鏡花 05

 あれから1週間が経った。スミスの作ったアンジュの義手が届いたその日の夜に、クロウとアンジュは西地区のクリミア教会の近くの林に隠れて、教会を見上げていた。

 2人はいつもとは違う、よく似た服装をしていた。

 神兵を表す白銀色のフードの付いたケープを、頭まですっぽりとかぶっていた。アンジュの腰には長年使っている1振りの愛刀─アリアドネが差さっており、クロウの腰のポーチにはナイフが持てるだけ大量に詰め込まれている。

「いよいよ、だな」

 アンジュはこくりと頷き、立ち上がる。左横にいたクロウも、並ぶように立ち上がった。

「いいか。失敗してもしなくても、俺らは異教徒になる。つまりは、犯罪者だ。...顔だけは守れよ」

「了解」

 アンジュは頷き、灰色のネックウォーマーを目元まで深く覆い隠し、装備する。クロウも同じように着ける。

「じゃあ行こう」

「えぇ」

 クロウとアンジュは、共に木々の中を走って行く。


◆◇◆◇◆◇


 ウィルソンとユエは、既にクリミア教会の地下に当たる制御室に侵入していた。

 ウィルソンは歩けないユエをお姫様だっこし、駆ける。神兵が居る所では立ち止まり、息を殺す。それをひたすら繰り返して、制御室の中枢であるコンピューター制御室に辿り着く。

「ユエ」

「任せて」

 ユエはアンジュが持っていた神兵の証である銀色の十字架クロスをセンサーに翳す。すると、ピピッと音を鳴らして扉が開いた。

 その時、後ろから数人の神兵が走って来た。どうやら、感づかれたらしい。

「ウィル」

「あぁ」

 ウィルソンはユエを優しくその場に下ろし、ゴキゴキと小気味よく拳を鳴らした。そして、鍛え上げられた神兵達を迎え撃った。

 ウィルソンの戦い方はシンプルな方法だ。

 殴る。叩く。蹴る。踏み付ける。たったその程度の─言えば裏町のチンピラの喧嘩の方法と大した変わりはないと言っていい。

 それなのに訓練された神兵に劣らないのは、彼の吸血鬼としての技量と破壊力と備え持った馬鹿力の賜物だろう。

 ただ、今は吸血鬼の力は使っていないのだが。

 ウィルソンはいち早く突っ込んできた男の顔面に右ストレートを放つ。そのままの勢いで背丈を下げ、相手の腹部へ渾身の頭突きを繰り出す。それから横から挟み撃ちをしようとする男2人に対して、拳を振るう。骨の軋むような音と共に、吹き飛ばされ、壁へ叩きつけられる。

 単純な動きでありながら、圧倒的に凌駕している。

 それから数分後、

「んー...、流石にやりすぎじゃないかなあ?」

 ユエは出来上がった惨状を見て、そう口にした。今しがた殴り終えた腕を下ろし、ユエの方を向いた。

「そうでもねぇよ」

 床に転がっている神兵の身体を蹴り転がす。数人の神兵達は皆、突っ伏した状態になっており、酷い人間だと壁に埋まっている。

 どういう原理で埋まっているのか。それはユエには分からない。

 ウィルソンは再びユエを抱き上げて、中へと入る。早速1番大きく怪しげな風貌をした最新鋭らしきパソコンの前に下ろしてもらい、ユエは胸ポケットからUSBメモリを取り出す。

 中には『そういう仕事』をしていた頃用いていたコンピューターウイルス『爆弾』とユエが呼ぶ代物が入っている。

「まだ...、中身が生きてるといいけど」

 少し顔を曇らせつつも、それを差し込んだ。

 少しして、画面が黒から藍色へ変化し、白い数字がその画面を埋め尽くす。それを見てユエは安堵の溜息を吐く。

 ユエに任された仕事は警備システムのシャットダウン。そして、宗教騎士団や警察の応援を遅らせる細工。この2つだけだ。

『そういう仕事』をしてきたユエにとって、こんなものは遊びに等しい。

「じゃあウィル、しっかり守ってよ」

「分かってるってーの」

 ウィルソンは手の骨をパキパキと鳴らし、ニヤリと笑った。

 そしてユエもまた笑みを浮かべる。その笑みはイタズラを仕掛け終え、これからどうなるのか、と楽しむような無邪気な笑みだった。


◆◇◆◇◆◇


 アンジュはクリミア教会の正面玄関にいた。銀色の十字架クロスのレプリカをあらかじめ手の内に用意しておき、中へ入る為のセンサーに近付ける。ユエが既にシステムをダウンさせているので、あっさりとアンジュは中へ入った。

「誰だ、貴様は」

 入ってすぐ、アンジュは30代半ばと見える古参神兵に声をかけられた。アンジュは一礼し、

「明日からここへ配属される運びとなりました、リティと申します。本来は明日の朝に参るつもりでしたが...、どうにも早く着いてしまいまして」

 アンジュは嘘八百を並び立てる。神兵は僅かに眉を寄せたが、あまりにも堂々とした態度で語るアンジュに、何にも疑わなかった。

「そうか..。なら、まぁ、シズマ団長の所に挨拶に行って来い」

「はっ」

 神兵としての動きは全て身体で覚えている。

 新しく配属される場所の最も偉い人間にすぐ挨拶するのが、宗教騎士団の礼儀だった。

 アンジュはシズマの部屋を知っている。彼が団長としてクリミア教会に配属された折に、ノアと共に祝いに行った事がある。何の代わりのない場所で良かった、とアンジュは安堵する。

 目的の扉に辿り着き、コンコンとノックする。少しして「入れ」と言われ、アンジュは中に入る。

 相変わらずゴチャゴチャとした物の一切ない部屋だった。

 シズマは机の上に置かれた資料に目を通していた。なかなか喋らないアンジュを不思議がり、シズマは資料から顔を上げた。

「......?見ない顔だな、新入りか?」

「...シズマさん」

 シズマはその声を聞いて目を見開いた。それから薄ら笑いを浮かべる。

「...驚いたな、アンジュ。確か君は〈神隠し〉に遭ったと、ノアから聞いたんだが。助かったのか?」

「......アッシュ師団長からの誤情報がもう伝わっているのですね。私は殺されかけたのです、アッシュ師団長の手によって」

 シズマはアンジュの発言に目を丸くする。

 それもそうだ、としか言えないだろう。宗教騎士団に属する神兵ならば、憧れであり目標でもある人物なのだ。その人物の不義を彼女が口にしたのだから、驚いても致し方ない。

「...本気で言ってるのか、アンジュ」

「嘘を吐いた事など、ミカエラ神に誓ってありません。ましてや先輩に吐いた所で、私には何の利益もありませんし」

 アンジュのしっかりとした受け答えに、シズマは確かにそうだったと、彼女と一時期行動を共にしていた期間を思い出す。

「............つまり、真実である、と?」

「はい。右腕を切り落とされました」

 アンジュはケープの裾をまくった。右腕があるべき空間には、冷たい鉄製の右腕を模したものがあてがわれていた。シズマは初めて見る義手に鳥肌を立たせた。

 それはアンジュの腕がそこに無いことを、シズマに目で訴えかける。

「それ、は...」

「本物ですよ。触ってみますか?」

「......分かった。信じよう。君の狙いはなんだ?」

「たった1つのシンプルなものです。先輩の手も借りません」

 アンジュは灰色のネックウォーマーの下で冷ややかに笑い、シズマの方へ右腕を向けた。そして、





「バン」





 義手の拳が手首から外れ、勢いよく飛び出し、シズマの腹部にめり込んだ。

 アンジュが装着していたのは、単なる世間一般の義手ではない。クロウが考案し、スミスが完成させた仕掛け付きの義手だった。手首辺りに火薬を詰め込み、手首辺りにあるスイッチを押す事で、爆薬と共に発出する事が出来る仕組みになっている。傷口には負担がかかるが、それが命中した時には多大なダメージを与えられる。

 そして現実、そうなっている。

 シズマは机に叩きつけられ、その下敷きになっている。アンジュは起き上がってこないよう、足で机を押さえた。

「が......っ、ふっ、......」

「先輩、私にはもう右腕が生えてくるなんて事はありません。神兵として不十分な私など、ダルシアン家の汚点として、もし家に帰っても居場所は無いでしょう。......たった少し、悪事を破ろうとしたが故に、私の人生は狂わされて...、地へ落とされたんですよ」

 アンジュは資料の積まれた棚を机の上に倒す。「ぐぁ...っ!?あ、ぎぃ...っ」シズマは折れた肋骨がズブズブと内臓に刺さっていくのが分かった。

「だから私は、あの人達に復讐するんです。それが例え神に背く事でも構いません。落ちた私が這い上がる方法がこれだけなら、やってやります」

 アンジュは腰からアリアドネを引き抜き、シズマの首元にその刃を向けた。

「また、お会いしましょう。シズマ先輩」

 そして、アンジュはアリアドネを振り上げて、柄でシズマの頭を力強く殴りつけた。何度も何度も殴り、彼が完全に沈黙したのを見て、クロウがいるはずの最上階へと向かった。


◆◇◆◇◆◇


 クロウは教会の壁を、持ち前の運動神経を用いて壁にある凹凸を用い、スルスルと登っていった。最上階と言えども、高さがそんなにある建物でもないので、あっさりと最上階の廊下に下り立つ。

 当然だがそこにも保管庫を守る神兵はいるので、

「何者だっ!」

 戦闘へと転がり込む。

 クロウはナイフをポーチから取り出すと、そのまま男の喉元を掻き切った。ナイフの一閃と共に血飛沫が舞う。そうして男は絶命した。

 クロウは決して残虐な殺し方を好むタイプでも、猟奇的なサイコパスでもない。

 ただ邪魔な人間は切り捨てられる程度には、心構えは持っている。

「さぁて、どうすっかなあ」

 クロウは保管庫の屋根部分に腰を下ろし、足をぶらぶらさせる。空は曇っているのか星空は見えず、暇潰しになり得そうなものは、もういない。

 クロウは欠伸を噛み殺し、地面を見た時。彼の頬を弾丸が掠めた。

「ちっ!」

 そこに居たのは、クロウに銃口を向けた黒髪に紅蓮の瞳を抱く神兵─ノア・ナサニエルがいた。警備システムの突然のシャットダウンに驚き、心配で来てみた最上階では、仲間が首から血を流して倒れ、殺したであろう犯人は逃げていなかった。

 ノアはすぐに狙いを付け、撃った。消音装置サプレッサーを付けていた長銃─アレクシアの銃口から弾が吐き出されたが、それは難なく避けられた。悪態づいていると、クロウの目がノアを捉えたのだ。

「......面白そうなもの、はっけーん」

 クロウはノアに狙いを定め、腰からまたナイフを取り出す。そのまま、銃口を向けていたノアの目の前に降り立った。

「っ!?」

 ノアは銃拳術というものは1通り体得している。

 銃拳術とは、銃を用いた近接戦闘の1つだ。主に長銃のグリップ部分で殴ったり銃身部分を棒術のように用いたりというシンプルな戦い方だ。

 しかし、それはノアは得意ではない。だから、近接戦闘を得意とするアンジュとペアを組んでいたのだ。

 突然来たクロウにノアが呆気に取られている内に、クロウはアレクシアを蹴り飛ばし、地面へと落とした。

「これでどう?」

「っこの!」

 ノアが右ストレートをクロウへ振るう。クロウはナイフの刃を用いて、男の手首辺りの銀の手甲に押し当て、力任せに反らさせる。ノアはバランスを崩してしまう。

 よたよたっと千鳥足になったノアをクロウは押し倒し、馬乗りになる。

「このっ!お前がっ、アンジュを殺したのかっ!!」

「アンジュ......。あー、成程。そういう事か」

 クロウは彼のその一言で、ノアがアンジュの知り合いであると理解した。分かったからと言って、「アンジュは生きてますよ、オニイさん」なんて言う気はサラサラ無いのだが。

「っ!殺してやるっ!」

「ごめん、俺の方が強いから。無理だと思うよ」

「クロウ」

 そこへ、一仕事終えたアンジュがやって来た。慌ててクロウがノアを殴り、気絶させる。それからノアの顔をうつ伏せにさせ、立ち上がる。

「よぉ、片付いたか?」

「えぇ。これでひとまずは問題ないかと」

 アンジュはクロウの横に並び立った。

「さあってと、中身を少々頂いて、火をつけて帰りますか」

 アンジュは頷いて、ポケットからカードキーを取り出す。倒した棚から探して発見した代物だ。

 センサーに翳すと電子音が鳴り、扉が開く。そこには大量の札束が所狭しと積み置かれていた。あまりの非現実さに、アンジュとクロウはお互いに顔を見合わせた。

「...想像以上だな」

「......さっさと火を放ちましょう。それと、盗むのはやめておくべきだと思います」

「えぇっ!?何でだよっ!」

「おさつにはそれぞれ造幣局で作られる際、通し番号が振られるんです。使ったら、金回りが良いとは言えない貧民街では、恐らくバレますよ」

「国の馬鹿に出来るとは思えねぇけど」

「それでも、出来る限り慎重に動きましょう」

 アンジュにそう言われ、クロウは渋々諦めて持ってきていたライターを取り出した。火を札束に引火させた。紙なのであっという間に燃え広がっていった。3分の1が燃えた頃合いで、アンジュとクロウはその場から逃げた。

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