第26話 運命の聖眼

 メイアンはイヴと共にレイに肩に担がれて、鬱蒼と茂る森の入り口に連れてこられた。

 神速の血族クイック=ブロードという種族なだけあるのだろう。

 そこでメイアンだけ下ろされ、レイは座り込んでいる彼を見下ろした。

「流石に疲れた。これ以上はお前が私の後ろに付いてこい。...下手な動きをしたら殺すし、そもそもここは闇の森フォレスト・フォンセ。逃げ回ると迷って死ぬぞ」

 くつくつと嘲り笑うような言い方で、レイの中のネイルは煽り立てる。メイアンはぐっと奥歯を噛んで、静かに頷いて立ち上がる。

「後ろを追えば、迷わないんですね?」

「...聞き分けの良い者は好きだ」

 聞き分けが良いとは違う。

 みんなを守る為に、こんな場所で迷って死ぬのは嫌だからという理由で、彼女の後ろを追うのだ。

 生きていれば形勢が変わるかもしれない。

 生きてさえいれば、何とかなるんだ。


『どうしてお前は生きるんだっ?!』

『死んでくれ、頼むから...。あの女の交わりに見ているようで...、辛いんだ』


 声が脳内で反芻する。

 聞き覚えがあるようで、ないような。そんな不安定な感情がメイアンの心を取り巻く。

「...どうした、聖眼」

 気付けば少し進んでいたレイが、訝しげにこちらを見ていた。

「...ごめんなさい」

 メイアンは口先だけの謝罪の言葉を述べて、小走りでレイへついて歩いていった。


 同じ景色にしか見えない森の中を、二人は草を踏み分ける音を立てながら歩いて行く。

 メイアンはレイの背中を見逃さないようにしつつも、周りの木々を見ていた。

 ノルチェが話してくれていた街の人達の事を思い出し、ここが彼女の故郷に近いのに気付いた。どこかに民家は見えないか、と模索したが意味はなさなかった。

 レイの方へ視線を戻すと、建物の屋根が見えた。

 森の木々から頭を出さない程度に小さくしているせいなのか、黒薔薇館よりは小さめに見える。だが、それでも立派な建物だ。

 屋敷よりは丸みを帯びた、どちらかと言えば街の地区代わりを示す尖塔ミナレットと似た造りに見える。

 森の中に溶け込む為なのか、色合いは地味なものだ。窓も少ない。

「我が家だ、入れ」

 レイがドアを爪先で軽く蹴る。すると、木の軋む音を立てながら、青紫色に塗られた扉が開いた。


 中は怪しげな模様の描かれた絨毯が一面に敷かれ、入口から入って来た人間を見下ろすように僅かな高さの段差の上に赤いソファが置かれている。玉座のような佇まいであった。

 窓がないので天井のシャンデリアだけが光を降り注ぎ、柱の影が酷く目立った。

 二階へ続く階段は、蛇のとぐろのように上へと伸びている。


 メイアンが中をぐるりと目だけで追っていると突然。がくり、とレイがバランスを崩して、イヴと共に絨毯の上へと倒れ込んだ。

「っ?二人共、」

「やあ、よく来たね。聖なる魔力の結晶を持つ瞳」

 メイアンの心配する声をかき消すような大声が、建物の中へ響き渡る。構造上、よく響くのかもしれない。靴の音が上から降りてくる。

「おい、その二人を地下牢で縛っておけ」

 男の声がそう命じると、影から大きな体躯がぬっと現れた。

 ボサボサの黒髪に、尖った犬歯。腕は羽になっており、鋭い鉤爪でレイとイヴの身体を掴むと再び闇の中へと溶けるように消えて行った。

魔素複合体マナ・キマイラ...」

 たくさんの種族の特徴を持った存在としか、メイアンには思えない。だが、あそこまで従順に人の言う事を聞いているのを見るのは初めてだった。

「あいつは元々素質が良いんだ。だから、三つほどかけ足しても暴走しなかった」

 まるでメイアンの考えを見透かしたような言葉に、ドキリと肩を震わせる。

「ここにいる奴らは街で暴れてた奴らじゃない。エリートだ。無闇矢鱈に襲いはしない。が、お前が妙な動きをすればすぐに引き裂くだろう」

 靴の音が止む。階段の前に一人の男が立っていた。

 ニアくらいの年の頃、メイアンよりは上だろうというくらいの若い青年だった。

 年齢と見た目があまり合わないというのをノルチェから教わっているので、目の前の男は見た目よりもずっと老けているだろう。

 白いシャツに黒いスマートなパンツ姿というシンプルな恰好だ。もっとゴテゴテした派手な衣類に身を包んでいるのでは、という先入観が何となくあったメイアンは肩透かしを食らった気分だった。

 日頃、屋敷内を歩いているニアやベンジャミンと何ら変わらない普通の服装だ。

「この姿では初めまして、だな。私がネイル・キーリングライト=ハディエット候だ。偉大なる魔導師と心得よ」

 かつかつ、と小気味よい音を立ててメイアンの目の前にネイルは立った。

 身長は遠目からではよく分からなかったが、ニアよりは低い。スノーブルーやリーフェイくらいの高さだ。当然、メイアンの方が低いので上目に彼を見やる。

「こうして聖なる瞳を我が手の近くに置く事が出来て、まずは満足だ。これでいつでも人間を殲滅してやる事が出来るわけだからな」

 愉快そうに口元を歪めて。ネイルは、笑う。そして、メイアンの顎を掴んで上げた。

「メイアン、お前の最期をどう飾ってやろうか、私は今悩んでいる」

 一思いに殺されると思っていただけに、その言葉は意外だった。

「ふふ、あの色欲魔ですら手を出していないのなら、あいつのものに手を出して歯軋りする奴をお前に見せながら殺すのも一興か。腹上死になるが、それもまた面白いな」

 だが、それはどうやら苦痛を伴うものであるらしい。それは嫌だな、と他人事のように思っていた。

「...あの、俺のお願いとかって聞いてもらえたりするんですか?」

「うん?」

 ネイルは面白そうに笑み「話してみろ」と顎をしゃくって彼が言った。

「俺は、俺の記憶を取り戻したいんです。俺は本当に人間なのか、記憶を失って魔法を使えなくなってしまった魔導士なのか。本当の名前や家族、どういう場所に住んでいたのか...。知りたいんです」

 メイアンの言葉を興味深そうに聞いていたが、魔導士という単語を聞くと僅かに眉に皺が寄った。

「魔導士、お前が?」

 メイアンは静かに頷く。

 ノルチェに聞いていた話だと、人間と魔導士の違いは魔法が操れるかどうかだけだと言っていた。記憶喪失の魔導士を見た事はないが、記憶がないせいで魔法が使えないというのはあるかもしれないと、彼女は優しく教えてくれた。

 ネイルは、じろじろとメイアンを見た後にくっと口角を上げる。

「お前が魔導士?ハッ、記憶などなくても魔法は使えるに決まっているだろう?魔法に大切なのは呪文ではないからな」

 その言葉は意外だった、リーフェイもノルチェもベンジャミンも、金色の光や赤色の光を使って魔法を見せてくれる。だが、それには必ず言葉が必要だ。

 それは大切ではない、と言われてメイアンは目を丸くしてしまう。

「魔法に大切なのは、心だ。魔法を信じる心がな」

 それが正義に傾こうとも悪に傾こうとも。素質さえあれば、あとは魔法は信じるだけで使える。

「お前からは瞳の魔力だけは感じるが、それ以外からは何も感じない。お前は、人の子だ」

 すっと、長い指がメイアンの頬を伝っていく。そして、それは目の縁を優しく撫でた。

「その瞳以外に私は興味がないがね?」

 その手が、黒い己の目の上に伸びた。

「抉り出してやろう。その前に殺して痛みを無くしてやった方が慈悲深いか?どちらかを選ばせてやっても良いが、ふふ、そうやって不安げに揺れる瞳のまま殺してやるのが、一番面白いか?」

 饒舌になった彼に、メイアンはぞくりと背筋を震わせた。

「ニアが手に入れられなかった初めてを、お前の死ぬ瞬間に共にあれて、光栄だよ聖眼」


 指が、伸びてくる。目の近くまで。抉られたらどうなってしまうのだろう。光が、失われて闇が訪れる。

 皆の姿が見えなくなってしまうのだろう。その前にもう二度と会えなくなってしまうのだろうが。


 それでも守ってくれた人達を守って死ぬのは、なかなかいいのかもしれない。最期に何かを残せたような気分だ。


 人間を殺す兵器として己の目の力が使われるのは嫌だが、もう諦めるしか――。



 ニアは走っていた。街の屋根を、尖塔ミナレットの上を。街の住人の視線などお構いなしに走っていく。

「...アルヴィアーノディサイエルメスファ・ロンディーネグロウスエヴィストーン」

 呪文のように長ったらしい名前を呼ぶと、ふわりとニアの前髪が走る事により風であおられているのとは違う、ゆらゆらと揺れる空気はニアと並走している。

 真実の名による契約。それは、彼との友情の形に他ならなかった。

 だんだんとそれは黒色の霧のように濃くなっていき、白い空いた空間が人の顔を形成していく。耳の少し上に尖った角が見え始めると、白く空いていただけの空間が黄色い瞳を見せる。

「メルシエ、久方ぶりだな。随分と焦っているようだが、吾輩の愛娘は元気にしているのか?」

 この霧のような姿をしているのは、生粋の魔族だからこそなせる業だ。

 古くからの友人の変わらぬ姿に、ニアは小さく息を吐き出して今の状況を簡単に説明した。

「なんと...。我が愛娘を...!」

「アル、泣いている暇はない。ローズベリの二の舞を生み出したくないんだ、魔導士ネイルの館まで案内してくれ。闇の森フォレスト・フォンセに居る事は知ってるけど、あの迷いの森はあんたならよく知ってるだろ?」

 魔族はあの場所を修行の場として用いている。そもそも外へ行く為にはあの森を通らなければならない為、魔族はあの森を迷わないように訓練されている。

 身を隠す場所として一番有効な場所としては、ニアにはあの場所しか思わなかった。

 他はどこにも、誰かの目があり過ぎる。

「...分かった。吾輩が案内してやろう。確かに魔族でないものは、我らが家たる森に住んでいる」

「恩に着る」

「いい。こちらこそ、お前に我が愛娘の教育を任せているのだからな」

 びゅっと勢いよく黒い影は森へと駆けて行った。その背を見失わぬようにニアは影の行く筋を追って行く。

 街が遠くなり平野を駆け抜け、森の入口を躊躇う事なく入って行く。

 景色の変わらない、どこもかしこも木々が立っている。一人では恐らくずっと迷っていただろう。

「...無事でいろ、メイアン!」

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