死闘 02

 ユエは『爆弾』を読み込んでいく画面を睨みながら、辺りを見回していく。

 ここまで壮大なスケールのコンピュータ室は見たことが無かった。クリミア教会の際もクロウに頼まれ似たような事をしたが、それよりもやはりラファエロ市内で、かなり重要な役割を担う場所であるが故に、ここまで大量に置かれているのだろう。

──そろそろ、終わるね。

 ユエは軽く指を鳴らして、目の前のキーボードに軽く触れる。そして、『爆弾』が完全にインストールされた。無理矢理パスワードが開かれる。

「さてさて...、ここからはぶっつけ本番か」

 ユエは独り言と共に口角を上げて笑い、キーボードでパソコン上に打ち込んでいく。起動ボタンを押し、後はこれがきちんと起動したのを確認してから、ウィルソンがここへ戻ってくるのを待つだけだ。

 ユエが伸びをしたその時、ガチャリと扉の開く音がした。

 ウィルソンが確認に来たのか、と首だけを振り向かせると、

「.........貴女、誰?」

 死んだ緋い目をした、三つ編みの赤毛をした女神兵が立っていた。

「っ!」

──ウィルがやられた!?

 一瞬ユエは焦るが、自分のこの僅かにしか動かない両足では彼の元へ確認に行く事も、ここから逃げ出す事も不可能だ。

 彼の無事を信じなければいけない。ここを防がなければ。

 ユエは、その女神兵─ティリンスを見上げる。

 一方のティリンスは、今日の不穏な雰囲気を肌で感じ取り、アッシュの元へ『本当に大丈夫なのか?』という旨の内容を訊ねに行った。

 しかし、あっさりと追い返されてしまい階段を降りていた時だった。バタンと扉の閉まる音が聞こえたのだ。

 アッシュの居る【師団長室】は既に閉まっており、他の部屋も開いている部屋は無かった。ならば考えられる可能性は3つある。

 玄関ホールへ向かう廊下の扉が開閉したか。コンピュータ制御室へ繋がる扉が開閉したか。あるいは聞き間違いか。

 いずれにせよ確認せずにはいられずに、ティリンスはコンピュータ制御室へ繋がる扉を開けた。

 そして、今に至っている。

 ユエがスッと腰のポーチに手を伸ばしたのを見て、ティリンスは目にも止まらぬ速さで彼女へ近付き、彼女の座る椅子を蹴った。ユエは驚きながらも受け身を取りつつ、床へ転がる。

「.........弱い?」

「痛いなぁ、もう。酷いったらありゃしないよ」

 ユエは片腕を床について僅かに上半身を起こし、ナイフでティリンスを牽制する。しかし、そのナイフをティリンスは蹴り飛ばす。ユエはこの間に身体を起こして座る。そして更にナイフを数本取り出した。

「......立たないのは、何故?......馬鹿にしてるのか?」

「ちょっと違うかなぁ。立たないんじゃなくて、立てないんだよ」

 ユエはさらっとそう言い、ティリンスの足を切りつけるようとする。しかしそれは数歩下がられて躱される。

「見逃してくれると嬉しいなぁ。...もう間もなく始まるんだから」

 ユエの言葉にティリンスが眉を寄せたのと同時に、けたたましい電子音が大音量で鳴り始める。ティリンスも、仕掛けたユエも耳を抑える。

 その音と共に、画面全体が鮮血色に染まっていく。そして、そこには白い文字が自動入力されていく。

武闘会パーティーの開始。作業開始作業開始』

「......っ一体何を...っ!?」

「音声プログラム...っていう素材。『爆弾』と合わせておいたんだよねぇ」

 ユエは彼女へウィンクをして、手に持つナイフへキスを1つ。





「私は情報屋〈黒藤の猫〉。以後、お見知りおきを」





◆◇◆◇◆◇


 ユエとティリンスの戦いが幕を開けようとする、少し前。

──まずいな。

 持ち場についているクロウは、今の状況を端的に言い表した。否、思い表した。

 クロウは出来る限り誰にもバレぬように、相棒のノアと別れてアンジュと共にこの神宮へ侵入しなければならない。それも、ユエが〈片翼の使者〉のメンバーに襲撃を知らせる放送よりも出来るだけ早く、だ。

 しかし、ノアが何処かに行く素振りも無く、ギラギラと獣のように辺りを見回している。クロウがトイレ休憩に行くと言えばいいのかもしれないが、そうしてしまうと、アンジュとの集合場所とは逆方向になってしまう。

 したがって、どうしてもノア自身が何処かに行く事を願うしかないのだ。ここはクロウの運の良さがものを言う。

──どうしたらいいんだ...?

 クロウは懸命に考える。

 その時だった。

「ノア」

 2人の持ち場に1人の人間がやって来た。銀髪をオールバックにした眼鏡の男が彼へ声をかけてきた。

「シズマ」

 シズマ。その単語にクロウは聞き覚えがあった。

 クリミア教会襲撃の際の要注意人物。確かアンジュが『先輩』と称していた人間だったはずだ。

──ノア先輩の知り合いだったのか。

 人間関係にクロウは心の内で驚く。

「...済まんが、お前の相棒を借りるぞ」

「は、はい!」

「ご、ごめんねクロウくん」

 ノアは謝りながらシズマへ手を引かれて連れて行かれた。

 クロウはシズマに心の内で礼を言い、アンジュとの集合場所へ向かう。

 約束の場所の茂みの木の幹にもたれかかるように、神兵の服を着たアンジュは立っていた。

「アンジュ、ごめんっ!」

「いえ、大丈夫です」

 それと同時に響き始める。

『パーティーの開始。作業開始作業開始』

 それはトール率いる〈片翼の使者〉が動き始める合図だ。

 クロウは目元を覆い隠す黒いゴーグルを装着しながら、その放送と男達の咆哮を聞いていた。

「急ごう」

「えぇ」

 アンジュとクロウは神宮の正面玄関の方へ向かう。

 そこでは思惑通りに混乱が生じていた。

 神兵に扮した〈片翼の使者〉のメンバーと、トールの率いる変装していない〈片翼の使者〉とで宗教騎士団の神兵達に対抗している。これでは横にいる仲間が本当に異教徒では無いのかが分からなくなってくる。

 裏切り。疑惑。困惑。そんな感情が彼らの中で渦を巻いている。

「......上々ですね」

「あぁ」

 アンジュとクロウは神宮の中へ入る。中もまた神兵と行き違いになりつつ、螺旋階段の部屋へ行く為の扉を開ける。

 ここからはまだ被害の大きさを知らない人間も多いだろう。2人は各々の武器を開けたと同時に構えた。

 しかしそこには、既に倒れている神兵達しか居なかった。

「えーと...、これは、何でだ?」

 クロウは疑問に思いつつ、1人ひとり手負いの傷を確認していく。

 息をしている事から殺されている訳では無い。皆、首辺りや腹部に強烈な一撃を受けて倒れてしまっているようだった。

「トールさんの刺客がやって下さったんでしょうか?」

 あまりの拍子抜け加減に、アンジュも目を丸くしていた。

「とにかく、手間が省けるな。先へ進もう」

 アンジュはこくりと頷いて、螺旋階段への扉を開けた。

 そして、2人は階段を上っていく。

 ただただひたすらに、2人は上へ上へと階段を駆ける。

 その時だった。ヒュンと風を切る音がした。

「っ伏せろっ!」

 クロウは目の前を走るアンジュへ声をかける。スッとアンジュは身を伏せて、飛んできた何かを躱した。

 横を向くと、長銃─アレクシイの銃口をアンジュへ向けた紅蓮の瞳の青年─ノア・ナサニエルが立っていた。

 アンジュは眉を寄せて、クロウはナイフを抜いて姿勢を低くした。

「アンジュ、先に行って。俺が食い止める」

 クロウはアンジュへボソボソと用件だけを告げる。アンジュは小さく頷いて階段を上っていく。ノアが追いかけようと駆け出したが、クロウがナイフを振るう。

「この先へは行かせないから、先輩」

 その声にノアは目を見開く。

 クロウは目元を覆い隠す黒いゴーグルを外し、顔を露わにした。

「......っクロウくん」

「びっくりしましたか?それとも...、絶望しましたか?」

 クロウは努めて爽やかに微笑んでそう言う。ノアはギリッと歯噛みし、睨む。

「君は...、ずっと俺らを、騙してたのか!」

「騙してたって...、人聞き悪いですよ。俺の事を勝手に信用したのは、貴方達でしょう?」

「っ!」

「確かに俺は神兵になったけど、魂まではなって無いんだよ。俺の心は妹を救えずに絶望したあの日から、何も変わって無いんだ」

 クロウは切っ先をノアへ向ける。その常磐の瞳は、美しく燃え上がっていた。

「......どうして君もアンジュも、立ち止まらないんだ。進んで行く、遠い場所へ。それがどんなに辛くて大変か、分からない?」

 ノアはアレクシイをすぐ引けるようにし、

「ぁあああああああああっ!!!」

 撃った。それも乱射だ。

 中に入っている弾丸が無くなるとほぼ同時に、ノアは中身を入れ替えて連射を続ける。

 クロウはノアの弾丸が無くなってから突撃する事も考えた。その方がすぐにこの勝負は終えられる。しかし、クロウは降り続ける銃弾の雨をナイフで弾きながら、ノアの元まで駆ける。勿論、クロウの肌を弾丸は切っていく。が、足を止めることなく地面を蹴って跳躍した。

 そして、ノアへ向けてナイフを振るおうとした瞬間、








「ぱぁん」















 クロウの左肩が撃ち抜かれた。

 クロウはバランスを崩してしまい、床を転がって踞る。それを見てノアは連射を止めた。

「う、ぐ...っ」

「あはは、僕の持ってるイオはね、貫通性の高い弾丸が撃てるの。ふふ、綺麗に君の肩に命中だ、クロウくん」

 出血を押さえる右手からパタパタと鮮血が溢れる。クロウは顔を顰めつつ、エリアスを睨み上げた。

 エリアスは赤銅色の銃身に紅色の装飾が施された拳銃を、クロウの額に狙いを付けていた。ジルヴィアは空いている彼の片手に手を添えていた。

「なんで、」

「そりゃあー、皆が神宮から出て行くのに、見た事も無い神兵が2人入って行ったら怪しむよねー、ジルが」

 どうやら序盤から尾けられていたらしい。口の中で舌を打つ。

「ま、その前から結構クロウくんを怪しんでたから、シズマくんに頼んでノアくんをここへ連れて来てたんだよ。そして、乱射の件。あれは僕らから目を反らさせる為さ。万が一、君達に気付かれるかもあるかもしれなかったからね」

 エリアスはニコニコと、イタズラが成功した子どものように告げていく。

 ちらりとクロウは後ろを見た。後ろでは、ノアがクロウの頭へ狙いを定めていた。上へ跳んでも助からないだろう。

──追い詰められている。

 ひたひたと、死が近付いてくるように感じられた。必死に頭を動かして打開策を考える。

「君の事は結構好きだったんだけどねー。僕も、ジルも。そんな君を殺さなきゃいけないなんてなぁ」

「......エリアス」

 ジルヴィアの声に応えるべくエリアスがジルヴィアの方へ向いた時、彼はエリアスの手からイオを叩き落とした。

 あまりにも唐突な事にその場の誰もが目を丸くする。

「っ!?ジルっ」

「...堪忍な、エリアス」

 そして手刀を落とし、エリアスを気絶させた。

「っ!?この、」

 ノアがアレクシイの引き金を引いて撃った。その瞬間、ジルヴィアの色違いの瞳が爬虫類のように裂けた。

 弾丸はジルヴィアの眉間を撃ち抜いた。しかし、ジルヴィアは死ぬ事なく傷口がどんどん塞がっていった。

 このような光景を、クロウは見た事があった。

「......吸血鬼」

「.........借りる」

 ジルヴィアはクロウの手からナイフを取り、ノアの手の甲を切りつけた。痛みに顔を顰めるノアにジルヴィアは顔を近付けて、

「............少し、動かないで」

 いつもより低い声音で告げた。

 クロウはこの間に座る。ジルヴィアはクロウへナイフを返した。

「............傷、見せてみぃ......」

 クロウは頷いてシャツのボタンを外し、肩の傷口を見せる。ジルヴィアはそこへ顔を近付け、傷口に舌を這わせる。しばらくすると傷口は消え、血は止まっていた。

「............ん」

「ありがとうございます。......えと、どうして俺を」

「ウィルさん.........俺、......知り合い」

 ジルヴィアの発言にクロウは目を丸くした。

「ウィルさん.........、少し前まで、〈片翼の使者〉のメンバー......やった。......でも、何故か最近、...音信不通......だった。でも、生きとったんやねぇ.........」

 のんびりした口調でそう言った。

「はい、......えと、その」

 なんと言おうか少し迷ったが、一応言っておくことにした。

「今は好きな人、守ってます」

「そう、か」

 ジルヴィアは久し振りに聞いた元同胞の近況に、この状況下であるにも関わらず、口元を緩ませた。

「.........さ、クロウ。.......行って、...おいで」


 その時、エリアスの指が動いた。


◆◇◆◇◆◇


 時は少し遡り、アンジュは1人で上へと足を進める。その時、足に何かが引っかかるような感覚がした。少し立ち止まり足元を見てみると、かなり細い線が落ちていた。どうやら、今これを切ってしまったらしい。

 アンジュは少し眉を寄せ、しかし立ち止まっている暇が惜しいので、気にせずに走る。そして、

「......っここ」

 アッシュがいるであろう【師団長室】へ辿り着いた。

 アンジュは息を整え、それから扉を開ける。

「......ダルシアン、か」

 彼女の右腕と未来を奪い取った男─アッシュ・オルタナティスムがいた。

 アンジュは胸の奥から溢れ出しそうになるどす黒い感情に蓋をし、スッと息を吸い込んだ。


「私は、断罪天使」


 そして。ようやく。


「さぁ、貴方の罪を裁きましょう」


 少女の復讐譚が、ゆっくりと真黒の幕を開けた。

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