第四章 自芯 -ジシン-

自芯 01

 クロウとユエは屯所の目の前に来ていた。大きな屯所を見上げながら、クロウは溜息を吐く。

「......マジでやるのか」

「うん、まぁ、そこまで気張らなくてもいいよ。クロウなら出来るさ!」

 クロウのどの部分を信用して力説しているのかは分からないが、ユエはニコニコとそう語る。だが、クロウの脳内には暗雲が立ち込めている。

「さ、行こうクロウ」

「......あぁ」

 クロウは重い足を引きずりながら、ユエの車椅子を押しつつ向かっていった。

 クロウとユエが何故神兵の巣窟である屯所に来ているのか。それは数日前へ遡る。


 ◆◇◆◇◆◇


「やっぱりいい案は浮かびませんね」

 アンジュとクロウはクロウの汚い部屋で作戦会議をしていた。

「...だよな。やっぱりもう、神宮に忍び込むしかないか?」

「警備の手の緩まない神宮に忍び込めた人間なんて、聞いた事ありませんよ」

 そこでアンジュは顎を撫でて、

「クロウが潜入すれば良いのでは」

 妙案を思いついてしまった。

 アンジュでは既に顔が割れてしまっている。ユエは下半身不全である為、頭の良さを認められても採用されるかどうかは厳しいだろう。ウィルソンはそもそも人間の枠を超えている人間なので、下手したら魔女裁判にかけられて死刑も有りうる。

 クロウにはそういったものが一切無く、神兵にも劣らぬ実力の持ち主でもある。つまり、うってつけの人材だ。

「え...、俺?」

「クロウなら出来そうです。アッシュさんの食事に毒を盛るくらい」

「急に物騒な事を俺にさせようとするなよ...」

 クロウは呆れたように言うが、アンジュの耳には届いていなかったようで、アンジュは何も言い返さなかった。ガシッと彼の肩を掴むと、

「頼みます」

「え...えー......」


 ◆◇◆◇◆◇


「いやぁ、断らないのが優しいよね」

 ユエはケラケラと笑う。クロウはそれに溜息しか返せない。

「すみません」

 ユエがそんな彼を放って、屯所の入口の扉をノックすると、ゆっくりと扉が開き神兵が出て来た。

「何でしょうか」

「神兵になりたいんですよ」

 ユエの放った言葉に、神兵は目を丸くする。それでユエは気付いて慌てて、

「す、すみません。私では無くて弟がなりたいんです」

「そ、そうです!」

 勿論、ユエはクロウの姉ではない。

 アンジュの入れ知恵の1つ。扶養者がいる家ならば、寄宿舎への入居届けを出さない限り、家からの出勤になる。2人はそれを狙ったのだ。完全にクロウが屯所に詰めてしまうと、作戦会議が出来なくなってしまうからだ。

「そうですか。それではこちらへ」

 神兵に案内されるまま、ユエと別れて中へ潜入して行った。


 ◆◇◆◇◆◇


「あぅ......苦い」

 アンジュはウィルソンへ渡すコーヒーを僅かに味見して、顔を顰めた。

「まぁ、初心者なんだ。普通はそんなもんだろ。...ま、機械自体がそろそろ買い換え時かもしれねぇけど」

 ウィルソンはアンジュの作ったコーヒーを1口飲み、アンジュと同じように顔を顰めた。

「あの...、別に飲まなくても良かったんですよ?」

「いや、一応確認しておきたかっただけだ。それに、......コーヒー飲めるようになりてぇから」

「へ?」

 アンジュは首を傾げる。この間4人で乾杯した時や、時々ユエの渡すコーヒーを飲んでいたような記憶がある。

 ウィルソンは彼女の考えを察し、苦々しげに口を開く。

「......飲めねぇんだよ、かなり甘くしねぇとな。ユエはそれを分かってるから、あの時のコーヒーは甘くなってたんだ」

「......そうだったんですか」

「あぁ、ユエに馬鹿にされるが頑張っても飲めねぇんだよな、苦ぇの」

 子ども舌なのだろうか。見た目に反したそのセリフに、アンジュは少しだけ口元を緩めた。

「...ユエさんとウィルさん、家族みたいですよね」

「俺はアイツが好きなんだけどな」

 唐突な爆弾発言に、アンジュは目を丸くしてウィルソンを見上げた。ウィルソンは少し頬を掻いて、

「ンな目をすんなよ」

「す、すみません...。突然だったので...」

「......まぁ、いいけど」

 ウィルソンはふいと顔を反らして、カウンター席に腰を下ろした。

「あの大馬鹿野郎の何処が何で俺がアイツを好きなのかは分からねぇが、でもこれはきっと好きだって気持ちで合ってると思うんだよ」

「それくらいユエさんが......」

「理由は分からねぇが、アイツは自分が『適応者だから』俺が優しくしてると想ってる節がある。が、俺は人間は俺らよりずっと弱くて脆いから、早く消えねぇように隣に居続けたいんだ。出来るならずっと、永遠に」

 吸血鬼の寿命は、人間よりも遥かに永い。だからこそウィルソンはユエに寿命を全うして欲しいと願っている。大好きな人とは、長く永く居たいから。

「たっだいまー!」

 そこにユエが帰って来た。無事に事は進んでいるらしい。

「お帰りなさい、ユエさん」

「うん、2人にお願いがあるんだけどさ。これだけで市場で食材買ってきてくれない?」

 ユエはそう言って、茶封筒を突き出した。

「はぁ?」

 ウィルソンは首を傾げながら、ユエが突き出す茶封筒を引ったくり、中身を見る。そこにはいつもの倍の金額が入っていた。

「こんなにか?」

「今日は素敵なパーティーを予定してるからね」

 ユエが得意げに言うそのセリフに、2人はほぼ同じタイミングで首を傾げる。


 ◆◇◆◇◆◇


「ここに記名をお願いします」

 案内された部屋で神兵に言われるがまま、クロウは指定された箇所に名を記す。

「それから、これらを支給します」

 次に刃先の尖っていない、刺しても痛まないようなナイフを数本と、同形状の剣を貰った。

「これは」

「今から貴方に聖なる十字架クロスを授かるに相応しいか、テストをします」

「はい?」

 クロウは思わず聞き返してしまう。てっきりペーパーテストで合否が決めるものだとタカをくくっていただけに、それには驚いた。

「相手は......、少々お待ちください。暇でかつ引き受けてくれる方をお呼びしますので、ここで武器の具合が確かめたりして待っていてください」

 神兵はそう言って、さっさと退出していった。

 クロウはしばらくぼうっとしていたが、立ち上がってナイフを握ってみる。重さは日頃クロウが扱っている物と大差ないが、やや空気を裂く音に爽快感は無い。続いて剣を握る。これを扱うのは、クロウにとって初めての体験だ。アンジュのアリアドネをスミスへ渡す時にいくらか触ったくらいで、武器として手に取るのは初めてだ。

「やっぱり......、重いな」

 ナイフを普段扱っているので、どうしても重く感じてしまう。この武器は苦手かもしれない。必ずしも使用しなくてはならない訳では無いので、使わなくても良いだろう。というか、あまり使いたくはない。

 素振りや突きを何度か試していると、コンコンとノックされ、神兵が入ってくる。クロウは神兵の背について行く。

「こちらへどうぞ」

 クロウは慣れない手つきで剣を鞘へ収めて腰へ差し、ナイフを腰のベルトにぶら下げて、神兵の後を追う。

 少し歩くと、開けた場所にあるに出た。

「ここは闘技場の真下辺りになります。ここで最終調整を拳闘士の方々が行ないます。まぁ、なのでそれ相応の強度はありますから、存分に戦ってください。この試合結果を合否及び師団所属場所の決定に使わせてもらいます」

 神兵はそれだけ言って、1歩身を引いた。クロウはこれから試験始まるのだ、と興奮する気持ちを平静を保つ為に呼吸を整え、それから中へ入る。

「初めまして、クロウ・ルーシャくん」

 その人物をクロウは知っていた。ノア・ナサニエル。アンジュの相棒であった男であり、前回のクリミア教会潜入の際に、クロウが相手にした男でもあった。

 彼は柔らかくクロウへ微笑む。バレてないようだ、とクロウは判断し、

「どうも、初めまして」

 と彼へ返す。

「手加減は要らないから。俺は日頃は狙撃手スナイパーだから、こういう剣術は苦手なんだ。だから君と同じ初心者と思ってくれていい」

「...もう、試合は始まってるんですよね?」

 クロウの言葉に、ノアは首を傾げた。

「...油断させる為の罠じゃないか、って事ですよ」

「成程...。君は賢いね」

 ノアは笑みを保ったまま、剣を抜く。クロウも腰のナイフがすぐに手に取れるよう、手を置く。お互いに睨み合い、臨戦態勢は整う。

 最初に動いたのはクロウだった。地面を蹴り、間合いを詰めたかと思うと同時に、首元目掛けて一閃する。しかし、ノアはその場にはいない。1歩後ろへ下がり、クロウ目掛けて突きを放つ。それをクロウはナイフの刃で受け止めた。金属音と少しの火花が散る。

「やるねぇ」

「負けねぇよ」

 クロウは身をかがめながら円形に回転し、足元に狙いを定める。が、ノアは素早くその手を蹴る。カランとナイフが1本飛んでいった。それがクロウの喧嘩スイッチを押す。

 クロウはもう1本ナイフを取り出すと、それをノアの肩に刺す。勿論刃先が丸いので刺さりはしない。そこを軸にクロウはノアの腹を蹴った。

「ぐっ...!」

 ノアの身体が後ろへ引く。クロウは怯むノアへ追い討ちをかけるよう、下から上へナイフで突く。

 近接戦闘が苦手と言えども、ノアも神兵だ。

 剣をがら空きになっている彼の腹部へ突き刺そうと、横へ薙ぐ。

 その瞬間、

「終了です」

 朗々とした声が空間に響き、2人の動きはピタッと止まる。

「お疲れ様です、お2人共」

 その声はクロウを連れてきた神兵から発されたものだった。2人は戦闘態勢を治し、各々武器を直していく。

「ノア・ナサニエル団員、ありがとうございました」

「いえ、これくらい引き受けますよ」

 ノアは神兵へ気さくにそう言い、「では」と短く発して、クロウへ手を差し出した。クロウは訳が分からず首を傾げた。

「握手」

 ノアに短くそう言われて、クロウはその手を握った。

 それからノアはクロウが来た扉とは逆の方向から出て行った。その背をぼうっと見送っていると、

「まず支給品の回収をしても宜しいですか?」

 神兵にそう言われて、クロウは剣とナイフを数本返す。それからユエと共に来た入り口へと戻った。

「テスト、お疲れ様でした。明日、合否をお伝えしますので、正午までに屯所にお越しください」

 こうしてクロウは屯所を後にした。


 ◆◇◆◇◆◇


 久しぶりに本気で1戦したかも知れない。クロウは気怠い身体を引きずるように、帰路を歩いていた。気付けばもう夕暮れになっている。随分長い間あそこへ居たのだな、と考える。

 貧民街の小道をくぐって見えてくる、他とはかなり見た目の変わった〈夢遊館〉にクロウは何の躊躇いも無しに入る。

「ただい、え...っと?」

 クロウは目を丸くする。

 帰って来たら、既に閉店になっている筈の〈夢遊館〉の中が、見知った人間でいっぱいになっていたのだから。更に机の上には豪華な食事が並んでおり華やかになっている。

「お帰りなさい、クロウ」

 エプロン姿のアンジュが、呆気にとられているクロウを覚ますように呼びかける。

 今日は誰かの誕生日だっただろうか。否、そんな記憶は無い。何故こんなパーティーが開かれているのか考えていると、

「やっぱり驚くよね!」

「クロエ、言ってこい」

「はい、なのです!」

 とてとてとて、とクロエがクロウへ近付き、顔を見上げて用意されたセリフを言った。

「脱無職、おめでとうございますなのですよ!」

 愛らしい見た目の少女の口から溢れた、歯に衣着せぬ暴言に、クロウの頭の中は一瞬真っ白に染まり、それから眉を寄せてこの状況を作り上げたであろう主犯格を睨む。

「そんな怖い顔しないで、クロウ。事実なんだからさ」

「全然違いますよ!アルバイトやってたじゃん、俺っ!」

「フリーターしてたの、クロウくん。ていうか、神兵になるよりもアタシの〈Lily〉で働かなーい?アタシのお着替え見たい放題よ?」

「すこぶる興味無いです」

「あら、残念」

 リリーはそう言って肩をすくめ、隣のスミスへ引っつこうとするが、クロエがその行く手を阻んだ。

「まぁ、食べてよクロウ。明日から大変なんだから」

 ユエの言葉に確かにそうだと、クロウは納得せざるを得なかった。席につき、「いただきます」と言ってからご飯を食べて行く。

「ていうか、スミスいつ結婚したのよ。誰と結婚したのよ。そんな可愛い女の子をアタシに紹介してくれてもいいじゃない。教えてくれないなんて、水臭いわぁ」

「結婚してない。クロエは俺の娘じゃないからな」

 スミスはさらりと、ユエの淹れた紅茶を飲みながらそう言った。何でもないように彼は言ったが、周りは衝撃を受けている。

「スミスさんのお子さんと、思ってました」

「お師匠様はクロエのきゅーせーしゅなのですよ!」

「救世主...。クロエ、その使い方は違うな」

「そ、そうなのですか...。うむむむ」

 クロエは頭を悩ますよう、左右に首をカクカクと傾げている。そんな彼女を尻目に、リリーは身を乗り出す。

「アンタ、まさかあの子の可愛さにやられて誘拐した訳じゃ無いでしょうね?!」

「誰がするか、このオカマが」

 スミスははぁっと息をついて、クロエとの出会いを口にした。




 2人が出会ったのは、スミスがリリーとの武者修行の旅を終えてこちらで店を開いて、丁度7年目程の頃だ。

 雨の日に、店の外に飾りとして出している模造刀の様子を見に行った時だった。店の前にボサボサの栗毛のクロエが座っていた。

「どうした嬢ちゃん、親御さんは?」

 スミスはクロエに近付き、当然の質問をした。

「わからない。ここでまっててっていわれたの」

 舌足らずな言葉でそれだけ言い、再びクロエは顔を下へ向けた。

 流石にこのまま放って置くわけにもいかず、スミスは彼女を家へ招き、風呂へ入れた。

「あの、ありがとうございます。でも、わたしおかあさんをまたないと」

「ここで待っていればいい。来るさ」

 スミスは何となく、彼女の身の上を察し始めていた。

 ─捨てられている、この娘は。

 貧民街では珍しくもない光景だ。食い扶持を減らす為に、適当に放り出す。

 しかし、まだそれでもこの少女はマシな方だった。売って金にする親も少なくないからだ。売られた子ども達の末路など、高が知れている。

 女ならば、男に使われる。男ならば、何らかの密商売に関わらされる。そうして生き残りたいと考える生存心の高い人間が、この貧民街を巣食うのだ。

 ──この少女に迎えは来ないだろう。

 それを口には出さず、以後スミスはクロエと共に生活している。

 彼女の母親が迎えに来るその日まで。




「アンタもマシな事するのね」

「お前みたいに無慈悲じゃ無いだろ」

「お師匠様、むじひって何ですか?」

「......また教えてやる」

「はい、なのです!」

 クロエは嬉しそうに手を挙げて、

「ごふっ!」

 その手はリリーの顎を殴った。

 そんな彼らを尻目に、カウンターテーブルから動けないユエと、その席の向かい側に座っているウィルソンは2人で紅茶を嗜んでいた。

「いやぁ、やっぱり誘って良かったねぇ。アンジュちゃんも楽しそうだし、クロウも無邪気だしね」

「そうだな」

 ユエは目を細めてその光景を眺めている。ウィルソンはその横顔をぼんやりと眺め、唐突にユエの頬をつついた。

「にゃ、にゃにすんにょ?!」

「ふはっ、おもしれー」

「ちょっ、こら、やめ」

 ふにふにふにふに、とウィルソンはニヤニヤ笑いながらユエの頬に触れる。ユエはウィルソンを睨みつけて、ただひたすらに「馬鹿」「阿呆」「変態」といった、ありふれた暴言を吐き続けた。


 こんな奇天烈なパーティーは、クロエが疲れて眠ってしまうまで続いた。

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