懸河 02
神宮から歩いていく事の多かったアンジュにとって、東貧民街から中央街へ向かうのはやや遠く感じる。
ラファエロ市立図書館は、この国で発売された書籍がほぼ全て取り扱われている、大規模な図書館だ。
大きな赤煉瓦造りで2階建ては中央街の中では目を引く。
「ここだな」
「えぇ」
アンジュとクロウは木で造られた重い扉を開けて中に入った。
中には小さな子どもから初老の人間まで、まばらにいた。
受け付けが中心に据え置かれ、それを取り囲むように円状に本棚が並べられ、所々に読書スペースが置かれている。
図書館の案内図が見当たらなかった為、クロウは受け付けの元へ歩いていく。
「すみません。初めてここに来て要領が分からなくて...。歴史書等はどこにあるか、分かりますか?」
クロウがそこにいた女性司書に訊ねると、
「ご案内しましょう。私についてきてください」
女性司書はそう言うと、椅子から立ち上がり、カウンターから出て来た。「こちらに」と短く告げると、さっさと歩き始めた。アンジュとクロウは慌てて彼女の後を追う。
2階の薄暗い光が照らす場所へ案内される。アンジュは2人の後を追いながら、本棚の本へ目を向ける。
『ラファエロ市歴書』『民俗学』などなど、確かに歴史関連が多かった。
女性司書はそこでピタッと立ち止まり、
「ここの2つの棚に入っているもの全てが歴史関連の書物となります」
「ありがとうございます。後は自分達で探します」
「いえ、これも仕事の内です。お気になさらず」
女性司書はそう言って一礼し、去っていった。
「片っ端から探すんですか?」
「そうだな。端から読んでいこう。どこまで見たか忘れると思うし。アンジュ、はい」
クロウがアンジュの手の届かない高い位置にある本を取り出し、手渡す。アンジュは「ありがとう」と小さく礼を言い、その場に座り込んでページを開く。
両手が使えれば立って捲れるのだが、片腕しかないので、座らないと上手くページを捲る事が出来ない。
クロウは立ったまま、ペラペラと流し読みをしていく。
2人はあまり聞かない情報を頭の中に留め、次々に本を読んでいく。
アンジュは3冊目の本で、ある単語が目に止まった。
「断罪天使...?」
アリーリャ教会にも資料室という名の小さな図書館のようなものが存在する。今まで読んでいた書物の事柄はその中にもあったのだが、この単語は初めて見た。聞き覚えもない。
教会が思想統制の為に削った内容だろうか。
アンジュはその段落に目を通していく。
簡潔に言えば、女神ミカエラがユーピテルを創ろうとした際に、その意見に異を唱えたミカエラに仕えていた片翼の天使だと書かれていた。
その片翼の天使は反乱軍を作り上げ、女神ミカエラを打ち倒そうと目論んだのだ、と。両者深手を負い、しかし女神であったミカエラが生き残った。
ミカエラが公共の面前で裁いた片翼の天使─断罪された死した天使。それが断罪天使の由来らしい。
つまりは、ここから『異教徒を打ち倒せ』という思想が来ているのかもしれない。アンジュはそう思った。
「アンジュっ」
小声で声をかけられ、アンジュはクロウを見上げた。クロウの顔は驚いているようで、目を丸くしていた。何か興味深い事が書かれていたんだろうか。
「どうしました?」
「これ」
クロウは片膝をついて、アンジュの目線に本の貸出履歴を見せた。
アンジュは意味が分からなかったが、とりあえずその欄を見ていくと、
「っ!」
「これ...、アンジュもそう思うよな」
7年前の春先の日付。そこに書かれていた名前は見知った人間だった。
『ユエ=ワールダット』
◆◇◆◇◆◇
閉館時間ギリギリに、アンジュとクロウはラファエロ市立図書館から出た。クロウの脇には借りれるだけ借りた本がある。
「どういう事なんでしょうか。ユエさんもあの本を借りていた。しかも、7年も前に」
「しかも、歴史書全部に...な」
あの後、時間の許す限りアンジュとクロウは協力して歴史書を読んでいった。どれも他の物と大差ない内容だったが、どの本にも『ユエ=ワールダット』の名前が記されていた。
「どうしてユエさんも歴史書ばかり読んでいたんでしょうか」
「あの人が情報屋っていう話は聞いた事あるけど、史学者だって話は聞いた事無いな」
2人で悶々と考え込んでいると、
「アンジュっ!」
「うっ!?」
アンジュの腹部へ重い一撃が入った。下を見ると、アンジュの懐に入って顔を見上げる薄紫色のカチューシャをした栗毛の少女─クロエがいた。
クロエはクロウを知らないらしく、キョトンとした表情をしている。
「アンジュ、お久し振りなのですよ!」
「え、えぇ...。お久し振りですね、クロエ」
「アンジュ、......宗教騎士団の知り合いか?」
「いいえ。前に義手を作ってもらった鍛冶屋の娘さんです」
クロウに説明すると、「成程」と彼は相槌を打った。一方のクロエも目を丸くして、
「あんな変な義手をお師匠様に頼んだのは貴方なのですか。お師匠様の腕によりをかけた義手はいかがでしたの?ちゃんと役に立ったのです?」
「うん、役に立ったよ。君のお師匠様は素晴らしい人だ。ありがとう」
クロウがクロエに目を合わせてはにかむと、クロエも打ち解けたように微笑む。そこへ、
「クロエー」
「はっ!お師匠様っ!!」
やはりスミスと来ていたのか。アンジュが挨拶をしようとクロエから視線を外し、顔を上げる。
アンジュが想定していた何倍も、スミスのガタイの良い身体で買い物袋を手に持っている姿は、とてもシュールだった。
「も、申し訳ありませんっ!クロエ、アンジュが見えたのに興奮してしまって...」
「変な人について行ったりしたのかと思って焦るだろう。次からはしないようにな」
「す、すみませんなのです......」
「いや、落ち込むな。...アンジュ、義手は上手く使えたか?」
「はい、ありがとうございました」
アンジュの一礼に、スミスは満足そうに頷く。その会話で、クロウは義手を作ったのが目の前にいるスミスだと理解する。
「俺の発案に乗ってくれて、ありがとうございました」
そこでスミスはクロウがアンジュの「相方」であり、義手のデザイナーと理解した。
「君のデザインはユニークだった。もし、今度良ければ剣のデザインを頼めるかな。デザイン料として金は出そう」
「依頼なら喜んで引き受けます」
そんな会話をしながら、スミスはふと昔懐かしい本がクロウの脇に抱えられているのを見た。
「それ...、『ラファエロ市歴書 改訂』か。懐かしいな」
「へ...。あ、これですか」
「あぁ。数年前にワールダットが読んでいた書物だな。それを片手に鍛冶場に乗り込んできて、度々聞かれたよ」
スミスのその言葉に2人は顔を見合わせた。クロエはそんな2人の心情等露知らず、
「アンジュとクロウは、ユエさんのお知り合いなのですか?」
「えぇ。今同居中です」
「わっ!本当ですか?お師匠様っ!今度〈夢遊館〉に遊びに行きましょう?」
「そうだな。最近鍛冶場に篭りっぱなしだからな。たまには外で食事を取ろうか、クロエ」
「はいっ、なのです!」
クロエは元気よく手を上げる。
「それじゃあお2人さん、ワールダットとヴェルディーに宜しくな」
「また会いに行きますですよ!」
「楽しみに待っています」
「じゃあ」
こうして道端での会話は終えられた。
「...やっぱりユエさん...、読んでたんだ」
「みたいですね。...歴女だったのでしょうか?」
「そういう人には見えないけどなあ...」
帰り道。2人の頭の中ではユエの事やラファエロ市の謎が深まるばかりだった。
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