自芯 02
「ん......」
アンジュは神兵の時と変わらず、朝日とほぼ同じ時刻に目を覚ます。眠たい目を擦りながら、いつものように朝の訓練をこなそうと思い、
「あ」
いい妙案を思いついた。
◆◇◆◇◆◇
「あの、俺、眠い。あと、痛い」
「でしょうね。13回程叩きましたからね、頭」
クロウは眠たげな目を擦り、アンジュを睨み見る。しかしアンジュは気にした様子など一切なく、彼女の愛刀─アリアドネを左手で何度か握り直している。
「なぁ、こんな朝早くに何するんだよ」
「特訓です。仮とはいえ神兵になった身でしょう?ならば、少しは身体を鍛えるべきです」
「いや、俺まだなってないけど」
「合否も出して無いのに、また来てくれなんて言いませんよ。多分、クロウは9割方所属可能圏内に居ます」
「.........残り1割は何?」
「どこの師団もクロウの受け入れを断った場合ですね」
「悲しいなっ!?」
そんな考えも考慮しなくてはならないのに対して、クロウは驚愕する。アンジュは普通の事なのか、特に驚く様子もない。
むしろ、クロウの反応に白い目を向けている。
「まぁ、という訳ですから、神兵に見合うそれ相応の実力をつけましょう」
「...んで、具体的には?」
「日頃鍛錬をしてもいいと、ここの場所はユエさんからお墨付きを頂いています。私がアリアドネで突きを放ちますから、クロウは、ナイフ或いは身体能力をもってして、避けてください」
アンジュはさらりとそう言った。クロウは二つ返事で了承しようとしたが、そこではたと思い当たる。
「それ、模造刀じゃないよな?」
「スリルがあるかなと思いまして....」
彼女のそのセリフに、クロウはただただ溜息しか吐けなかった。
「まぁ、アンジュ...、寸止め出来るよな」
「余程熱くなっていなければ、出来ますよ」
クロウはアンジュのその言葉を信用し、ナイフを構える。それを見て、アンジュはアリアドネを僅かに振るい、左腕を上げて、目線とほぼ平行にする。
そして、空気を美しく切り裂きながら、クロウの肩辺り目掛けて突きを放った。
クロウはその独特の攻撃の仕方に僅かに面食らったものの、すぐに対応し、ナイフの刃先をアリアドネと垂直にして弾く。金属音がクロウの耳元で煩く鳴る。
「はぁっ!!」
突く、弾く。突く、弾く。突く、弾く。ひたすらにその行動が位置を変え、手を変え、繰り返される。
クロウは弾く事のみに集中していたが、ふとアンジュを見てみた。
そして、ぞくりと背筋を震わせる。
彼女の宝石のような瑠璃の瞳に、冷静な彼女には珍しく感情が宿っていた。その目は相手を射殺し確実に生命を奪おうとする、鋭い肉食獣の瞳に成り代わっている。
アンジュが睨む蛇だとするならば、クロウは動けぬ蛙だ。しかし、この場合ただの蛙ではなく、対抗出来る牙を持っているが。
しばらくして、息の上がった2人はほぼ同時に動きを止めた。
「これくらいにしますか」
アンジュはアリアドネを鞘にしまってから、汗で張り付く髪の毛を邪魔そうに何度か手で払う。
クロウは先程のアンジュの瞳を忘れられず、ただその行動をぼんやりと見ていた。
─もしかしたら、アンジュは...。
彼女の胸を巣食う復讐の鬼は、普段は冷静な仮面をかぶっているだけで、想像も出来ぬ程強大な生命体なのではないだろうか。
クロウはそう考えたがアンジュへは何も言わず、ナイフを鞘へ収めた。
◆◇◆◇◆◇
朝食を食べ終わったクロウは、少しウィルソンの仕込みの手伝いをしてから、屯所へ向かった。
「すみません、昨日来ました、クロウ・ルーシャという者です」
昨日とは異なる受け付けの神兵へ声をかけた。「少々お待ちください」と言われ、待っていると入り口が開いた。
「お入りください」
クロウは中へ入る。そして神兵の先導の後をついて行く。
ノアと戦った場所とは随分反対方向の場所へ辿り着いた。
「中でお待ちです。くれぐれも下手な事はしないように」
神兵はクロウへ忠告して去っていった。
余程厳しい人間なのだろうか。クロウはゴクリと生唾を飲み、大きく息を吐いて中へ入る。
「お、やぁ初めまして、だね」
そこには2人の男がいた。
1人は両目を包帯で覆い隠した金髪の、少年のような男。アンジュと同じ金髪なのだが、彼女よりも少し濃い金色をしている。黒い軍服に白銀のマントと十字架を付けている。身長はクロウよりも低い。アンジュと同じくらいの背丈だろうか。
もう1人はその少年のような男の手を引く栗色の髪の男。彼も同じく黒い軍服に白銀のマント、十字架を付けている。瞳は片方ずつ色が異なり、右は澄み渡った青空のような色を、もう片方は鮮やかな檸檬色をしていた。背丈はクロウとほぼ変わらない。
「えと、君がクロウ・ルーシャくん...だよね?」
「はい。え...っと、貴方は」
「今日から君の所属する第3師団の団長だよ。エリアス・ジノヴィオス。よろしくね」
エリアスはそう言って手を差し出した。だが、それはクロウの横に突き出されていた。それを隣の男がクロウの目の前へと修正する。その軌道修正された手をクロウは取った。
「よろしくお願いします」
「うん。で、隣にいるのが第3師団副団長のジルヴィア=リティス。仲良くしてやって」
「どうも」
「............どうも」
かなり警戒されているのか、ジルヴィアはクロウをギラリと睨みつけてきた。
「はははっ、ジルはちょっと人見知りで、田舎出身だから口調がおかしい事を気にしてて、あんまり喋らないけど、怒ってるわけじゃないから無いからね」
エリアスはケラケラと笑いながら、相方の弁解する。クロウはそれに対して「はぁ」と曖昧に言う。どちらかと言えば、彼の身の上など、心底どうでもいい。
「それでは我が第3師団の案内をしよう!付いてきてくれたまえよ」
エリアスは芝居口調にそう言うと、ジルヴィアに手を引かれながら、クロウの入って来た扉を開けた。クロウも慌ててその後を追う。
「ここには全部で12師団分の必要施設がある、このユーピテル全土でもなかなかに大きな施設なんだよね。神宮も勿論大きいけど、あっちは無駄な物は省かれてるから、実質この屯所がラファエロ市内では1番大きい施設かもね」
「へぇ...」
クロウはエリアスの話は初めて聞いた。普段そういった事柄に関して考える事も無かったので、新たな発見をした気分だ。
「まぁ、色々維持費やら運営費やらがかかるから、共同で使う場所も勿論あるから。僕らは基本第4師団との兼用が多いから、仲良くね」
「分かりました」
しばらく歩いていくと、「ここからだよ」とエリアスは言った。
確かに【第3師団区域】と記されたプレートが壁に貼られていた。しかし、問題はそこではない。
「あの...、なんで分かったんですか?」
そう、エリアスは両目を包帯で覆っている為、外の景色など見えないはずだ。それなのに、言い当てた。
「僕の歩幅とジルの歩幅。それがあの部屋に行くのと今帰ってきたのがほぼ同じ歩数だったからね。ま、簡単だよ」
エリアスは何でもないように言い、ジルヴィアに手を引かれるまま、進んで行く。
「この屯所にあるのは、僕が資料に目を通す為に使う『団長室』、武器を置いておく為の『武器庫』、第3師団団員が使える『訓練施設』の3つ。あと、訓練で汗をかくからっていう理由で、『浴室』もあるから」
「......優遇されてるんですね」
「ま、市民の思想を守るからね」
エリアスはそう言って、ジルヴィアに手を引かれながら『団長室』のプレートのかけられた部屋へ入る。エリアスはその中にある椅子へ腰を下ろすと、長く息を吐いた。
「ここでする事は、基本は資料を書く事だけ。後は、自分の技磨きにこの屯所を使ってよ」
「...普段はどこにいれば...」
「んー、教会で雑用をしてもいいし、今の君にはいないけど、相棒と一緒に街の見回りに行ってくれればいいよ」
「...ゆ、緩いんですね」
「ラファエロ市は案外広いんだよ?緩くなんて無いさ」
エリアスは声高らかにそう言った。
「今日はもうおしまいっ!ジル、彼を西口から送ってあげて」
「え、仕事は」
「新入りの君には今は無いよ。僕が大抵の事は済ませて置いちゃってるからね!だから、とりあえず明日は9時頃にここに来て。正面玄関からは遠いから、ジルが今から送る西口から出て行ってね」
エリアスがそう言うと、ジルヴィアはエリアスから手を離し、すたすたとクロウの隣へ近付き、
「...............ついて来い」
それだけ言って扉を開けて行ってしまう。クロウは慌ててジルヴィアの後を追った。
「あ、あの、ジルヴィアさんは田舎出身とエリアスさんが仰ってましたけど、どこなんですか?」
「.........南街、山近く」
このラファエロ市の南側には山脈が存在する。その麓で過ごしていたのだろう。この中心街からは馬車を使っても3日はかかるだろう。それ程の遠地から彼は来たのだ。
「行った事無いですね、俺。どんな所なんですか?」
「このラファエロ市の食料は、大半は南側で作られてる。.........俺の街も、町民みんなで、果物を作ってた」
「へぇ...!そんな豊かな場所なんですか!1度行ってみたいですね」
「.........そうか」
クロウはその時、ジルヴィアの横顔をチラリと見た。今まで鉄仮面のような彼の顔が、ほんの僅かに緩んだ気がした。
「.........ここが、西口」
ジルヴィアはそう言って、重い扉を開けた。
目の前には街路樹が飛び込んできた。すぐ後ろにはクロウが通ってきた中央街が見える。
もう少し進んで行くと、正面玄関に着くので、確かにこちらの方が近道になるだろう。
「.........裏口、みたいなもの」
「ここを明日から使えばいいんですね?」
「...............あぁ」
ジルヴィアはこくりと頷き、クロウが通りやすいように道を開けた。
「ありがとうございます」
「ん.........」
クロウはジルヴィアに一礼し、1歩踏み出した時。
「明日も、気ぃつけてな」
「っ!?ジルヴィアさ、」
バタン、と勢いよく扉は閉まった。
クロウは目を丸くして、しかしクスリと笑って、帰路へつく。
いずれ敵となる人間達だが、少しの間なら悪くないかもしれない。クロウはこれからの楽しみを考えて、口角を僅かに上げて微笑んだ。
◆◇◆◇◆◇
クロウを送ってから帰ってきたジルヴィアの雰囲気が異なっているのを、エリアスは感じた。
行く前はいつもと変わらなかったが、帰って来てからはどこか楽しそうだ。
「ジル、いい事あったの?」
「.........何も」
「僕に嘘が通用すると思ってるの?」
エリアスはニコリと、ジルヴィアへ笑いかける。ジルヴィアはバツが悪い顔をして、
「済まん.........」
「いや、そんなしおらしく謝らないでよ。...クロウくん、気に入ったの?」
エリアスは、恐らくの要因であるはずの人物を名前を口にする。
ジルヴィアはこくりと頷く。その行動は、エリアスには見えていない。
「.........まぁ、悪うは、ない」
「そか。なら、仲良く出来そうだね」
エリアスは内心、とても喜んでいた。
口数の少ないジルヴィアを気味悪がっている団員は、決して少なくない。だからこそ、彼が自分以外の人物と仲良くしようとするのは、とても喜ばしい事だ。
「さて、仕事を続けよっか」
「...............了解」
◆◇◆◇◆◇
クロウが屯所を出たちょうどその頃。そこから500メートル程北へ進んだ先。そこには神兵が割安で入院可能なラファエロ市営病院がある。
その病院の4階のとある1室で、クリミア教会の守衛を任されていた第1師団の団長、シズマ・アルバースは入院していた。
全治2ヶ月と診断された身であるが、流石団長を任されるだけの身である為か、どんどんと身体を回復させていった。
故に、暇。暇なのだ。
身体を動かそうものなら、看護師に怒鳴りつけられ─大の大人が怒られると地味に辛い─、近くに置いている護身用の小刀を手入れしようと手に持てば、別の看護師に怖がられてしまう。話をしようにも、ここは個室なので誰にも話しかけられない。
これ程までに自分が不幸であると思った事は、シズマのまだ20数年生きてきた人生の中で初めてかもしれなかった。
そんな自身の不幸な身の上を悲しく思っていると、扉が開いた。
医者の検診の時間かと考えたが、それにしては早いし、声もかけてこない。
訝しく思っていると、入って来たその人影が目に見えてきた。それが何者かを確認する間もなく、その人物は、
発砲してきた。
「ひゅー、やるじゃんか。流石、入院してても衰えてないねぇ、団長さん♪」
発砲してきた物全てを小刀で弾いて躱しきったシズマへ、彼女は笑いかけた。
「何の真似だ、シェリー」
シズマは睨みながら、元相棒である人物─シェリー・マリアンヌ=ダルシアンへ訊ねた。
「なぁに、お前の事だ。退屈してるだろうと思ってな。刺激的なサプライズだったろう?」
「どこが」
シズマはハッと鼻で笑い、近くに落ちているダーツの矢を摘む。
「手品道具なんだと。まぁ、よく出来てるよな!」
「そんな物...。いや、お前の給料だから何も言わないでおくとする」
「どーも」
シェリーはベットに近付いて、落ちていたダーツの矢を数個取って、ピストルへ装填し直した。それを腰のホルスターにしまう。
「で、遊びに来たわけじゃないだろ。何をしに来た?」
「アンジュに、会ったんだとな?ノアも言っていた」
シェリーの声色に、シズマは僅かに気圧される。しかしそれを一切見せずに、
「あぁ、本人だと名乗っていたからな」
「.........それと、右腕が無かったのも、本当か?」
「あぁ」
シズマは嘘を吐くのが苦手だ。故に、どんな事であってもシズマは決して嘘を吐かない。そういう人間だからこそ、シェリーは彼の言葉を信じている。
「......どういう事なんだ?何か事故が起こったのかと調べてみたが、そんな情報は無かったし...」
「............師団長」
「...アッシュさん?」
シズマの口から漏れた『アッシュ』の名に、シェリーは小首を傾げる。
「アンジュが、師団長の名を言っていた。...気を付けろ、と」
「気を付けろ......。ふむ」
シェリーは少し考えこみ、それからシズマへ視線を戻した。
その目に、シズマは内心大きく溜息を吐く。
これからどんな悪さを仕掛けようか、と企むいたずらっ子のような碧の瞳。シズマはこの目をするシェリーが騎士学校時代から苦手で──、しかし嫌いでは無かった。
「......何するつもりだ?」
「調べてみよう、アッシュさんの事。シズマも気になるだろ?アンジュが何でアッシュさんの名前を出したのか」
「.........まぁ」
シェリーはすっと、シズマへ手を差し出してきた。シズマはその意味が分かり、眉を寄せながらも、
その手を軽く叩いた。
「じゃ、またよろしくだ、相棒っ!」
「言っとくが、あくまでも俺達だけの話だ。他言するなよ」
「勿論だ」
シズマの胃の痛そうな顔とは正反対に、シェリーの顔はとても楽しそうに綻んでいた。
──カチリ、と歯車は更に動き始めた。
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