鏡花 04
「ユエさんっ!頼みがあります!」
「はい?」
カフェ〈夢遊館〉の仕事が終わり、明日の準備をしていたユエの元へ、作戦会議の終わったクロウは声をかけてきた。
「...訊くけど、何させるつもりなの?」
「ユエさんの
その言葉にユエは眉を寄せた。
このカフェを始めてから『そういう仕事』からは足を洗っていた。何もかもきっちりと、だ。
クロウはどこからその情報を得たのか。ユエに考えられた出どころは、ただ1つだ。
「その話、ウィルから聞いたね?」
「結構前に、ですけど。質問したら答えてくれましたよ」
それを聞いてユエは溜息を吐く事しか出来なかった。ウィルソンにしつこく「言うな」と、言っていなかった自分自身にも非があるのだから。
「で、ユエさん。どうなんですか?」
「...正直、やりたくない。私はもう、そういう仕事は止めたんだよ。自分自身を殺めた...、あの日からね」
ユエはそう言って、視線を反らした。クロウはその反応に口を尖らせる。しかし、折れない。
「でも、復讐の最初の足掛かりには必要なんです。...頼めませんか?お願いしますっ!」
ユエは僅かに眉を寄せた。
本当はやりたくなどない。ほんの少しのミスが命取りで、─事実、自身もそうなっている。
だが、長らくの同居人からの頼みでもある。更に彼らの手助けをする事にも繋がるのだ。
これだけ。この1度だけ。もう一度だけやろう。
「......分かった。詳しく教えて」
◆◇◆◇◆◇
次の日の朝、眼鏡をかけて変装したアンジュは、昨日ユエと共に行った『Lily』へと足を運んでいた。コンコンと扉をノックすると、少ししてから、
「いらっしゃいませーって、あらアンジュちゃんじゃなーい!昨日の今日でいらっしゃい」
満面の笑みを浮かべるリリーが出て来た。アンジュは一礼する。
「少々頼みたい事がございまして。クロウが『リリーさんならツテがあるかもしれない』という事で参らせてもらいました」
「そんな硬くならなくても良いのよ?」
アンジュの丁寧過ぎる敬語調に、リリーは苦笑いを浮かべる。
年齢を踏まえてもアンジュがリリーに敬語を使うのはしょうがない事ではあるのだが、ラフで軽い調子を好むリリーからすると、少々堅苦しい感は否めない。
「で、頼み事とは何かしら?」
「右腕の義手をオーダーメイドでお願い出来る場所、知りませんか?」
アンジュの唐突な発言に、リリーは目を丸くする。
義手は言わば、アクセサリー類と変わらない代物になる。動きもしない上に、傷口に痛みを伴ってしまう為、失ったとしても付けていない人間の方が遥かに多い。だが、右腕が無い事によって周りから冷ややかな目で見られるのを避けようとする為なら、付ける人間もいるだろう。
特に、アンジュは年頃の女だ。周りの視線が気になってしまうのも、致し方ないのかもしれない。
「そういうの、アタシじゃなくてユエちゃんに聞いた方が早いんじゃないの?」
「え?そうなんですか?」
「あの子、昔はそういう仕事を結構やってたからね」
知らなかったの、と逆にリリーに首を傾げられた。アンジュが頷くと、リリーは少しだけ考えるような仕草をし、
「まぁ、その内教えてあげてもいいわ。アンジュちゃんが気になるならね。それで、アンジュちゃんの質問の答えになるかは分からないけれど、知ってるわ。鍛冶屋なんだけど、ちょっと待っててね」
リリーはそう言って店の中へ戻っていった。それから少しして、薄紫色の封筒を持ってアンジュにそれを手渡した。
「これは...」
「表の大通りにある鍛冶屋のスミスに会いに行きなさいな。その手紙を渡せばやってくれると思うわ。彼は器用な人だから」
「ありがとうございます!」
アンジュはリリーに何度もお礼と頭を下げながら、大通りへと戻る。それから店の看板を見上げながら、目的の鍛冶屋を探す。
しばらく歩いて行くと、通りの人の少なくなってきた場所。そこに鍛冶屋の看板がかけられていた。
「すみません」
アンジュはそう言いながら中へ入る。
中は流石は鍛冶屋と言ったところか。様々な武器が所狭しと並べられ、丁寧に整備されている。アンジュも女の身であるが、神兵でもある。僅かに心のどこかが滾るような思いを抱いた。
「すみません」
もう一度声を張り上げて言うと、
「はいはいー!只今なのですー」
間延びした愛らしい声と共に、
「え?」
「え?」
アンジュの腰辺りまでしかない身長の、可愛い少女が店の奥から出て来た。
膝丈の長袖の紅いワンピースに、所々に汚れのついた白いエプロンを巻いている。栗毛の髪の毛には薄紫色のカチューシャをしており、くりくりとした若緑の瞳はキラキラとしていた。
そんな人形のような愛らしい少女に、アンジュは肩透かしを喰らった気分だ。鍛冶屋と聞くと、筋骨隆々なガタイの良いハンマーを担ぐような大男が出てくるものだとイメージしていた所に、こんなにも小さな愛らしい幼女が出て来たのだから。
「あの...、スミスさん、ですか?」
「お、お師匠様になんの用なのですか?へ、変な用事なら、このクロエがお相手致しますですの!」
完全に妙な勘違いされている。アンジュが誤解を解こうと口を開いた時、クロエの出て来た店の奥から、またぬっと人影が出て来た。
「何してるんだ、クロエ」
クロエにそう呼びかけたのは、大男だった。
スキンヘッドにサングラス。深緑色のタンクトップと、少し厚めの生地で作られていると思われる少しダボッとした、タンクトップと同色のズボン。そのタンクトップから覗く腕や胸辺りからは逞しい筋肉が見えている。日焼けなのか、元の肌色なのか、やや小麦色の肌をしていた。
少なくともこれが、アンジュの想像していた『鍛冶屋』のイメージだった。
そして、恐らく彼がリリーの言っていたスミスなのだろう。
「お師匠様っ!クロエがお師匠様をお守りしますですの!だから、お師匠様は裏に居て剣を作り磨いていてくださいですの!」
「...はぁ」
クロエの言葉に、困ったようにスミスは首を掻く。それからクロエの頭を包み込むような大きな手の平で、ワシャワシャとクロエの栗色の髪の毛を掻き乱した。
「クロエ、客だ。マフィアの人間じゃない。...そうだろ、お嬢さん」
「は、はい」
「はうっ!?な、お、お客様っ!?」
「ちゃんと人の話を聞くように、と言っていただろう?次から気を付けるんだ。まずは、謝りなさいクロエ」
「も、申し訳ありませんでしたのですっ!クロエの早とちり癖が...っ!」
「いえ...、大丈夫ですよ。人を疑うのは良い事だとは思いますし」
アンジュが優しく声をかけると、クロエの目はまたキラキラを持ち始めた。
「で、用事はなんだい?」
「あ、これを...」
アンジュはリリーから渡された薄紫色の封筒をスミスへ手渡した。
「スミスへ...。アンタの親友のリリー・カーティスより......」
スミスは封筒の裏に書かれた名前に目を通し、封筒を開ける。それから中身を一読し、二つに破いた。
その行動に、アンジュは目を見開いた。
「え、あの...」
「ん、あぁ。引き受けないわけじゃない。義手は作った事は無いが、出来る限りの事はしよう。この手紙を破いたのは、文面が気持ち悪かったからだ。更に言えば、最後に付けられたピンク色のキスマークに鳥肌が立ったからだ。決して、君の依頼を受けないわけじゃない」
スミスは断りを入れて、アンジュを手招きした。それが分からずに困惑していると、
「お師匠様が『来い』って言われてますですの」
「...成程」
アンジュはクロエに左手を引かれながら、スミスがいる木材で出来た年季の入った四角いテーブルへ連れてこられた。クロエに座るように勧められた椅子に腰を下ろす。
「左腕の採寸をするから、袖を捲ってくれ。クロエ、メジャーを道具箱から取ってきてくれるか?」
「はいなのです!」
クロエはピョンピョンと道具箱のある場所へ向かっていった。
「...クロエの奴が粗相をしたな。済まない。いい子なんだが、どうも周りの声を聞かない子でな...」
「大丈夫ですよ。疑われただけ、ですから。...リリーさんと、どういう関係なんですか?」
「幼馴染み...というか、腐れ縁というか。昔、共に旅をした旅仲間なんだ。アイツは服飾を、俺は鍛冶の技術を身につける為にな」
スミスは僅かに目を細めた。リリーと過ごした時間は、彼にとっては良い思い出なのだろう。それは初対面のアンジュでも伝わってきた。
「あの...、聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「リリーさんって、何であの口調なんですか?」
「よく分からんが...。あの妙な身なりをし始めたのは、ある日俺が宿で寝ていて、アイツが外に出ていた時だった。全く...、何に感化されたのやら」
「お師匠様ー!取ってきましたの!」
そこへ、両手にしっかりとメジャーを持ったクロエが走って来た。スミスは僅かに微笑み、クロエからメジャーを受け取ってから頭を撫でた。
「ありがとうな、クロエ」
「はいっ、なのです!」
クロエは嬉しそうに目を細め、それからスミスの横の椅子によじ登って腰掛ける。
そして渡されたメジャーで、スミスはアンジュの腕回りや腕の長さ、指の長さまでもきっちりと計っていった。スミスが計った数字を読み上げ、クロエが紙に書いていく。
「...よし、採寸はこんなものだな。...何かデザインに要望はあるかい、お嬢さん」
義手は世間一般では、あくまでもアクセサリー類の1つに過ぎない。付けているだけの、動かない代物だ。したがって
女の子だから、そういうデザインにもうるさいのではないか。スミスはそう考えて、アンジュに訊ねた。
「相方からこんなものを作ってもらえ、と要望の書かれた紙を貰ってきています」
アンジュはそう言って、クロウから渡された紙を広げて見せた。
その設計図にスミスとクロエはただただ目を丸くするしか出来なかった。
そこに描かれていたものは、とても『義手』という二文字で片付けて良いとは思えない代物だったからだ。
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