懸河 03
ノアは〈夢遊館〉を訪れた次の日、務める神宮から少し離れた宗教騎士団の屯所に来ていた。
ここは、宗教騎士団全12師団分の団長室や資料室、武器庫や試弾施設、更に近場には唯一国に認められているギャンブルである拳闘を行なう闘技場がある。
そんな屯所のとある一角に、ノアはやって来ていた。
やや1回り程大きめの扉をノックすると、
「はい、何でしょう」
神兵を表す白銀色のマントと甲冑に身を包んだ女性が出て来た。ノアは少し息を整え、
「第1師団団員のノア・ナサニエルです。ここに、...シェリー・マリアンヌ=ダルシアン団長はいらっしゃいますか?」
「はい、います」
「今日中であればいつでも構いません。会う手筈を整えてもらえませんか」
ノアの言葉に女性は目を見張ったが、女性は「少々お待ちください」と扉の奥へ引っ込んだ。それから少しして、
「ダルシアン様が今からお会いするそうです。私についてきてください」
女性はそう言ってノアが入れる程度に扉を開け、中に入れた。
この第12師団は女性神兵のみで構成された師団だ。体力や筋力量は男に劣るとはいえ、その技術や腕前或いは作戦を立てる軍師の才は、決して男に引けは取らない。故に、この第12師団が設立されたのだ。
「ここです」
案内されたのは、素朴な茶色い扉の前だった。小さく「ありがとうございます」と言うと、女性は一礼して去っていった。
扉をノックすると、少し遅れてから「入れ」とハスキーボイスが返ってきた。
ノアが扉を開けたその瞬間。目の前から銀色の何かが飛んできた。ノアはすぐに身を翻して避け、続けて飛んできたものも躱す。ノアは躱し終えてから壁に刺さったそれを引き抜く。
それは鋭い刃先の片側が、これまたかなり鋭い
「...残念。......避けられた」
「ふははっ、ティリンスもまだまだ未熟というわけだ」
部屋には2人の女性がいた。1人は椅子に座り、1人はその横に立っている。
立っている女─ティリンスと呼ばれた燃えるような三つ編みに結われた赤髪に、夕焼けを連想させる緋色の瞳を抱いた女性神兵は、鉄仮面と呼ぶにふさわしい無表情でノアを見ていた。白銀のマントの下は、青地に白の模様が入った半袖のアオ・ザイと呼ばれる、太腿辺りに深いスリットの入った服装を身につけていた。その細い腰にはノアが手にしているナイフと同じ形状の物が数個ポーチに引っ掛けてある。
ナイフは彼女が投げてきたのだろう。いや、絶対に投げてきた。
一方椅子に座っている女性は、肩までの金髪に碧玉のような瞳をした赤縁眼鏡の人物。彼女こそこの第12師団の団長であり、アンジュの腹違いの姉に当たる〈月華の舞姫〉と周りから恐れられる女傑─シェリー・マリアンヌ=ダルシアンだ。
「君が、ノア・ナサニエルくんだね。ティリンス、席を外してくれ」
「了承」
ティリンスはシェリーとノアに一礼して、退室した。
「済まないね。アイツは少々筋肉バカの気質があるんだ」
「大丈夫です」
「それなら良かった。...君の事は知ってるよ。アンジュの相棒...だったからね」
「......っその事なのですがっ!」
「......何だ、君もアンジュが生きているかもしれないと言うのかい?」
「っ!?」
シェリーの言葉にノアは目を丸くする。シェリーは少しだけ微笑みを浮かべ、彼へある紙を見せた。
差出人の名前はやや汚いが『シズマ・アルバース』と書かれている。彼が入院している軍人病院からシェリー宛に送られていた。
「シズマっ」
「読んでくれて構わない、ほら」
シェリーから手紙を渡され、ノアは小さく一礼し受け取った。中身を開いてみると、数字が数行流れているだけだった。
「......え、と」
「普通の人間の反応だ。だが、アイツの元相棒であった私からすれば、面倒に昔の事を引っ張り出しやがって、と思うんだよ」
シェリーはニヤリと笑い、それから数枚の紙が束になったものが、彼女の引き出しから出された。彼女はノアに見えるよう、パラパラと捲ってみせる。そこには数字と、その数字の意味する文字が綴られていた。そのおびただしい量に目を丸くする。
「こういったものがあった方が色々利便性があるんだ。こうして今も、上の奴らにバレないから役立ってるしな」
その碧の瞳はいたずらっ子のような目をしていた。
「......これには何と書かれているんですか?」
「アンジュは生きている。異教徒として。右腕の欠如。何者かの手助け。アッシュさんの不義。可能性有り」
「シズマ...」
「内容から察するに、アンジュは片腕を失い、異教徒になってしまった。そして別の人間と繋がり、何かをしようとしている。師団長の名前が出る意味は分からんが、まぁ、関わりがあるんだろうな」
シェリーの飲み込みの良さにノアは目を見張る。シェリーはその反応に不思議そうにしたが、すぐに納得した。
「アッシュさんの名前を貶めているかもしれないが、馬鹿正直な我が妹に、嘘を吐く意味を持たないシズマ。信憑性は充分だろう」
シェリーはそう言って、ノアの目を見る。
「ノア、君にアンジュの搜索ではなく、真意を探ってもらいたい。本来は私がやりたいが、生憎と地位がそれを許さない。一般神兵でまだ相棒をあてがわれていない自由に動ける君だからこそ、頼めるんだ。どうだ?」
「......はい!」
ノアの返事にシェリーは満足気に頷き、彼へ手を指し伸ばした。
ノアは一瞬戸惑ったが、しっかりとその手を握った。
◆◇◆◇◆◇
次の日の朝早く。アンジュはいつもより早く目を覚ます。そして机の上に置いていた本を手に取り、階段を降りる。
「あ、おはようアンジュちゃん」
「おはようございます」
そこには既に朝の仕込みを始めているユエがいた。
アンジュは少し躊躇ったが、聞く事にした。
「ユエさん」
「どうしたの、アンジュちゃん」
ユエはニコッと笑って、アンジュを見上げる。アンジュは彼女へ『ラファエロ市歴書 改訂』を突きつけた。
「昨日図書館へ行き、様々な本を読みました。全ての本とは断定が出来ませんが、恐らくどの本にも『ユエ=ワールダット』の名前があるでしょう。...これは、ユエさん本人のですか?」
「......うん。それは私の名前だよ。今も読んでる」
「......今も?」
「こっちに来て」
ユエが車椅子を動かして、厨房の奥へと向かう。それからそこにある1室を、ユエは押し開けた。
「わ......!」
そこには机と椅子とベットと本棚がある、アンジュの部屋とはあまり変わらない内装だった。だが、この部屋の大半は紙の束に占められている。クロウの部屋は紙以外にも大量に置かれているが、ユエは紙だけで埋め尽くされている。
全てにユエの文字が書かれている。恐らく本を借りて写し取ったのだろう。その膨大な量に目を見張る。
「ごめんね、昨日も色々読んでたから汚れてるけど」
「い、いえ。クロウの部屋よりは綺麗ですから」
─どっちもどっちとは思いますが。アンジュは言葉を飲み込んだ。
「......私もね、君達みたいにこの国の起源の真実を調べようとしてた。今みたいに足が動かなかったわけじゃないから、あっちこっちに動き回ってね」
「へ」
アンジュはユエは生まれつき下半身が動かないのだろうと思っていたばっかりに、その発言に目を丸くする。
ユエはアンジュの反応にクスッと笑う。そして、両手を大きく広げて、
「私の身の上話をしようか、アンジュちゃん」
アンジュに、ユエはその藤紫色の目を向けた。
「好奇心故に自由を失った、このユエ=ワールダットの話をね」
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