死闘 05

 クロウは階段を駆け上がる。急いで、急いで。自分の体力の限界を突破してもなお、走り続ける。

 アンジュが1人で奮闘し、劣勢に立たされている可能性もまだ捨てきれないのだ。

──もし殺されていたりなどしたら...。それは紛れもなくクロウの責任だ。

 クロウは階段を登りきり、【師団長室】の扉を勢いよく開けた。

「アンっ、...ジュ......?」

「あ......ぐ......」

 クロウはアンジュの名を呼ぶ途中で、その言葉を詰まらせてしまう。

「...クロウ?」

 床に倒れたアッシュを踏みつけているアンジュが、そこにはいた。

 アッシュの上半身は血で赤く濡れており、痛みに顔を歪めている。だが、クロウは彼に気を取られてはいなかった。

 アッシュを見下ろすアンジュは、クロウの知るアンジュではなくなっていた。

 狂気に取り憑かれた瑠璃色の瞳を抱き、口角を上げて薄笑いを浮かべる、復讐という『化け物』そのもののようであった。

「......ねぇ、クロウ」

「...アンジュ」

「......ふふ、ねぇクロウ。どうしたらもっと、もっと痛ぶれると思いますか?」

「っ!?」

「......あぁ、そういえば。確か人間は、手足を切り落としても生き続けられると聞いた事があります。ですから、それを試してみるのも…、いいかもしれませんね」

 彼女は雪月花をアッシュの肩へ刺し、グリグリと痛みが増しになるように捻る。アッシュは唇を噛んで、その叫び声を押さえ込む。

「......師団長、叫んでも構いませんよ?私、誰にも言いませんから。強がらずとも良いのですよ。貴方の罪は、私が、裁きます」

 一切の曇りのないその瞳は、躊躇いなど見受けられない。彼女は肩から雪月花の先を抜き、思い切り振り上げる。

 クロウからすれば、この男がどうなろうとも構わない。ただ、復讐に囚われていようとも、人並みに他人の傷を痛む心は持ち合わせている。

 クロウは素早く振り上がったアンジュの腕を掴む。そして、アンジュの身体を床へと突き飛ばす。アンジュはバランスを崩して倒れ、手から離れた雪月花をクロウは綺麗にキャッチする。

「っ、クロウっ!?」

 アンジュは驚嘆の声を上げ、しかしすぐに怒気を孕んだ目に変わった。

「......クロウ。どういう事、ですか?私は復讐を......っ!クロウだって...!」

「この人を殺したら、アンジュも同じになる。この人にそこまでする必要は無いだろ」

「っ!?でもっ」

「それに、アンジュにそんな目をさせたくて、俺はアンジュと手を組んだ訳じゃない」

 クロウのその言葉にアンジュは目を見開いた。そして目を閉じてゆっくりと呼吸をし、復讐に息巻いていた気持ちを落ち着けていく。

「......私、おかしかったですね」

 改めてアンジュは先程までの自身の気の触れように、ぼそりと感想を漏らす。クロウはアンジュの頭を軽く叩き、雪月花を彼女の足元へ置く。そしてアッシュへ近付く。

 クロウは倒れたアッシュをじろりと見下ろす。

「アンジュは、決してアンタを許したわけじゃない。それは、アンジュの右腕が戻らないのは事実だからだ。アンタくらい優秀な人材なら、この意味は分かるだろ?」

「.........................」

「...なぁ。俺さ、アンタに黙っていいって言ってないけど?」

 クロウはアッシュのこめかみにナイフを押し当てた。人肌よりも冷たい刃先がアッシュのこめかみを冷やす。

「いいか。一生お前はこの罪を背負え。忘れるな。常に見据えて、懺悔しろ。アンタは神に祈りを捧げる有神論者なんだ。永遠に、アンジュの未来を...、将来の夢を奪った罪を、その人生に背負うと誓え。神に、俺に、アンジュに」

「......ち、か、...う」

「声が小さいな」

 クロウはナイフをこめかみから外し、床を勢いよく刺した。勿論、刺さりはしないが小気味よい音がアッシュの耳朶を撫でる。

「っ、誓うっ!!」

「いい返事だ」

 クロウはナイフを床から抜き取った。それからアッシュの服を切り裂き、鎖骨の下辺りにナイフを滑らせた。

 縦に一閃、横に一閃。殺さぬように、その身体から決して消えぬように、何度も何度も同じ方向で切りつけた。しばらくしてクロウは彼から離れる。

 アッシュの鎖骨には、痛々しく血で滲んだ十字架クロスが刻まれた。

 クロウは顔を上げて、その傷を指の腹で丁寧になぞった。

「その傷は、証だ」

 クロウはナイフをしまい、アンジュの元へ向かう。そして手を指し伸ばした。

 アンジュはその手を取り、勢いをつけて立ち上がる。

「行こう、アンジュ。全てのこの元凶を断罪する為に」

「.........えと、クロウ」

「ん?」

 クロウは首を傾げた。

 アンジュは少し口ごもり、それから「ありがとうございました、それとすみませんでした」と告げた。クロウは目を丸くして、それから頬を掻いて、

「いいよ。もう済んだことだ。さ、アンジュ」

 クロウは掴んでいたアンジュの手を引いた。アンジュは彼の目を見て静かに頷く。

「えぇ、クロウ」

 アンジュとクロウは【師団長室】から飛び出し、階段を駆け上がる。

 目指す場所は、決戦の地。エリヤとミカエラの居る最上階の部屋だ。

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