懸河 04
ユエ=ワールダットは、生まれついての異教徒では無かった。10歳までは両親と共に教会へ礼拝をしに行き、食事の前に祈りを捧げる─世間的にもかなりの信者だった。
ユエもまたそんな両親に感化され、将来は宗教騎士団に所属する為にと、日々鍛錬と勉強をしていた。
そんなユエが『壊れた』のは、両親が殺された時だった。
買い物に出掛けていた時、異教徒を狙った弾丸が2人を撃ち抜いたのだ。
そして、ユエの元に2人の生命と引き換えに、多額の金銭と申し訳程度の謝罪文が後日届いた。それを見て、ユエは神という者が存在しない事、宗教騎士団はそんな悪魔の使いだったのだと知った。
子どものユエからしても、両親は熱狂的な信奉者だったのに、神に仕えるという人々に、あっさりと殺された。
その瞬間、信者から異教徒へ、ユエは成り代わった。
ユエはこの事実の裏付けを求め、ラファエロ市立図書館へ行き、歴史関連の本を全て借りてきては写し取る事を繰り返した。原本と自分の意見が混ざらないよう、自身の意見は赤い文字で記していく。
様々な本を読んでいくと、全て女神ミカエラを肯定する本しか無いことが分かった。
完全無欠とされる女神。だが、どれもこれもあまりにも肯定的過ぎる。
ユエはそれを感じ取り、すぐに人から得られる情報を元にする事にした。東貧民街は元々情報屋が他よりも多い。
ユエは国から貰った多額の金銭を切り崩しながら、また両親が生前経営していた〈夢遊館〉を切り盛りしながら、ユエは金で情報を得ていった。その時に、知っている情報を聞かれ、更に金を積まれれば教える事もしていた。こうしてユエもまた、情報屋として名を馳せていった。
そういう生活をして暮らしていた為、やがて彼女はこう呼ばれるようになる。誰にも
ユエは日常の大半を〈夢遊館〉に、時たまこのユーピテルの真理を得る為に情報屋として働く、そんな生活をしていた。
それを続けて、3年後。つまりユエが13歳の時。
彼女はウィルソン・ヴェルディーという青年に出会った。
彼はある日突然〈夢遊館〉へやって来て、カウンター席に腰掛け、メニュー表も見ずに、「ココアを1つ」と言い放った。
ちなみに〈夢遊館〉にはココア等というものは無い。コーヒーや紅茶に、ちょっとした軽食と甘めのお菓子程度だ。
そう言ってやろうかと考えたが、少し辺り探すと賞味期限間近のココアパウダーの入った瓶が出て来た。この人で消費できるならいいか、と思い、ユエはココアパウダーとミルクでさっさと作り、彼の前に差し出した。
「どうぞ」
「どうも」
これがユエとウィルソンの初めての会話だった。
それからウィルソンは何が気に入ったのか、時々店に来るようになり、ユエは彼と会話するようになった。話す事は二言三言くらいだが、ユエの情報屋としての技量が上がっているのか、様々な事を聞き出した。
住んでいる場所がこの東貧民街である事、職業は力仕事関係で、彼女は生まれてから一度も無し。無類の甘いもの好き。
その内に彼の変化にも気付けるようになり始めた。
その日も、そうだった。やけに嬉しそうな雰囲気を持つ彼に、ユエは冗談半分に訊ねてみた。
「何か良い事でも?」
「...まぁ少し」
「何ですか?ようやく彼女が出来たとか?」
ユエがおどけた調子で訊ねると、思いの外ウィルソンはあっさりと固まってしまった。それはユエの発言が的を射ていた事を現している。
「......そ、そうなんですか!良かったじゃないですか」
それから少し間を開けて、
「あの、どういう人とお付き合いされてるんですか?」
「あぁ、いつでも来てくれって」
ウィルソンのそのセリフを聞いて、ユエはしばらく思考停止し、首を傾げる。それはどういう意味なのか、と。
その仕草でウィルソンも勘づいたのか、
「文通だからな」
「はい...?」
流石のユエもウィルソンに身を乗り出して、その話を聞いた。
聞くと、ウィルソンが偶然道端で拾った手紙に『拾ったら返事を送って欲しい』という趣旨の事が書かれていたらしい。そんな人物と文通をする内に親密な関係になっていき、会う約束をしたのだと言う。それだけでも充分におかしいのに、1番おかしいのはそれを信じて疑わないウィルソンだろう。
傍から聞いているユエでもすぐに分かる。恐らく彼は騙されている、と。
『偶然』道端に落ちているものなのか、手紙は。文通相手とどんな会話をすれば親密という判断に
ユエの口からは溜息が漏れる。
「...ンだよ」
「いえ、別に。あの......、本気で会うつもりなんですか?」
「初めて...、異教徒だって言っても受け入れてくれた人だから」
─それ、文面なんだから騙せますよ、いくらでも。
そう思ったが、ユエは何も言わなかった。
それよりも重要な事柄が今、彼の口から漏れたのを、ユエは聞き逃さなかった。
「異教徒なんですか、ウィルソンさん」
「......吸血鬼っていう化け物さ、俺は」
ウィルソンはほんの少し吸血鬼の話をした。ただユエの『ラファエロ市歴書』等の本で、ある程度の知識量は得ているので、この事実はあっさりと受け入れられた。
それにしても、とユエは思う。
ウィルソンは運が良い。ユエが信奉者ならば、即刻神兵へ通報して、宗教騎士団行きな状態だ。ウィルソンは気付いていないようだが。
このまま放っておこうか。
ユエはぼうっとそんな事を考える。彼がどうなろうとも、明日のユエの食い扶持が無くなる訳では無い。死んだとしても、構いはしない。
だが、何となく...、
─彼を失いたくない。
とは思った。
「...ねぇ、ウィルソンさん。提案があります。是非乗ってください」
「あぁ?」
ウィルソンの首を傾げる動作に、ユエは僅かに微笑みを浮かべ、『ユエ=ワールダット』から情報屋〈黒藤の猫〉の顔へ一変させる。
「貴方の3ヶ月、私に下さいませんか?」
これがユエの最後の仕事になるとは、露知らずに。
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