嵐静 03

 ウィルソンに蹴り落とされたノアは、運良く茂みに落ちていた。それで衝撃が殺され、あまり酷い怪我を負う事もなく、助かっていた。そして、アンジュが雪月花を用いて放った斬撃の轟音を聞き、ここに来ていたのだ。

 そして、『元』相棒の2人は対峙している。

「......ノア」

「...アンジュ、ずっと君を探してた。ねぇ、どういう事だよ。何でアンジュが異教徒として、教会を襲ってるんだよ!」

 ノアはアレクシイの引き金に指を置いたまま、アンジュへ問う。

「......自分が前へ、進む為です。撃ってもいいですよ、ノア。私は異教徒。こうなった瞬間ときに、魔女裁判にかけられるだけの覚悟はしています」

 その言葉が暗喩している事は、死ぬ覚悟は出来ている、という事だ。

 アンジュの射抜くような瑠璃の目に、ノアは臆してしまう。引き金に置く指先が震えていた。

「っアンジュ、行くぞ」

 ウィルソンは逃走経路の為、壁を殴って穴を開ける。それは大きな音を立ててあっさりと開いた。そこからウィルソンは出た。






「...ノア、さようなら」






 アンジュもウィルソンを追って、出て行った。

 後に残されたのは、その背をぼんやりと見送っているノアと、座り込んだクロウだけだった。

「......先輩、大丈夫ですか?」

 ノアから発されるただならぬ雰囲気に、クロウは思わず口を開く。

「......クロウくん、俺は君の手本になれるような人間なんかじゃないんだ」

 ノアは自嘲気味にその口角を上げた。

「俺は臆病だ。弱虫だ。意気地無しだ。敵が知り合いだからと、引き金も引けない」

 ノアはアレクシイの銃口を下ろし、安全装置を掛けた。クロウもナイフを腰のポーチへしまい、立ち上がる。

「......はは、俺は...、昔から変わらないままなのに、アンジュは変わっていく。成長しない俺と、成長していくアンジュ。どうして、...どうしてこうなったんだ?」

 誰に問いかけるわけでもない、強いて言うならば、それは自分自身への問いかけであった。

 クロウは何も言わなかった。否、言えなかったという方が正しい。それ程までに彼の雰囲気は重かった。

「......先輩、大丈夫ですよ。落ち込む必要無いですから」

「...ありがとう、クロウくん。優しいね。こんなダメな先輩にも」

「...そんな事無いですよ」

──だって、俺は貴方や周りの人間を利用しているんですから。

 クロウは何も言わずに、ただただにっこりとはにかんだ。


 ◆◇◆◇◆◇


 時は少し遡り、アンジュとウィルソンが奮闘している頃合い。

 今日のカタリナ教会襲撃を知っていながら、シェリー・マリアンヌ=ダルシアンはとある場所に足を運んでいた。

 そこは〈夢遊館〉。シェリーはユエに呼ばれていた。

 シェリーは、暗がりの店内に恐れることなく入って行く。

 カウンターには、いつもの動作でコーヒーを白のカップへ注ぎ入れているユエが居た。

「......黒藤」

「....やぁ、御足労どうも。座って」

 有無を言わさぬ早さでユエに言われ、シェリーはユエの目の前のカウンター席に腰を下ろす。

「アンジュの取り押さえに行きたかった私とシズマを引き止めたんだ。それ相応の説明をしなかったら、......分かってるだろ?」

 シェリーの脅すような口振りに、ユエは軽く肩をすくめて見せた。

 どういう状況に置いても落ち着いて言葉を発しているのに、どんな相手にも決して臆すさない。それがユエという人間だった。

 ウィルソンだけは別なのだが。

「...シェリー。君を見込んで頼みがあるんだ」

「......何だ?」

「シェリーは、アンジュちゃんがどこで過ごしているのか、どうして右腕を失っているのか、知ってる?」

「...何だ急に」

「私は知ってた。あの日、君が私に会っている前から」

 ユエの言葉にシェリーは目を丸くした。手が出そうになるが、何とか自分を制する。

「あの時言えなかったのは、口止めされてたからなんだ。今は私の独断で喋ってる」

「......何で、私に」

「君はアンジュの気持ちが察せると思ったんだ。身近だからこそ、分かる事も分からない事もあるように、ね」

 ユエは少し微笑んで見せ、そして口を開いた。

「アンジュちゃんは、クロウ・ルーシャと共にこのラファエロ市をひっくり返すつもりだ。右腕を奪ったアッシュ・オルタナティスムへ復讐する為に」

 サァッとユエがあらかじめ開けていた窓から、風が入ってきた。それは2人の髪の毛を撫で、空気を塗り替える。

「...どういう事だ」

「アンジュちゃんは、エリヤが居るはずもない部屋にミカエラという人物と居る事に疑問を抱き、その扉の隙間から中の様子を覗いた。そこで見たのは、ミカエラが少年を何らかの方法で殺害した」

 シェリーは黙ったまま聞いている。

「そのアンジュちゃんを、アッシュ・オルタナティスムが目撃。口封じの為に殺そうと右腕を切り落とし、海へ落とした。しかし、偶然その場に居合わせたクロウ・ルーシャにより、手当てを受けて生還した。それ以後は〈夢遊館〉を根城に、アッシュへの復讐を企んでいる...、っていうわけ」

 ユエはひとしきり語り終え、未だ沈黙し続けるシェリーへ軽く笑いかけた。

「嘘は一切無いよ。ま、アンジュちゃんが私達に嘘を吐いてたらこれは私の推察の話になるけど...。彼女が嘘を吐くような子じゃ無いのは、シェリーが1番知ってるでしょ?」

 そうだ、シェリーはユエよりも彼女の事は知っている。アンジュが嘘を苦手とする、心優しい少女である事を。

「......それで、私に何を求めてる?それを私にくれたという事は、それ相応の情報が欲しいんだろ?」

「うん。端的に言うと、君らの神様を、売って欲しい」

 直球で、ユエがシェリーにそう言った。シェリーが怪訝そうに眉を寄せたのを見て、更に言葉を重ねる。

「女神ミカエラを、アンジュちゃんに売って欲しいの」

「......それは主君を裏切れという事か」

「シェリー。君の主君はエリヤだろ。あの女は主君でも何でもない、単なる尾ひれさ。アンジュちゃん達はエリヤへ危害を与えるつもりは無い。作戦は整ってる」

 一切言い淀む事の無いユエに気圧されつつ、シェリーは必死に頭で考える。

 何が正しい選択なのか、どうすれば良いのか。

 シェリーは久し振りに冷や汗を流した。

「私は、お前を魔女裁判にかけられるぞ?」

「覚悟は出来てる。あぁでも、アンジュちゃんはやるべき事がある子だから、彼女は見逃して欲しいね」

 ユエは軽くウィンクした。その余裕の表情は覚悟している者だからこそ、出来る表情であった。

「私は君の力が必要だと思って、全ては事を話した。クロウから作戦内容は聞いたけど、成功する確率は本当に分からない。なら、出来る限り成功するように持っていきたいからね」

 足が動けば、ユエもセキュリティ操作以外にも彼らを手助けてやりたいと思う。だが、それは不可能なのだ。ならば、少しでも彼らの力になったら良いと思い、こういう行動を起こしたのだ。

「これをどうするか、シェリーが決めて。それから手紙を寄越して。また内容を書いた手紙を送るから」

 シェリーはすくっと立ち上がり、〈夢遊館〉を飛び出していった。ユエは彼女の為に淹れたコーヒーの入った白いカップを手に取り、1口飲む。

「...さぁ、どう転ぶかな」

 その目は、情報屋〈黒藤の猫〉の頃に戻っていた。


 ◆◇◆◇◆◇


 アンジュとウィルソンは追っ手の事も考え、〈夢遊館〉までの道を蛇行しながら進んで行く。

「おい、そろそろ良いだろ」

「...そうでっ!?」

 アンジュがそう言って速度を緩めようとした瞬間、ゾクリと刺すような殺気に身体を射すくめられる。

 アンジュは足を止めて天を仰いだ。

 のっぺりとした灰色の建物の屋根の上。そこには月明かりを受けて銀に光る折りたたみ式の棍棒を手に、アンジュを見下ろしているシェリーが居た。見た者の動きを一瞬で止めるようなその瞳に、アンジュは生唾を飲み、素早く雪月花の方へ手を伸ばした。

「...おい、アンジュっ!逃げた方がっ!」

「いえ、後ろを向けたら、殺られます。ここで応戦した方が良いです」

 考えていない可能性では無かった。むしろ、カタリナ教会襲撃の件を知っていながら、シズマやシェリー、その他の師団が手を貸そうとしていない事に、アンジュは違和感を抱いてはいた。

 先回りされていたのか、とアンジュは眉を寄せる。

「......久し振りだな、アンジュ」

 シェリーは声を張って、眼下のアンジュへそう告げる。

「えぇ、姉さん。お久し振りです」

 アンジュが言い終わる前に、シェリーは身を低くし、跳んだ。

「嘘だろっ!?」

 彼女が居たのは、2階建ての建物だ。ノアは茂みのお陰で死なずに済んだが、普通の人間ならば自殺行為だ。

 しかし、シェリーは勢いを殺しつつ、アンジュに向かって棍棒を振るった。アンジュは雪月花に置いていた手をアリアドネへ変え、受け止める。

 ガキンと金属音が鳴り、アンジュの身体は後ろへ下がる。滑空してきた分シェリーの方が押しの力が強かったのだ。

 雪月花は何でも斬れるカタナだが、力ではすぐに負けてしまう。トールの言っていた言葉を思い出し、アンジュはアリアドネで応戦する。しかし、アリアドネとて完璧な剣では無い。折られる可能性もある。

 トントンとステップを踏んで、2人の距離は開いた。

「...アンジュ。私は迷っているんだ」

「......何が、ですか?」

「お前を捕まえるか、見逃して『復讐』を果たさせるか」

 シェリーの口から溢れた言葉に、アンジュは目を丸くする。どうしてシェリーが『復讐』の事を知っているのか、と。

「アンジュが私の背中を追い、厳しい訓練にも耐え、守護のダルシアン家の名に恥じぬ努力をして来たのを、私は知っている。だから、お前が右腕を本当にアッシュ師団長から奪われたのだとしたら、......そういう事も致し方ないかもしれん」

 シェリーは迷っていた。

 アンジュの努力する姿を見ていた。不義の子だと揶揄されていながらも、決してそれには耳も傾けず、ひたすらに『認められる為』に神兵として奮闘していた事を。

 しかし、シェリーは第12師団の団長を務める身の上である。異教徒となった彼女を見逃す事は、職業放棄と言っても過言では無い。

 仕事の自分か、情のある自分か。どちらの選択が正しいのか、シェリーには分からない。

 こんなにも二者択一で迷うのは、初めての体験だった。

「......アンジュ、答えてくれ。お前は、本当にアッシュ師団長に右腕を奪われたのだな?」

「はい、姉さん。私の名を賭けて、確かに」

 アンジュはしっかりと頷いた。

 その決意を持った瑠璃色の瞳に、シェリーは僅かに表情を緩めた。

「......そうか、分かった」

 そして棍棒を背の後ろへ隠した。それは戦闘を放棄するという事を意味する。アンジュはシェリーの行動に目を丸くした。

「...姉さん?」

「アンジュ、黒藤に伝えろ。お前の話に乗る、とな。...アンジュ、お前の中の強かさを、この私に見せつけてみろ。私を超えろ」

 シェリーはそこで言葉を区切り、アンジュを指差した。

「お前の魂の力強さが、この国を変えるのだと、証明して見せろっ!」

 シェリーの張った声にアンジュは目を見開き、静かに一礼した。

「ウィルさん、行きましょう」

「お、おぉ」

 アンジュとウィルソンはシェリーの目の前を通り過ぎ、〈夢遊館〉への道を急いで行った。

 シェリーは棍棒を3つに畳みながら、その消えゆく背を見送った。

「......ふふ、断罪天使...か」

 悪くない名前じゃないか。

 シェリーは畳んだそれを腰のポーチにしまい、混乱に満ち溢れているであろうカタリナ教会へと足を向けた。

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