第7話 街の住人
「凄いね、蛇が言葉を話してるなんて」
「...そか。記憶ないんだった」
嬉々として話しているメイアンの声を聞きながら、ノルチェは疑問に思っていた事の答えを口に出した。
彼の目には何もかもが初めてなのだ。本当に彼が人間と呼ばれる種族なのか、はたまた記憶を失った事により魔法を使えなくなった魔導士なのか。ノルチェにはその判別は付かない。
ニアが結論を出さないという事は、人間の可能性を考えるが。彼の口から零れる真実を待つしか、今の自分には出来ない事だ。
「っ!ね、ノルチェ」
「うん?」
引っ張っていた足を止め、メイアンが顔を向けている方向へノルチェも顔を向ける。そこは
黒薔薇館の図書室の本らは、基本的に新書でない限りはここから仕入れているので、店主とも顔見知りなのだ。
「...行ってみたい?」
文字が読めないのでは、と無粋な事を言おうとした思考を脳の片隅に追いやり、隣でわくわくとした表情をしている彼へそう声を掛けた。
「いいの?」
「...早く帰ってこい、って言われたけど。言わなければバレないから」
子どもの浅知恵のような発想だが、ニアはともかくアズリナは許してくれるだろう。ノルチェには確信があった。
メイアンは案の定、嬉しそうに口元を緩めて。見ている彼女の方が気分が良くなってしまう。
「でも、読めないのに楽しい?」
「文字の指南書みたいなのがあったらな、って。それに、本...、なんだか懐かしい感じがして...。上手く言えないんだけど」
彼は頬を掻いてそう言った。
どうやら記憶のトリガーの一つらしい。それならば必要な要素だ。彼には記憶を取り戻してもらう必要があるわけなのだから。それに文字が読み書き出来れば、彼の暇つぶしが増える事は間違いない。
「大事な事。行こう」
ノルチェはメイアンの手を引いて、ラディット古書堂へ入って行った。
中に入るとすぐ、カウンターの椅子に腰を下ろして小難しい本を読んでいる人の大きさの背丈をした眼鏡の白兎がいた。もふもふとした毛をシャツと青いパンツに包み込み、冷静そうな瞳は紫色をしていた。
「......ノルチェ、か」
顔見知りであるので、彼はノルチェの顔を見ただけで無表情を僅かに崩した。ただ笑顔ではなく、嫌悪感をたっぷり表しているのだが。
何故この店が成り立っているのか。彼女はどうしても理解できなかった。
愛想の良くない店主と、ジャンルもばらばらで乱雑に積まれている本の数々。どう考えても潰れる道まっしぐらだ。しかし、黒薔薇館の面々は買っているわけだし...、と彼女は一人で悩む。
「の、ノルチェ?」
ぼうっと突っ立っていたせいか、後ろのメイアンが不思議そうに声を上げた。
「何でもない。...メイアン、彼はラディット。この店の店主」
「......彼は...、」
「メイアン。ニアのお気に入りだから、手を出したら駄目だ」
「出さない。そんな貧相な魔導士に僕が手を出すわけないだろう。用事はなんだ」
「あ、あの、文字の読み書きが出来るようになるような本、ありますか...?」
それにはメイアンが答えた。
その内容が意外だったのだろう、ラディットは目を丸くしていた。ノルチェは初めて見る冷静な顔でない彼の姿に心の中で驚いていた。
「...読み書きができないのに、本屋に来るとは、馬鹿じゃないのか」
彼はぷつりぷつりと言葉を切りながら、メイアンのフードの下の瞳を覗くようにじとりと見る。
「あ、え...、と...、その...........」
「責めてない。僕は元々こういう言い方だ」
ふん、と鼻を鳴らして偉そうな態度でそう言った。それでさえも、メイアンには怒っているように見えた。
「......知を得ようとする姿勢は、まぁ、悪くない。少し待ってろ」
彼はぱたりと栞を挟む事無く本を閉じ、すたすたと歩いて行くと、本棚から一冊の本を取り出してそれをカウンターの上へ置いた。
その本は、可愛らしいキャラクターの描かれた本であった。明らかに年齢不相応な見た目のものに、僅かにノルチェとメイアンは目を瞬かせる。
「小等学生用だが、全く読めないならこれでいい。八百メルだ、さっさと出せ」
買わせる事は前提らしい。
ノルチェは何も言わずに八百メルを突き出して、その本をメイアンへ手渡した。
彼は目を丸くしながらも、自分の物が出来た事が嬉しく、それを顔を隠すように持っていき、結果ノルチェとラディットからは完全に顔のない何者かに見える状態になってしまった。
「...ふん、次来る時は一人で来い。以上だ」
そう言うと置いていた本に目を落とし、ゆっくりと読み始めた。
ノルチェは小さく息を吐き出し、メイアンに軽く目配せをしてから外へと出る。
「...あの人、相変わらず苦手、だ」
「いい人そうに見えたけど」
彼女はその言葉が意外なようで、眉間に皺が寄っている。そんな表情をなかなか見た事なかったので、思わずメイアンは口元を緩めてしまった。
ノルチェは不服そうであるが特に何か言うつもりはないようで、二人は黒薔薇館へと来た道を戻っていく。
「どけどけッ!」
その時、鋭い声が聞こえ始めた。人々の話し合う声や客を呼ぶ声が消え、道が開き始める。
血相を変えた長いコートを羽織ったトカゲ男が、光沢のある革の鞄を持って駆けていた。その後ろには、倒れたエルフ女性がいるのがメイアンには見える。
どん、と周りの邪魔な身体を押して、トカゲ男がこちらへ近付いて来るのが分かる。
「っノルチェ」
メイアンの声と、近付いて来るトカゲ男。ノルチェはメイアンを庇いたて、黒い腕を真横に振るう。
どろりと黒い霧が解け出るように、地面に黒い霧が渦巻き始めた。
「黒の手」
その霧が大きな手を作り出し、それがトカゲ男の身体を掴んだ。
「ッ離せ!!」
「族長が来るまでそのままだよ」
ノルチェはサラッとそう言い、トカゲ男は黒い腕の中でもがき続ける。
「黒薔薇館の。ご協力感謝する」
少しすると、今のメイアンのように黒いローブを身にまとった長身の人物がふらりと現れた。銀色のトゲが付いたマスクを口にし、街の人々は彼から少し距離を取り、遠巻きに彼の様子を見ているようであった。
「フォント、これが首謀者」
ノルチェは人の腕の方で指を差す。だろうね、と彼は頷いてトカゲ男の目をじろと覗き込んだ。
「君は、どうして盗みを働いたのかな。俺はそういうの一番嫌いだし、この五番街のルールで駄目だってしてるよね。文字読めるよね?分かってるよね?」
淡々とした口調で、責め立てるような言葉だった。その場の誰もが息を呑み、その場を見守っている。
ローブの下から細い腕が伸び、金色の光がその腕には纏っていた。明らかにトカゲ男の瞳が動揺に揺れている。
「とりあえず、俺優しくないから」
「っひ、やめ、できごこ、」
「凍て付く氷、その身を固めよ。
その言葉が言い終わると、金色の光がトカゲ男の周りを浮遊し始める。そしてパキパキと音を立てながらその身体が凍り付いていく。
喚いている口も、抵抗する腕も全て。辺りはただ静寂に包まれた。
ノルチェは黒い手を消し、ごとりと凍った男の身体が地面に落ちた。
「...済まなかったな。迷惑をかけた。ただでさえ、
更に金色の光を纏わせ口を動かすと、ふわりとその氷の塊が浮いた。
「鞄の持ち主はどこだ。返す」
彼は氷を頭上に浮かせたまま、鞄の主を探して歩いて行ってしまった。
「...........今の人は、」
「ここのリーダーだよ、ここの治安を取り締まっている魔導士の族長」
ルールがあまりないこの〈箱庭〉の場所を取り締まるべく、それぞれの種族の有力者が番数の振られた地区を治めている。
吸血鬼はその数が少ない為有力者がいないのだが、他の七種族には族長がおりそれぞれがその地区に見合ったルールを定め、守らなかった場合にはその人物が裁く。
その役目を担ったのが、族長と呼ばれる役職である。
「へぇ。法律とかないんだね」
「ほうりつ...、ルールとはまた違うものか?」
法律という単語がノルチェには分からないようで、彼女は不思議そうに眉を寄せていた。メイアンがそれについて説明しようとした時、彼の耳に子どもの泣き声が耳に入って来た。
振り向くと、先程のトカゲ男に突き飛ばされたらしい犬耳と尻尾を持った子どもが泣いていた。人々は喧騒を取り戻しつつあるが、彼の泣き声はその中でも主張していた。
とと、っとメイアンは彼の側へ近寄った。
「大丈夫?」
びく、と子どもは肩を震わせた。ローブのフードで顔が半分隠れている上に、全体的に黒い衣装で他人である。怖がってもしょうがないかもしれない。
メイアンは少し悩んだが、フードを取り外して彼へ笑いかけた。
「ほら、大丈夫だよ。怖くないから。どこか痛いところがあるんでしょう?どこが痛いのかな?」
にこ、とメイアンは口元を上げて笑う。すると、幾分か彼も落ち着いたようで、擦り剝いた膝をゆっくりと見せた。
「...痛かったね」
「...お兄ちゃん、魔導士なの?」
治してくれるのだろうか、と濡れていた目が僅かに光る。う、とメイアンは気付かれぬように声を漏らす。
ノルチェに頼もうにも、彼女がそういった魔法が使えるのかどうか分からない。
いたいのいたいのとんでいけ。
頭のどこかで優しい声が歌っていた。
メイアンは傷口の近くに手を向けて、頭の中の声に応じるように声を出した。
「...........いたいのいたいの、とんでいけ」
まるで最初から知っていたような、呪文の言葉。
彼はじっとメイアンを見ている。勿論、言葉ばかりで血は止まっていないし、傷も塞がっていない。けれど、目の前の子どもはぱぁっと顔を輝かせた。
「ありがとう、お兄ちゃん痛くなくなった!」
「え」
「傷塞がってないのに、痛くないんだよっ。お兄ちゃんは少し変な魔導士だけど、いい人だね」
彼はぴょんぴょんとその場で飛び跳ねて、それからたたっと駆けて行ってしまった。
「メイアン」
「わっ」
その後ろ姿にノルチェは咎めるように声を掛けて、それからフードをかぶせた。メイアンはゆっくりと後ろを振り返る。彼女は不服そうな顔をしていた。
「顔は晒さない、そういう約束」
「ご、ごめん」
ノルチェも事情を分かっているので、それ以上は特に何も言わずにそのままずるずると黒薔薇館の方へと歩いて行った。
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