと、そっと俺の手を握る。

 いつもとは違う甘ったるい雰囲気に、何年もの付き合いだというのにドキドキしてしまう。俺から甘えても、向こうから甘えてきたりそんな雰囲気を出したりなんてないのに。珍しすぎる。

「っえ、ええと」

「今日は俺について来て」

「っへ」

 普段のデートはお互いに行きたい場所に行って、近くのご飯屋さんで適当に食べて、それからどっちかの家に行って、のんびりしたりヤったりする。でも、どちらかが計画立てて行くというのは、以外と初めてかもしれない。

「ん、どっか行きたいとこある?」

 少し寂し気に伏せられた長い睫毛に、俺は慌てて首を振るう。

「な、ないです!」

「何で敬語なんだよ」

 変なの、と口元を緩められて笑われる。その表情の変化の仕方は、俺の心を掴んで離さない。

「んじゃ、行こ」

 俺は律に手を引かれるまま、彼の後ろをついて歩いて行く。


「どこ行くの?」

「ナイショー」

「えぇ...。じゃあ食べに行くのか遊びに行くのかだけでも」

「...食いに行く。腹減ってるから」

 確かに朝食べてないから、結構お腹は空いてる。どこに食べに行くのかな。ハンバーガーとかパスタとかが無難だけど...。


 悶々と考え込んでいた間に、目的地らしいところへ辿り着いた。

 そこは森のカフェみたいな場所だった。女性も男性も、殆ど同じくらいの人の割合で入店している。こんなお店なら怪しまれずに済むだろう。

「予約してるから」

「っ律、が?」

「おう。...あ、すみません」

 店内へ入ると、律は店員さんを呼んで「予約していた高槻です」と言った。すると店の奥の方にある個室らしい場所へ案内された。

 木で出来ているような内装のせいか、とても温かみのある雰囲気があって居心地がいい。いいお店だ。今度近場にスタジオがあれば、せっちゃんを誘って行ってみてもいいかもしれない。

「それではごゆっくりどうぞ」

 店員さんは個室前でメニュー表を手渡してくれた。そして、俺達の前から去って行った。...変な目で律が見られていないだろうか、心配だ...。

「おい、早く入れよ」

 律に声を掛けられ、俺は慌てて個室内に入る。

 明らかにカップル用っぽい造り。照明は店内よりは暗めで、座敷席になっている。靴を揃えて中へ入り腰を下ろすと、俺の横に律が座って来た。

 いつもなら目の前に座るのに。いくら個室で人の目がないとはいえ、店員さんが見たら変な目で見られるでしょ!?

「ほら、メニュー見よ」

「っ、う、うん」

 メニュー表を広げて、俺と顔を近付けてそれを見る。でも、隣に居る人のせいで、頭が一切正常に動いている気がしない。

 普段の彼とは違うというギャップにより、一周回って冷静さを取り戻そうとし始める。揶揄っている可能性が、まだある。

「俺、ハンバーグにしよ。柚月は?」

「お、俺...、和風パスタで。えっと、どこで注文をすればいいの?」

「あれ。凄いよなー、電子化だよな」

 律は、俺の後ろにあった壁に付けられたタッチパネル式のそれをさくさくと操作して、注文をしてくれた。

「...........今日さ、近くない?」

「うん?」

 俺は律にそう言う。

 勿論、嬉しくないわけではない。嬉しい。めちゃめちゃ嬉しい。でも、やっぱりドキドキが止まらないわけで。

 こう、俺からぐいぐい行くのはいいけど、相手からぐいぐい来られるのは、どうしていいのか分からない。

「...距離感ビッチに言われるとはな」

 っう、言い返せない。

 テンションがおかしくなったり、酒が入ってしまったりすると、他人にべたべたしてしまう傾向があるのだ。そこを突かれると、上手い言葉が見当たらない。

 俺がぐるぐると考えていると、律がゆっくりと口を動かした。


「...あれだ。今日ホワイトデーだろ...。だから、その、一応な」


「バレンタインデーのお返し、って事?」

 あんまり記憶ないけど、ちょうどその日は酒をたくさん飲んでしまって、次の日にちゃんとした物を上げる予定だったのに、酔った俺はせっちゃんが託してくれたチョコをそのまま渡したらしい。

 その次の日の朝に二日酔いで目覚め、律の家に居た事とヤられていた事に驚いたのはよく覚えている。

「はー...。やっぱり俺からってのは変な感じするよな。いっつもお前がしてくれるから、俺はそれに甘えてばっかりだ」

 律は苦笑いして頭を掻く。やばい。変な誤解されてる、かも。

 違う、違うの。

「へ、変な感じ...っていうか、嬉しいよ...!そのドキドキしちゃって落ち着かなくて......。へ、変なのは俺!これくらい慣れてなくちゃ...。何年付き合ってるんだよ、みたいな」

 会話が下手くそすぎる。気持ちばかりが先行して、文法というか日本語を話せている気がしない。

 律は少し大きく目を見開いて、それから何故か口元に笑みを見せた。優しく俺を見てくる瞳に、ドキッと胸が音を立てる。

「...本当、馬鹿可愛ばかわいいよな、お前。家なら押し倒してる」

「はっ...........!?」

 よしよし、と俺の髪の毛を梳くように撫でてくれる大きな手は、間違いなく律の手で。顔が火照っていくのが分かる。

「いいんだよ。周りの事なんて気にしないで。俺らは俺らだろ?俺だってお前のころころ変わる顔にドキドキするし、今だってポーカーフェイス気取ってるけど、バクバクしてっから」

 ニッと律が笑った時、コンコンと戸がノックされる。律は店員さんから料理を受け取って、再び二人だけの空間になる。

「食お、柚月」

「うん...、ね、ハンバーグ少しちょうだい。俺のもあげるから」

「当たり前だろ」

「へへ。んで、これ食べ終わったら次なに?ね、ヒント」

「教えねぇけど、最終的にはベット行きな」

「はい?」

 とんでもない宣告に、俺は変な声を出してしまった。

 その言葉から連想できるのは一つだけで。嫌なわけではないけれど、けどこう、素直に嬉しいというのは恥ずかしいというか。変態だと思われてしまう。

「嬉しいくせに」

 でも、そう。確か心のどこかでは、期待が膨らんでいるのかもしれない。

「......もう」

 俺は小さくそう言い返して、一口もらったハンバーグを食べた。

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