自芯 06
昼を少し過ぎた頃、ユエはアンジュへ声をかけた。
「アンジュちゃん、ちょいと頼みがあるんだけど...」
「はい?」
アンジュはユエへ近付く。ユエは彼女へ白いビニール袋と小さな紙を渡した。
「これ」
「この店は配達とかして無いんだけど、ちょっとこれをその地図に書いてあるバーに持っていって欲しいんだ。何でもウィルの昔お世話になった人へ渡したい代物らしくてね。頼める?」
ウィルソンが行けば良いのではないか。アンジュはそう思ったが、しかしこくりと頷いて了承する。
あくまでもユエとアンジュは雇用関係にあるのだ。店主であるユエが行ってきて欲しいと言えば、アンジュはそこへ行かねばならない。
アンジュは部屋へ戻り、黒縁眼鏡をかけて下へ降り、左肩にビニール袋をかけて、店の玄関へ向かう。
「行ってきます」
「うん、気を付けて」
ユエはヒラヒラと手を振って、アンジュを見送った。
「......なぁ、いいのか。アンジュに行かせて」
アンジュのいなくなった店内で、ウィルソンはユエへ問う。
「うん。アンジュちゃんが行く事に意味があるからね」
ユエはそう言って、「はい、仕事仕事」とウィルソンを厨房へ戻す。不服そうな顔をしつつも、ウィルソンは厨房へと戻り、お茶菓子作りを再開した。
◆◇◆◇◆◇
地図を何度も確認しながら、裏路地を進んでいく。
そして、辿り着く。そこはチカチカと点滅するように店の看板の電灯が点いている、ややくたびれたバーだった。
アンジュは扉を開く。カランカランと、静かな鈴の音が薄暗い店内へ響いた。
〈夢遊館〉がシックな内装なのに対して、この店は大人っぽく妖艶な雰囲気を醸し出すような内装をしていた。
「あの、誰かいませんか?」
今度は鈴の音の代わりに、アンジュの声が響く。それから少ししてカウンターテーブルの横にある扉が開いた。
そこから現れたのは、白髪混じりの灰色の髪をした、枝のように頼りない老人だった。弱々しい肉体見せないようにする為か、長いローブで身体の大半を覆い隠しているが、日焼けした肌のシミや皺、杖をつく為に覗く腕から、その身体の細さは露呈している。しかし、彼の黒の眼光は老人とは思えぬ程しっかりしており、鋭いものだった。
「今は閉店中じゃ、お嬢さん。用事なら店の開店時間の6時頃に来なされ」
「ウィルソンさんから、貴方へ届け物です」
アンジュの口から『ウィルソン』という単語が発された途端、老人の目は大きく見開かれた。
「お嬢さん、それを儂にくれるかね?」
「勿論です」
アンジュは小さく頷き、カウンターテーブルへビニール袋を置いた。老人はその袋を開けて、中身を取り出す。
それは酒のつまみにはとてもよく合いそうな、イカの塩辛であった。恐らくウィルソンが手作りしたものだ。東貧民街は海に近いので、新鮮な魚で作られたそれはさぞかし美味しいだろう。更に老人は中に同封されていた手紙を読み始めた。
アンジュは邪魔にならないようにと思い、そうっと離れようとした。
「お嬢さん、待ちなさい」
しかし、呼び止められる。アンジュは不思議がりながらも立ち止まる。老人は手紙から顔を上げ、それを置いた。
「君が、アンジュさんで間違いないね?」
「っ!?」
「...この手紙に君の事が書かれていた。ついて来なさい」
老人はそう言って、彼が最初に来た扉へ入っていった。アンジュは少し迷うも、彼の後へ続いた。
何とか見える程度の薄暗い暗闇を、アンジュは歩いて行く。少し進んで、老人は立ち止まった。
「こっちじゃ」
老人は木の扉をぐぐっと押し開けた。
その中には、大量の武器が棚へ並べられていた。弾薬は木箱で隅に積み置かれ、剣は樽に刺してあり、銃はどれも新品なのか、キラキラと光沢を帯びている。
この様子は屯所を武器庫にも似ていたが、もしかしたらこちらの方が多いかもしれない。アンジュでさえもそう思ってしまう程に、それは異様な光景だった。
「これは...」
そして、アンジュは天井に大きく掲げられている旗に目を奪われる。
群青色の生地に天使の白い羽根のデフォルメされたものが片側だけ描かれた旗。
アンジュはそれを見て、ここがどういう場所なのかを理解した。
異教徒の中でも過激派と謳われる武装集団、〈片翼の使者〉。ここはその総本山であったのだ。
少し前の神兵だった頃のアンジュならば、これは自らの名を売る大手柄だ。しかし、異教徒となった今のアンジュでは、そんな仲間を売るような事はしない。
「ここは思想弾圧を撤廃させる為に戦う人間で構成されておる、我ら〈片翼の使者〉の総本山よ。...お嬢さん、ウィルソンを知っているのだろう?あいつも数年前までここで苦楽を共にしていた仲間なのだよ」
老人は部屋の中へ入って行き、ガチャガチャと漁り始める。そして目当ての物を手に取り、アンジュの前へ突き出した。
それは、奇妙な形をした鞘だった。
「これは、......何ですか?」
ある程度の武器が揃っている武器庫をよく見ていたアンジュでも、この形状は初めて見る。
「抜いてみよ」
老人の言葉通りに、アンジュは鞘から剣を抜く。そして、目を丸くした。
それは今までアンジュの見た事の無い形状の剣だった。アンジュの愛用するアリアドネとも、アッシュや他の人間が用いるレイピアとも異なる。
刀身は真っ直ぐではなくやや沿っており、片側のみに鈍く白銀と光る刃を抱く形状だ。鞘も鍔の少し下辺りに緋色の紐が結び付けられている。
「それは儂の昔住んでいた国で使われておった、カタナという武具じゃ。武士と呼ばれる勇ましい戦士が用いる、向こうでは珍しくもない武器じゃよ」
アンジュはその刀身の美しさに見惚れる。アリアドネも美しい剣だが、それとはまた別種の美しさだ。
「これを......私に?ですが、私はもう剣を持っています」
そう、どれだけこのカタナが美しくとも愛刀と呼べるのはアリアドネだけだ。アンジュは老人へ、これをアンジュへ見せた意味を問うた。
「...ウィルソンからの頼みじゃ。託せ、と」
老人の答えにアンジュは目を丸くした。
「.........何故私に」
「......恐らく、ウィルソンはお嬢さんの意思に賭けておるんじゃろう。そのカタナは普通の人間には扱えぬ代物であるからのう」
その言葉の意味が分からなかった。
どんな人間にも扱えてこそ、武器は売れるのでは無いだろうか。沢山ある武器から自らの意思でその中から選び取り、戦いへと向かう。
「それは単なる
その言葉にアンジュは唾を飲んだ。その言葉が事実であるならば、これは『切り札』になるかもしれない、と。
「......良いのですか?」
「勿論、持って行け。そのカタナの名は、雪月花。アンジュ、それを自分の物にしてみせい」
老人の言葉にアンジュは迷う事無く握り締めてから頷き、「ありがとうございます」と礼を言った。
「あの、貴方は」
「名乗っておらんだったな。儂はこの〈片翼の使者〉の総大将を務めておる、トール・カタギリじゃ。よろしくの、お嬢さん」
「トールさん...。本当にありがとうございます」
「畏まらずとも良い。今はただの老いぼれじゃ」
トールはニヤリと笑って、枝のような拳を突き出した。アンジュはその手を雪月花を持ったまま応じた。
「それじゃあそろそろ帰りなさい。心配しとるだろう」
「はい、それでは」
アンジュは再度深々と頭を下げ、バーから出て帰路へつく。行きより荷物は重くなったが、それは嬉しさも積まれているような気がした。
アンジュの背を見送りながら、トールは消え入りそうな声で呟いた。
「頼むぞ、我らの希望の光よ」
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