第5話
講義は基本的に一番後ろ。その理由は二つある。
一つ、講義が眠いので人の影に隠れて眠る為。
一つ、前に一度座っていたら頭が邪魔だと言われた為。
「クロくんのその考えは、真面目と不真面目で折半して、プラマイゼロだね」
隣の席に座る黒縁眼鏡の友人、
「あ、黒乃くん」
不意に背中から声を掛けられて、振り返る。
そこには玲央さんの絵のモデルの話を持ち掛けてくれた由良と、彼女の横には少しおどおどした様子を見せる眼鏡の男が立っていた。
「何?知り合い?」
隣の光輝が俺へ訊いてくる。俺は「高校の時の知り合い」と小さく言って、隣に座るように目で合図を送る。
彼女は連れの男に声を掛けると、俺達の横に腰を下ろした。
「おはよ。隣、誘ってくれてありがとうね」
「いいって事よ。んで、隣の男子は?彼氏?」
「そんなの作ったら、玲央くんに言ってるよ。もう一つ入ってるサバゲ―クラブの同級生なの。今大会中で、さっきまで作戦会議をしててそのままここに来たの」
ね、と彼女は隣の彼へそう言った。
「俺は清川黒乃。お前は?」
「え、榎本海斗...です......」
彼はそれだけ言うと、由良の後ろに隠れた。気弱なのだろうか。こんな奴がサバゲーをしているとは思えないのだが。
「海斗くんはちょっぴり人見知りなんだよ。でもすぐに打ち解けられるから!」
由良はにこにことそう言う。
打ち解ける、か。
俺と玲央さんもそうならないかなぁ...。打ち解けてなかったから、この間思い切り殴られたわけだし。
視線が嫌い、か。
講義中もその事に頭を悩ませて、ノートを綺麗にとるばかりで先生の話はあまり聞いていなかった。
講義が終わってすぐ、俺は由良に頼み、二人で人のあまりいないあの美術室へ向かった。人の目があると事で話すと、俺の取り巻きが由良に目を付けて彼女がリンチされては申し訳ない。
「で、ご用事は何かな?」
由良は机の上に腰を下ろす。椅子があるのに、何故机に座るのか。しかし何も言わなかった。
「玲央さんの事、教えて欲しいんだ」
「玲央くんの事?」
由良は不思議そうに首を傾げ、そして合点がいったのかハッとしたような顔をする。そして―――、口元に手を当てた。
「なんで?」
ぞくり、と背筋が凍る感覚がした。冷たく冷え切った瞳が、俺の顔を―心を見透かしているように見える。
口の中が乾いてる。
「なん、でって......」
「...たくさん、見てきたんだ。知ってるんだ。玲央くんの心の奥を知りたいって言ってきて、そして無理やり聞いてきて...、その事実を知って勝手に幻滅して。彼が瞳を隠したのだってそうだ。可哀そうだ、あの男の子どもだからこの子もそうなる、近寄るな、面汚しだ。私じゃなくて、全て彼に向けたんだ」
珍しく、彼女の怒気の強い言葉に俺は何も言えなかった。
「...君がもし半端な覚悟で、友達になりたいんなら...。そんな程度なら、私は...君に何も言えない言わない。彼をこれ以上傷つける人は増やしたくないんだ!」
その瞳は淀む事無く、真剣だった。息が荒く、そのせいで肩が上下に動く。
感情的なその様子は、本物だ。
「......最初は、そんな程度の気持ちだったかもしれないけど、でももう違う。俺はあの人の横で笑える人になりたいんだ。俺が助けてあげたい。たとえそれが玲央さんに嫌がられる事でも、あの人の支えになりたいんだ」
「......そう。なら、いいかな...。その言葉を、信じて見ても...いいかな」
由良は数度深呼吸をして、それからにこりと柔らかく微笑んだ。それはいつもと変わらない、明るい彼女の姿だった。
「じゃあ、教えてあげる。玲央くんの事」
彼女はゆっくりと口を開いてくれた。
玲央さんにはお姉さんがいるらしい。そして、そのお姉さんの子どもが由良だという。ならば玲央さんからは従妹でなく姪に当たりそうなものだが、話はそう簡単にはならない。
彼女の父親は、玲央さんとそのお姉さんの父親でもあるからだ。ストレートに言ってしまったら近親相姦、という事だ。
そのせいで、玲央さんと由良は虐められていたのだという。親や近所の人、学校...、人の視線に二人は耐え切れなかったらしい。
由良は生まれたばかりで記憶も薄いそうだが、玲央さんはそうはいかない。少なくとも言葉を理解出来る年齢で、大人の陰口を毎日聞いてその視線にトラウマを抱くのも無理はないかもしれない。
「私も平気だったわけじゃないけど、楽観的だったせいもあるのか、あんまり深刻にはならなかったんだよね。でも、玲央くんは違った。一時期はずっとお薬に頼らなくちゃいけないくらいだった。今は大分落ち着いたけど...」
由良はそう言って机の上から降りて、俺へ一歩近付いた。
「とにかく私が話せる事は終わった。これ以上、もっと内面を聞きたいなら直接言って。じゃ、私はこれにて失敬」
彼女はそのまま美術室を後にした。それと同時に、ピコンと俺のスマホが音を鳴らす。
玲央さんからだった。美術室に来て欲しいとの旨が簡単に短くまとめられている。
分かった、とこちらも短く返していつもの椅子に腰を下ろす。
玲央さん、俺は......。
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