自芯 08
ルーシャ家は、貴族の中でも下級貴族と呼ばれるぎりぎり貴族というラインで生活していた。決して貴族らしい豪華な生活はしていなかったが、それでも毎日幸せな日々を送っていた。
しかし、幸せな日々は長くは続かなかった。
エリヤが財政面を考慮して、貴族を名乗れる家を縮小したのだ。ルーシャ家は当然のように削除の対象に入ってしまった。
しかし、削除するにも体裁上の理由が必要だ。ルーシャ家にあてがわれた虚偽の罪は、父が家を再興させようと取り組んでいた、歴史関係の仕事だった。
地下から国を壊滅させようとする、悪行を行おうとしているという嘘をばらまいた。エリヤという神の権現の子どもの言葉は誰も疑わず、クロウの父親はどんどん追い詰められていった。
そんなある日の事。父親はクロウとクロウの妹のミランを部屋へ呼んだ。
「...逃げるぞ、クロウ、ミラン」
父親は押し殺すような声でそう言った。もう後に引く事は出来なくなっていた。
その夜、家族は屋敷から逃げ出した。
「はぁ、はぁっ!あぅ!」
家族皆、焦って走っていたのだろう。ついて行けずに足をもつれさせてしまったミランは、こけてしまった。クロウが慌てて引き返し、妹の手を取る。
「早くっ!」
クロウはミランの手を握り、父と母の後を追おうとした。が、彼らの姿はもう見えなかった。
理由は2つ。ルーシャ家は黒髪の一族であり、今日は逃げる為に全身を闇に溶ける黒色で統一していた事。そして、
「ひっひっひっ、居たぜぇ。可哀想な子ども達がぁ」
立ち止まること無く走り去った両親がクロウ達を人身売買組織に売り渡した─つまり、裏切られたという事。
「お、お兄様...」
気付けばクロウ達は数人の男に囲まれて、ジリジリと詰め寄られていた。恐らく彼らは人身売買を生業とする人間だろう。捕まってしまえば最後、2度と自由とは無縁の生活を送る羽目になる。
クロウは護身用にと持っておいたナイフを手に取る。下級貴族とは言え、貴族は貴族。それなりに剣術は嗜んでいる。
「ミラン、俺の後ろへ居て。動かずに目を瞑って」
「は、はい」
ミランはすぐに両手で目を覆い、その場にしゃがんだ。
「ハッハッハ!お兄ちゃん気取りかい?いいお兄ちゃんだなぁ!」
クロウはグッと踏み込み、1人の男の太腿を斬った。その瞬間、男達はクロウへ掴みかかった。
10分後、その場に立っていたのはクロウだけ。他の人間は皆、地面に顔を伏せて倒れていた。
「ミラン、もう大丈夫。開けていい」
「...っひ」
ミランは周りの惨状に目を向け、小さく悲鳴を上げる。
「...お、お兄様っ!お兄様のお顔に傷がっ」
「...あぁ、夢中で気付かなかった」
クロウは切れている頬に触れ、ゴシゴシと拭う。ミランはしばらくその姿を見ていたが、だんだんと目尻に涙を浮かべ、その場に蹲ってしまった。
「ど、どうしたミラン。どこか具合でも悪いのか?!それとも、これを見て気分を悪くしたのか?」
「ちが、違いますぅひっく。うぁお父様達に、わたくしのせいで、っうおいて、いかれ、て」
「ミラン...」
ミランは自分がこけてしまい、それを助けたクロウまでもを巻き込んで2人に置いて行かれた事に対して、とても悔いていた。
ミランを泣き止ませたくて、クロウはミランに視線を合わせ、ニコリと安心させるように微笑む。
「大丈夫だよ、ミラン。俺がいる。2人で協力すれば、どこでだって生きていけるさ!」
「......お兄様、怒って、ないの?」
「怒ってないよ。むしろ、ミランが無事で安心してるくらいだ」
クロウはそう言って立ち上がり、ミランへ手を伸ばす。
「行こう、ミラン」
ミランはクロウを見るその瞳を輝かせ、涙を拭ってから、その手をとった。
「はは、ミランの手、濡れてる」
「い、意地悪言わないでお兄様っ」
2人は月夜に照らされる道を宛もなく歩いて行く。
2人の未来はまだ暗闇に隠れていて、よく分からない。
◆◇◆◇◆◇
そんな事件から数年後、クロウが17歳の時。クロウの人生を変える出来事が起こるのだった。
あの後、クロウとミランは何とか空き家を見つける事が出来、西貧民街で慎ましく仲睦まじく暮らしていた。
「お兄様っ!そろそろ起きて下さいっ!」
14歳となったミランは、グダグダと寝ているクロウの布団を思い切り引っ張り、「ぐぇっ!」クロウをベットの下へ落とした。
「いててて...」
「もう!お兄様、いつまで寝てるんですか!」
ミランにプンプンと口を膨らませながら言われて、クロウは苦笑いをした。
クロウとミランは、この貧民街でたくましく生きていた。
クロウのナイフの腕は、付け焼き刃のような喧嘩に負ける事などなく、1度この空き家の持ち主だと嘘を吐いてきた男達をあっさりと追い返してしまった。
当初ミランは顔を顰める事が多かったが、今ではそんな日常に溶け込んで、クロウから流れる小さな傷からの血などでは動じなくなった。
「わたくし、お仕事に行ってきますよ?」
「うん」
ミランは表通りのパン屋の看板娘として働き、クロウは夕方から夜にかけて飲食店でのアルバイトをしていた。決して同年代の子どもと同じ道を歩めている訳では無いが、それでもこの生活は悪くはなかった。
「ご飯は冷蔵庫の中です。それと今日は本屋に行って礼拝してから帰りますから、少し遅くなると思います」
ミランはそう言って、玄関から出て行った。
「いってらっしゃいー」
「行ってきますっ!」
ミランは雨上がりに煌めく太陽のような笑顔をクロウへ向け、仕事場であるパン屋へ行った。
クロウは身体を起こして、腹の中へ入れる為、台所へ向かう。
この空き家には生活必需品はある程度残っていた為、それをそのまま使っている。数年前のあの時は置いて行かれた事に対してツいていないと嘆いていたが、今からすればこんな素敵な物件を見つけられた事はとても幸運だった。
クロウは冷蔵庫からミランの働くパン屋の売れ残り商品であるパンを取り出し、牛乳と共に口へ運ぶ。
それから軽く屈伸運動をしてから、ナイフを取り出して振るう。
練習する理由は簡単。ミランと共にこの貧民街で生き残る為だ。少しでも弱い所を見せてしまえば、そこを突かれて死んでしまう。最悪ミランだけでも生き残らせる為に、クロウはナイフを扱う練習をするのだ。
それをし終えると、クロウはミランが買ってくる勉強用の本を手に取り、目を通す。1通り文字は習っているが、難しい文字はあまり読めない。だからミランは知識を取り入れようと、店で貰う給料をコツコツと貯めて、本を時々買ってくる。
それを読みながら、早くミランが帰ってこないものかと、ぼんやりと待ち続けた。
夕方。ポーン...と間の抜けた時計の音が鳴る。本から顔を上げると、もう5時半を過ぎている。
ミランはよく礼拝をしに行くが、それでもこの時間にはもう帰ってきていてもおかしくなかった。
「......何かあったのか?」
嫌な予感。冷や汗がクロウの背中を伝った。
クロウは急いで靴を履き、まずはパン屋へ向かった。
パン屋の前にはミランの雇い主であるパン屋の女将さんが掃き掃除をしていた。
「おばさんっ!」
「あらあら、ミランのお兄ちゃんじゃない」
「ミランはっ!!もう本屋へ行きましたか?!」
「えぇ。何かあったのかい?」
「いえ。ではっ!」
パン屋は出ている。本屋に行って、礼拝...。
そこでクロウは本屋へ向かう道を切り替えて、ミランがよく礼拝しに行くローシャ教会へ向かった。
「す、すみませんっ!」
受付に居る女性神兵に息も絶え絶えに訊ねる。
「ど、どうした坊主。礼拝時間ならもう終わったぞ」
「女、女の子...っ!俺と同じ、黒髪の女の子、来ましたかっ!?出て行きましたか?!妹、なんです!」
クロウの慌てっぷりにただ事では無いと感じたのか、神兵は「街を探すように同僚へ頼んでみよう」と勇ましく告げてくれた。
この時程、クロウは神という存在に祈った事は無い。
しかし神兵の捜索も虚しく、ミランは行方不明者となった。
何度も何度も「もう1回探してくれ」と頼み込んでも、変わってしまったローシャ教会の受付の男性神兵は聞き入れてくれなかった。
家の中で膝を抱え、クロウは声を押し殺して涙した。
何故こんなにも不幸なのか。どうしてよく礼拝に行くミランに不幸が襲うのか。クロウ達が神へ何をしたというのか。
涙を拭ったその時唐突に、クロウは理解したのだ。
──この世界には、カミサマなんていないんだ。
クロウが信者から異教徒へと変わった瞬間だった。
クロウはそれに気付いた次の日。荷物をまとめた。家財道具は質屋に来てもらってある程度を買い取ってもらい、それなりの資金とした。
今までのミランとの思い出の詰まった家だったが、今からする事には金が必要だった。
─大丈夫だ。見つけてやる。
クロウは決心した。必ず自らの手でミランを見つけてみせると。
─ミランだけは、守るって決めたんだ。
ミランはまだどこかで生きていると信じて。
クロウは西貧民街から出て、東貧民街へ向かった。
そこは情報屋の蔓延る街として、噂を聞いていた。そこでミランの情報を得ようと考えたのだ。
◆◇◆◇◆◇
東貧民街に着いて早速、クロウは聞き込みを開始した。
『この場所で1番の情報屋は誰ですか?』と。
皆様々な情報を告げるが、その中でも1番多かったのは〈黒藤の猫〉と呼ばれる情報屋の名前だった。
理由も訊ねてみると、なんでも有力なマフィアの所有していた麻薬密売組織を壊滅させた人物なのだと言う。それ程の実力者であるならば、ミランの情報を頼めば見つけてくれるかもしれない。
彼らへ居場所を訊ねていく。
『居場所...、知らねぇな』『生きているかも曖昧だぜ?だってあれからアイツの噂は聞かねぇんだ。殺されてるかもな』『アタシ知ってるわよ。〈夢遊館〉っていうお店を探して行ってご覧なさいな』
唯一出て来た場所である〈夢遊館〉に向かって、クロウは捜索する。
それは案外早く見つかった。
東貧民街の奥へ奥へと路地を進んで行った先の海辺の近くにある焦げ茶の木材と赤茶けた煉瓦で建てられた2階建ての建物。他の建物が灰色のものが多いので、この外観は目を引いた。
クロウは一呼吸してから、店に掛けられている看板が【OPEN】なのを確認し、中へ入る。
落ち着いた雰囲気のある音楽が流れ、美しくさっぱりとした印象を受ける。あまりこういった店に足を踏み入れた事の無いクロウだが、すぐにこの店は良い店だと分かる。
「いらっしゃいま「〈黒藤の猫〉がいるという店はここですか?」」
この〈夢遊館〉の店主─ユエへ、クロウは睨みつけるようにそう言った。唐突の事にユエは目を丸くし、
「とりあえず席に座りなよ、おにーさん」
ユエに促されるまま、カウンター席に腰を下ろした。
「あの」
「...質問にはちゃんと答えるよ。ここにはもう、〈黒藤の猫〉はいない。彼女はとうの昔に亡くなった」
クロウは目を見開いた。確かに『生きているかどうかは分からない。マフィアの牛耳っていた麻薬組織を壊滅状態に追いやったのだから』と口々に言っていたとは覚えている。しかし、亡くなっていたとは、考えていなかった。
振り出しに、戻ってしまった。
「...で、どんな用事で彼女を探しているの?」
「...数週間前に無くした妹のミランを、見つけたいんです。多分、〈神隠し〉に遭ってしまったんです、教会の帰りに」
「へぇ...」
ユエはその話に興味を抱いた。
というのも、彼女は既にこの時に〈神隠し〉はエリヤがやっているのでは無いだろうか、という算段をつけていたからだ。
やけに彼の行く先々で〈神隠し〉は頻発しているような気がする。その理由が分からずにユエは考えを頓挫させていた。
しかし、
──とんだ面白い考えの人間が手に入りそうだねぇ。
ユエはニヤリと心の内で微笑む。
「えと...、君名前は?」
「え、......クロウです。クロウ・ルーシャ」
「私はユエ=ワールダット。ね、クロウくん。良ければここで働かないかな?ここは東貧民街。情報屋の蔓延る悲しい街だ。君の妹に関する情報、手に入るかもしれないよ」
ユエの言い分に、クロウは納得した。そして二つ返事でその話に乗る。ユエはニッコリと笑って、
「2階には空き部屋が3つある。好きな所に入ってくれて構わないから」
「ありがとうございます!」
クロウはユエへ深々と頭を下げた。
こうして今から半年前、クロウは〈夢遊館〉に住む住人として暮らす事になった。
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