200回記念 私立龍驤学院③


 夕暮れ時。

 僕ら四人は近くの公園を目指し、歩いていた。


 空は藍色の侵食が進み、8割紺。

 2割は紅の色。


 陽は街の景色の果てに身を潜み始め、さっきよりもほんの少し涼しくなっていた。


 僕と蓮は無言。

 無言で公園を目指している。


 何だか凄く気まずい感じ。

 さっきのやり取りが尾を引いて、何か気恥ずかしい。


 チラッ


 横目で蓮を見る。


 バッ


 僕の視線に気付いた蓮は素早く顔を逸らす。

 多分蓮も同じ気持ちなんだろう。


 僕が横目で見る。

 蓮が顔を逸らす。


 蓮が横目で見つめて来る。

 僕が顔を逸らす。


 そんなやり取りを数回繰り返す僕ら。


【なールンルー。

 コイツら何やってんだ?】


【ん?

 この子たちはねぇん。

 照れてんのヨォン】


【テレテ?

 テレテって何だ?

 食いモンか?】


【…………

 アンタ、言葉は知らないにしても会話の前後で食べ物じゃないぐらい解るでしょーに……

 まあ良いわ。

 照れるって言うのはね気持ちが落ち着かなくってどう振舞って良いか解らなくなるって言う人間独特の感情の事よん】


【ん?

 ん?

 何かイッパイ喋って良く解んねぇぞ。

 ヨーするにどう動いて良いのか解んねぇのか?】


【うん、思った以上に伝わって良かったわん。

 まあそう言う事ねん】


【良く解んねぇなあ。

 ンなもん自分の動きたい様に動いたらいいじゃねぇか】


【ハァ……

 この子たちはアタシらとは違うのよ?

 人間ってのは自分で制御できない感情を抱えてるモンなのヨン。

 そんなガレアちゃんみたいに簡単には出来ないものなの】


【ん?

 そーなのか?

 んでもこいつ竜司、俺と同じ特撮見て、アニメ見て、マンガ読んでるじゃねぇか。

 何が違うってんだよ】


【……ガレアちゃん……

 アンタって相変わらず単純ねぇ……

 アタシから見たら今の二人の反応は興味深くてしょうがないわァン。

 まだガレアちゃんには早いのかしらン?

 アンタのその純粋な所は嫌いじゃ無いケド】


【ん?

 何かまたいっぱい解んねー言葉並べやがって。

 けど、何となくバカにされてる感じがした。

 見てろ。

 俺が竜司と同じだってトコ見せてやる】


 ん?

 何だか後ろで話しているぞ。


 何だ?

 ガレアがこっち来た。


【ウフフン。

 何だか面白そうだからこのままほって置こうかしらン】


 ガバッ


 僕の隣にまで歩み寄って来たガレアは緑色の右腕を勢いよく僕の肩に手を回す。


「な……

 何だよガレア、急に……」


【お前、さっきから何モジモジやってんだよ。

 蓮と話したいんじゃねぇのか?

 なら話せば良いじゃねぇかよ】


 あ、顔が熱くなる感覚。


 下から上へ。

 温度計の様に熱さが上昇して行く感覚。


「ガガッッ……

 ガレアァッ!

 なぁっ……!

 ヌァニイッティンダヨゥッッッ!」


 唐突なガレアの横やりに発言もカミカミだ。


【ちょっとアンタ。

 竜司ちゃんばっかりに恥ずかしい思いさせてて平気なのぉん?

 せっかくのデートなのよん。

 何か話したらいいのに】


 いつの間にかルンルも蓮の隣まで来ていた。

 そして蓮を煽っている。


 あ、蓮の顔が赤くなって行く。

 薄紅だった色が更に紅く。


「なぁっっっ……!

 ルンルゥゥゥゥッッッ!

 貴方何言ってんのよぉぉぉぉぉっっ!」


 恥ずかしさから弾けた様に蓮の絶叫が周囲に響いた。


【何だお前。

 話したくねぇのかよ?】


 こっちはこっちでガレアがグイグイ詰め寄っている。


「べっっ……!

 別にそんな事言って無いじゃ無いか……

 ……モジモジ」


 ズバズバ結果を求めて来るガレア。

 けど過程の段階で進めずにいる僕にはキツい。


【やっぱり話してぇんじゃねぇか。

 なら何で話さないんだよ?】


「そ……

 そんな事言われても……

 簡単には……

 ……モジモジ」


 何だか猛烈に恥ずかしさが増して来た。

 具体的に現在の状況を言葉にされたからだろうか?


【こーゆー状況なら竜司ちゃん側から来て欲しい所だけどねぇん。

 ホラァ、蓮から行っちゃいなさいよう。

 今の世の中、女性がリードしてるカップルも珍しくないわぁん。

 竜司ちゃんのヘタレは今日に始まった事じゃ無いしぃ】


 何だと?

 誰がヘタレだ。


 いや、あながち間違っては無いんだけど。

 見知った奴に言われると何だかカチンと来る。


 あぁ、いいさ。


 やってやんよ。

 僕から行ってやんよ。


「…………ゥレェェェンッッッッ!!」


「ひゃいっ!」


 うん、お互いおかしい。

 緊張し過ぎだ。


 沈黙。


 僕は意を決して。

 意を決し過ぎて妙に声を張り上げてしまった。

 蓮は唐突な大声に驚き&緊張で変な返事をしている。


 沈黙。


 次の言葉が出て来ない。

 ルンルの間接的な煽りにのった形で発言したものだから話題とか用意していない。


 言わばノープラン。

 沈黙しても致し方ない。


 けど、僕もヘタレていないと証明する為に発言したんだ。

 僕から何か話題を振らないといけない。


 何か。

 何か無いか?


 ……まあヘタレていない証明とは言いつつ僕がヘタレているのには違いないけど。


 そんな事を考えている場合ではない。

 早く話題を振らないと。


 結局僕が取った結論は……



「…………本日は良いお日柄ですね……」



 見合い!


 心の中で自分自身にツッコミを入れる。

 我ながらおかしな事を言ったものだ。


 何で敬語なのかも解らない。


「……え……

 ええ、本当に良いお日柄で……」


 お前もか!?


 更に心中でツッコミは続く。


「こ……

 この度は……

 祖父の無理を聞き入れて下さって誠に感謝いたします……」


 ビジネス!


 ツッコミは止まらない。

 何だこの会話。


 ビジネスシーンみたいな口調になってしまっている。


「……い……

 いえいえ……

 お気になさらないで下さい……

 私もまだまだ練習不足でございます故……

 修練を積まねばなるまいと考えていた所でございますれば……」


 おかしい。

 色々オカシイ。


 普段、“積まねばなるまい”なんて使わないだろ。

 あと“故”って何だ“故”って。


 戦国時代かよ。


 語尾もおかしい。

 何だ“ございますれば”って。


 田中の亜種みたいになってるぞ蓮。

 相当混乱している様だ。


「そ……

 それは何よりでございます……」


「……た……

 ただ……

 心得違いをして欲しくないのは私がこの話をお受けしたのは先に申し上げた通り自らの練習不足を感じたからで……

 ありまして……

 決して……

 決して……

 貴殿に特別な感情を抱いているから受けた訳では……

 ご……

 ございません……

 その点をゆめゆめ誤解の無きようお頼み申し上げます……」


 もはや何処から切り取って良いのかわからない。

 沢山言葉を並べているが要はいつものツンデレを丁寧口調で語っているだけだ。


 それにしても蓮は色んな言葉を知っているなあ。


「………………フウ……

 蓮……

 もうやめない……?」


 何だか蓮の丁寧ツンデレ発言を聞いて冷静さを取り戻した僕。


「………………そうね……

 私も自分で何言ってるのか良く解らなくなって来たわ……」


【なぁんだ。

 結局蓋を開けたらいつもの会話じゃないのヨォン。

 つまらないわねぇ】


 ルンルが何も進展しない僕らを見て苦言。


 今まで全く進展しなかったんだ。

 こんな事ぐらいで進展するなら苦労はない。


「ルンルうるさいっ!」


 だけど、何となく緊張が解れた。

 何となく気持ちも軽くなった。


 これで普段通り話せそうだ。


「ねえ蓮?」


「なあに?」


「魔力量コントロールってどうやるの?」


 確かルンルは雷竜で強さ的にはガレアと同等って前に聞いた事がある。


 けど、蓋を開けたら僕が気絶して蓮は無事だった。

 となるとお爺ちゃんの言う通り魔力量を制御したって事だろう。


 何かコツがあるのでは無いだろうか?


「う~ん……

 どうやるのって言われても……

 何か言葉にしにくいわね」


「じゃあ、質問を変える。

 ルンルから魔力を抽出する時、何かイメージしてた?」


「えっとね……

 料理の計量カップ」


 何だか生活に密着したものが出て来た。

 料理好きな蓮らしいと言えばらしいが。


「け……

 計量カップ?」


「そう。

 私の家である一番おっきいの。

 それをイメージしてるわ。

 その中に魔力を注ぐって感じかな?

 小魔力は大体そのカップの三分の一ぐらい」


 なるほど。


 家で使っている物だからイメージしやすい。

 且つ目盛りもついているから量も調節しやすいって事かな?


「そ……

 そう……」


 けど、あまり参考にはならない。

 僕は料理なんかしないから。


 僕にイメージし易い。

 且つ目盛りみたいに量も判別できるようなモチーフを考えないと。


 何かあるかな?


 結構アニメとかでメーターや目盛りとかはよく出ては来る。

 SFアニメで宇宙戦艦が主砲のエネルギーを溜めたりするシーンとか。


 けど何かシックリ来ない。


 うーん。

 他で何か無いかなあ?


 そうこう考えている内に公園に到着。



 本牧山頂公園



 横浜市中区にある和田山の広い公園。

 敷地が充分あるので竜河岸がよく練習に使う御用達の公園。


 着くなり僕は準備体操を始める。


「イッチニ……

 サンシ……」


 屈伸運動をしてる僕を立ったまま見つめている蓮。


 何だか……


 一言で言うならガッカリ。

 超ガッカリな表情。


「イッチニ…………

 蓮、どうしたの?

 ……なんっ……

 かっ……

 すっごい……

 ガッカリしてないっ?」


 僕は屈伸運動を続けながら蓮に問いかける。


「ハア……

 まあいいわ……

 別に期待して無かったし……」


 特に理由を話す訳でも無く、蓮も準備体操を始める。

 やがて準備体操が終わる。


「じゃあ始めようか蓮」


「ええ」


「ガレア、ちょっとこっち来て」


 ドスドスとガレアが寄って来る。

 準備運動している内にイメージするモチーフはもう考えていた。


 それは車とかについているスピードメーター。

 しかもデジタル式のもの。


 さっきアニメに出て来るメーターでしっくり来なかったのは出て来るメーターは全てフィクションだったからだと思う。


 イメージするモチーフは現実にある物の方がし易いと考えた。

 デジタル方式のスピードメーターなら数字で表されるから調節もやり易い。


 低速域。

 言わば少量魔力。


 これは0~30キロ。


 中速域(中魔力)は30~80キロ。

 高速域(大魔力)は80キロ以上。


 とりあえずこれで行ってみようと考えた。


 さあお次はガレアから魔力を抽出すると言う動きとスピードメーターの数字の動きをリンクさせないといけない。


 上手く行くのだろうか?

 これはやってみないと解らない。


 まずはガレアから魔力を取り出すイメージ。


 そこから車に乗る所を頭で描く。

 シートに座って、キーを回してエンジンをかける。


 うん、解ってる。

 僕は運転なんかした事は無い。


 免許なんて持ってる訳が無い。

 言わば今描いてる想像は未来図。


 ある種フィクションと言えるかも知れない。


 けど、アニメとかで出て来るメーターとかよりかはイメージし易いんじゃ無いかと考えたんだ。


 前のハンドルを両手で握り、ゆっくりとアクセルを踏んで発進。


 5キロ。

 10キロ。


 ハンドルの向こう側にデジタルスピードメーター。

 ゆっくりと数字が上がる。


 ムンニョォォ


 あ、何かガレアの身体から出て来た。

 とりあえずは成功かな?


 ただこっちに気を取られていてはいけない。

 想像に集中しないと。


 15キロ。

 20キロ。


 ここでストップ。

 アクセルを踏み込むのは20キロで留める。


 ムニョォォッ


 プン


 ガレアの身体から緑色の球体が分離。

 授業で抽出したものより大分小さい。


 ピンポン玉を2周りぐらい大きくしたぐらい。

 フヨフヨと浮かび、こちらに向かって来る。


 ピトッ


 僕の左上腕部に接触。


 シュウッッ


 吸い込まれ身体に吸収された。


 ドッッッックゥゥゥゥゥンッッ!


 心臓が大きく高鳴る。

 が、意識が遠のく感覚はしない。


「…………ッッッッッハァッッッ!」


 堪らず腰を曲げ、地に向けて大きく息を吐く。


「竜司っっ!?

 大丈夫っっ!?」


 隣で練習していた蓮が僕の方に駆け寄って来る。


「う……

 うん……

 何とか……

 大丈夫だよ……」


 ようやく身体が落ち着いた。

 体内に異物がある感覚がする。


 その異物は熱を放ち、吸収した上腕部からゆっくりと移動している。


 何とも新感覚。

 体内に在る“熱”が少しずつ移動しているのだ。


 そのままヘソの下あたりで留まった。


「ホッ……

 落ち着いたみたいね。

 どう?

 上手く行った?」


「上手く行った……

 のかな?

 出来てるかどうかは良く解らないよ。

 とりあえず蓮の計量カップに倣ってモチーフ想像してやってみたけど」


「何を想像したの?」


「メーターだよ。

 車のスピードメーター。

 デジタル式のね」


「ふうん。

 私、竜司の事だからまたアニメとかから考えるのかなって思ってた」


「僕も最初はそれで考えてたけど、何かしっくり来ないんだ。

 多分魔力関連のモチーフって現実にある物の方が良いんじゃないかなって思って」


「そんなものなのかな?」


「僕も確証がある訳じゃ無いけどね。

 それで蓮は何してるの?」


「私は魔力を抽出するスピードを上げる練習。

 素早く的確に適量を抽出しないと、すぐにへばっちゃうモン」


「へえ……

 どんな感じでやるの?」


「こんな感じよ」


 そう言う連はルンルの方を向く。


「……450㏄……」


 何か呟いた。


 シーシー?

 よく聞く料理とかの単位かな?


 ムンニョォォッ


 するとルンルの身体から何か染み出て分離。

 色は焦げ茶色で質感はガレアから出たやつと同じ感じ。


 ガレアの場合は緑色のシャボン玉。

 かたやルンルの場合は焦げ茶色のシャボン玉。

 

 大きさはテニスボール大。

 さっき僕は抽出した魔力よりも気持ち大きい。


 フヨフヨと蓮に向かって行く魔力球。


 スッ


 蓮は脚を一歩引いて、魔力球を躱した。


 魔力球はそのまま地に落ちて、音も無く四散。

 跡形も無く消えてしまった。


「こんな感じよ」


 なるほど。

 いちいち身体に吸収してたらキリが無いって事か。


 体力も奪われそうだし…………

 …………僕、どうしよう……?


 吸収しちゃったよ。

 依然としてへその下あたりに熱を感じる。


「良く解ったよ、ありがとう蓮。

 ……ところで相談なんだけど……」


「ん?

 どしたの?」


「今吸収したガレアの魔力はどうしよう……」


全方位オールレンジで使ったら?」


 全方位オールレンジって言うのは僕のスキル。

 周囲にフィールドを展開して、人や竜を認識する事が出来るんだ。


 いわゆる索敵系スキルってやつ。

 オタクの僕としては炎とか氷とか出るカッコいいのが良かったんだけどなあ。


 こればっかりは賜り物だからどうしようも無い。


「……う~ん、どうしよう。

 せっかく取り込んだしなあ。

 あ、そうだ」


 僕の頭で一つ閃き。

 確か魔力を扱う基礎って三つあったっけ。


 保持レテンション集中フォーカス発動アクティベートと。


 保持レテンションに関してはまだモチーフが決まって無いし、置いておく。

 僕が閃いたのは……


 集中フォーカス


 これは多分体内にある魔力を身体の箇所に集中させるって事なんだろう。

 存在を認識できている分、やり易い筈。


「何か思いついたの?」


「うん、ちょっとやってみる。

 ……………………うわわわっっ!!?」


 僕は試しに体内にある魔力を右拳に集中させようとした。

 へその下にある”熱”に意識を集中して、目的地の右拳を目指すイメージ。


 するとどうだ。

 身体の中の”熱”が移動している。


 感覚でわかる。


 動いている。

 体内の”熱”が。


 僕の右拳を目指して。

 何かすっごくヘンな感覚。


「わっ!?

 ビ……

 ビックリした……

 どうしたの竜司。

 ヘンな声上げて」


「いや……

 今日授業で習ったらしいじゃない?

 確か三則って言ったっけ?」


「あぁ、保持レテンション集中フォーカス発動アクティベートね。

 それがどうしたの?」


「今、集中フォーカスをやってみたんだよ。

 そしたら体の中で魔力が移動してるのが解ってビックリしたんだ」


「へえ、保持レテンションは出来たの?」


「いや、保持レテンションはイマイチまだ解んないからスルーした」


「ふうん。

 それで今、魔力は何処にあるの?」


「右拳」


 そう言いながら僕は拳を突き上げる。


「それでその手をどうするの?」


「そうだな……」


 僕はキョロキョロ辺りを見渡してみる。

 ふと見下ろすと地面。


 そうだ、この地面に拳を打ち降ろしてみよう。


 ザッ


 ゆっくりを腰を落とし、片膝をついた。


「エイッッ!」


 バンッッッ!


 僕は思い切り拳を打ち降ろした。

 接触すると同時に地面が弾ける。


「キャッ!?」


 爆竹が弾けた様な音が辺りに響き、蓮が声を上げる。


 足元を見ると穴。

 小さな穴が形成されている。


 僕が拳を打ち降ろした箇所は少量の火薬を炸裂した様に抉れていた。


 ゴクリ


 僕は生唾を呑み込む。


 危ない。

 何て物騒なんだ。


 こんな代物、絶対に人に向けちゃいけない。


 少量魔力でこれなんだ。

 使用魔力量を上げると……


 ブンブンッ


 僕は頭を左右に振り、恐ろしい想像を散らす。


 一般人が竜河岸を敬遠する気持ちが解る。

 これは確かに化け物だ。


「おっきな音が鳴ったわね……

 って竜司、どうしたの?」


 振り下ろした拳は収めるも、片膝をついたまま起き上がれない僕。


「いや……

 魔力ってもの凄く怖いなって思って……

 蓮、本当に対抗戦大丈夫……?

 何だか心配になって来たよ……」


 その僕の発言を聞いた蓮はほんの数舜沈黙。

 そしてゆっくりと微笑んだ。


 そのまま僕の傍まで来てしゃがむ。


「フフ……

 そんなに心配しなくても大丈夫よ。

 久留島くるしまさんがどんな手で来たとしても私は負けないわ。

 それに魔力注入インジェクトって大怪我も治せるんだって。

 ママが言ってた。

 だから万が一の事があっても心配いらないわ」


 へえ、そうなのか。

 傷の治癒にも使えるって知らなかった。


 けど……

 違うんだ。


 僕が心配と言うか嫌なのは……


「違うよ蓮……

 僕は君に怪我して欲しくないっていってるんだ……」


 僕は魔力注入インジェクトの威力を目の当たりにしてまず考えたのは期末試験の事。

 期末試験の魔力技術実習対抗戦の事だ。

 

 こんな代物を身体に受けて大丈夫なのか?


 重傷。

 下手したら命も落としかねない。


 降ってわいた身の危険に驚愕する。

 更に思考はスピードを上げ、発展。


 を女子が扱うのか?


 魔力を拳に集中させた時の威力は小さな火薬庫を抱えてるに等しい。

 女子の場合、顔に消えない傷を負ってしまうかも知れない。


 ここら辺まで飛躍した段階で、心配になって来たのは蓮の事。

 久留島くるしまさんは相当怒ってた。


 多分躊躇いなく拳を振るってくるだろう。


 それで蓮が重傷を負ってしまったらと。

 頭の中は酷い状態で運ばれている蓮の姿が浮かんでいた。


 嫌だ。

 こんな光景絶対に見たくない。


 例え魔力注入インジェクトや凛子先生に治してもらったとしても。

 幼馴染が傷を負う所なんて見たくない。


 蓮に怪我をして欲しくない。

 僕の心から出た素直な発言を聞いた蓮は沈黙。


 何かおかしな事を言ったかなと思って蓮の顔を見ると、ほんのり頬が赤い。

 さっきみたいに赤面と言う感じでは無く、ほんのり優しい桜色。


 驚いているのか、大きな目を少し見開いている。



 キュッ



 不意に伸びてくる蓮の白い指。

 僕の鼻を摘まんだんだ。

 

「フガッ……

 にゃ……

 にゃにふるんにゃよ何するんだよ……」


「アハハッ!

 竜司の癖にナマイキッ!

 アンタ、昔はよく皆にからかわれて泣いてたのに」


 僕は昔、結構泣き虫だった。

 幼稚園の頃とか僕がすぐ泣くのを面白がってよくからかわれていた。


 そんな時、よく庇ってくれたのは蓮。

 泣きべそを搔いている僕の手を引き、家まで送ってもらったもんだ。


 けど、それは保育園の頃の話。

 何年も前の話だ。


 今の僕は確かにオタクになってしまったかも知れないけど、ガレアと出会って成長……


 成長……

 したのかな?


 考えてみたら内面はあまり変わってない気がする。

 泣きこそはしなくなったけど、相変わらず他人は怖いし、初対面の人間には上手く話せない。


 けど……

 こんな僕でも幼馴染の心配ぐらいは出来るんだ。


「一体いつの話をしてるんだよ。

 僕だってずっと泣き虫のままじゃないんだ」


「そんな事言って未だに背中丸まってオドついてるじゃない。

 私からしたらまだまだ泣き虫竜ちゃんのままよ」


 泣き虫竜ちゃん。


 保育園時の僕のあだ名だ。


 そこから小学校に二人して入学し、泣き虫が取れて竜ちゃんになり、いつしか僕の事を名前で呼ぶようになった。


 蓮が僕の事を竜司と呼ぶ様になったのは一体いつからだろう。


 僕は蓮の事を保育園と小学生の頃は蓮ちゃん。

 いつからか呼び捨てになった。


「チェッ……」


 いつまでも僕を弟みたいな扱いをする蓮に舌打ち。


「けど……」


「ん?」


「ありがとね竜司……

 心配してくれて少し嬉しかったわ」


 両膝を合わせてしゃがんでる蓮が僕に向かって微笑む。


 その笑顔は満面。

 少し所では無い。


 物凄く嬉しくないと出来ない笑顔だ。

 正直めちゃくちゃ可愛い。


 僕は笑顔の蓮の顔を凝視。

 見とれるってやつだ。


 あ、何か良い匂いがする。


 ってか蓮。

 距離が近く無いか?


 何だか恥ずかしくなって来た。


「……蓮……

 近いよ……」


 グイ


 思わず蓮を押して距離を取ってしまう。

 距離を離した事で冷静になったのか頬から顔が赤面して行く蓮。


「べべべっっ……!

 別にそんなんじゃ無いんだからねっっ!

 勘違いしないでよねっ!

 竜司が成長した感じがしたからお姉さん的なアレがソレしただけなんだからねっ!」


 何言ってんだこいつ

 アレやソレやと。


 焦り過ぎだ。

 いつものツンデレにプラスアルファがある。


【アーア……

 また元の木阿弥……

 二人の距離が縮まると思って期待してたのにねぇん……

 ホントヤキモキするワァ】


 ルンルが僕らのやり取りを見て、ボヤいている。


 お前に言われなくても解ってるよ。

 僕らの関係は付かず離れずなんだ。

 今までずっとこうだったんだ。


「そんな事はどうでもいいよ。

 練習を再開しよう」



 !!!?



 この発言を聞いた蓮の顔が急変。


 声も上げず急変。

 何となく怒ってる気がする。


「れ……

 蓮……?」


「知らないっっ!

 竜司のバーカバーカッ!」


「な……

 何だよ急に……

 何怒ってんの……?」


「フンッ!

 早く練習再開シマショーよっ!」


 これは本当に解らない。

 いや、ウソとかじゃ無くて本当に解らない。


 何で蓮は怒ってるんだ?

 結局理由も解らないまま練習再開。


 僕は一先ず蓮に倣って魔力量コントロールの練習をし始める。


 20キロ。

 30キロ。


 イメージのしかたはさっきと同じ。

 どうやら上手く行っている様だ。


 20キロと30キロでは大きさが違う。

 フヨフヨと浮かんでこちらに来る魔力球を避ける。


 ガレアから抽出された魔力球は地で弾け霧散。


「マネしないでよっ!」


 蓮の怒号が僕に向かって飛んで来た。


 えええ。

 元々お爺ちゃんが僕に教えてくれって頼んで始まった自主練なのに。


 そんな事言われてもなあ。

 どうしよう。


 僕に怒りを向けながら依然として魔力は吸収せずに散らしている蓮。

 何かズルいなあ。


 僕もこのままボーッと見ていてもしょうがない。

 何かしないと。


 20キロ


 考えた結果、まずガレアから魔力を抽出。

 小さな魔力球がこちらにフヨフヨと向かって来る。


 ギュッ


 フワフワ向かって来る魔力球を握り、体内に吸収。


 ドッッッックゥゥゥゥゥンッッ!


「グゥゥッッ……!」


 心臓が大きく高鳴る。

 右手と心臓は大分離れているのに何で高鳴るんだ。


 そのまま体内で魔力は移動。

 へその下辺りを目指しているのかな?


 集中フォーカス


 移動する魔力に意識を集中させ、操る。

 目的地は右足。


 よしよし。

 移動してる移動してる。


 体内で動いていた“熱”は僕の右足まで到達した。


「よし……

 これでいいかな?」


 僕は右脚を上げ、思い切り大地を踏み付けた。


 ダァンッッッ!


 僕の耳に巨大な衝撃音。

 同時に視界が急激に変化。


 地表が離れて行く。


 下に。

 物凄い速度で。


 何だ?

 何だこれ!?

 何が起きた!?


 やがて地面が離れて行くのが止まる。

 その段階で気付いた。


 これは僕がジャンプしたんだ。


 凄い。

 片足に魔力を集中して踏み付けただけなのに。


 今の僕の高度は何メートルだろう。

 垂直飛びの世界新記録は知らないけど、多分それよりも遥かに高い。


 これが魔力注入インジェクト


 ……ん?


 急速で離れて行った地面が今度は高速で近づいて来る。

 落下してるんだ。


「ウワワワァッッ!!?」


 グラァッ


 僕は空中でバランスを崩す。


 当然だ。

 だってこんなに高く跳躍した事なんて無いんだから。


 グングン近づいて来る地面。


 え?

 これって2、3階建ての建物から飛び降りたのと変わらないんじゃ……?


 え?

 え?


 ちょちょちょちょっとっ!

 ちょっと待ってっ!


 焦り出す僕。

 飛び上がる時よりも速く地面が近づいて来る。


 もう激突は免れない。


 あ、死んだ。

 僕死んだ。


 止まらない落下に刹那的な観念をした……



 その瞬間。



 グンッッ!!


「ゲホッッッッ!」


 急に首が絞められ、大きく咽返むせかえった。


 襟首が引っ張られた感覚。

 唐突に発生したこの感覚。


 突然の事に状況が把握できない。


 あれ?

 地面にぶつかって……

 ない。


 それどころか離れて行っている。


【竜司、お前何やってんだよ】


 バサァッ


 見上げるとそこには翠色の大翼を大きくはためかせているガレアが居た。


 ようやくここで状況把握。

 激突しそうな所をガレアが助けてくれたんだ。


「ガ……

 ガレア……」


【なあ竜司、お前多分あのままほっといたら死ぬんだろ?

 アステバンで見たぞ】


 頭上から怖い事を聞いて来るガレア。

 ちなみにアステバンと言うのはお気に入りの特撮の事。


「う……

 うん……

 まあ……

 でも助かったよガレア……

 ケホッ」


 助かったのは助かったけど、襟首を掴まれているから首が絞まりむせてしまう。

 これじゃあ首つりと一緒だ。


【人間ってほんっとうに弱っちいよな。

 あれぐらいの高さから落ちただけで死ぬんだもんな】


「そ……

 ケホッ……

 そんな事……

 ケホッケホッ……

 言われても……

 ゲホッゴホッゴホッ!

 あ……

 あの……

 ゲホッ……

 ガレア……

 そろそろ降ろしてくれない?

 ……ゲホッゴホッ!!」


 苦しい。


 別にガッツリ首を絞められている訳では無いので少しぐらいなら話せるが、もう限界だ。


【ん?

 竜司、お前さっきから何ゲホゴホ言ってんだ?】


 長い首をひょいと曲げ、キョトン顔を僕に向けるガレア。


 駄目だ。

 竜のガレアには僕の危機が伝わっていない。


 苦しくて返答もままならない。


 バッ!

 バッ!


 僕は必死で地上を指し示す。

 話す事が難しいならジェスチャーしか残されていない。

 とにかく何度も何度も地表を指し示す。


【ん?

 何だ地面に降りたいのか?】


 やった。

 伝わった。


 頷くと更に首が絞まりそうなので右手でサムズアップを形作り、ガレアに向けた。


 ヒュン


 ここでようやくガレアが下降。

 すぐに地面に辿り着いた。


 ドサッ


 襟首からガレアの手が離れる。

 そのまま四つん這いになった。


「ゲホッ!

 ゲホゴホゲホッ!

 ゴホゴホゲホォォッッ!!」


 僕は四つん這いのまま地面に顔を向け、激しく咽返っている。


【何だよ竜司。

 どうしちまったんだお前。

 さっきからゲホゴホとよ】


 キョトン顔で首をかしげているガレアは僕が死にかけたと言う事を解っていない。


 そんなガレアに応答する事も出来ず、しばらくむせていた。

 やがてようやく落ち着いて来る。


「あー……

 死ぬかと思った……」


【何だそりゃ?

 お前が死にそうだったから俺が助けたんじゃねぇかよ】


 確かにそうだが、僕は死にかけたのはそれじゃない。

 ガレアに襟首を掴まれ首が絞められたからだ。


「ふー……

 確かにそれはそうなんだけど……

 人間って地面に激突するだけじゃ無くて首を絞められても死ぬんだよ」


【うん、まあそりゃそうだな】


 え?

 解ってるの?


 なら何でしばらく襟首掴んで軽い首吊り状態のまま放置してたんだ?


「……だから、ガレアが首を掴むからね……

 首が絞められて死にかけたって事」


【え?

 俺、お前の首なんか掴んでねぇぞ?

 お前らが被ってるヘンな奴を持ってただけだぞ】


 ガレアが言ってるヘンな奴って言うのは衣服の事。

 竜は服と言う存在を良く解っていない。


 そりゃそうだ。

 いつも真っ裸で歩いてるんだから。


「いや……

 そのヘンな奴を掴むから首が絞められたんだって……」


「竜司っ!

 大丈夫っっ!?」


 先程まで怒っていた蓮が一転。

 物凄く心配そうな顔で駆け寄って来る。


 機嫌、直してくれたのかな?


「うん……

 何とか……

 まさか魔力注入インジェクトを使ったらあんなに高く飛ぶなんて思って無くて……」


「もう……

 あんまり心配かけないでよ」


「ご……

 ごめんね蓮……」


 こうして僕らは練習を続けた。


 蓮はずっと魔力量コントロール。

 僕はガレアの魔力を取り込んで集中フォーカスの練習。



 1時間後



 怠い。

 何か物凄く怠い。


 身体中を大きな怠さが駆け巡っている。


 へたっ


 とうとう地面にへたり込んでしまう。


「ん?

 竜司どうしたの?

 バテちゃった?」


「わかんない……

 けど……

 何かすっごい怠いんだ……」


「多分魔力を取り込み過ぎたのね。

 じゃあそろそろ帰ろうか?

 もう暗いし」


 気が付くと辺りはもうどっぷり夜。

 夢中になっていたせいか解らなかった。


「うん……

 と言いたい所だけど……」


 身体に力が入らない。

 まるで身体を巡る怠さが力を込める事を阻害している様。


「ん?

 竜司どうしたの?」


「立てない……

 んだよね……」


「もう、だらしないわね。

 ホラ……

 肩、貸したげるから。

 手ぐらいなら伸ばせるでしょ?」


「う……

 うん……」


 僕はゆっくりと手を伸ばす。

 その手首を蓮の白い手がしっかりと掴んだ。


 グィィッ


 蓮が思い切り僕の腕を引く。

 同時にしゃがみ僕の脇辺りに顔を差し込んだ。


 香る良い匂い。

 すっごい良い匂い。


「よいしょ……

 っと」


 グアァッ


 そのまま蓮が立ち上がった。


「うわっ」


 蓮から香る良い匂いに気を取られていた僕はバランスを崩す。


「キャッ」


 覆い被さる様に蓮の身体へもたれかかった僕。

 予想外の動きに蓮も声を上げる。



 フニ



 咄嗟に出した掌に何か少し柔らかい物が当たる。


 本当に。

 本当にほんの少しだけ柔らかい。


 柔らかい物が僕の掌に包まれている。


 ヤバい。


 脳裏に過った言葉。

 僕はこのほんの少し柔らかい物が何か解っていた。


 蓮の身体に深く身体を預けてる僕は恐る恐る顔を上げる。

 そこには顔を真っ赤にして固まっている蓮。


 そう、僕の掌に収まっていたのは……



 蓮の胸。



 僕がバランスを崩し、倒れ込み、咄嗟に出した手が蓮の胸を鷲掴み、真っ赤になって固まっている蓮の顔を見上げるまで10秒も経っていない。


「キャーーーーーーッッッッッ!!!!

 エッチーーーーーーーーーッッッ!!」


 蓮の絶叫。


 バチコーーーンッッッ!!


 同時に猛烈な蓮のビンタが僕の右頬に炸裂。


「ブヘェェッッッ!」


 ドシャァァァァァッッッ!


 僕は豚みたいな呻き声を上げ、吹っ飛んだ。

 そのまま地を滑って行く。


「どこ触ってんのよっっ!

 竜司のエッチッ!

 バカッ!

 ヘンタイッッ!」


 僕は暗い夜の空を見上げ、一人呆けていた。


 ニギニギ


 蓮の怒号は耳に入らない。

 僕は先程まで自分の掌に包まれていた蓮の“女”の部分を反芻していた。


 蓮はやっぱり女の子だ。


 当然と言えば当然なんだけど幼馴染と言う距離感が邪魔をして時々忘れそうになる。


 けど、こうしてしっかり女の子なんだ。

 最近本当に可愛くなって来たもんなあ。


「何思い出してニギニギやってんのよっっ!

 竜司のスケベッッ!

 エッチッッ!

 どうせちっさいとか思ってんでしょッッ!?

 ヘンタイッッ!

 巨乳狂いッッ!

 オッパイ星人ッッ!」


 目ざとく僕の動きを見ていた蓮から更に罵詈雑言が飛ぶ。

 僕は別に胸が大きい方が良いとは言って無いんだけどなあ。


 黙っているのを良い事に言いたい放題だ。


 ヒリヒリ


 蓮のビンタが炸裂した右頬がヒリヒリと熱を帯びている。

 効いたなあ。

 やはり部活で毎日鍛えているからだろうか。


【何か解らんぞ竜司】


 にゅっ


 視界の外から緑の竜の顔が伸びて来た。


 ガレアだ。

 何か今日は良く見る光景。


「何が解らないの?」


【お前がペラペラになって立てなくなったのは解る。

 けどお前を持ち上げようとした蓮が何でお前をぶっ叩いたんだよ。

 そこが良く解らん。

 助けようとしてたんじゃ無いのかよ?】


「そ……

 それは……」


 言いにくい。

 正直とても言いにくい。


【それはねぇん。

 竜司ちゃんが乙女の禁断の果実に触れてしまったからよぉん】


 言い淀んでいる僕を尻目にルンルが答える。


 禁断の果実って。

 また叙情的な言い方するなあ。


【キンタのカンジって何だ?】


 まあそりゃそうなるわな。

 ウチのガレアに解る訳が無い。


【まだガレアちゃんには早かったかしらぁん。

 とにかく竜司ちゃんは蓮の触っちゃダメなトコに触れちゃったからシバかれたのよ】


【ふうん、何か良く解らんが分かったぞ】


 何か良く解らないが分かった。


 これはガレアの口癖。

 要は言ってる事は理解出来ないが了承したと言っているんだ。


「ねぇガレア……

 僕を載せて家まで運んでくれない?」


 初めからこうしていれば僕ははたかれずに済んだんだ。


【しょうがねぇやつだな。

 ホラヨ】


 ムンズ


 無造作に僕の頭を掴んだガレアはぶっきらぼうに腕を回した。


 ドサッッ!


 半円を描き、僕の身体が回転。

 そのままガレアの背中に載せられた。


 視界の急変が気持ち悪かったが、声を上げる事は無かった。

 それだけ身体を気怠さが縛っていたんだ。


「ガレア……

 ゆっくり……

 歩いて帰ってね」


【めんどくせー奴だなぁ。

 解ったよ】


 ドスドスと歩き始めたガレア。

 並んでついてくる蓮とルンル。


 一言も発しない。

 顔も赤い。


 やはりさっきの胸を掴んだ事が尾を引いているんだろうか?


「あの……

 蓮……?」


 僕はガレアの背にへばりつきながら蓮に話しかけた。

 魔力吸収の影響からか話すのもかなりしんどい。


「な……

 何よ……?」


 僕に目を合わせない。

 そっぽを向きながら応答する蓮。


「さ……

 さっき……

 は……

 ごめん……

 けど……

 別に胸が小さいなんて……

 思って無いよ……

 蓮が……

 女の子なんだなぁってビックリしたぐらいで……」


「そ……

 そう……

 ん?

 ……ってってどういう意味よっっっ!?

 竜司っっ!

 貴方、今まで私を何だと思ってたのっっ!?」


 ようやく振り向いた蓮。


 が、顔は怒っていない。

 口調は怒っているんだけど、顔が……


 何と言うか。


 怒りたいんだけど怒れない。

 嬉しさが邪魔をして怒れない。


 そんな感じが見て取れる表情。


 口をへの字にして怒っている意志を僕に伝えたいのだがどうしても口角が上がってしまう。

 眉毛を谷の字にしたいのだがどうしても上がってしまう。


 二つの感情がせめぎ合ってるため、湧き上がって来る感情も隠せず丸解りだ。


「え……?

 そ……

 そりゃ女の子と思ってたけど……

 何となく幼馴染だから忘れてたって言うか……」


「忘れてたってどう言う意味よっ!」


 ズズイと顔を近づける蓮。

 それは変わったはにかみ顔。


 怒るか嬉しがるかハッキリして欲しいなあ。

 それにしても何が嬉しかったのかな?

 良く解らない。


「だ……

 だから……

 蓮と僕って昔からの付き合いだからすっごく距離が近いじゃない……?

 だから家族みたいな感覚って言うか……

 けどさっき……

 れ……

 蓮の胸を触った時に……

 女の子なんだなって……

 ……再認識?」


 この発言を聞いた瞬間、更に蓮の顔が赤くなる。

 さっき二つの感情って言ったけど間違い。


 正確には恥ずかしさと怒りと嬉しさの三つだ。

 忙しいなあ。


「私の胸を触ったとか言わないでよっっ!

 恥ずかしいじゃないっっっ!

 ……恥ずかしい……

 じゃない……」


 右手を胸に当てて何かモジモジしてる蓮。


 具体的に蓮が何を考えているか解らない。

 けど、これ以上この話を続けるのはヤブヘビな気がする。


 結局この後、僕らは一言も言葉を交わさなかった。

 やがて蓮の家に到着。


「じゃ……

 じゃあ、蓮。

 僕はこれで……

 今日はありがとうね」


「…………うん…………

 おやすみ」


 短い。

 短い言葉。


 けど、何だか物凄く。

 物凄く可愛い気がした。


「……おやすみ……

 また明日」


 こうして僕らは蓮達と別れ、自宅に戻った。



 すめらぎ



 ガラッ


 僕を背に乗せたまま、ガレアが玄関の戸を開ける。


 身体の怠さはピーク。

 もはやただいまを言う元気も無い。


 ひょい


「竜司さんかいな?

 ただいまも言わんで行儀の悪い……

 って竜司さん、どないしたんどすか?」


 居間から顔を出した母さん。

 ガレアの背でグッタリなっている僕の方へ歩み寄って来る。


「ちょ……

 や……」


 返答もままならない。


【おうカーチャン。

 何かよ竜司がペラペラになっちまったんだ】


「ほうやねぇ。

 ペラペラやねえ。

 大方、ガレアさんの魔力を取り込み過ぎたんやろ」


 何か僕の周りの人達が良く使うペラペラ。


 会話の前後からボロボロとかグダグダとかの意味合いなんだろうけど、あまり他の人で聞いた事が無い。


「ん?

 十七とうなさん、どうしたんじゃ?

 竜司が帰って来たのでは無いのか?」


「あぁ、お義父とうさん。

 これ、見ておくれやす」


 お爺ちゃんも顔を出し、母さんに招かれてガレアの方に歩み寄って来た。


「……何じゃ竜司。

 だらしないのう」



「そ……

 い……」


 駄目だ。

 もうまともに話せない。


「フム。

 おそらくインターバルを置かずに何度も魔力を取り込んだ為じゃろうて。

 ガレア、スマンがこのまま竜司を部屋まで運んでくれんか?」


【おう、わかったぞ】


 ガレアは僕を背から降ろし、両手で抱える。


 言わばお姫様抱っこ状態。

 ちょっと恥ずかしい。


【んで竜司はいつ戻るんだ?】


「少量魔力を重ねて取り込み続けただけじゃからたかが知れておる。

 今晩寝れば翌朝には元に戻るじゃろ」


【そうか。

 良かったな竜司。

 寝れば治るってよ】


 これはガレアなりに僕の身を案じてくれているのだろうか?


 けど、返事出来ない。

 本当に怠い。


「あぁあぁ無理じゃ無理じゃ。

 竜司は今話す事は出来ん。

 魔力による疲労は蓄積する。

 体内に残ってはおらずとも尾を引く物じゃ」


【ふうん。

 残ってねーのにペラペラになんのか。

 ケタケタケタ。

 人間ってやっぱ弱っちいな】


 そりゃ竜と人間を比べられても。

 いや、それよりかお爺ちゃんが結構喋ったにもかかわらず概ね理解している。


 あのガレアが。

 普段ならたくさん言葉を使って長く喋るとキョトン顔になる癖に。


 何かズルい。


「まあそう言うなガレア。

 これでもお前の主人マスターじゃ」


【解ったよ。

 んじゃ俺は竜司を運んで来るわ】


「ウム。

 頼んだぞ」


 ドスドス


 ガレアが僕を抱えて二階に上がった。

 背中に伝わる振動で解る。


 ガチャ


 あ、扉を開けた。


 僕の部屋かな?

 ガレアも人間社会に慣れたものだ。


【確か……

 竜司がいつも寝てるトコってここだったっけ?】


 ポイ


 まるで物を放る様に軽く投げ飛ばされた僕の身体。


 ドサッ


 慣れた感触。


 間違い無い。

 ここは僕のベッドだ。


【さー終わり終わり。

 タイガーボールの続きでも読むか】


 一仕事終えたガレアの興味はもう漫画に移っていた。

 竜のガレアに期待なんかしてなかったけど掛布団なんかはかけてくれないんだな。


 僕は投げ出されたままの体勢から動く事が出来ない。

 いや、頑張れば掛布団を引き寄せるぐらいは出来そうだけどその気力が湧かない。


 怠い。

 本当に怠い。


 僕は体内の大きな怠さに意識を奪われるかの様に眠りについた。



 翌朝



 僕はゆっくりと目を開ける。

 僕は昨夜の体勢のまま横になっている。


 身体は……

 うん、問題無さそうだ。


 ゆっくりと半身を起こした。


【ぽへー……

 ぽへー……】


 隣には高く積まれた漫画の塔に囲まれて寝ているガレアが居る。

 相変わらず間の抜けたイビキだなあ。


 僕はゆっくりとベッドから降りて立ち上がった。


 うん、普通だ。

 いつもと変わり無い。


 昨日の怠さが嘘の様だ。

 今、何時だろう。


 午前6時30分。


 部屋に掛けられた時計は長針と短針が重なっている。


 少しゆっくりと朝食を食べれるぐらいの時間。

 僕は制服に着替え始める。


【お?

 竜司うす。

 もうペラペラじゃねぇんだな】


 僕が着替えている物音でガレアも起きた。

 寝覚めの良い奴で起きるとすぐ平常通り話せる。


 ガレアがムニャムニャ的な事を言ってる所なんて見た事無い。


「おはようガレア。

 昨日はごめんね」


【別に良いって事よ】


 こうして着替えを終えた僕はガレアを連れて一階に降りる。


 居間から話し声が聞こえる。

 お爺ちゃんと母さんの声だ。


「おはよう」


【オハヨウゴザイマス】


 そのまま居間に向かった僕は朝の挨拶。


「おう、竜司。

 おはよう、身体はもう大丈夫かの?」


 涼し気な藍色の甚平を着たお爺ちゃん。

 隣には黒スーツのカイザ。


「おはようお爺ちゃん。

 うん、身体はもう何とも無いよ」


「それは何より」


「あら竜司さん、今日は早いどすなあ。

 おはようさん」


 台所から朝ご飯を運んで来た母さんも朝の挨拶。


「うん、おはよう母さん。

 何か目が覚めちゃって」


「昨日はエラいはよから寝よったからなあ。

 んでもう身体はどうもないんどすか?」


「うん、もう何とも無いよ」


「そらよろしおす。

 さあさあ竜司さんも朝餉あさげ、運ぶん手伝ってんか?」


「あ、うん」


 僕はすぐさま台所に向かう。


【おっ?

 姫の息子じゃねぇか。

 昨日はペラペラだったなあ。

 もう大丈夫なのかよ?】


 同じく台所から朝食を運んで来るダイナとすれ違う。


 基本勝手気ままな者が竜なのに、こいつは母さんの言う事を甲斐甲斐しく聞いている。


 理由は知らない。

 これは母さんの事を姫と呼ぶのに起因しているのかな?


 今度聞いてみよう。


「あ、ダイナ。

 おはよう。

 うん、もう大丈夫だよ」


【それはなによりだ。

 ん?

 息子も運ぶの手伝ってくれんのか?

 ありがとよ】


 僕はそのまま台所へ。

 朝食をおぼんに載せ、Uターン。

 手早くおかずを居間のテーブルに並べて行く。


【おっ?

 メシか?】


「そうだよ。

 ガレア、たまには行儀良く食べてね」


【ンな事、竜の俺に言われても知らねーよ……

 イタダキマス】


 ガツガツ


 いつも通りガツガツと犬食いで食い始めたガレア。


 こいつガレア、食べ方は犬やネコと変わらないんだけど、挨拶だけはちゃんとするんだよなあ。

 本当に良く解らん。


「竜司さん、自分の竜の不始末は自分で片しぃや」


「う……

 うん……」


 これはガレアが食べ散らかした後始末を僕にしろと言っているんだ。

 まあ別にいつもの事だから良いけどさ。


 僕は自分の食事を手早く終えた。

 そそくさと洗面所へ向かい、水を入れたバケツと雑巾を持って来る。


 そしてガレアが汚した床をとっとと掃除する。

 何か妙に掃除スキルだけ上がった気がする。


 毎日やっていると手慣れたものですぐに掃除完了。

 僕は部屋に戻り、カバンを持って来る。


「ガレア、そろそろ学校に行こう」


【おう、トーコーってやつだな】


「うん。

 お爺ちゃん、母さん。

 それじゃあ行って来ます」


「ウム」


「いってらっしゃい」


 こうして僕は学校に向かった。

 今日は普通の時間割り。


 魔力技術実習は週に一度だけ。

 次は来週だ。


 そんな事を考えていると前に見慣れた焦げ茶色の竜と女の子が歩いている。

 蓮とルンルだ。



 ドキン



 蓮の背中を見た僕の心臓が急を告げる様に高鳴った。


 蓮の背中。

 うっすらと華奢な両肩から真っ直ぐ線が下に伸びており、胸辺りで横にもう一本。

 T字の形を作っている。


 ブラジャーだ。

 蓮はブラジャーを付けている。


 ドキドキ


 動悸が早くなる。


 蓮が女の子と再認識したのは昨夜。

 夜が明けてこれである。


 否が応にも意識してしまう。


 ドキドキ


 声をかけるべきなんだろうけど、声が出て来ない。

 蓮の背中から溢れる色気に僕は気を取られていた。


 ドキドキ


 鼓動の早鳴りが止まらない。

 目も背中を凝視。


 別に暑くなれば、女性は薄着になる訳だし、背中から下着が透ける自体珍しく無いんじゃって思うかも知れない。


 けど、そうじゃない。


 確かに夏になればよく見る風景かも知れない。

 けど違う。


 対象が違う。


 蓮なんだ。

 幼馴染の。


 しかも昨日女の子なんだって再認識した所。

 声が出て来なくなっても無理ないんじゃ無いかって思う。


【ん?

 前に居るのルンルじゃねぇか?

 おーいっ!】


 僕が戸惑っている所、ガレアが声を上げた。


【ん?

 あらぁんっ!

 ガレアちゃんと竜司ちゃんじゃなぁいんっ!

 チャオッ!】


 ルンルが茶色く長い首を後ろに曲げ、朝の挨拶。


「ん?

 あ、竜司……」


 振り向く蓮。


 前髪サイドに伸ばしている水色の髪が重力に逆らう事無くストンと下に向かっている。

 汗が滲んだ白い顔はいつもの可愛さだけじゃ無くて何処か艶やかさも感じられた。


 ドキン


 また心臓が高鳴る。


「お……

 おはよう……」


 多分僕の顔は赤かっただろう。


「お……

 オハヨ……」


 けど、それは蓮も同じ事。

 蓮の両頬も赤かった。


 モジモジ


【ん?

 何だコイツら?】


 モジモジ


 僕と蓮。

 互いにモジモジし始める。


 それを不思議がっているガレア。


【なールンルー。

 こいつらまたおかしいぞ】


【あぁガレアちゃんにはワカんないか。

 この子達はネ……

 昨日の事、思い出してんのヨ。

 ケド、竜司ちゃんは何か違うっぽいわね……

 何か昨日より動揺してる様な……

 蓮、アンタ何かやったのォ?】


「…………ん?

 え……?

 な……

 何よ?

 何かやったって」


【ソんなの私が知る訳無いじゃなぁいん。

 ケド何か竜司ちゃんの様子が昨日と気持ちちょっと違うからねん。

 何かやったんじゃないかってね】


 目ざとい。


 何なんだ。

 物凄く敏感だぞこの竜。


「そ……

 そんなの知らないわよ。

 大体アンタ、昨日別れてからずっと私と一緒だったでしょ?

 ……昨日……」


 更に顔が赤くなる蓮。

 モジモジの振れ幅が気持ち大きくなった。


【ハイハイ。

 昨日のチチモミ思い出してモジついてんじゃ無いわよ。

 そんな事してていいの?

 ガッコ……

 遅刻しちゃうんじゃない?】


「チッッ……

 ルンルゥゥゥッッ!

 何言ってんのヨォォっっ!

 オシオキしてやるゥゥッッ!」


 ルンルの言葉に激昂した蓮。

 両手を広げてルンルに襲い掛かる。


【ヒェッッ!

 電流機敏エレクトリッパーはカンベンしてェェェッッ!】


 ズドドドドドッッ!


 蓮とルンルは走り去っていった。


 ルンルの言っていた電流機敏エレクトリッパーって言うのは蓮のスキルの事。

 体内電流の通電速度を上げて素早く動けたり、掴んだ相手の体内電流を狂わせて痺れさせたり出来るんだって。


 どう言う原理かは知らないけど。


【何か行っちまったな。

 どーすんだ?】


「どうするって言われても……

 僕らも登校するしかないんじゃない?」


 走って登校して行った蓮達とは裏腹にいつも通りの歩速で登校する僕ら。


 龍驤りゅうじょう学院は家から徒歩で45分ぐらいの所。

 ほんの少し遠いかなって感じるぐらいの距離だ。


 初夏の日差し。

 ジメジメと湿気の高い大気が身体に纏わり付く中、僕は学校に向かって歩いて行く。


 やがて学校に到着。

 着く頃にはもう白い半袖カッターシャツが汗で滲み始めていた。



 龍驤りゅうじょう学院 校門



「おう、すめらぎ

 おはようございます。

 やいやい」


 ゴリ先生がいつものように校門に立って挨拶している。


「おはようございますゴリ先生」


「やいやい。

 何か先に新崎が来とったが、今日は一緒じゃ無いんじゃのう」


 ゴリ先生が大きく眼を見開いてギョロリと僕を見つめて来る。

 まるで僕の頭の中を覗き込んでいるかの様だ。


 背も僕より全然高いから食べられてしまうのではと言う錯覚に陥る。


「い……

 いや……

 途中までは一緒だったんですけど……

 何か走って行っちゃって……」


すめらぎィ。

 やいやい~

 お前が何かしたんじゃないのか~?

 やいやい~?」


 何かやった?

 確かに昨夜はしたけど今日はしていないぞ。


「き……

 何もしてませんよ……」


「ガァハッハッハッ!

 まあええわい。

 はよ、校舎に入れ。

 いつまでも外じゃあ暑いじゃろう。

 やいやい」


「はい、じゃあ失礼します」


 僕は校舎に入る。


 ちなみに龍驤りゅうじょう学院の校舎内は空調が効いている。

 全館に効いている為、中に入れば涼しい。



 2-1 教室



 登校完了。


 僕は後ろから自分の席に向かう。

 見ると蓮は既に座っていた。


 頬杖を付いてそっぽを向いている。

 まだ暮葉さんは来ていないみたいだ。


「蓮、さっきは急に走り出してどうしたの?」


 僕は蓮に声をかけた。

 気付いた蓮は頬杖を解き、こちらに振り向いた。


「あ、竜司…………」


 僕を認識した蓮。

 見る見る内に顔が赤くなって行く。


「クゥ~~~…………」


 何か可愛く唸ったかと思うと俯き出した。


【リリリリ……

 竜ジ……

 ジジジジジジ】


 隣にいるルンルは何かおかしい。

 全然が回ってない。


 これは蓮のスキルの影響だ。


 前に一度だけ見た事ある。

 結局お仕置きを喰らったのかルンル。


「おはよーっっ!」


 始業ギリギリにやってきた暮葉さん。


 一瞬で教室の空気が華やぐ。

 さすがアイドル。


(あっ!

 クレハっ!

 おはよーっ!)


(クレハっ!

 おはよーっ!)


「みんなおはよーっ!」


 クラスの女子が口々に挨拶。

 その中に久留島くるしまさんとその一派も居た。


 けど暮葉は特に気にせず普通に挨拶してる。

 昨日汚いと罵っていたのに。


 いや……

 多分昨日の汚い発言は多分悪口だと思って無いんだろう。


(おはようございます暮葉さん)


 基本暮葉に挨拶するのは女子ばかり。

 男子はそのオーラに話しかける事が出来ないらしい。


 けど、一人。

 ただ一人。


 男子の中で声をかけた奴が居た。


「あっ!

 ベッツッツトムくんっ!

 おはよっっ!」


 そう、ベンガリだ。


 あの陽キャラ代表のシノケンですら暮葉さんのオーラに充てられて様子を見ていると言うのに。


 こいつはやはりアホなんじゃないか?


 暮葉さんは男子だろうと女子だろうと分け隔てなく弾ける様な笑顔で挨拶してる。

 その笑顔に顔が緩んでいるベンガリ。


(き……

 今日は遅かったですね。

 何かあったんですか?)


「んーんっ!

 さっきまでお仕事してたのっ!」


(えっ?

 さっきまでって……?

 暮葉さん、寝て無いんじゃ……?)


「ん?

 寝たよ。

 30分ぐらい」


(さ……

 30分て……

 そんな睡眠時間で大丈夫なんですか……?)


「平気よ。

 だって私、竜だもん。

 ベッツッツトムくん、心配してくれてるのね。

 ありがとう」


 そう言いながら優しい笑顔をベンガリに向ける。


 竜って睡眠しなくても良いのかな?

 うちのガレアは割とよく眠るけど。


(ホウワッッ!

 あっっ……

 いえいえっっ!

 僕なんてそんなっ!)


 奇声を上げるベンガリ。


 自分の好きなアイドルが自分だけに笑顔を向けているんだ。

 骨抜きになっても致し方ない。


 相変わらず名前は間違ってるけど。


「おはよーっ!

 竜司っ!

 蓮っ!

 ガレアッ!」


「暮葉、おはよ。

 朝から元気ね」


「お……

 おはよう……

 暮葉……

 さん……」


【オハヨウゴザイマス】


「あと、昨日のオカマさんもおはよっ!」


【……ん?

 あぁアタシの事?

 まあオカマは間違って無いケド……

 アタシにはルンルって名前があんのよ】


「ルンルン?

 何か可愛い名前ね。

 それで何で貴方はここにいるの?」


【ンが一個多いわよ。

 ル・ン・ル。

 そりゃアタシの主人マスターは蓮だもの。

 ここに居て当然よ】


「えっ!?

 そうなのっ!?」


 グルッ!


 勢い良く蓮の方を見る暮葉。


「え……

 えぇそうよ。

 ルンルは私の竜」


「じゃあ蓮もオカマなのっっ!?」


 どうしてそうなる。


「……どうしてそうなんのよ。

 私はれっきとした女の子…………」


 あれ?

 また顔が赤くなった。


「女の子……

 よ……」


 今日は朝から赤面しっぱなしだな蓮。


 女の子……

 あ、何となく解った。


 蓮の赤面の理由。

 多分昨日の事を思い出してたんだろう。


 具体的な部分までは解らないけど朝からの赤面はそれが原因かな?


「ん?

 蓮、どしたの?

 顔、まっかっかだよ」


「うううううっっ……

 うるさいうるさいっ!

 こっち見んなっ!」


 恥ずかしさのあまりそっぽをむいた蓮の顔を回りこんで追いかける暮葉さん。


「ねえねえ何で顔赤いの?

 蓮?

 ねえねえ何で何で?」


 あ、これ見た事ある奴だ。

 て言うか体験した奴だ。


 多分、暮葉さんの中にスイッチ的なものがあるんだろう。

 疑問スイッチ。


 それがONになると解消せずにいられなくなる。


「何で追いかけるのよっ!」


「だって蓮がそんなに顔が赤いの不思議なんだモン。

 ねえねえ何で?

 何でまっかっかなの?

 ねえ何で?」


 しつこい。

 本当に聞くまでやめないんだな。


 ピィーッ!

 ピィーッ!


 ここで広い教室に電子的な警笛音が響き渡る。


「……あ……

 また間違えた……

 つか、コレもーウチの通過儀礼的なカンジになってね……?

 まーどーでもイんだけどサ……

 あーっあーっ……

 聞こえてっかージャリ共ーッ……

 今から朝礼始めっぞーっ……

 あ~~~……

 怠ッ……」


 既に裏辻うらつじ先生は教壇に立っていた。

 隣に乳白色の竜を連れて。


 それにしても気配と言うか存在感と言うか希薄な人だなあ。


「あっ先生が来たわよ。

 ホラ、暮葉。

 早く座らないと怒られるわ」


「えっ?

 あっ!

 チョーレーが始まるのねっ!

 解ったっ!」


 さっきまでしつこく聞いていたのに一転。

 全くそんな疑問は抱いていなかったと言わんばかりに態度を急変させる暮葉さん。


 みんな着席。


 こうして朝礼かどうかも解らない朝礼は終わり、授業が始まる。



 某年 7月中旬



 あれから数週間が過ぎた。


 その間、魔力技術実習も数回あり、大分魔力の吸収も慣れて来ていた。

 相変わらず心臓は高鳴るものの、もう意識を失う事は無かった。


 僕は今、蓮と一緒に本牧山頂公園に出向いている。

 魔力技術のトレーニングの為だ。


「ん?

 竜司、どうしたの?」


 僕の前で蓮が拳を握り、前に突き出して構えている。

 まるで組手を行うかの様だけど違う。


 これは最近習った”手合い”と言う魔力技術のトレーニング方法。


 お互い竜から魔力を取り込んで、突き出した拳に集中フォーカス

 出来るなら保持レテンションもかけておく。


 そしてゆっくり拳を突き出し、相手の拳が触れる瞬間に発動アクティベートを使う。

 威力が低い方が吹き飛ぶと言う訳だ。


 発動アクティベートって要は体内の魔力を爆発させる技術らしくて拳の速度がゆっくりでも関係無いらしい。


「あ……

 いや、僕も魔力を扱うのに慣れたなあって思ってね」


「フフッそうね。

 最初なんて気絶してたもんね」


「そう言えばそうだったなあ。

 つい数週間前の事なのに随分昔の様に思えるよ」


「だって私達、普通の人じゃ経験出来ない事やってるんだもん。

 時が経つのを早く感じるのも無理ないんじゃない?」


 確かに魔力なんて一般人じゃ扱えないもんな。

 これは竜河岸と言う人種に生まれた特権だな。


「フフフ。

 そうかもね。

 じゃあ練習続けようか」


 お互い少量魔力を体内に取り込み、集中フォーカスをかける。

 僕の方が先に拳を伸ばし始めた。


「……やっぱり、準備は竜司の方が早いわね……」


 準備が出来た方から拳を伸ばすんだ。

 集中フォーカスの練習は割とみっちりやってたから蓮より一日の長があるみたい。


「フフン……

 集中フォーカスは割とやってるからね」


 蓮も続いて拳を伸ばし始める。


「……けどね……」


 ゆっくり。

 ゆっくりとお互いの拳の距離が縮まって行く。


 距離は一センチ未満まで近づいた。


発動アクティベートッッ!」


 互いに叫ぶ。


 バキィィンッッ!


「うわっっ!」


 吹き飛んだのは僕の方。


【おっと】


 ガシィッ!


 後方に居たガレアに受け止められる。


「くそっ」


【何だ竜司。

 今日は割と勝ってたのにまた負け始めてんじゃねぇか】


「ガレア……

 ありがと」


 僕はガレアの両腕から降りる。


【ンフン。

 これで今日は10勝7敗ねん】


 少し遠い所でルンルがしたり顔。


「フフン。

 竜司ッ!

 今日は私の勝ち越しねっ!」


 ドヤ顔の蓮。

 ドヤ顔でも可愛い。


「……チェッ……

 何だろう……?

 さっきまで調子良かったのに……」


「確かに集中フォーカス発動アクティベートは竜司の方が上手だわ。

 だから私は考えたの」


「考えた?

 何か対策を打ったって事?」


「そう、簡単な話よ。

 多分私が取り込んでいる魔力量は竜司のより多いと思うわ。

 だから単純なエネルギー量の差よ」


 なるほど。


 いくら技術が優れていてもその下にある魔力量の差は覆せないって事か。

 まあ優れているって言っても僕ら学生の技術なんてたかが知れてるんだろうけど。


 確かに魔力量コントロールは蓮の方が僕の数段上を行っている。

 多分中量に差し掛かるギリギリ辺りの魔力量を取り込んだんだろう。


「でも……

 おと先生も言ってたでしょ?

 ある種、手合いは敗けた方が竜河岸として大成するって……

 意味は解らないけど……」


 僕は意味も解らない事を負け惜しみとして使う。


「多分、今の私の様な事じゃないかしら?

 敗けたなら敗けたなりの理由があって、それが解れば対策を講じる事が出来るじゃない?」


 なるほど。


 対策を考える事に慣れれば、それが経験となって身になるって事かな?

 慣れる程、敗けるって心が先に折れてしまいそう。


 まあ相手が蓮の様に見知って無いと手の内なんか簡単に明かしてはくれないだろうけど。


「なるほどね。

 じゃあもう一本お願い出来る?」


「あら?

 対策を思い付いたのかしら?」


「対策って言うか試してみたい事……

 かな?

 合ってるかどうかは解らないけど」


「ふうん。

 まあ良いわ。

 やりましょう」


 もう一度ガレアから少量魔力を抽出。

 体内に吸収。


 向かいで蓮もルンルから魔力を抽出して取り込んでいる。

 今度は蓮の方から拳を突き出して来た。


「……今度は私の方が早いわね。

 竜司、集中力が途切れちゃったのかしら?」


 続いて僕も準備完了。

 ゆっくりと拳を突き出す。


 ゆっくりと少しずつ近づいて行く互いの拳。


「……さぁ?

 それはどうだろうね……」


 距離が1センチを切った。

 接触する。


発動アクティベートッッ!」


 蓮と僕の声がシンクロ。

 闇夜の空に響く。


 バキィィンッッ!


「キャアッッ!」


 今度は蓮が吹き飛んだ。

 真横に真っすぐ飛んで行く。


【オッシャラァッ!】


 ガシィッッ!


 ルンルが蓮を受け止める。


「これは……

 出来た……

 って考えて良いのかな?」


「な……

 何で?

 さっきと全く同じ中量ギリギリラインの魔力量だったのに……」


【蓮、敗けちゃったわねん。

 竜司ちゃん、やるわね】


「び……

 びっくりした……

 ねえ竜司、一体何したの?」


 ルンルから降りた蓮が堪らず尋ねて来る。

 勝敗の結果に納得行っていない様子。


「えっと……

 保持レテンション……」


「え?

 保持レテンションやってみたの?

 どうやって?」


「えっと……

 圧縮機に魔力を入れて圧縮するイメージを描いて……

 その後に集中フォーカスしたんだよ」


「圧縮機?

 そんなの見た事あるの?」


「いや、そんなの見た事無いよ。

 とりあえず圧縮するのがコツって聞いてたからここ最近ずっと圧縮機の動画見てた。

 知ってる?

 圧縮機って容積形とか遠心形とか色々あるんだよ?」


「知らないわよそんなの。

 それで上手く行ったの……

 ってそれが解りにくいんだっけ、保持レテンションって」


「そうなんだよね。

 だから手合いで試してみたんだ。

 多分蓮は同じやり方で来ると思ってたから」


「じゃあさっきは取り込んだ魔力をそのまま集中フォーカスしたから敗けて、今回は魔力に保持レテンションをかけたから勝ったって事かしら?」


「うん……

 多分そうじゃないかな……?

 自信無いけど……

 けどおと先生は保持レテンションをかけるのとかけないのでは威力、精度が違うって言ってたし……」


「何よ。

 けどけどって煮え切らないわねぇ」


「だ……

 だって……

 保持レテンションって上手く行ったかどうか解らないし……」


「そう言うトコは相変わらずね。

 まあ良いわ。

 今日は10勝8敗で勝ち越しだし。

 テストに向けて少し自信付いたわ。

 ありがとね竜司」


 何だか噛ませ犬みたいな扱いだなあ。


 期末テストも明日から始まる。

 学科に関してはまあ据え置きと言った所だけど、魔力技術試験がある。


 女子の部と男子の部と日を分けて行われる。

 試験の内容は当日にしか発表されない。


 が、魔力注入インジェクトの試験はもっぱら模擬戦になるとの噂。

 模擬戦になるって言われてもなあ。


 僕は格闘技はおろかケンカすらやった事無いってのに大丈夫かな?

 だんだん心配になって来た。


 続く

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