自芯 04


 シェリーは、シズマに会った翌日に早速行動を起こす。

 身なりを私服へ整え、ティリンスには「少々野暮用をば...」と見苦しい言い訳で切り抜けて、目的地に馬車を使って足を運ぶ。

「何年ぶりだ...」

 シェリーはふと、その年数を数える。3年よりは前...、だろうな、多分。うんきっと。そう心の中でケリをつけて、馬車を止めさせた。

 貧民街にあまり無関係な移動馬車を入れたくはない。

 相変わらず入り組んでいる道を進むと、裏街の表通りへ辿り着く。そこから更に奥へ奥へと、道が複雑になっていく方へ、シェリーは進む。

 そして、目的地である建物へ辿り着いた。年月が経っても変わらぬその様子に、何故だかタイムスリップしたような気分に陥った。

 すっと息を吸って、シェリーは店の玄関を開けた。

「いらっしゃいませー」

 店内によく通る美しい声も変わらない。シェリーは黒髪ぱっつんの店主へ、軽く手を挙げた。

 店主─ユエは、久方振りの珍客に目を見開き、苦々しげに顔を歪めた。

「......御来店、ありがとうござい「ブレンドコーヒーと、甘いドーナツ何かがあると良いな」」

 ユエの追い返す声へかぶせるよう、シェリーはカウンター席へ着きながら、2点を注文する。状況の読み込めていないウィルソンは「ドーナツないから、ケーキなー」と言って、音沙汰無くなった。

 ウィルソンの事だ。もう作り始めている。ユエは観念して、頬杖を付いてシェリーを睨みあげる。

「......今更、ここへ何しに来た?シェリー」

「なぁに、飲みに来たっていいだろ?店員、雇ったのか?」

「まぁ、ね。知っての通り、君がお勧めしてくれたお薬を使ったら、副作用でちょいと足をね」

「.........あぁ、もう4・5年も前になるのか。あの、麻薬密売組織の倉庫爆破事件は」

 ニヤニヤと、シェリーは弄らしげに訊ねる。それにユエは何も言わず注文を受けた通りに、コーヒー豆を選び、会話を聞きながら挽いていく。

「...どこから、私がまだ生きてるって情報を得たんだ?」

 世間上、『ユエ=ワールダット』は死んでいるに等しい人間だ。だからこそ、ユエの渡した情報によって警察のお縄につく事になった人間達は、出所してもここへ襲いに来ない。しかし、『ユエが生きている』と知られてしまったら、恐らくここへ恨みを晴らす為に襲いに来るだろう。しかもユエは足を悪くした、言えば動けない獲物だ。

──なぶり殺しは免れない。

 自分が死ぬ事に関しては割りとどうでもいいと思っているユエではあるが、他人に迷惑をかける死に方はしたくない。

 だからこそ、シェリーがどこで情報を手に入れたのかは知っておきたかった。

「じゃあ、取引だ。私の知りたい情報と交換で、どうだ?」

「最近は情報屋の真似事はしてないけど、それで知っている程度でいいなら」

「まぁ、...その時はそうだな...。これの値段はチャラで」

「.........仕方ないが、まぁ」

 渋々ユエはシェリーの提案を飲んだ。

「この情報は、道端ですれ違った筋骨隆々の女装男だ。ここに前からあった喫茶店の〈夢遊館〉はまだ営業してるか、って訊いたら、実にあっさりと答えてくれたぞ」

 ユエはその解答にがっくりと項垂れる。聞いても聞かなくても、それはほぼ身内に近い人間だった。

 今度彼に出会ったら、むやみやたらに『ユエ=ワールダット』の名を言わないで、って言おう。ユエは硬く決心した。

「...?どうした、黒藤ぃ?」

「いや、何でもない。で、君の欲しい情報は?」

 ユエが面倒臭そうに訊ねると、シェリーは、仏頂面のアンジュが映った写真を、胸ポケットから取り出した。

 ユエはそれを見て、僅かに眉を寄せる。少し前にこの〈夢遊館〉へやって来たノア・ナサニエル同様、シェリーもアンジュの関係者なのだろう。

「この子は、アンジュ・リティアナ=ダルシアン。私の義妹だ」

「義妹...。そんな子がいたのか、知らなかったな」

「あぁ、ろくでもない私の父親が分家に嫁いできたアンジュの母親に手ぇ出して出来た子だ。...隠しても、仕方ないだろ?」

「っ!?」

 ユエはさらりと言ったシェリーの言葉の内容に目を見開く。これ程驚いたのは、爆破事件以来かもしれない。

「...シェリー、その話、詳しく頼めないか?」

「は?......まぁ、いいけど」

 今ならアンジュはごみ捨てと風呂場の掃除、それからウィルソンの手伝いを頼んでいるので、ここに来る事は恐らく無いだろう。

 それに、同居人の過去を知れる機会に、ユエの情報屋としての血が滾る。

「...お代はそうだね...、今度また店に来る機会があれば、チャラにしてあげよう」

「乗った」

 シェリーはパンと自身の手を打った。

「ダルシアン家は、このユーピテルでも割りと長く続く名家だ。故に血を絶やさぬよう分家が存在してる。ダルシアン家ではマリアンヌが本家、リティアナが分家だ」

 このユーピテルは大きく4つの自治都市に分けられている。したがって国の金持ちが本家となり、その高貴たる血を絶やさぬよう、分家を各市に置く事自体は珍しく無い。同市に分家があるという事は、そこまで子だくさんな家系では無いのだろうか。

「そんなリティアナの分家に、アンジュの母親が嫁いできたのさ。その時偶然彼女を見た私の父親が、その可愛さに常識を手放して手を出した。それから少しして、アンジュが生まれた。幸いにも、アンジュにはあの馬鹿親父の血を示すものは何も無かったから、今も親父と私と彼女の母親、そして本人しか知らないよ」

「ふぅん...」

「......アンジュは内に閉じ込めるタイプだからな、あの子が多分1番苦しんでるよ。自分は不義の子どもだ、と」

「.........そ、か」

 何となく、アンジュが神兵という役職にこだわる理由を察した。

 このラファエロ市でのし上がる為には、神兵という役職は比較的名を上げやすい。彼女は恐らく守衛の家柄の人間として、のし上がろうとしたいたのだ。

 隠される存在。許されない存在。それを否定しようと、アンジュは自らを鍛え上げて、神兵として宗教騎士団のトップへ成り上がろうといた。自分という人間が生きていた証を残す為に。

 しかし、その道はたった一太刀で塞がれてしまった。

 それは他人には想像もつかない程の感情が渦を巻くだろう。

「...さて!次は私の番だぞ。この子の事、お前程の腕の情報屋なら、何か仕入れてるだろ」

 ユエは既に挽き終わり淹れたコーヒーを、シェリーの前へ置いた。

「一言で言うなら、彼女は生きてる」

「それは知ってる」

 シェリーの言葉にユエは目を丸くする。彼女がクリミア教会に居たという話は聞いていない。

「元相棒がな、教えてくれたんだよ。襲われた時に、アンジュを見たってな」

 シェリーにはシェリーなりの情報網があるのか。ユエは納得する。

「...うーん、金髪ねぇ。生憎シェリーくらいしか金髪の知り合いがいないからなぁ」

 ユエは考える素振りをして見せ、

「こっちでも情報を探ってみるよ。すぐにとはいかないかも知れないけど、シェリーに教えよう」

「そうか、ならちょくちょくまた来るよ」

 シェリーはコーヒーの入ったコップを持ち上げて、喉の乾きを潤した。そこへ、厨房から色とりどりのフルーツを着飾ったケーキを、ウィルソンはシェリーの前へ置いた。シェリーはウィルソンを一目見てにんまりと口角を上げて笑う。

「美味しそうだな。料理上手な店員を雇ったんだな、しかもなかなかの美形ときた!お兄さん、私と今度デートでもどうだ?」

 シェリーはウィルソンへ、ケラケラと笑いながら茶化すようにそう言った。

 ユエならばヘラヘラ笑い、それなりの言葉を返して終わりだ。しかし、ウィルソンはそういうタイプでは無い。




「悪ぃな。ユエ以外に興味ねぇから」




 さらりと、ウィルソンは吐き捨てるように言った。

 その言葉はシェリーを盛り上がらせるのには充分であり、またユエを困らせるにも充分だった。

「なになになになに?あんたら、付き合ってんの?」

 ─あー、面倒臭い事になった。ユエは僅かに瞳を鋭くする。

「そういうんじゃないよ。シェリーが考えてるような事は何にも」

「本当かー、黒藤?まだ付き合いたてのホヤホヤさんなのか?」

「あー?多分...、4・5年くらい経ってね?」

 ベラベラと喋るウィルソンをユエはギッと睨む。しかし、ウィルソンにそれは通用しない。

「へぇ!黒藤、お前に彼氏とはなぁ!13歳のガキも、年月過ぎれば色付くもんだな」

 大声を上げて笑うシェリーに、ユエは思い切り不機嫌になる。

 ユエは馬鹿にするのは大好きだが、馬鹿にされるのはめっぽう嫌いだ。

「結婚とか、すんのか?もう...19だろ」

「するつもりは無いね。ってか、もういいでしょ!」

 早く食べろ、とユエはシェリーに促す。「はいはい」とシェリーは言って、ケーキを口へ運ぶ。

 そんな彼らの会話を、ゴミ出しをし終えたアンジュは隠れて盗み聞いていた。

 息を殺し気配を殺し、アンジュは耳だけに意識を集中させる。

 何故義姉がこの〈夢遊館〉を突き止めたのか。シズマからどういう経緯で話を聞いたのか。その話は宗教騎士団の内部のどこまで伝わっているのか。

 疑問はとめどなく溢れ出る。

「......お前とユエはどういう関係なんだ?元仲間か何かか?」

「私は徒党は組まない。気まぐれに渡り歩き、情報を売り捌く〈黒藤の猫〉だったんだから」

「簡単に言えば、私が異教徒を捕まえる為にコイツを使って必要な情報を得る。重要な情報源だったんだよ、黒藤は」

 その言葉にウィルソンは目を丸くした。

 異教徒を捕らえる為に、異教徒を使う。頭が良い戦略と言えばそこまでだが、ずる賢いとしか言えない。

「その代わりに、私の身の保証をして貰ってたわけ。あの爆破事件もシェリーにある程度私の証拠をかき消してもらったわけだし」

「ほとんど燃えてたから、隠すと言っても大した量じゃあ無かったけどね」

 シェリーはそう言い終えて、付け足すように「ご馳走さん」と言って立ち上がる。

「じゃあ、またお前を利用しにこっちへ来るよ」

「程々にな、怪しまれないように」

「おー」

 シェリーにヒラヒラと手を振って、店の玄関を開け、




「じゃあお幸せにー」




 ユエはその背後目掛けてカップを投げようとしたが、ウィルソンに止められた。

 シェリーはその間にさっさと去っていった。

 ユエはギリッと歯噛みして、ウィルソンを思い切り睨みあげた。

「何で止めたの?!」

「いや、カップが勿体無ぇだろ」

「...チッ」

 ユエはガラ悪く舌打ちする。ウィルソンは彼女の極度の照れ屋を知る為に、何も言いはしなかった。

「.........なぁ、ユ「君も君だよ!何で馬鹿正直に答えるんだよっ!馬鹿なのっ?!何なの?!あーもうっ!」」

 ユエは机に突っ伏して、ぐしゃぐしゃと頭を掻き乱した。

 ウィルソンは苛立つ彼女の様子に僅かに微笑む。ユエはそれを見逃さない。すぐに顔を上げる。

「何で笑うの?!」

「いやぁ...。いつもすげえ大人ぶってんのに、そういう事になると弱ぇんだな。何か...、そういうの面白いわ」

「なっ、なっ」

 爽やかな笑みを浮かべるウィルソンに対して、ユエは顔を紅潮させ、口をパクパクさせる。しかしそんな彼女の意思など露知らず、ウィルソンは彼女の頭を優しく撫で、その額にキスを落とす。

「嘘吐けねぇわ。俺は、お前以外に興味ねぇよ」

「っ!!?」

 ユエは耳まで真っ赤にし、ウィルソンへ罵声を浴びせてやろうと口を開く。しかし肝心な時に限って言葉は出ず、パクパクさせるだけだった。地団駄を踏みたい衝動に駆られるが、動かない足では地団駄も踏めやしない。

 苛立ちと自身への腹立たしさに、ユエは机に突っ伏してカウンターテーブルをバンバン叩く。そして唐突にその行動を止めてポツリと、

「しばらく血はお預けだ!」

「なっ!?おい、何でだよっ!」

「何で気付けないの?!それくらい、自分で分かってよっ!!」

「言葉にしねぇと分かんねぇだろうがっ!」

「4・5年の付き合いなんでしょ、私達っ!なら分かるでしょ?!」

 ギャーギャーと言い争いをする中、アンジュは息を整えて、そろりと2人の居る店内へ戻った。

「すみません、遅くなりました」

「あ、アンジュちゃん。...やっぱ、片手でごみ選別は大変だったかな?」

「いえ、問題ないです」

 しっかり答えるアンジュに、ユエははたと思い当たり、

「アンジュちゃん、これからはウィルと一緒に厨房の手伝いをしてくれないかな?ノア・ナサニエルやアンジュちゃんの義姉のシェリーっていう人がちょくちょく来る事になったんだ...。色々遭ってね」

「姉さんが...。ここに...」

 アンジュは初めて聞く振りをしながら、そう呟く。ユエはこくりと頷いて、「いいかな?」と再度確認した。

 今、義姉に見つかるのは非常にまずい。アンジュは素直に了承した。

「ウィルさん、手伝いは何をすればいいですか?」

「あぁ......。ついて来い」

 若干苛立っているウィルソンは、『覚えとけよ』とユエに目で言い、アンジュを連れて厨房へ戻った。


 ◆◇◆◇◆◇


〈夢遊館〉から出たシェリーは、再会した旧友とも呼べる人物の成長した姿を思い浮かべ、ホクホクした気持ちで帰路へ着いていた。道中馬車を止めて屯所へ向かおうかとも思ったが、のんびり歩いて行く事もたまには良いと思い、歩いて帰る事にした。

「......にしても」

 シェリーは話の途中に聞いた音を思い出す。

 厨房の奥、カチャリと扉の開く音。彼女は更に店員を雇っている。その店員は長い会話中、この店へ顔を出すことは無かった、店員であるにも関わらず。

 声でシェリーだと判断して隠れた異教徒だとも取れるが、それならばユエが異教徒でありながら捕まっていないという事実を聞けば、警戒を解いて出てくる可能性の方が高いだろう。雇われている〈夢遊館〉の店員なのだから。

 何者だろうか。ユエが言わなかったという事は、アンジュでは無いことは確かだろうか。

「おいおい、ねぇちゃん」

 そんな考え事をするシェリーへ、数人の男が下衆な笑い声をしながら、ぞろぞろと近付いて来た。

「ねぇちゃん、1人か?俺らと遊ぼうぜぇ?」

「そうそう、外ではらねぇよ。俺らのアジトがこの近くにあるんだ。どうだあ?」

「イイ思い、させてあげるからよぉ」

 男の1人がシェリーの肩へ手を置いた瞬間、彼の世界はぐるりと回る。驚いている間に男の背中に鈍痛が突き抜け、視界に広がるのはややあかくなり始めた青空にのっぺりとした灰色の建物と、鋭い眼光のシェリーだけだった。

「人が思考をまとめてる時に手ぇ出すな、阿呆が」

 突然放たれる威圧的な殺気に、その場の誰もが鳥肌を立たせた。

「っ!このアマぁぁあああっ!!」

 別の男の1人が、鉄パイプで気絶させようと殴りつけてきた。シェリーは身を低くして躱し、それを強引に奪い取る。そして追い打ちをかけるようにバランスを崩した男の背中をパイプで叩き伏せた。

「なんだ?遊んで欲しいなら相手になってやろうか、か弱いガキンチョ共」

 ケラケラと笑いながら、シェリーは挑発的な笑みを浮かべて見せた。

 女1人に負けるわけがない。先程の出来事は偶然の産物だ。男らはそう思い、シェリーに向かって思い思いの武器を持って襲いかかってきた。

 シェリーはクルクルと鉄パイプを回して、それへ応戦する。

 シェリーは相手の攻撃を躱しながら、致命傷に至らない箇所を次々に殴っていく。主に太腿や脹脛ふくらはぎ、横腹を薙ぐように殴っていく。

 彼女の得意分野である棒術の戦闘で、狙いを誤る事は一切無い。

 時折舞う血飛沫と、動作によって揺れる彼女の美しい金髪。彼女が宗教騎士団や異教徒の間で〈月華の舞姫〉と呼ばれる所以である。

 その場の鎮圧は数分で終了する。

 シェリーはぐっと伸びをし、血に汚れた鉄パイプを投げ捨て、気怠げに欠伸をする。

「さて、帰るかー」

 そうして屯所へと帰っていく。

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