第3話
俺の回りにはいつも女がいた。
その日は何とか逃げ切る事が出来て、そこは文化部が使っている部活棟の二階で、美術室が近かった。
ので、特に何の考えもなしにその扉を開けてみる。鍵はかかってなかった。
開けると、むわっと中の蒸し暑い空気が頬を撫で、中学生の美術の授業以来の画材特有の匂いが鼻を抜けた。
すぐに切られていた電気を点けて、窓を開ける。光を遮る為の黒いカーテンがふわりと風に遊ばれる。
ふと、目を向けた先に鞄とスケッチブックがあった。その前の席にまたがって腰を下ろし、そのスケッチブックを手に取る。
中には、綺麗というよりはかなりグロテスクなものが描かれていた。それは一つじゃない。描いてあるものは違えど、全てそんな似通った絵だ。
なかなか攻めた絵だな。決して大声で好きとは言えないけれど、こんな絵が飾ってあったらしばらく見て写メを撮るかもしれない。
少なくとも、嫌いではない。
全ての絵の下や空いてるスペースには、小さく『L』と記されている。描いた人のイニシャルか。
そのまま目の奥に焼き付けるように見ていると、やや背の低い童顔の男が入って来た。
染めているのだろうか、薄茶髪よりも薄い琥珀色の髪の毛を項辺りで小さく一つに結って、同色の瞳が長い前髪から見え隠れしている。身体つきはちゃんと食べているのか不安になる程、ほっそりしている。
ぼさっとした服装と髪の毛をしてるけど、それなりに整えれば綺麗な顔立ちをしているだろう。
「っそれ、俺のスケッチブック」
彼の声。
心地よい声だった。何とも言えない、綺麗で澄んだ声。
ずっと昔どこかで聞いた事があるような...、優しくて。ずっと聞いていたかった。
それから、高校時代の同級生である由良と出会い、玲央さんと由良が従兄妹同士である事を知り、彼女から玲央さんの絵のモデルになればよいという話を受けた。
かなり嫌そうな顔で溜息を吐かれたが、何とか彼のモデルになった。
何故かは分からないけれど、彼の側に居たいと思った。
放課後の誰も居ない美術室で、二人。玲央さんと俺が椅子に座って。
俺は椅子に座って美術室にある絵を視線だけで追い、玲央さんは真剣な顔でスケッチブックに目を落としている。
...前髪、邪魔そう。
「ね、玲央さん」
「........何、清川」
「クロでいいよ。友達、皆そうやって呼ぶから。ね、髪の毛切らないの?」
ぴくり、と玲央さんの目が少し動いた。
「あ、なんか...、嫌な事聞いた...っぽい?」
「いや...、......俺は人の目が嫌いだから...」
「ふぅん、なんで?」
俺が訊ねると、彼はものすごく嫌な顔をした。
「お前、デリカシーってないの?」
「ん?気になったから聞いただけだよ」
「......それは、言う気ない」
そう言って、彼はまたスケッチブックに目を戻してしまった。
綺麗な顔だよなぁ。勿体ないな...。
「ね、玲央さん」
ちょいちょいと手招きすると、彼は面倒臭そうな顔をしたけど、素直にスケッチブックと筆を置いて俺の目の前に立つ。
彼の手をグイッと引っ張ると、バランスを崩して俺の方へ身体がもたれかかってくる。顔が近くなったので、あっさりと長い前髪を掻き上げられた。
綺麗な琥珀色の瞳に、陶器みたいな白い肌。
かっこいい顔というよりは、幼く可愛さの目立つ顔立ちだ。女装とかしても、身体もガタイは良い方ではないので、あまり違和感はないだろう。
この見た目ならば俺より絶対に、周りの人に声を掛けられるタイプだと思う。
「っ見んな!」
彼の顔は酷く動揺していた。
俺から逃げようとしているみたいだけど、体勢が悪い上に俺が腕を掴んでいるから逃げられないようだ。
ま、そもそも力関係で文化部に負けるわけにはいかないわけだが。
白い肌がだんだん赤く色づいてくる。照れてるのかな。
「っおい、そろそろ...」
「まーだ。照れてる玲央さん、可愛いし面白い」
これは事実だ。可愛いし、普段の表情の変化が無か面倒か嫌、という負の感情以外には大まかに変わらないので、こういう見た事のない一面を見る事が出来たのは面白い。
視線がかち合う。
彼の目は、やっぱり何度見ても綺麗な色をしていた。
俺の回りをぐるぐる取り巻く女どもとは違う、無垢で媚びない目。
「綺麗だなぁ...」
「はぁっ?!」
玲央さんは目を白黒させて、そして俺の顔を思い切りぶん殴った。
顔面を殴られた試しが一度もなく、その衝撃に腕を掴んでいた手を離してしまう。
玲央さんはその内に俺の近くから離れ、警戒した猫のように荒い息を吐いて俺を睨みつける。ちょっとちょっと、俺は玲央さんの手を強く掴んでいたけども、俺は殴られたんですけど。しかも思い切り。
「おま、お前...っ!調子に乗んなよ!」
「........ふふ」
何でだろう。俺、殴られたのに、なんでこんなに愉快で...、笑いが止まらないんだろう。
初めてだからかな。こう、本気で殴られたの。
玲央さんは気持ちの悪い物を見るように、俺を見ている。
あぁ、なんでだろ。嬉しくて、楽しい。
痛む頬を押さえて、俺は口角を上げた。
「あははははっ」
「........変な奴...」
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