終焉 05

 ゴポリ、と形の整ったミカエラの口から黒い液体が零れる。勢いを殺しきれずにアンジュはその場でゴロゴロと転がり、

「うっ!」

 雪月花を守りながら何とか壁の手前で止まる。エリヤはアンジュの後ろで倒れていた。アンジュは手早くエリヤの傷を確認する。

 クロウの弾丸は確かに腹部を撃ち抜いていたが、致命傷には至らないだろう。それを確認してから、アンジュは立ち上がり、クロウの元へ駆ける。

「クロウ、大丈夫ですか?」

「アンジュこそ。頬に擦り傷...。女の子なのに」

「こんなの、平気ですから」

 アンジュはそう言ってにっと笑う。無邪気なその笑顔にクロウは笑い返した。

「......許さない」

 その声にアンジュとクロウはミカエラの方を向く。そう、戦いはまだ終わっていない。ミカエラは震える手のまま、ナイフを投げつけた。

「っ!」

 アンジュはクロウを痛みのない左肩から押し倒す。が、アンジュのポニーテールは間に合わず、

「アンジュ......」

 金髪がパラパラと、切られて落ちた。

 アンジュは僅かに目を見開いたがすぐにゴムの不要性を感じ、外す。すると、肩よりやや長めと、短くなった髪型に変わる。

「問題無いです、大丈夫」

 アンジュはすくっと立ち上がり、雪月花の切っ先をミカエラへ向けた。

 バチバチとショートしたような電気の音を鳴らしながら、ミカエラはフラフラとしたおぼつかない足取りで、アンジュ達へと近付いてくる。

「人間......。家畜同然、のお前達がぁ?...わ、私に勝つ......?有り得ない、有り、得ない」

 綺麗であった声は液体の水音と機械音で擦れ、耳に障る音へと変わり果て、よろめく。

 美しい白の四肢はどす黒く汚れてしまい、先程までの作られた美しさの面影など一切見えない。そんな自身の身体にミカエラは絶望する。

 どしゃり、と立てなくなってしまったミカエラはその場にうずくまった。

「ああ......、あぁあ...」

「み、.........ミカ、エ...、ラ...」

 ミカエラはか細く聞こえる声に、ぎちぎちと音を鳴らして首を捻る。そこには気絶していたはずのエリヤが這いつくばってズルズルと、ミカエラの元へ這って来ていた。

「エリヤ.........」

「あぁ......俺のミカエラ...。やっと普通に呼んでくれたね」

──こういう時でも、効能は切れないのか。

 クロウは胸糞悪さに顔を顰めた。

 エリヤは懸命にミカエラの元へ近付き、ミカエラの身体を抱き締めた。

「ミカエラ......死んでしまうのかい?」

「ふふ...、今更私の心配を、しないで、下さいまし。私は......もう、貴方を操っては......」

「操る?...そんな事はない。......俺は君を愛している」

 エリヤのしっかりとした言葉に、ミカエラは目を見開く。

 エリヤは初めて会ったあの日から、ミカエラだけを見続けていた。心の底から本当に愛し続けていたのだ。確かに操っていたという事実はある。だが、そんなものなども関係なく──。




 その事に、ミカエラは気付いてしまった。




 ミカエラは自嘲気味に微笑んだ。

「......あぁ、貴方は...、馬鹿な人、ね」

「そうかも、しれないな。でも、君が、どうしようもなく...、好きなんだよ。ミカエラ」

 エリヤはミカエラへ口付けをしようとして、ミカエラがそれを止めた。

「このオイルは、人体に、影響がありますわ......。貴方様が、......死んでしまいます」

「っ!?エリヤ様、おやめ下さい。次期国王とならせられる貴方様がお亡くなりになられると、民も王も...。困り果て、路頭に迷われてしまいます」

「......ダルシアンの娘、か」

 エリヤはアンジュを覚えていた。

 第12師団の団長の義妹であり、天賦の剣の名手である、美しい金髪を抱く、まるで天使のような娘である、と。

「ダルシアンの娘よ......。生きてこの事を伝えよ」

 エリヤはしっかりと芯の通った声で、アンジュの制する声を止めた。そしてアンジュの瞳を茶色の目で見据える。

 表情は初めて出会った頃のように穏やかで落ち着いており、それ故に有無を言わさないものだった。





「この国の守護女神ミカエラは......。この俺が──、殺したと」





「っ!!」

 アンジュが止めに入るよりも早く、エリヤはミカエラの唇を奪い取った。

「ん、んん......」

 ミカエラの口から吐息と体液が溢れ、エリヤの口からは黒い液体と自身の血液が混ざりあって落ちていく。

 それは、扇情的でありながら悲しく、儚い光景であった。

「がは...っ」

 エリヤはオイルの毒素に耐えきれず、ミカエラから口を離す。エリヤが咳き込むと同時にごぽっごぽっ、と体液と液体が吐き出される。

「エリヤ様......っ!」

「ミカ、エラ......」

 エリヤは震える指でミカエラの目尻を拭った。その行動にミカエラは目を丸くする。

 機械人形アンドロイドであるミカエラには、涙腺など存在しない。汚れでも付いていたのか、とミカエラは手で拭うが、手には透明な水が付着するだけだった。

「...ミカエラ」

 エリヤは力を入れて彼女の頬に伝う『涙』を拭った。そして、笑いかける。

「泣かなくていい。君と共に居られるならば、いいんだよ...」

 そしてエリヤはだらりと手を床へ垂らし、瞳は閉じられた。ミカエラは、今から冷たくなっていくであろう彼の身体を抱き締め、

「エリヤ様...、エリヤ様っ!」

 何度も何度も名前を呼び、涙を流し続けた。

「.........エリヤ様」

 アンジュも衝撃を受ける。仕えていた人間を、たった今目の前で失ったのだから。クロウはアンジュの肩を支え、

「大丈夫か?」

「......問題無いです」

「...アンジュ、もうそろそろ終わらせよう。本当は俺が撃つ担当だけど、頼めるか?」

 クロウはそう言って、アンジュへ拳銃を手渡した。アンジュはこくりと頷いてそれを受け取り、窓の外から時間を知らせる鐘へ狙いを定める。

 普段は時間通りに自動的になる鐘だ。これを鳴らせば、作戦の完全終了を意味する。

 アンジュは一呼吸置き、それから引き金を引いた。

 パンと空気音がして、



 ゴーンゴーン......、ゴーン...、ゴーン...


 神宮中は勿論、街の半分まで響き渡っていく。

「......急ごう。これに加えて警察が来たら厄介だ」

「えぇ」

 アンジュはクロウへ拳銃を返し、窓の淵に足をかけた。外を覗くと、所定の位置にウィルソンとユエが待ち構えていた。その横には、

「あ、ジルさん」

「知り合いなんですか?」

「友達だ。神兵として潜んでいた、〈片翼の使者〉のスパイメンバーらしいよ」

「成程」

 アンジュは小さく頷き、振り返った。

「.........私達は断罪天使。もう、貴方の罪は裁きました。ですからもう、...罪の意識に囚われぬように」

 アンジュはそう告げて、窓の外へ飛ぶ。それから、

「ミランを殺した恨み、俺は忘れない。でも、もう......。アンジュに命じて許してやる」

 クロウがアンジュの後を追うように、窓の外へ飛んだ。






「............エリヤ様。...私、初めて、人を愛しましたわ......」







「愛するというのは、大変ですね。辛いですね。苦しいのですね。でも.........」









「悪くは、無いですわ」



◆◇◆◇◆◇


 ウィルソンとジルヴィアに身体を受け止めてもらった2人は、彼らと共に〈夢遊館〉へと足を向けた。

「クロウ」

「ん?」

「あれで本当に良かったんでしょうか」

 帰り道、ユエはウィルソンに抱き抱えられて先を進み、その横にジルヴィアが並び立ち、クロウとアンジュはその後ろを並んで歩いている。

 アンジュは顔を曇らせている。

「私は断罪という...、言わば大義名分を掲げてことを成しました。でも、あれが正しかったのか...、本当は私が間違えていて....」

「アンジュ」

 クロウは、アンジュの左手をギュッと握った。顔は向けずに、正面を向けたまま。

「アンジュ...、正しいとか正しくないとか、そんなのは誰も決められない。それは唯一、今まで頑張ってやって来たアンジュだけが決められるんだ。だから迷ってもいいけど、否定しちゃいけない。今までの事を無駄にしてしまう」

「クロウ......。そう、ですね」

 アンジュはクロウの手を握り返した。

「ありがとう、クロウ...」

 月に照らされたその笑顔に、クロウはドキリと胸を高鳴らせる。


──その笑顔は、天使の微笑みであった。


◆◇◆◇◆◇


 アンジュ達が窓から飛び降りて数分後、

「エリヤ様っ!!」

〈片翼の使者〉を何とか退け、シェリーを筆頭に率いられた宗教騎士団の一派だった。誰もがそこに広がっていた光景に目を奪われる。

 そこには事切れた男と、壊れた女のロボットがいた。

 男も女も穏やかな笑みを浮かべて目を閉じており、女は目から涙を流していた。そして、2人の手には神兵が力づくで離さなければ解けない程、しっかりと握られていた。


 そして窓の近くの床には、まるで抜け落ちた天使の羽のように──、金色の髪の毛が散っていた。

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