第二章 鏡花 -キョウカ-

鏡花 01

 アンジュは窓から差す日差しの眩しさで目を覚ます。右腕で視界を暗くしようとするが、

「.........あ」

 それが出来ない事に気付いた。

 利き腕である右腕失ってから早2日。しかし、未だ右腕があるような気がして、無意識にこういった行動をしてしまい、思わず唇を噛み締めてしまう。

 そんな事をした所で、右腕は戻りはしないのだが。

 アンジュはベットから下り、ユエから借りている薄紫色のスウェットを脱いで、ユエに借りている服装に着替えた。ユエの方がアンジュより少しだけ小柄なので、どの服も七分丈程になってしまう。

 着替え終えたアンジュは、机の上に置かれている髪を留めるゴムを手に取り、下へ降りる。

「おはようございます」

「うん、おはようっ!」

「おはよう」

 そこには車椅子に乗って、机を拭いているユエと、カウンターで仕込みをしているウィルソンがいた。

「...クロウは」

「今日は新聞配達のアルバイトだって。忙しいよねぇ、彼も」

 クロウは沢山の仕事をかけ持ちしているらしい、と復讐を誓い合ってすぐに知った。彼もここの屋根裏に泊めてもらっているので、その家賃を稼ぐ為なのだろう。

「あの、ユエさん。髪を留めて貰っていいですか?」

「うん」

 ユエは「そこに座って」と床を指差す。アンジュが椅子に座ると、ユエの手は届かないからだ。

 アンジュはユエの近くに寄り、膝立ちをした。ユエはサラサラなアンジュの金髪をさっと1つにまとめて、高い位置に結い上げた。

「はい、出来た」

「ありがとうございます」

 片腕であると、前まで出来ていた事が出来なくなる。それが頼る事が苦手なアンジュには辛かった。

「朝ご飯食べよ。それと、今日は私とお出掛けだよ!」

「え」

 ユエの突然の発表に、アンジュは目を丸くした。

「そろそろ自分の服が欲しいでしょ?私のだとアンジュちゃん小さそうだしさ。それと、仕立て屋に頼んでる君のエプロンを受け取りに行くから。ウィルに店を任せるよ」

「分かってるってーの。クロウも使っていいんだよな」

「うん」

 ユエは頷いた。

「あの...、大丈夫なんですか?」

 事も無げに言うユエに、アンジュは訊ねた。

 彼女が言っていた話では、アンジュ・リティアナ=ダルシアンはラジオ放送で名前が流れていたらしい。という事は、テレビでも流れている可能性は高い。それならば、アンジュが外に出てしまったら、アンジュを知る宗教騎士団が連行しに来るかもしれない。

 だが、ユエはケロッとした調子で、

「大丈夫だよ。こんな貧民街にテレビを持ってる家庭なんて滅多に無いし、見た目がラジオで言ってたのと似てる人くらいしか思わないから」

「そ、そうですか...」

「んー...、でも気になるならちょっと待ってて」

 ユエはそう言うと、厨房やユエやウィルソンの部屋のある店の奥へ車椅子を走らせた。アンジュがしばらく待っていると、手に黒縁眼鏡を持って戻ってきた。

 それをアンジュに手渡す。

「これは...、」

「私が前のお仕事の時にたまに使ってた伊達眼鏡。度は入ってないから、使って」

 伊達眼鏡を使う職業とは一体...。アンジュは疑問を抱くが、ひとまずは礼を言い、それをかける。

「うん、美人だから似合うねぇ」

「あ、ありがとうございます?」

「疑問形か!ふふ、面白いなあ。よし、それじゃあ行こうか!」

「ユエ」

 ウィルソンはユエを呼び止める。ユエは少し眉を寄せ、しかしウィルソンを見上げた。そして、ウィルソンはユエを抱き締める。

 アンジュは唐突な事に目を点にし、見ても良いのか外した方が良いのか、視線を泳がせてしまう。

「よし、じゃあ行こうか」

「は、はいっ!」

 アンジュはそう言って、左手でユエの車椅子の取っ手を握り、身体で押して玄関から出た。

 アンジュは初めて〈夢遊館〉の外へ出た。

 煉瓦造りの地面に、灰色の建物が所狭しと建てられている。少し進むと大通りらしい所に出る。そこの人の波はまばらで、様々な出店が並んでいる。

「とりあえず真っ直ぐ進んで」

「は、はい」

 ユエの指示の元、アンジュは道を進んで行く。

「...あの、聞いてもいいですか?」

「うん?」

「ウィルさんとユエさんって...、どういう関係なんですか?」

「......そう訊かれると、何だろうね。恋人でも、親友でもないし...。従業員と店長っていうよりも深いよねえ。んー...、家族的な?」

「え?恋人じゃないんですか?」

「何、期待してたの?アンジュちゃんも可愛いなあ」

 ユエにからかうようにそう言い、アンジュは『可愛い』という単語に顔を赤くする。

「い、いえ...。そ、その、ウィルさん、抱きつかれていたので」

「あー、あれか。よくあるんだよね」

 ユエはアンジュに説明する。

「私、一時期仕事の都合上、ウィルに店を任せなくちゃいけなくてね。それで任せてたの、3ヶ月くらいかな?それが寂しくて、『二度と帰って来ない』と思ったらしくて、私が1人で外に出る時には、いっつもああするの」

 おまじないみたいなものかもね、とユエは付け足した。

 それからは2人は無言で街の中を歩いていく。

「あ、ここ曲がって」

「はい」

 曲がると、木の枠に囲まれた四角い看板に『Lily』と記されている家に辿り着いた。淡い桃色のカーテンに、白い窓枠が灰色の建物には浮いている。薄紫色の扉は覗き穴辺りに黒で模様が描かれている。

「ノック、してもらってもいい?」

「あ、はい」

 アンジュはユエの車椅子が勝手に進まないように停め、コンコンと薄紫色のドアを叩く。

 少しして、勢いよく扉が開いて、

「あらぁ、ユエちゃん、いらっしゃい!待ってたのよぉ」

 アンジュが生きてきていた人生の中で初めて見る人種の、人間を見た。

 可愛らしい花柄のフレアスカートから覗く足は逞しく、デニム生地のオーバーシャツは第二ボタンまで開けられ、そこから胸─ではなく胸板が自己主張をしていた。盛られた薄い茶髪は団子に結われ、桜の花をあしらった髪飾りで留めている。顔はメイクのキツい顔だが、明らかに顔つきは男のそれだった。

「え、え、あ」

「やっほ、リリー。約束の品を頼むよ。それと、彼女に似合う服をこれだけで買えるだけ頼める?」

「勿論よぉ!さ、中へ入りなさい。お嬢ちゃん、車椅子を入れるから、少し退いてて」

「は、はい!」

 アンジュが身を退くと、リリーと呼ばれた女装男が取っ手を持って、店内に入れた。

 中は可愛らしい服や小物が所狭しと並べられていた。アンジュも神兵として男所帯に混じって働いていたとはいえ、女の身である。こういったものに疎いとはいえ、身につけてみたいとは思った。

「いつもありがとうね」

「いいのよぉ!これくらい。いつもユエちゃんにはお世話になってるんだから!」

「そんなこと無いよー。あ、アンジュちゃん、紹介するね。こちら、この洋服店〈Lily〉のオーナーをしてるリリーだよ」

「よろしくねぇ♡」

「あ、アンジュです」

「アンジュちゃんね」

 リリーは人の良さそうな笑みを浮かべ、それに対してアンジュは一礼した。

「それじゃあ早速、ユエちゃん、アンジュちゃん借りるわね」

「うん、私あそこで待ってる」

 ユエはそう言って、店の端のちょっとしたスペースに車椅子を走らせる。アンジュがぼうっとそれを見ていると、リリーに肩を叩かれた。

「こっちに来てくれるかしら?」

「は、はい」

 リリーに促されるまま、アンジュは彼の後をついていく。リリーはアンジュにユエやウィルソンが身につけているものと同じエプロンを渡した。

「付けてみて」

「あ、えと...」

「大丈夫よ、1人で付けられるように作ってるから」

 アンジュの言いたい事をリリーは先行して告げた。

 アンジュは腰の位置でエプロンを固定して、マジックテープになっている紐部分を付ける。すると、ぴったりと付けられた。ずり落ちる心配も無さそうだ。

「うん、サイズも良さそうね」

 リリーは満足気に頷いて、パッと可愛らしい青いワンピースを見せてきた。それは今までアンジュが着たことの無い柄の物だった。

「さぁ、楽しくなるわよー!」

 イキイキとした笑顔でリリーが言うのと正反対に、アンジュの顔は明らかに曇り始めた。

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