第25話 正しい選択

 すっかり安心しきっていた節は、確かにあった。

 レイとイヴの表情や言動から、明らかに逃げ出そうとする意志が見受けられなかったのだ。むしろこのままとどまっておいてもよいと思っているように思えた。


 だが急に、肥料を取りに行っている間に居なくなって、メイアンの部屋から黒い影が蠢いているというのは、スノーブルーの予想の範囲外である。


 すぐに駆けつけるべきか、と悩んだが、普段魔素複合体マナ・キマイラの対処をしているノルチェやリーフェイがいる。

 獣人ウェアビーストの中でも、割合足の早い方に入る己が、ニアを呼び戻した方が得策だ。


 その考えに決まるとすぐ、スノーブルーは駆け出していた。

 ニアがどこに行くのかは聞いていないが、今日の日付や朝の黒薔薇を花束にしている様子から、恐らくローズベリの墓に向かっている筈だと算段を付ける。

 最初からトップスピードで屋敷の門を抜け、街に向かう道とは正反対の方向へ。

 舗装された道を通るより、獣道を通った方が早い。

「........にゃん」

 スノーブルーが全身に力を入れて呟く。すると、全身が光を帯びて一匹の黒猫へと変化した。

 あまり使わない方法だが、身軽なこの方がもっと早い。

 獣道を一気に駆け抜け、美しい花々が寄り添って咲く墓場の方へ辿り着いた。

 風に乗って香る白い花の中に、長年黒薔薇と携わってきたスノーブルーだからこそ分かる薔薇の高貴な香りが鼻をくすぐった。猫の姿だから、より確かに分かるのかもしれない。

 人の姿に戻り、斜面を駆ける。

 ニアの姿と、もう一つの姿を見つけた。最初は誰か分からなかったが、彼独特の白髪に僅かに遅れてベンジャミンである事を理解した。

「ッ!ニアッ!ベンジーッ!」

 スノーブルーが叫ぶように言うと、ニアとベンジャミンが振り返った。

 彼の様子に二人の表情が硬くなって、スノーブルーへ駆け寄ってきた。

「どうした、スノー?」

「っ、少し目を離した隙にレイとイヴが見当たらず...。ノルチェがメイアンの部屋で影を操っており、何か起こったと思いまして...。リーフェイとノルチェが居る事ですし、こちらまで出向いた次第で」

「ッ、畳みかけ、か。急いで帰るぞ。ベンジー」

「へーい」

 ベンジャミンは軽く頭を掻いて髪の毛を元に戻し、それから指先に赤色の光を纏わせる。

ウィンディ

 赤い光が風へと変貌し、三人の身体を浮かび上がらせる。慣れていないスノーブルーが身体のバランスを崩したのを見て、ベンジャミンがその腕を掴んだ。

「っすみませ、」

「気にすんな、急ぐぞ」

 ベンジャミンが後ろを見ると、人の魔法だというのにお礼の一つも言わずにあっという間に屋敷の方へニアが向かっていた。

 スノーブルーの手を引きながら。ベンジャミンらも屋敷へと急いだ。


 屋敷の前に降り立ってすぐ、三人は中へと入った。

 玄関ホールの絨毯に赤い染みがべっとりと広がっていた。さっと三人の顔から血の気が引く。

「メイアンっ」

 ニアはすぐに階段を駆け上がり、メイアンの部屋へと入る。扉を開けた瞬間、まず最初に血の匂いが鼻をくすぐった。

 中では、リーフェイとアズリナがノルチェを囲んでいた。入って来た音に気付いたのはアズリナで、今までに見た事もない深刻な顔をして、すっと背筋を伸ばして立った。

「.........これは、私の責任です。後で謝ります、ですからノルチェを...、止血では間に合いません」

 アズリナが立った事により、ノルチェが腹部を血だらけにして倒れているのに気付いた。ニアが慌てて駆け寄り、後頭部をゆっくりと起こした。

「...意識はさっきからないです。息は荒い」

 リーフェイの手には血に塗れた包帯や傷薬が握られている。とにかく応急処置をしようと躍起になっていた姿は簡単に想像できた。

「傷口を見せろ、俺が塞ぐ」

 言われるがまま、リーフェイは傷口に当てていた布と包帯を取り外す。ニアは目に力を入れて、それからノルチェの傷を舐めて血を吸い取る。

 定期的だった弱い息はニアが舌で傷口を触る度に、荒くなり身体を強張らせる。

「...なんだよ、この状況」

「血生臭い、ですね」

 そこへベンジャミンとスノーブルーが入って来た。二人共、ただただ目を見開いていた。

 ニアが血を飲み始めてから二分ほど経った頃、ノルチェの意識が戻る。染みる痛みと気怠い感覚に再び意識を落としそうになるが、メイアンの事を思い出すと寝ていられなかった。

 重い瞼を何とか上げると、不安げな顔をしているリーフェイが目に映った。

「あ.........、りーふぇい、.........」

 掠れた声が零れて、リーフェイの目が大きく見開かれる。

 相棒の意識の復活に、ほっと安堵の息を吐いてぎゅっと頭を抱いた。髪の毛が擦れてくすぐったく、ノルチェは僅かに身じろいだ。

「...いたい、いたい、リーフェイ」

「あ。す、すまん...」

 ノルチェはそこでリーフェイの膝の上に頭が乗っている事と、傷口にニアが口を付けている事、そしてアズリナやベンジャミン、スノーブルーに見守られている事に気付いた。

 年下の自分が、かなり迷惑をかけたようだ。

「...ノル、おい、誰にされたのか覚えてんのか?メイアンは?」

 地を這うほど低い声に、ノルチェはベンジャミンの方へ顔を向けた。明らかに不機嫌そうな顔をした彼を見て、ぐっと身を起こそうとした。

「私の責任です」

 ノルチェが口を開くより早く、アズリナが口を開いた。

 ニアはノルチェの傷が完全に塞がったのを確認してから、口を拭ってアズリナの方を向いた。

「どういう事だ、アズリナ」

「...アズリナ、は、わるくない」

「いいえ。私の弱い心と、油断が招いた事態です。これはノルチェのせいでも、レイでもイヴでもありません、私の責任です」

 アズリナの淀みの無い瞳に、ニアはどういう事なのか言及しようとしたが、すぐにそれを思い留めた。

「...今は責任問題を追及している場合じゃない。メイアンがどこに行ったのか知らないのか?」

「この、はこにわで、いちばん、ながいきなひと」

 ノルチェが姿勢を起こしながら、はっきりと言った。まだ痛むのか顔を顰めて、リーフェイはノルチェのその行動を目でそれ以上するなと制した。

「どういう事だ?長生きって?」

「いいから。そのひとのところに、レイもイヴも、メイアンもいるから」


 それはノルチェの確信だった。

 あの人物は同胞達という言葉を使った。人に追い出された真実は本にしかないのだから、あの言葉はおかしいと思う。

 仮に魔物全体を差して同胞達という表現を用いたならば、やけに当時の状況を知り過ぎている。本には人間と魔物の争いがあった事は書かれているが、それの詳細は伝わっていない。魔物にとっては都合の悪い、子どもに教えたくない過去だからだろう。

 スノーブルーに訊けば確証を得られるだろうが、上手く口が動かせない。


「俺は行く。お前達は全てを片付けて、待っていろ」

「分かるんですか、ノルチェの言っている人物が」

 アズリナの言葉にニアは何も答えずに、そのまま外へと早足で歩いて行った。


「分かるさ。俺は吸血鬼。...長い時を、生きてる」



 ニアがいなくなったすぐ、ベンジャミンはアズリナの目の前に立った。

「ニアは気にしねぇ、って言ったが、俺は気にする。お前のせいってどういう事だ?」

「...自分の身に起きた事なのですが、事務的に説明しますと...、魔法によって操られてしまいました。そのせいで薔薇の結界も意味をなさず、リーフェイを刺しました。その後ノルチェと交錯し、私の中に入っていたネイルなる人物がレイへと移動して、そこから先の記憶はあまりありません。私が気を付けて気を張っていれば、後ろの気配など気付けたというのに」

 アズリナは全く表情を崩さなかったが、その声音は微かに震えていた。

「...ノル」

「レイにやられた。でも、あのこのいしじゃない」

 リーフェイの手を借りながら、ノルチェは寝そべっていたのを座る姿勢にまで戻した。ふうと息を吐き出してから、ぐっと膝に力を込める。

 立ち上がろうとしているのだと勘付き、リーフェイが慌ててその肩を掴んだ。

「ノルチェ、今は座っとき!傷が塞がっても出て行ってる血の量はそのままなんやか、」

「.........アズリナ。...ききたいことがある」

「...何でしょうか?」

「メイアンのこと、わずらわしく、おもっていた?」

 ぐっと心臓を掴まれた感覚。アズリナはこの感覚を久方ぶりに感じた。

 口の中が酷く乾いている。目が乾燥して涙が零れてきそうだ。しかしアズリナはいつもの飄々とした雰囲気を崩さなかった。

「嘘偽りは、ないつもりです。私はこの屋敷に務めるメイドで、この屋敷の存続が全てです。危険因子は排除しようという考えを持つ事に嫌悪を抱かれる事はあれど、文句を言われる筋合いはございません」

 一息に全部そう言い、アズリナはノルチェの顔を見た。

「........そっか」

 たった一言、ノルチェは微かに笑って呟いた。

「アズリナの、いいぶんもわかる。でもわたしは屋敷とかそんなの関係、なしに...、メイアンの事が好きでいてくれたら、って思った」

 がん、と鈍器で殴られたような衝撃。アズリナはその言葉にハッとした。


 屋敷とかなんだとか小難しい話より先に、好きか嫌いかだったのか。

 自分はメイアンをあまり好いておらず、それを適当に理由を付けて目を背けていたに過ぎなかったわけか。ニアがローズベリと同等に愛している人物など、いて欲しくないから。

 嗚呼、納得した。


「...ベンジー、ノルチェを頼むわ。俺は、料理を作ってくる。冷めても美味しいようなのを」

 リーフェイはノルチェの肩から手を離し、アズリナの肩を叩いてから部屋を出て行った。

「...ノル、部屋行くぞ。ニアとメイアンが帰ってきた時に、で待っとかないと、あいつ拗ねるぞ」

「..........分かった」

 渋々といった具合で、ノルチェは唇を尖らせて座り込んだまま手を伸ばした。ベンジャミンがその手を取って身体を抱き抱えて、同じく部屋を出ていく。

「........アズリナさん、私たちは各部屋の片付けと参りましょう。二人でやれば早く済むでしょう?」

「........えぇ」

 アズリナは静かに頷いた。


 そして、メイアンへの謝罪の言葉を頭の中で考えていた。

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