第23話 ローズベリとの誓い
「何で俺を連れてきたんだ?」
ベンジャミンは、ニアの背中に問いかけた。
「いっつもアズリナと来るんだが、今日は声を掛けようと思ったら居なくて。んで、一人で街に出たらお前が居たから声かけただけ」
「俺とスノーの変化には気付かない癖に、町人に化けてる俺には分かるんだな」
ベンジャミンは今は白髪を緩く結んで、瞳の色はオッドアイにしている。エルフのように耳の先端を尖らせて、一見しただけでは魔導士だとは思えないだろう。
「そこはばっちりよ」
ぐっと親指を突き立てて、ニアは目的の場所に辿り着いた。
街の外れの墓地。
白い花が咲き誇り、冷たい石が等間隔に並んでいる。
この街で唯一無二といっていい、美しい場所だ。墓場でなければ、という言葉が付くが。
その墓場の中、ニアは目の前の白い石の前に立つ。
そこには黒い文字で「ローズベリ・メイディアンヌ」の名が刻まれており、左右には黒い薔薇が生けられていた。
その花が少し枯れ始めているのに気付き、花を入れ替えているニアに声を掛けた。
「毎月来てんの?」
「来れる時にはな」
花を全て生け替え終えると、それから手を合わせた。それをベンジャミンは近くの木にもたれかかって見ていた。
「.........お前も手を合わせろよ、ローズベリに世話になってたんだろ?」
「後で。...なぁ、聞きたい事、あるんだけど」
ベンジャミンの問いかけに、ニアは振り向く事なく黙っていた。それを質問してもいいと捉えた彼は、口を開いた。
「メイアンは、何者だ?」
ニアに頼まれているローズベリの死に関する情報を集めると共に、個人的にメイアンの事に関するような事も集めていた。
人間がこの街に来るには、およそ十日程度かかる。その間をあんな軽装備で来るのは不可能だ。その上、海岸には監視隊に所属する魔物達が監視を行ない、それを族長へ定期的に連絡している。人間が来れば、すぐに連絡が行き届くだろう。ではこの街の住人で記憶喪失であるのか、と問われれば違うとベンジャミンは考えた。
彼も聖眼を持っていたなら、ローズベリだけが執拗に狙われていた事に説明が付かない。彼の見た目の年齢からすると、ノルチェと同年代くらいだろう。とすると、彼女が殺された当時は十歳程度で生きていた筈だ。聖眼を狙う者が、そんな小さくて殺しやすい者に手を出さないはずがない。
つまり、聖眼を持つ者はこの時点で一人だ。彼はこの街の生まれでない。
それではもう一つ。奴隷としてこちらに連れて来られた可能性。それもない。そんな珍しい奴隷など、来た時点で噂が立つ。
仮定の話をすべて真実にすると、メイアンは――メイアンという名を与えられた男は、急にこの街に現れた事になる。
「あいつは、何だ?お前は、何か知ってるんじゃないか?」
自分の考えを吐露して、ニアの反応を待つ。
「...正直、俺にもメイアンが何者なのかは分かってない。...ただあいつは嘘を吐いてるようには思えない」
「それは、人って事か?だとしたら」
「.........黒い魔女の話、知ってるか?」
唐突な話題転換に、ベンジャミンは目を瞬かせながらも静かに応じた。
強い願いを持つ者の前に現れる黒い魔女。彼女は願いを叶える代わりにその者の大切なナニカを奪うという伝説。
魔導士に代々伝わっている昔話だ。真相は定かではない。
だがそれを今真実と仮定するならば。
「...お前達には言っていないけど、ここに来たての頃のメイアンの身体は痣だらけだった。明らかに暴力によるものだ。打ち付けて出来たようなものじゃない。それとノルチェから聞いたが、あいつの片隅の記憶では恐らく両親に反抗する事を禁止されていたらしい」
それが家庭内暴力に全て繋がるのかは分からない。
もしかしたら人間の儀式や慣習に痣を作るような物があるのかもしれない。早とちりなのかもしれない。だが、あの痣が刻まれた光景を見た瞬間、確かにニアの心は痛んでメイアンの顔が微かに強張ったように見えたのだ。
その場所から逃げようと強く願い、伝承の黒い魔女が記憶を代償としてここへと導いたのだとしたら。
急にメイアンがこの街の外れに現れたのには説明がつく。ローズベリに近しい容姿や聖眼を持っている事には上手く説明が出来ないが、人として聖眼を持っているのが普通ならばローズベリに近い容姿は偶然だろう。
世界には似たような見た目の者が何人もいると聞く。その偶然の積み重ねが今のこの状況を作っているとすれば、とりあえずは話が付く。
「本当に人間だから、聖眼の力を解放出来ずに弱いまんまって事?」
「筋通ってるだろ?」
ニアは手を合わせるのを止め、ゆっくりと立ち上がる。それからベンジャミンの近くに行って木陰に隠れるように腰を下ろした。
「まぁ、割り合い通ってなくもない...」
ベンジャミンはぼそぼそとそう言い、長く息を吐き出した。
「じゃあ、これからどうするんだよ。メイアンを人間の所に返すのか?」
「...屋敷の皆が許すなら手元に置いておきたい。似てる似てないじゃない、俺はメイアンが好きだ。あいつの性格を俺は気に入ってるし、文字や格闘に頑張る姿は愛でてやりたい」
ニアは今でもローズベリが好きだ。愛している。
出会った頃から婚約してからも、そして愛の言葉を交わし合った。その聖眼を狙う者から守ってやると言った。――守れなかった。
「.........ニア」
震える唇で、胸から赤い血を流し、美しい紫色の瞳の奥に光る黒い聖眼を示す宝石のようなものがどんどんと濁っていくのが分かる。
その腕に抱きながら、息を引き取ったローズベリを涙を流しながら見送った。
「私は.........、幸せ者、ですね.........、大切な貴方様に、見送ら、れ...て」
優しい娘だった。
家族のいないニアを、優しく受け入れて。閉ざしていた心を優しく開けてくれて。
その恩を、まだ返せていないのに。
「.........必ず、敵は取る」
聞こえていなくてもいい。自分だけがその誓いを口にしていればいい。
「...ロゼ、様」
「.........、くそ」
「ッ............」
その誓いを、仲間が聞いてくれていたならば、それでいい。
周りからは、ローズベリを守れなかったその罪滅ぼしをメイアンに向けていると受け取られるだろう。それでも構わない。ただ、メイアンの側で彼の成長を見ておきたいのだ。
『ニア』
少し恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに名を呼ぶメイアン。
あの姿を、手放すわけにはいかない。失うわけにはいかない。もう二度と、誰かを目の前で失うのは御免だ。
「.........ま、どっちにしろ情報はまだまだ必要だな」
ベンジャミンは小さく肩を竦めて、ニアへにっと笑いかける。
「で、いつ帰るんだ?用件は済ませたろ?」
「あー...、もう少し外の空気吸ってよっかな。いっつも資料に顔を突き合わせてばっかだから」
ニアはそのまま手足を投げ出して後ろに倒れる。白い花がふわりと空に舞い上がり、白い雲と花びらが青い空に映えた。
「アズリナにもリーフェイにも言わずに出て来てるのに、遅くなっていいのか?」
「いいだろ。俺の奔放ぷりをアズリナが知らないはずはない。どうせ遊郭に行ったとか思われてるだろうけど」
「あぁ、それは違いないな」
くつくつとベンジャミンは笑う。ニアはそれに対して不服そうに口を尖らすが、そう思われても仕方のない時期があったので何も言い返せなかった。
ベンジャミンとしては、メイアンの正体はどうでもよかった。ただ一応気になっていたからニアへ訊いてみただけだ。
メイアンが来てから、ニアの女癖はぴたりと止み屋敷内に籠る事の方が多くなった。それまでは根無し草のようにふらふらと外に出ては、女と抱き合っており、一時期アズリナが性病にかかると叱ったほどである。
流石に命全てを預けた主とはいえ、屋敷に全く戻ろうとしないニアに憤りを覚えたのはまだ新しい。
だが、それが全てなくなったのだ。どれだけ従者が言おうとも、耳も貸さずに己の道を進んでいたあの男が。
たった一人。正体不明の若者のお陰で。
だから、メイアンが屋敷に住むのは万々歳だ。喜んで肯定するだろう。
他の皆もそうだ。
彼の優しく穏やかで愛らしい雰囲気は、きっと好きになるし断らないだろう。
少し口元を緩めてふわと欠伸をすると、鼻先を薔薇の香りが掠めた。
「ッ!ニアッ!ベンジーッ!」
緩んでいた空気はそこまでだった。
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