嵐静 02

「お手紙です」

 赤い袋を腰に付けた郵便局員は、屯所の受け付けへ手紙が纏められた束を手渡した。

「ありがとうございます」と受け付けの人間のそう言って受け取った。郵便局員は僅かに頭を下げ、次なる場所へと自転車をこいで行った。

 受け付けの神兵は、手紙を各師団毎に振り分ける。そしてそれを手渡していくのだ。まずは1番遠い第12師団から、どんどんと数字は小さくなっていく。

「失礼します、シズマ団長」

「あぁ」

 そして、最後の第1師団へ神兵は足を踏み入れ、そこの机で資料を見ているオールバックの銀髪に銀縁眼鏡をかけた男─シズマ・アルバースに手渡した。

「ご苦労様」

「いえ、では」

 神兵が部屋から出て行ったのを確認してから、シズマは手紙を開く。

 第1師団団長という身、機密情報が書かれた手紙も多い。それを一般の神兵へ見せるのは流石に気が引けた。

 手紙は2つ。1つは近々シズマの仕えている人物エリヤ・ルシフェル=カスティアーナ第1王位継承者と、婚約者ミカエラとの結婚式を執り行うとの旨の内容だった。出席せよ、と書かれている。

 仕えている人物と言えども、他人の結婚等に心底興味は無い。が、立場上行かなくてはならないのだろう。シズマは憂鬱に溜息を吐く。

 そしてもう1枚、白い封筒に入れられた手紙を読む。一読して、シズマは冷静な顔を崩して、ニヤリと口角を上げた。

 それは、カタリナ教会へ攻め込むという内容が書かれた、【断罪天使】からの予告状だった。

 シズマは、すぐにこれがアンジュから送られたものだと分かった。

 ただ、何故このカタリナ教会を襲うのかという点は分からなかったが、書いてある事を鵜呑みにすれば『子ども達に思想を押し付けているから』という理由らしい。

 シズマに怪我を負わせた張本人であり、神兵から異教徒に変わってもなお生き延びている人間。

「...アンジュ」

 シズマはすぐシェリーの元へ電話を繋いだ。


 ◆◇◆◇◆◇


 数日後。

 木陰に隠れて、リリーの仕入れた全身黒づくめの衣装を着たアンジュとウィルソンは、カタリナ教会を見下ろしていた。

 子ども達が遊べる広い庭と、そこまで大きい訳では無い教会。下手をすれば、制圧も可能かもしれない。

「...ここに忍び込むのか」

「少し違います。半壊にします、ここの建物を」

 アンジュは鋭い瞳で、カタリナ教会を睨む。その目と纏う雰囲気の変化に、ウィルソンは威圧感を感じた。

「とりあえず、人間をボコボコにしていけばいいんだよな?」

「はい。......殺らないでくださいね?」

「...ユエと同じ事言うなよ。ンなに信用ねぇのか、俺は」

 ウィルソンは頭を掻こうとし、フードで覆い隠している事に気付く。

 ウィルソンの髪色は白である為、夜の闇にも目立ってしまい─、何よりそもそも白髪自体が珍しい。もしかしたらそこから身元がバレてしまい、ウィルソンが魔女裁判にかけられてしまう恐れがある。

 そこでリリーに頼んで、ウィルソンの黒づくめの服を頼んでいたのだ。

「よし、それじゃあまた。集合場所は聖堂だな」

「はい、また」

 ウィルソンはアンジュと別れ、庭の茂みへと向かって行った。

 アンジュもまた、ウィルソンとは逆方向へ向かっていく。


 アンジュはカタリナ教会の庭側に向かい、ここでウィルソンからの合図を待つ。

 やはり、今回は予告状を出している分警備は固い。ちらほらと、アンジュが神兵の時にも顔を合わせた事のある人間もいる。

 そして静かな夜に、突然何かを粉砕する轟音が轟いた。神兵の目は当然そちらへ向く。

 合図だ。アンジュは茂みから躍り出て、背後からアリアドネの柄で並んで立っていた2人の後頭部を瞬時に殴る。

 残りの神兵の目が、アンジュへ向いた。

「どうも、.........断罪天使です」

 初めてチーム名を名乗り、僅かながらアンジュの心は昂る。

 アリアドネの切っ先を彼らへ向け、アンジュは目を細めて薄笑いを浮かべる。



「さぁ、貴方達の罪を裁きましょう」



 神兵は各々の武器を手に、アンジュへ斬りかかってくる。アンジュはアリアドネを握り直し、身を低くして構えを取る。

「おらぁっ!!」

 1人の筋骨隆々な中年の神兵が、大剣を振り上げてアンジュへ斬りかかる。アンジュは素早く身を引き、大剣は地面へ突き刺さる。その時、向けられた銃口に気付いたアンジュは、すぐにその大剣の裏へ隠れる。

「このっ!」

「...殺しはしませんから」

 殴ってきた神兵に、アンジュはアリアドネで突きを放つ。それはその神兵の脹脛ふくらはぎに穴を開けた。彼はそのまま地面へ崩れ落ちてしまう。

「このっ!」

 そこでようやく地面に刺さった大剣を引き抜いた男は、それをまたアンジュへ薙ぐように振るった。

「甘い」

 アンジュはトンと地面を蹴って、その大剣の上へ乗って見せた。

 その神業とも呼べる所業に、その場の人間は固まる。反射神経と運動神経、この2つが揃っていなければこのような芸当は成功しないだろう。

 アンジュは大剣の上を駆け、呆気にとられている彼の側頭部を足の裏で蹴り飛ばした。そして地面へ綺麗に着地する。

「こいつ......っ!」

 只者ではない。その場の人間がそれを肌で感じ、凍り付く。

「お次は誰ですか?」

 アンジュのその平坦な声色は、ただただ彼らにとっては恐怖でしかなかった。

「お、応援っ!応援を頼むっ!」

 神兵の1人は大声で入り口を守っている仲間達へ呼びかける。だが、それは聞き入れられない。

 彼らもまた、庭側の神兵達に応援を求めているのだから。


 アンジュが奮闘している頃。ウィルソンもまた奮闘していた。

 ウィルソンの場合は、飛び道具等は一切使わずに、ただただシンプルな方法で戦う。殴り飛ばし、武器をへし折り、蹴り飛ばす。

 普通の人間ならばそんな戦い方をした所で致命傷にもならないが、ウィルソンが行なうと生死を彷徨う羽目になる大怪我と化す。

「おっら!」

 ブンッと、奪い取った剣を振るって投げる。そんな戦い方をする人間など想定外である為、誰もウィルソンへ近付けない。


 パンッ


「うぉ」

 その時、ウィルソンの頬を1つの銃弾が掠めた。ウィルソンはその傷から流れ出る血液を舐め取り、飛んできた方向へ目を向ける。

 カタリナ教会の赤い屋根の上。そこには愛用の長銃─アクレシアを構えたノアがウィルソンを睨み見ていた。

「......お前」

「...貴方が異教徒への道へと、アンジュの手を引いた男か」

 ノアは落ち着いた声でウィルソンへ訊ねた。しかし、その内に秘められた静かな怒りをウィルソンは素早く察知する。

──こいつ...、前にユエと話してた奴だな。成程、そういう事か。

 ウィルソンはボキボキと拳を鳴らし、獲物を狩る獣のように獰猛に嗤った。

「だとしたら......、どうなんだ神兵さん」

「...っ、殺すっ!!」

 ノアはそう言い終わるとほぼ同時に、引き金を引いた。ウィルソンは飛んでくる弾を躱しながら、彼の居る屋根の上まで上る算段を付けていた。そして、


「見つけた」


 ウィルソンはダンッと力強く地面を踏み切ると、近くにある街灯を踏んで反動を殺さぬように飛ぶ。それから教会のシンボルである壁に埋め込まれた、白の十字架の彫刻の僅かながらにある窪みに足を引っ掛け、屋根へと着地した。

 たった数瞬間の内に起きた、あまりにも有り得ない状況に、ノアは目を見開く。

 これが様々な異教徒の中でも、最も恐れられる異教徒の身体能力だった。

「よっ、と」

 ウィルソンは、あっさりとノアの手から長銃を蹴り落とす。

「っ、お前っ!」

 ノアはウィルソンへ拳を振るった。しかしそれはウィルソンにとってはとても遅いスピードで、すぐにその拳は捕まえられてしまう。

 振り解こうにも彼の方が力が強い為か、振り解けなかった。

「悪いな。でも殺すつもりはねぇから、安心しろ」

 ウィルソンはそう言ってノアから手を離し、軽く足を蹴った。それだけでノアは身体のバランスを崩して、自らの長銃が落ちた方向へ転がり落ちる。屋根の上から完全に姿が見えなくなってから、ウィルソンは入り口の方を見た。

 動いている人間もいるが、動けない人間の方が多い。

 ウィルソンはそう判断し、アンジュとの待ち合わせ場所である聖堂へと屋根伝いに向かう。


 ◆◇◆◇◆◇


 庭をひとしきり制圧し終えたアンジュは、アリアドネで窓を割って中へ侵入した。そこまで大きくない教会である為か、警報システム等は無いようで、想像していたよりも難なく侵入する事が出来た。

 白い壁と床は夜の闇に照らされて神秘的な様相へと変わっており、どこか『見えてはいけない何か』が出そうな不気味さをも纏っている。

 アンジュは教会の奥へと、つまり聖堂へ向かう。

 カツン...カツン...、と自身の靴音だけが静かな教会に鳴り響く。

 しばらく歩くと、目的の聖堂に着いた。

 分厚く重い茶色い扉を、アンジュは身体全体を使ってゆっくりと押し開けた。

「.........どこも変わりませんね」

 アンジュは開口一番、そう感想を口にした。

 アリーリャ教会と何ら代わり映えの無い内装で、アンジュはやや懐かしさを覚えた。

 アンジュは聖堂の1番奥の中央にある、背中に翼を抱く女神像を見上げた。

 アンジュはその女神像を憎らしく思いながら、見上げる。

「......アンジュ」

 その時、聴き馴染みのある声にアンジュは後ろを振り向く。

 そこにいたのは、白銀の軍服を身にまとったクロウだった。いつもかぶっている黒のキャスケット帽はウィルソンに貸している為、白い軍帽をかぶっている彼の姿は、アンジュにはどこかおかしく思えた。

「久し振りに教会に来たなあ。...昔と何にも変わらないよ」

 クロウは頬を掻きつつ、そう言う。

「...それにしても、どうしてクロウがここに?ここは第5師団の管轄だと思っていたのですが。第3師団は中央街の軽微でしょう?」

 基本管轄外の場所には、他の師団は余程の事が無い限り、来る事は殆ど無い。実際、アンジュが相手にしたのは第5師団の人間ばかりで、クロウとノアだけが違う師団の神兵であった。

「ノア絡みだ。【断罪天使】の手紙を受け取ったシズマ団長が、幼馴染みのツテでノアにも教えたんだそうだ。それで、一応相棒である俺も来てるわけ」

 それはノアもこのカタリナ教会に居る事を示す。アンジュはやや眉を寄せる。

「......成程」

「...なぁ、アンジュ。ここの修繕費用は国持ちだよな」

 クロウのその言葉にアンジュは頷く。すると、クロウは腰のナイフの柄に触れる。

「ならさ、思いっきりやろうぜ」

 アンジュはまた眉間にしわを寄せる。クロウはナイフを両手に持った。

「1回、本気のアンジュと戦ってみたかったんだ」

 その闘志の灯った常磐色の瞳に、アンジュは少し目を丸くしてから、しかし鞘からアリアドネを抜いた。

「......手加減、しませんよ」

 アンジュのその口調に、クロウはしっかりと頷いた。

 その刹那。アンジュの身体はクロウの目の前に居た。はやい、目にも止まらぬ速さだ。

 クロウは身体を仰け反って躱す。先程までクロウの肩のあった場所に鋭い突きが放たれる。それはピシュッと空気の割く音を立てて、耳元を通り過ぎた。

「躱すの、お上手ですよっ!」

「それはどうも!お前のお陰だよっ!」

 勿論、クロウもやられるばかりではない。ナイフをアンジュへ振るう。それをアンジュはステップを踏むように軽やかに避けていく。

 貧民街で『居場所』を得る為に、また自分を生かす為に喧嘩で実力を付けていたクロウと、幼い頃から団長を目指し鍛えていたアンジュ。男女差はあれど、力量や立ち回りはアンジュの方が上手うわてだった。

「チッ...!」

 クロウが勝ってしまっては計画が頓挫する事になるが、勝負心に既に火は付き、勝つ事しか頭に無かった。

 クロウはアンジュの足元へとナイフを振るい続け、アンジュはトントンと躱しながら、一気に踏み切って距離を取る。そして、アリアドネを鞘へ収める。

 代わりに、トールから譲り受けたカタナ─雪月花を抜いた。

「...もう使えるようになったのか」

「ある程度、ですけど」

 アンジュは呼吸を整えて身を低くし、斜めに刃を構えた。そして身体全体をぐるりと振るい、雪月花が空気を切り裂いた。

 その瞬間、クロウの脳内に映像が流れ出す。

 スパリ、と綺麗に自分の身体が分かれる映像。

──このままここにいると、死ぬ。

 クロウは慌てて転がり避ける。その横を凄まじい轟音を立てて一直線、アンジュの居た場所から真っ直ぐ建物の壁までを斬った。ボロボロと、砕けた小さな瓦礫が落ちてくる。

「.........予想外、です」

 この状況に、アンジュ自身も目を丸くして、雪月花を慌てて鞘へ収める。

「マジかよ.........」

 クロウも息を呑む。そしてハッとしてアンジュを指差した。

「てか、殺す気かアンジュっ!!」

「......本気で戦いたいって言ったの、クロウじゃないですか」

「本気過ぎるだろ!?今察してなかったら死んでただろうがっ!!」

「文句多いですね、クロウ」

「......っあー、やっぱりアンジュは強ぇなあ」

 クロウがそう言って天を仰いだ時、ドゴンと地鳴りのような音を鳴らして、天井から人が降ってきた。彼の身体能力でもって綺麗に着地する。

 砂煙を手で払いながら、落ちてきた人物─ウィルソンはアンジュとクロウの辺りの様子に目を丸くした。

 確かに今、ウィルソンも屋根を大破させてここへ来たが、明らかにそれ以外にも要因があると思える程、この場所は荒れていた。

 そして、一言。

「何してたんだ、お前ら」

 至極当然な質問を、彼らへ投げかけた。

「...クロウと少し戦ってました。彼がやりたいと言ったので」

「...そうか」

 ウィルソンは何か言いたそうに口を開いたが、それ以上は何も言えなかったのか口を閉じた。

「...首尾は」

「もうそろそろ良いだろ。この騒ぎで他の師団の野郎共が来たら面倒だ。引こう」

 ウィルソンの的確な判断にアンジュは了解した。

「クロウ、では頼み」

 その時、パンッと音が鳴り、ウィルソンの肩を弾丸が撃ち抜いた。ウィルソンはガクリと膝から崩れそうになるが、カッと目を変化させ傷口を塞いだ。

「ウィルさんっ!」

「...心配すんな、大丈夫だ」

 ウィルソンは身体を起こし、弾丸が飛んできた方向へ目を向ける。







「......っ、アンジュ」








「.........ノア」



 そこにいたのは全身傷だらけであるにも関わらず、長銃─アレクシイを構えたノアだった。

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