第9話 真実

「おい、誰だ。俺のものに手ぇ出した奴はよ」


 地を這う低い声が、部屋の中に凛と響いた。刃の先が、メイアンの鼻すれすれの位置にあった。

 視線が全く動かせないが、その声の主はよく知っていた。


 ニア、だ。


「頭良かったな。動物に化けて魔力を抑え、結界をすり抜けるとは...。そんなにそれが欲しいか?」

 鳥男の目線は、メイアンから入口の扉の方へ向いた。

「っ当たり前よ!これさえあれば、人間を滅ぼせるッ!我々を愚弄し追い出したあの憎き人間を!魔素複合体マナ・キマイラを作らずとも、この瞳の魔力を暴走させれば...ッ、あの時とて、お前が邪魔せねば......ッ!」

 恨みの籠った声音だ。

「ふぅん、そんな理由か。つまらん」

 その言葉を、ニアは一蹴した。明らかに鳥男の方は、気分を害した様子でふるふると怒りで手が震えているのが見えた。

「なぁ、一つ聞かせてくれ。お前が、ローズベリを殺したのか?」

「殺す?あの女は、聖眼を天国へ持ち逃げした外道!殺せるものならば、俺がこの手で」

「あぁ、もういい。お前じゃないなら、お前のような小者に用はない」

 ニアは溜息交じりにそう言うと、パチンと指を鳴らした。

 その瞬間、月明かりの入っていた部屋だったというのにだんだんと暗い部屋へと変貌していく。

「俺のものに傷はつけてないだろうな。...まぁ、泣かせた罪は重いわけだが」

 黒い霧だ、とメイアンはすぐに勘づいた。

「本気で怒らせた、私を」

 感情と起伏のない声が、じわりじわりと締め上げていくようだった。だが、鳥男は一切硬い表情を崩さなかった。

「知っている。...出来損ないの、魔族の娘」

「夜は私達魔族の統べる世界だ。その口、効けなくしてやる」

 敵意を剥きだしにした彼女の声音は、いつもの穏やかな彼女とはかけ離れていた。それを向けられているわけでないメイアンが、また泣きそうになるほどに。

「...背後には気を付ける事だな」

 鳥男はそう言う。しかし、彼女は何も反応を示さなかった。鳥男の方を、僅かに目を丸くしているように見えた。

「お前の方こそ、俺達が族長らから魔素複合体マナ・キマイラの討伐を任されているのを忘れているのか」

 ニアはかつかつと靴の音を鳴らして近付いて来る。鳥男はすぐに勘付き、嘴の下の舌を打つ。


「はぁ、全く...。我々を馬鹿にしているとしか思えないですね」

 完全に地面の上で伸びている金色の毛並みをした人ほどの大きさをした狐を見下ろして、スノーブルーは白い手袋をパンパンとはたいた。

「仕方ないだろ。身の程知らずだから、ここに攻め込んできたわけだし」

 ベンジャミンは足元に居る筋骨隆々な肉体を持った牛の男を、げしげしと執拗に腕を狙って蹴った。

「...........薔薇を散らさなかっただけ、良しとしましょう」

 スノーブルーは溜息と共に眼帯の位置を直した。

「お茶、持って来たでー」

 そこへリーフェイが湯飲みを持って、二人の元へ歩いてきた。

「ありがとうございます」

「どうも」

 二人は口々にそう言い、それから二階の方へ顔を上げる。一つ開いた窓からは、黒い影が夜の闇に溶け込む事無く、どろりどろりと溢れて零れている。

「...どうなりますかね。ニアは真実をお伝えするのでしょうか」

「さあな。それこそあいつの問題だろ。俺達の入り込むところじゃねえさ」

 ベンジャミンは湯飲みの中の熱い茶を一気に喉に流し込むと、とんとんと胸の中心を叩いてから隣に立つスノーブルーの服の袖を引いた。

「外に出すか、こいつら。邪魔だし。手伝って」

「......そうですね。こういうゴミは...、リーフェイ」

「生ごみ。明日は回収日じゃないから...、どうする?三日くらい土の中に埋めるか?」

「死にますねぇ」

 ベンジャミンが金色の光をその手の平に出して口を動かすと、ふわりと二つの侵入者の影が動く。

「シノウのとこに持ってくのが妥当ですね」

「あーあー、あいつも仕事大変だなぁ」

「しゃあないですね、一番近い族長ですから」

 三人はそう言いながら、館の外へと出て行った。


 普段は見えない糸目の奥の瞳が、カッと見開かれる。

 部屋を覆う黒い闇が全て、大きく口を開ける様子がメイアンの瞳に映るが、しかしそれはすぐに冷たい何かで隠されてしまう。

「黒の暴食」

 ノルチェの声が聞こえると共に、何かの落ちる音と小さな痛みがメイアンの耳と手の甲に感じた。

 抱き寄せられるような、引っ張られる感覚。

 目の前の暗闇はすぐに晴れ、目の前には月明かりの入ってくる部屋と、いつもの細目とは異なり、青い空を思わせるような目を見せたノルチェが窓枠に腰を下ろしていた。

 後ろから抱き締めてくれているのは、ニアだった。目を覆い隠してくれていたのだろう、彼の冷たい手が熱い顔には丁度良かった。

「......怖かったな。ごめん、メイアン」

「は.........っ、ふ、だ、だい、大丈夫、です...........」

 口の布が取り出され、恐怖によってか乾いた声が最初に出た。それから震えた声が追うようにして零れる。

 まだ微かに震えているメイアンを宥めるように、ニアは背をさすってやる。

「......っごめん、ニア。部屋、出る」

 窓枠から降りたノルチェは、やや切迫した声でそう言った。ニアは静かに頷いて、それから部屋の外へと出る。

 部屋から出てすぐ、ふらりと彼女の身体が傾いだ時。がしりとその身体が抱き止められる。ノルチェがゆっくりと顔を上げると、無表情のアズリナがその身体を抱いていた。

「.........あず、りな」

「旦那様は想定なされてましたよ。貴方がメイアン様を気遣って血の噴き出るような殺し方をせず、闇の中に屠るであろうと。それが身体の負担をかけるものであるとは、私は全く知りませんでしたが」

 脂汗を額に滲ませる彼女を改めて姿勢を直して、細いその身体を優しく四本の腕で抱き抱える。

「眠ってください。必要ならば、介抱します」

「...........あり、がと」

 ふわ、と口元を緩め、そこからがくりと身体の力が抜けてしまった。アズリナは眉を顰めて、彼女の身体を部屋の方へと運んでいく。


 メイアンは大分落ち着いてきたころで、ようやく手の甲の痛みに気付いた。

 鳥男の落とした短剣が、傷を付けたのかもしれない。

 それにニアも気付いたらしく、その手を優しく取った。

「痛むか?」

「す、少しだけ、です...けど」

 ニアは少し考えたのちに、小さな血を溢している手の甲を口元に近付ける。

「嫌だったら、目を閉じてろ」

「へ」

 何故、と訊く前にニアの舌がメイアンの手の甲に滑った。

「ッ!?」

 ぴく、とメイアンの肩が震えたのも気にせず、ニアは血を舐めとっていく。白い肌に這う赤い舌が、相反して色っぽく見えた。

 最初は目を背けようとしていたメイアンであったが、徐々に塞がっていく切り傷に彼は気付けば釘付けになっていた。

 パッと口が離れて、その手はぬらと照っているものの傷は無くなっていた。ニアはその甲を拭ってやり、傷が消えたことを確認した。

 そして、ぐるりと身体が反転させられて、顔の表情を覗き込まれる。

「他は、大丈夫か?打撲とか。頭はこぶが出来てはいないようだが...。他にどこか触られたり殴られたりとか」

「平気です。あの...、その、聞きたい事があるんです。たくさん」

 メイアンの言葉に、ニアは静かに頷いた。

「だろうな。俺はお前に何も言わなかったから」

 どうやらニアは分かっていて隠していたらしい。それを理解して、少しメイアンは悲しくなった。

「俺の事、何か知ってるんですよね。......聖眼って何ですか。ローズベリって、誰の事、なんですか?俺は...、」

「ちゃんと説明しよう。だが、夜も深い。まずは眠れ。起きた時にちゃんと説明するからな」

 メイアンの額の前髪を梳くように、ニアは微笑んで撫でる。

「本当ですか...?」

「...あぁ、約束しよう」

 だから寝ろ、とニアはメイアンの頬を撫でてやった。


 温かな体温が入り込んでくると共に、安心したせいか眠気が一気に襲ってき始めた。

「...........そばに、いてやるから」

 声が遠くなり始める。ふわ、と力が抜けた。

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