自芯 09

 クロウは屯所から〈夢遊館〉へ帰って来た。ユエはヒラリと手を振って、

「おかえりなさーい」

「...あれ、アンジュは」

 いつもならアンジュも居るのだが、今日は彼女の姿は見えない。

「あぁ、アンジュちゃんならもう2階に上がってるよ。えーと...、確かカタナを磨ぐってさ」

 そこでクロウは思い出す。

 他の剣とは異なり、カタナは頻繁に自らの手で磨かなくてはいけないらしい。

 それは他の剣とは違い、カタナは持ち手を選ぶ為だそうだ。したがって、決して他人に任せてはならないのだという。

「クロウ、サンドウィッチでいいか?」

「あ、はい。全然大丈夫です」

 ウィルソンはこくりと頷いて、クロウの夕食を準備しに厨房へ戻った。

「クロウ、お風呂沸いてるから入っちゃって」

「あ、はい」

 クロウはご飯を食べる前に、シャワーを浴びて身を清める。

 それからカウンターテーブルの上に置かれたサンドウィッチと余ったらしいヒレカツ、それと赤茶けた色のストレートティーが置かれていた。

「私はアンジュちゃんと一緒に食べたから、クロウ食べて食べて」

「いつもありがとうございます。...いただきます」

 クロウは手を合わせてそう言い、口へ運んでいく。ユエはその様子を頬杖をついて眺め、不意に口を開く。

「今日、何かあったの?」

「え」

「クロウとは案外長い付き合いだからね。何かあったんだろうなとは分かるよ。言いたくないならいいけど、辛いなら吐き出した方がいいよ。クロウは溜め込むタイプに見えるから」

 ユエはふっと笑顔を寂しそうな顔へと変え、

「私みたいになる前にね」

 と言った。

 クロウは苦笑いを浮かべ、

「......忠告、心に留めておきます」

 クロウはそれだけ言って食べ進めていく。

 ユエはそれ以上はもう口を出さずに、にこにことクロウの食事風景を眺めていた。

 クロウは食べ終えて「ご馳走様でした」と手を合わせて言い、食器を厨房へ持っていき洗う。

「じゃ、クロウ。おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 クロウはユエへ一礼して、2階の自室へ向かう。アンジュに一言「帰ったよ」程度の声をかけようと思ったが、何となくかける気になれず、クロウはそのまま自室へ入った。

 一方、アンジュの部屋の中。クロウの階段の上る音と扉を閉める音にアンジュは気付き、カタナを磨いていた手を止め、クロウの部屋をノックする。

「クロウ...、お疲れ様です。いつ〈夢遊館〉に戻ったんですか?」

 アンジュはズカズカと遠慮なく中へ入る。

 クロウはうつ伏せでベットに倒れ込んでいた。寝ていはしないらしい、と察し、アンジュは足の踏み場を探しながらベットへ腰掛ける。

 いつものように元気の良い返事が返ってこない事に、アンジュは少し眉を寄せる。

「...クロウ、何かあったんですか?大丈夫ですか?」

 アンジュがクロウの手をギュッと握った。アンジュの手がクロウの目に入った。

 ユエ曰く、アンジュは休憩時間も割いて、新しく手に入れたカタナという武器の練習に充てているという。そのせいなのか、彼女の手はボロボロだった。それをクロウは感じ取る。

「...大丈夫だよ、心配かけてごめん」

「何で謝るんですか。クロウは悪い事していないでしょう?」

 アンジュはとても不思議そうに首を傾げた。

「...............なぁ、アンジュ。アンジュはさ、後悔してる?」

 何故、彼女へ相談しようと思ったのかは分からない。だが、気付けば自身の口からはそんな言葉が漏れ出していた。

「...後悔、ですか」

 アンジュは少し口を閉じ、思考をまとめてから、口を開いた。

「常にしていると、思います。こうしておけば、とかああしておけば、という後の祭りは決して珍しくありません。例えば私がもう少し自分の力量を測れていれば、右腕を失う事はありませんでしたからね」

 アンジュはそう言って、今はもう無い右腕の傷口を抱いた。今でもアッシュの顔を思い浮かべると、傷口にジクジクと痛みが走る。

 それはそこに後悔の念が住み着いているからだ、とアンジュは思う。

「だから、また同じ事で後悔しないように未来を選択したいと思うんです。......私はアッシュさんへ復讐しようと考えています。自分勝手で身勝手な、私の都合上の感情です。ですが、ここで何かをしないと後悔すると思うから、だからあの時、私はクロウの手を取ったんです」

 アンジュはそう言って、クロウへ柔らかく笑いかけた。

「クロウ、後悔してるんですか?」

「......あぁ。あの日妹を迎えに行けば、礼拝しに一緒に行けば、妹は......、ミランは今も俺の傍で笑ってて、素敵な人と結婚してくれて、アイツの太陽みたいな笑顔を見ていられたのにって...。でも、俺がアイツを助けられなかったから...、死んだ。殺されてしまった。それが今でも...、ずっと後悔してるんだ」

 クロウは自分の感情を吐露した。初めてこんなにも自分の思いを打ち明けた人間はいない。

 アンジュ以外には。

「.........クロウ、復讐をやり遂げましょう。もう私達は戻れないところまで来てしまっています。少しでも自分の魂でなく心を救おうと思うなら、もう後ろを見ている暇はありません」

 アンジュはギュッとクロウの手を握った。

「クロウ、私達が断罪天使になりましょう」

「断罪......、天使」

 その言葉は知っている。有力な情報を得る為に図書館で読んだ本の中で見かけた単語だ。

 女神ミカエラが公共の面前で裁いた、口承上唯一ミカエラに抗った片翼の天使─断罪された死した天使。

「私達は片翼なんですよ、きっと。だから協力して、私達に出来る最大限の事をしましょう。私達は、2人で1人の天使なんです」

 アンジュの言葉から、クロウを励まそうとしている気持ちは伝わって来た。クロウは目の奥が熱くなっていくような気がした。それを誤魔化そうとして、

「アンジュ......、断罪天使だと、裁かれるのは俺らだぞ」

 起き上がり苦笑しながら、アンジュへそう言った。

「それはあくまでも神話のような話です。今からの未来は分からないじゃ無いですか。あの時の断罪天使は女神ミカエラに負けましたが、今回はそうとは限りません」

 アンジュは胸を反らして、クロウへそう言った。

 クロウはぼうっと、アンジュと出会ったあの日を思い出していた。

 最初はクロウの立場は彼女を助けた身だった。右腕を失い、お嬢様の生活をしていたが故に、貧民街で暮らしていくに必要な常識を持っていなかった。仲間達にあっさりと裏切られた事に落ち込んでいた事があった。

 それをクロウが支えていたのに、

──気付いたら、俺の方が救われてる。

「そうだな。断罪天使...。いいかもしれないな」

 1人では『復讐』という大掛かりな事は出来ない。片翼の、半人前の人間だからだ。だが、2人で片翼は両翼に、つまり背に生える完全な翼になる。

 そう。2人なら、何でも出来る。

「アンジュ、ありがとう」

 クロウはアンジュの握っている手を、ギュッと握り返した。

「...ふふ、やっとクロウらしくなりましたね」

 アンジュは嬉しそうに微笑んだ。

「いよいよ...。本格的な復讐に向けて、動き始めるか」

 クロウはニヤリと口角を上げて笑う。アンジュはコクっと頷き、

「......楽しく、なりそうですね」

 クロウと同じく、ニヤリと笑った。


 ◆◇◆◇◆◇


 夜の神宮の赤や白、黄色の薔薇の咲く室内の薔薇園。ミカエラはそこにある美しい花々を愛でていた。

 ミカエラへの愛を紡ぐ口を持つエリヤは、彼女を浮かべたここへ連れて来た後に休憩用にと置かれているベンチで、スヤスヤと眠っている。

 ミカエラは1輪の、美しく咲き誇る赤い薔薇へ触れようとした。しかし、

「痛っ」

 緑の棘がミカエラの白く細い指を傷付けた。その傷口から、ミカエラの指からはどす黒い液体が溢れた。

 それは指から少し垂れ落ち、ミカエラが触ろうとしていた薔薇の下に咲いていた薔薇へ伝い、ジュッと音がして、黒々と枯れてしまった。

「っ......」

 ミカエラは僅かに顔を顰め、指先を見る。黒い液体が傷口を覆い、グチュグチュと泡と卑猥な音を立てながら、端からゆっくりと傷口は塞がっていく。

 その光景を忌々しげに睨みつけながら、ミカエラは触ろうとした美しい赤い薔薇と、それを守った緑色の棘を睨(ね)めつける。

「あぁ...、何?その子を守ってるつもり?」

 ミカエラは棘に触れぬよう赤い薔薇の茎を摘み、折った。そしてもう片方の手で花弁を握り潰した。

「ふふ...ふふふ」

 その様子にミカエラは口元を歪めて笑い、地面へ残骸を落とした。そしてそれをぐしゃりと踏み潰した。

 ひとしきり踏み潰した後、ミカエラは溜息を吐いて、指先を見た。

 そこに傷はもう無かった。

 ミカエラはその場から離れ、エリヤの眠るベンチへ向かった。

 日頃の公務で疲れているのか、未だぐっすりと彼は眠っている。

「......エリヤ様」

 ミカエラは口元を歪めて笑い、空いているベンチの隙間に腰を下ろす。

 ミカエラはエリヤの顔を覗き込むように、見下ろした。そしてたおやかに微笑を浮かべた。

「あぁ、本当に、本当に馬鹿な男ですこと。でも...、それが人間の男なのでしょうね」

 ミカエラは白く細い指で、エリヤの顎の線をするりと撫でる。

「間抜けで愚かで、つまらない人間」

 ミカエラは口付けるように、そうっとエリヤに顔を近付ける。

 とても美しい情景かもしれないが、ミカエラの狂気さを孕んだ瞳を見てしまえば、どんな人間も身の毛をよだたせるだろう。

 この瞳を見れば、エリヤもミカエラがただの人では無い事を、身をもって理解するだろう。しかし、彼の目は開かない。

 ミカエラは恍惚とした表情で、エリヤを見て舌舐りをした。


「あぁ...、貴方を食べられる日が楽しみですわ。エリヤ様」

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