第2話
「........人の絵、か」
講義が終わった後、カフェで買ったコーヒーを胃へ流し込みながら、俺は小さく呟いた。
コンクールの期限は刻一刻と迫ってくる。しかし、筆は全くと言っていいほど進まない。
先日の由良の申し出を飲んでもいいが、一度苦手克服の意味を込めて彼女を描いた事はある。
「うわぁお、ある意味芸術だね、こりゃあ」
彼女は苦笑いをして、こう言った。それに異論はない。
完成した彼女の絵は、真黒の背景の中で赤い彼岸花が咲き誇り、彼女は死んだように横たわっている。
我ながら、頭のおかしい絵だ。
しかし、そんな絵しか描けないんだ。
「はぁ」
テラス席に座って、大学内へ入る人や全ての講義を終えて帰る人の波を見ながら、モデルになってくれそうな人を探す。
どの人間を見ても、どうしても描ける気にはならないのだけれど。
やっぱり雪城先生に頭下げて、花の絵にしてもらおうか...。
「ねぇー。今度遊びに行こうよぉ」
媚びた高い女の声が聞こえる。
校門付近から大学内へと、女子の集団が歩いて来る。茶髪、黒髪、金髪...、雨の日の傘みたいに色とりどりだ。
友達集団にしては数が多い。まぁ、恐らく清川を囲っているのだろう。
予想通り女集団の中から、先日みた黒い頭と赤いピアスが目に入った。
「顔が良い奴は、モテるなぁ...」
女子からの熱い視線、男子からの嫉妬の眼差し。そんなもの、彼はちっとも気にしていないように見える。
何となく彼の方を見ていると、ばちっと視線が合った。すると、こちらへ彼が近付いて来るのが見える。
まずいさっきの聞かれたのか...。奴は地獄耳か何かか...?
ぐるぐるとそんな考えに頭を使っていると、あっさりと俺の座っている席へ来た。
「や、この間ぶりだね、玲央さん」
「その人だぁれぇ?」
「早くいこーよぉー」
取り巻きはそう言う。当然の意見だろう。
ふわりと香る香水の匂いに、俺はむせ返りそうになり眉を寄せる。
人の視線。沢山の視線。香水だけじゃない。視線に気持ち悪くなり始める。
「消えろ、お前ら。くそうぜぇよ」
しっしっ、と清川が顔を顰めて、手で追い払う。虫を追い払うみたいに。
取り巻き達はショック受けて、悲しそうな顔をして各々の行くべき場所へと歩いて行った。
「何か用...です、か?」
年齢までは知らないので、一応敬語で話す。
彼は困ったようにけらけらと笑って、手すりに頬杖をついた。
「タメ口でいいよ。玲央さんの方が年上でしょ?」
「何で知って...」
「俺以外と何でも知ってるんだぜ」
子どもみたいな笑顔だ。俺には決して出来ない。
「ね、あれから何か描いた?」
「描いてない...。それが何...?」
「なーんだ、楽しみにしてたのになぁ...」
「俺の絵を...?楽しみに...?」
「そそ。好きだから」
「......美術に興味あるんだな。お前、運動しか興味ないと思ってた」
清川は少し考え込むと、ほわっと微笑んだ。
流石、イケメンと周りからもてはやされるだけの面だ。普通の女子ならイチコロだろう。
「どっちかっていうと、玲央さんかなぁ」
「はぁ?」
思わず眉を寄せてそう言った。彼は肩を竦めて「おぉ、怖い」と言った。
「あー、玲央くん!またここに居たんだね」
その時、カフェの店の方から声がかけられた。見なくても分かる、由良だ。
その方を見ると、サンドウィッチとコーヒーをトレイに乗せた彼女と、彼女が美術部と掛け持ちして所属しているサバイバルゲームクラブの文浦先輩がいた。彼はいちご牛乳のパックにストローを差して飲んでいる。
「ここ、君の特等席だよねー、ってアレ?黒乃くんじゃん」
「由良?...あぁ!咲宮!そうか」
二人は面識があるのか、合点がいった顔を清川がして、物珍しそうな顔を由良がした。
「ん、由良...、知り合い?」
文浦先輩は相変わらず眠そうな顔と声で、由良へそう訊ねた。彼女は頷く。
「高校の同級生です。まさかでも、同じ大学に通ってたなんて...」
「お前、この人の妹?」
黒乃の問いに、由良はまたかという顔をした。俺も似たような表情をしているだろう、きっと。
「従兄だよ。苗字が同じってだけさ。ってか、黒乃くんと玲央くん知り合いだったんだ」
「この間、知り合ったんだ」
まるで友達だ、と言わんばかりに彼は自信満々にそう言う。由良もすっかりそう勘違いしたようで、物珍しい顔を向けていた。そして、パッと何かを思いついたような顔をした。
嫌な予感がする。
「玲央くんの絵のモデル、黒乃くんがしたらいいんじゃない?」
由良の口から洩れた言葉に、俺は急激に胃がきりきりと痛み始めた。清川の顔が一気に明るくなった気がする。
気のせいじゃない。絶対にそうだと思う。
「俺は全然いいよー!」
「っ俺は!」
「本当!?玲央くん、良かったねー」
全く悪気のない顔が二つ。キラキラと無邪気な子どもの瞳が四つ。
流石の俺でも、この目に対して断るという事は出来なかった。
ただ、溜息ばかりは許して欲しかった。
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