第三章 懸河 -ケンガ-

懸河 01

「いらっしゃいませ。ようこそ〈夢遊館〉へ。お好きな席へお座り下さい」

 よく通るユエの声が、来客者の耳元へ届けられる。

 のっぺりとした灰色の建物や石灰色の煉瓦の家が多いこのラファエロ市東地区の貧民街では、〈夢遊館〉のような赤茶けた煉瓦と焦げ茶の木々で造られた2階建ての建物は目を引く。貧民街でも港に近い側に当たるので、この店に訪れるのは釣り人や漁師、海へ観光に来る奇特なカップルなどある種偏っている。

 そして、今日もまた珍客が来ていた。

 黒髪の左部分を赤く染めた、紅蓮の瞳の青年─ノア・ナサニエル。ややここでは目を引く、身なりもそこそこの格好をしてこの貧民街に来ていた。

 ノアはユエの目の前のカウンター席に座った。ユエはそんな彼にメニュー表を渡した。

「決まったら言ってください」

「サンドウィッチと、コーヒーを。ミルクと砂糖もお願いします」

 青年の即答にユエは目を丸くし、しかしすぐに「かしこまりました」と告げる。

「...あの、店員さん」

「あ、私店長です」

「す、すみませんっ!...あ、あの店長さんって、〈神隠し〉はご存知ですか?」

〈神隠し〉。知っていると言えば、この家の2階で現在作戦会議を開いているアンジュちゃんだな、とユエは思った。勿論口にも表情にも一切口に出さずに、コーヒー豆を挽きはじめる。

「ラジオ放送で流れる程度くらいです。ここら辺には、テレビ無いんですよ」

「前の大通りから少し入った所に開いていた洋服屋の方も言ってました。ここではテレビを持っている事が、ここでの金持ちの証だ、と」

「確かにそうかもしれないですね」

 コーヒー豆を挽き終わり、コーヒー粉にし、ポットをセットしてスイッチを押す。すると機械は少し震えてドリップを開始した。父母が店を開いた時から使っているものだ。

─そろそろ、買い換え時かもしれない。

「......〈神隠し〉について、何か気になる事はありませんか?」

「......あの、お兄さんはどういう職業の方なんですか?警察?それとも記者さん?」

 ユエは少しおどけた調子で、彼の身元を訊ねる。彼女が相手の情報を得る時に使う手段の1つだ。

 案の定引っ掛かったノアはハッとして、慌てて胸ポケットから銀色の十字架クロスを取り出し、ユエへ見せた。

「ノア・ナサニエルと申します。ラファエロ市を治められているエリヤ様の住む神宮に近い、アリーリャ教会に務めている者です」

 教会の名前を聞いて、ユエは僅かに驚いた。

 それはクロウがアンジュを拾ってきた場所に近い、少し大きな教会だ。

 恐らくアンジュの同僚なのだろう、とユエは警戒心を抱く。

「名乗らずに聞いてすみません。不安がらせましたね」

「大丈夫です。え...っと、それで〈神隠し〉ですよね?確か女の人や子どもが多いんですっけ?男の人の名前はあまり聞いていないように記憶してます。他は...、そうですね。ニュースを聞いていて思うんですけど、エリヤ様が訪れた教会で時々起こっているように思います」

「え」

「ほら、時々公務内容が流れるじゃないですか。それもたまに聞くんで、っていう感じですね。他は分からないです」

「そう、ですか」

 2人の会話が途切れた時、ウィルソンが厨房からサンドウィッチを運び、ノアの目の前へ置いた。ノアはウィルソンに小さく礼を言い、合掌して一口食べる。

 シャキシャキとしたレタスと味わいのあるハムがとても美味しい一品だった。ユエは出来上がったコーヒーにミルクの入った小瓶と角砂糖を添えて、ノアの目の前に置く。

「ありがとうございます」

「いえいえ、仕事ですから。......あの、どうして調べられているんです?」

「...気になりますよね」

 ノアはそこで一呼吸置いて、

「...宗教騎士団はいざという時の為に、常に2人で行動するんです。それで先日...、相棒が〈神隠し〉に遭って...。もしまだ生きてるなら、俺があいつを見つけてやろうって...。それに他の子を助ける手立てにもなるかと...」

 ノアはそう言って曖昧に微笑んだ。

「そうですか。......生きているといいですね、その相棒さん」

「俺もそう思います」

 ノアは頷いて、彼は黙々と食べ続けた。ユエはそんな彼を見ているだけだ。

 食べ終わり、ノアは財布から値段より多めの金額を机の上に置いた。ユエは目を丸くする。

「あの、多いですけど」

「情報料です。では」

 ノアは一礼して〈夢遊館〉から出て行った。ユエはその背を見送ってから、慌てて「ありがとうございました!」て言った。

「......何だあいつ...?」

 彼がいなくなってから、ウィルソンは厨房から顔を覗かせる。ユエは軽く肩を竦めて見せ、

「アンジュちゃんの知り合いではありそうだね。ウロチョロしそうかなぁ...。もしアンジュちゃんが店員として働いてる時に来たら...、困るね」

 ユエはクスクスと笑っている。「困る」と口にしていながら、その表情は何処と無く楽しそうに見える。相変わらずなユエの反応に、ウィルソンは溜息を吐いた。

「......いざって時は、俺が何とかする。いいか、絶対に1人で動こうとすんなよ」

「はいはい...。あぁ、本当に君は過保護だ」

 ユエの笑みは一瞬にして不機嫌そうな顔へ変わり、ウィルソンを睨みつける。

「君の過保護さは私の下半身が動けないくらいに、面倒だ」

「うるせぇ、心配なんだよ。人間の身体は脆いからな」

 ウィルソンは荒い口調で、ぶっきらぼうにそう言う。

「...本当、何で私は君を助けたんだろ」

 ユエは自嘲気味に口角を上げ、ウィルソンを見上げる。

「......どうして君は私を助けたのかな?分かってたの?適応者だって」

「俺は人でなしじゃねぇんだよ。昔のお前と違ってな。血が美味いとか美味くないとか、ンな事は関係ねぇよ」

 ウィルソンの言葉にユエは目を丸くして、それから唇を噛んで笑いを噛み殺す。その笑い声がウィルソンに聞こえてしまったら、彼は怒るだろうから。

「......はは、ウィルってば、私に対して酷くない?そこまで私は下衆じゃないと思うんだけど」

「今はな」

「いつもだよ。君は......、私を縛り付ける。有無を言わさずに、私を生に縛り付けてる。強要する。......私が君の適応者だから」

「違ぇよ」

 ウィルソンはいつもよりも低く冷たい声音でそう言って、カウンター席に座り、ユエの目を見据えた。

「お前が好きだから、生きてて欲しいんだ」

「ははっ、なにそれっ。こうして2人で暮らすようになってから、ずっと言ってるね。もう......、分かったよ」

 分かってねぇよ、お前は。

 身を乗り出したウィルソンは、眉を寄せるユエの桜色の唇に、


 齧り付くように自らの唇を重ねた。



 ◆◇◆◇◆◇


 アンジュとクロウの2人は、クロウの片付けられてない部屋で次の作戦会議を行なっていた。

「次は...、どこを攻めればいいんだろうな」

 彼の持ってきたラファエロ市の地図を、2人は同じように睨んでいた。地図には既に目標となる場所と、前回の火災事件を起こしたクリミア教会に印が付いている。

「......クロウ。私の話を信じてくれますか?」

「......内容によると思う」

「それで構いません」

 クロウの解答にアンジュは頷いて、口を開いた。

「エリヤ様はああいう変なお方ではなかったと私は、記憶しています。守護の家として、エリヤ様の身の回りを護衛する身。時々エリヤ様にお会いする機会がありました。その時は思慮深く気さくで、お優しいお方でした。しかし、ミカエラと名乗るエリヤ様の婚約者が現れてから、おかしくなったように思えます。どこか...、彼女に従順になったような...。言葉にしづらいのですが」

「ミカエラ...っていうのがキーマンなのかもしれないな」

 クロウはふむ...と少し嘆息し、ポンと手を打った。

「ラファエロ市立図書館に行ってみよう。この国の何かが書いてあるかもしれない」

「...ここの国の伝承は主に口承が多いですから、あまり過大な期待が出来るような情報が得られるとは思えませんが」

「やってみるだけはタダだろ?」

 クロウはニヤッと笑う。確かにそうだ、とアンジュも思い、クロウの案に乗る。

 アンジュにとって、クロウは良い相棒だ。自身のように硬い頭をしておらず、考えや意見をはっきりと述べ、付き合いやすい。何年も前からの友人のような心持ちになれるのは、ひとえに彼の性格や雰囲気のお陰なのだろう。

 アンジュの視線にクロウが気付く。

「どうした、アンジュ」

「いえ、何でも」

 顔に出てしまっていたんだろうか。気をつけなければ。

 アンジュは軽く首を振るう。その行動をクロウは不思議そうに見ていた。


 アンジュとクロウが共に2階から降りた。ユエはアンジュが黒縁の眼鏡をかけているのを見て、外出するのだとすぐに察する。

「どこに出掛けるの?」

「ラファエロ市立図書館に。夕方までには必ず帰ってきます」

「うん、気を付けて。あ、あとアンジュちゃん」

「はい?」

 ユエに呼び止められ、アンジュは首を傾げる。

 すぐに何か問題を起こしただろうか、と考えたが、ユエが呼び止めた理由はそうではなかった。

「多分、君の知り合いだと思うんだけど、ノア・ナサニエルっていう人が、もしかしたらこの辺りを彷徨うろついてるかもしれない」

 ユエにノアのフルネームを言われ、アンジュは目を丸くした。何故ユエがノアを知っているのか。

 恐らく彼がここに来たのだろう。何の理由かは定かではないが。

「分かりました。情報、ありがとうございます」

「気を付けていけよ」

 そこでひょこっと厨房からウィルソンが顔を出した。

 その顔を見て、アンジュとクロウは今日一番に驚き、目を丸くする。



 明らかに不機嫌そうな彼の片頬が、紅葉の形に赤く腫れていた。

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